49手目 鶴翼と魚鱗
抽選会場は、各校の部員でごった返していた。
公式に呼ばれたのは代表者だけ。でも、みんな見に来ている。
「えー、本日はDクラスのみ1局多いので、Dクラスから引いてください」
三宅先輩は私たちに「行ってくる」と言って、まえに出た。
黒板には、各クラスの順位表。
私は松平、大谷さんと一緒に、Dクラスをチェックした。
Dクラス順位表
1位 房総商科大学
2位 南稜大学
3位 首都電気大学
4位 政教大学
5位 東アジア創業大学
6位 国文學大学
7位 帝仁大学
8位 首都農業大学
9位 聖ソフィア大学
10位 都ノ大学
うーん、事前情報どおり最下位から。キツい。
「これって、チームの勝ち数で白黒つけるの?」
私の質問に、大谷さんが答えてくれた。
「はい。そのようにうかがっています。勝ち数が同じなら、勝ち星で決まります」
高校の団体戦で一緒ってことか。
「勝ち星数で並ぶと順位で頭ハネだから、ぶっちぎる必要があるわね」
「左様です。同順位なしで2位以上になる必要があります」
厳しいなあ。とはいえ、松平と指した宮台さんのいる房総商科が1位だ。
全体のレベルも、そこまで高くないと信じたい。
「抽選が終わったみたいだぞ」
松平は、黒板を指差した。
団体戦1日目
D1回戦 房総商科大学vs政教大学
南稜大学vs首都農業大学
首都電気大学vs東アジア創業大学
国文學大学vs帝仁大学
聖ソフィア大学vs都ノ大学
い、いきなり聖ソフィアと……山場が早過ぎでしょ。
三宅先輩は、人混みのなかから帰還。
「いきなり聖ソフィアですけど、大丈夫ですか?」
私の質問に、三宅先輩はタメ息をついた。
「どちらかと言えば、運はいいと思うんだが……」
「相手の人数も分からないんですよ?」
「それは聖ソフィア陣営もおなじだ。こっちの正確な人数は、だれも知らない」
情報が漏れてなきゃ……だけど、穂積お兄さんの登場は、私たちですら青天の霹靂。
事前に把握できた人数は6人のはず。
私はすこし気が楽になった。
「Dクラスはスケジュールが押しています。オーダー交換を始めてください」
幹事の指示に合わせて、私たちは対局テーブルの先頭に集合した。
こういうときは、各校の部長か主将が交換するものと相場が決まっている。
都ノからは三宅先輩が、聖ソフィアからは明石くんが出てきた。
「やっぱりあいつが参謀役だったな」
風切先輩は、そうつぶやいた。私のななめうしろに立っている。
「明石くんが部長で、火村さんが主将の2本体制ですか?」
「おそらくな……始まるぞ」
風切先輩の台詞にあわせて、私はまえに向きなおった。
三宅先輩と明石くんは、機密書類のようにオーダー表をひらいた。
「どっちから読み上げる?」
「都ノからどうぞ」
明石くんは、先輩にあっさりゆずった。
「分かった