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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第10章 2016年度春季団体戦1日目(2016年5月8日日曜)
52/486

51手目 不幸中の幸い

「負けました」

「ありがとうございました」

 ッ!? 私は驚いて、7番席をふりむいた。

 三宅みやけ先輩が悔しそうに、盤面をみつめていた。

 マズい……端の一角が崩れた。

 私は背筋を伸ばして、局面に集中する。この端角は、まったく読んでいなかった。遠見の角というかたちではあるけれど……ん? 私は持ち駒を確認する。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 止める手段がない? 飛車と歩……後手は5六香の打ち込みがある。ななめに利く駒がないと止められない……ななめに利く駒……6八金右〜6七金直or7六銀〜6七銀のどちらかだ。どちらも一手じゃなくて二手かかるのが難だけど……あれ? ほんとにそれで止まってる? 7六銀、5六香、6七銀、5七香成、同飛、5六銀は、全然止まっている気配がない。6八金右、5六香、6七金直、5七香成、同飛、5六銀も同様。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)

 

 私は、1二角が予想以上に厳しいことに気づいた。

 単純な受けじゃ受からない。

 

 ピッ

 

 うわぁ、ここで時間がなくなるのか……キツい……。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 私はギリギリで7六銀と引いた。

「5六香」

「6八金右」


挿絵(By みてみん)


 これで受ける。

「それがありましたか……」

 よし、今度は明石あかしくんの読み抜け。温泉ムードだったんじゃないの。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「5七香成ッ!」

 明石くん、初の力んだ指し方。

 私はノータイムで同飛。

「継続手を……」

 明石くんは、うっすらと目を見ひらいて、盤面を凝視した。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 パシリ!


挿絵(By みてみん)


 くッ、これは読みの範疇だけど、一番指して欲しくなかった。

 同玉は7八角成で終了(同金、9八金まで)。

 7九玉と逃げるのは、9八歩成から5六歩と挟撃されるのが厳しい。

 かと言って、9七玉もどうかと思うし……まだ不利なのかなぁ……。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「9七玉ッ!」

 挟撃は解除できない。端攻めを切らす。

 7四馬(詰めろ)、9八玉、9七歩、同桂。

「7八角成」

 このタイミング? 同金に……6九銀?

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 ここで9九玉は、7八銀成がほとんど必至。唯一逃れるのは8九飛だけど(8九銀は8八金、同銀、8九金、9八玉、8八金で詰む)、7九金で今度こそ必至(5九飛と受けても、8九金、同飛、同成銀、6九飛、7九合駒、9九飛以下の詰み)。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「同金ッ!」

「6九銀」

 私はひとさし指一本で8九玉と引いた。

「6四馬」

「8六香」

 明石くんは、同馬と切った。

 その瞬間、私はこの局面が予想より遥かに悪いことを悟った。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「ど、同歩」

 パシリと、5六の地点に香車が置かれる。


挿絵(By みてみん)


「……」

 私はくちびるを噛んだ。チェスクロが数字をきざむ。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「7九金」

 8八金、同金、同銀成、同玉、5七香成。


挿絵(By みてみん)


 8九金や7九金は7八金からバラして6八飛。銀に変えても同じ。

 8七角は7八金、同角、同銀成、同玉、6八飛、8九玉、9八角、7九玉に7六角成と切る手が成立して終わり。王様の逃げ場所をズラしても負け。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「負けました」

「ありがとうございました」

 私は天井をみあげて、大きく息をついた――悔しい。個人戦のときより悔しい。

 ともかく、失礼にならないように気をとりなおす。感想戦だ。

「最後、7九玉だと、もうすこし長引いたかしら?」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


 明石くんもミネラルウォーターのペットボトルをあけて、水分補給。

「それは5八金と打ちます」

「7八銀成じゃないの?」

「7八銀成、同玉、9七馬は詰めろになっていません。5八金は9七馬、8八合駒、7八銀成、同玉、6八金打、8九玉、8八馬までの詰めろです」

「あ、そっか……5八同飛だと?」

「5八金に同飛は、同銀成がまた詰めろで、6八金は9七馬、7八玉、8八飛、6七玉、6八飛成まで。6八金打なら5九飛、6九金なら4九飛を考えていました」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


 これはキツい。

「5九香に9七馬?」

「それでもいいですし、5九成銀といきなり行ってもいいと思います」

 私はひたいに手をあてて考えた。

 5九香と打った以上、9七馬には8八角か8八飛の合駒になる(8九玉は6九成銀が詰めろになって解除不能)。8八同銀成、同金、6九成銀と迫っていけば、自然と後手の勝ちになりそうだ。即詰みすらありそう。

「じゃあ、もっと前の段階で7九玉だと? 9九銀に7九玉は?」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


「私はそちらをメインに読んでいました。7九玉、9八歩成、5三歩成として、同金、同桂成とするか放置ですぐに反撃するかも悩みましたし、反撃のしかたも5六銀と5六歩でかなり迷ったのですが……」

「どっちのほうが良さそうだった?」

「なんとも言えません」

 明石くんは、答えをはぐらかした。むむむ、これは情報隠蔽かな。

 むりやり聞き出すことはできないし、部室で風切かざぎり先輩に検討してもらおう。

「ほかの対局を見て回っても、いいかしら?」

「もう終わっているようですよ」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………え?

 私は椅子を引いて立ち上がり、あたりを確認した。

 そのとたん、松平まつだいらとぶつかりそうになった。

「ご、ごめん」

「いや、近くで観戦し過ぎた……残念だったな」

 私は、ほかの対局の勝敗をたずねた。

 松平は髪の毛をくしゃくしゃにして、タメ息をついた。

「端は全滅……2勝5敗だ」

 脱力――私は椅子に座りなおした。

 そこへ、堂々とひとりの少女があらわれた。火村ほむらさんだった。

「明石、勝った?」

「ええ、なんとか」

 火村さんは、高らかに笑った。

「幸先のいいスタートが切れたわ。お昼にするわよ」

 火村さんの号令で、聖ソフィア陣営は会場から離脱した。

 ほかの大学も、ぱらぱらと出て行く。

裏見うらみのところ、戦型はなんだったんだ?」

「相掛かり」

 松平は、右の眉毛をもちあげた。

「また思い切ったな。初対局だろ?」

「一番ブレないと思ったのよ。7六歩、3四歩だと次の手に困るし」

 私たちが議論していると、三宅みやけ先輩がもどってきた。

 勝ち負けの報告をしてきたようだ。

「おつかれさん。飯にしよう」

 三宅先輩は、すこし離れたところのファミレスに案内してくれた。前回、春日かすがさんに見つかったところとは違っていた。用心かしら。

 私たちはめいめい注文する。パスタでいいかな。午後は2局だし。

 ドリンクバーで飲み物をついで、作戦会議が始まった。

 司会は三宅先輩がつとめた。

「まずはお疲れの乾杯を……といきたいが、それは3局終わってからにしよう。率直に言うと、1回戦の聖ソフィアに負けて、昇級はかなり厳しくなったと思う」

 三宅先輩は、ごまかさずに現状を伝えた。とくに反論もない。

「で、今後の方針だが……」

「主将の俺からコメントしてもいいか?」

 風切先輩は、突然そう発言した。

 打ち合わせをしていなかったらしく、三宅先輩は目をほそめた。

 それから、「いいぞ」と許可を出した。

 風切先輩は、腕組みをして私たちを見回した。

「1回戦は、おつかれさまだ。聖ソフィアと初回に当たって、どうなるかと思ったが……あの並びじゃあ、何回戦で当たっても勝つのはむずかしかっただろう」

 歯に衣着せぬ物言い。私たちもしょんぼり。

 ところが、風切先輩はそこで少し笑った。

「だが、悪いことばかりじゃない。あの並びで助かった点がある」

 三宅先輩が代表して「なんだ?」とたずねた。

「端を厚くしたあの並びには、どのチームも対応できないってことだ」

「つまり?」

「聖ソフィアは、全勝する可能性が高い」

 三宅先輩は、一瞬怪訝そうな顔をして、それからパチリと指を弾いた。

 私たちには、なんのことやら分からない。穂積ほづみさんも痺れを切らして、

「聖ソフィアが全勝したら、昇級枠がひとつ埋まっちゃいますよ?」

 と反論した。風切先輩は、ピンとひとさしゆびを立てた。

「それが助かるんだ。聖ソフィアが負けたときのことを考えてみろ」

 私は、頭のなかで試合をシミュレーションしてみた。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 あ、そういうことか。私は真っ先に口をひらいた。

「聖ソフィアが上位校に負けると、うちの昇級はほぼなくなりますね」

「裏見の言うとおりだ。聖ソフィアは負けても1敗。昇級枠のひとつはどのみち埋まる。うちが昇級するには、聖ソフィアとセットで上がるしかない。ラインは8勝1敗だ」

「聖ソフィアが房総ぼうそう商科しょうか南稜なんりょうに負けると、うちがそこに勝っても頭ハネです」

 

  序列

  1位 房総商科  ○○○○○○○○●

  9位 聖ソフィア ○○○○○●○○○

 10位 都ノ    ●○○○○○○○○

 

 こんな感じ。

 のこり8試合を全勝するのは必須。同時に、聖ソフィアが全勝してくれることも必須。

 でないと、どこかで頭ハネが発生する可能性大。

「というわけで、聖ソフィアのオーダーは悪くない。鶴翼かくよくとはよく言ったもんだ」

 風切先輩が言い終わったとき、料理が運ばれてきた。

「それじゃ、昼飯にしよう……2回戦は気を抜くなよ」

場所:2016年度 春季団体戦1日目 1回戦

先手:裏見 香子

後手:明石 嘉門

戦型:相掛かり


▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金

▲3八銀 △7二銀 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩

▲2八飛 △9四歩 ▲2七銀 △3四歩 ▲3六銀 △9五歩

▲6八銀 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛 ▲8七歩 △8四飛

▲5六歩 △4二銀 ▲5七銀 △1四歩 ▲1六歩 △6二玉

▲7九角 △3三銀 ▲6九玉 △4四銀 ▲6六銀 △3五歩

▲同 銀 △同 銀 ▲同 角 △3四飛 ▲6八角 △1三角

▲同角成 △同 桂 ▲5七銀 △7一玉 ▲7九玉 △2四飛

▲2六歩 △5四飛 ▲8八玉 △9三桂 ▲5九金 △4四飛

▲4六銀 △3九角 ▲5八飛 △7五角成 ▲5五歩 △6五馬

▲5六銀 △8三馬 ▲3六歩 △9四飛 ▲6六歩 △8五桂

▲6七角 △9七桂成 ▲同 玉 △9六歩 ▲8八玉 △9七歩成

▲同 香 △9六歩 ▲同 香 △同 飛 ▲9七歩 △6六飛

▲5四歩 △同 歩 ▲5七銀 △6四飛 ▲6六歩 △8四飛

▲6五銀 △9六歩 ▲同 歩 △9七歩 ▲7六銀 △5五歩

▲8五銀 △4四飛 ▲5四歩 △4二金 ▲6五桂 △5四飛

▲2三角成 △8四歩 ▲4五馬 △4四飛 ▲同 馬 △同 歩

▲5四歩 △1二角 ▲7六銀 △5六香 ▲6八金上 △5七香成

▲同 飛 △9九銀 ▲9七玉 △7四馬 ▲9八玉 △9七歩

▲同 桂 △7八角成 ▲同 金 △6九銀 ▲8九玉 △6四馬

▲8六香 △同 馬 ▲同 歩 △5六香 ▲7九金 △8八金

▲同 金 △同銀成 ▲同 玉 △5七香成


まで130手で明石の勝ち

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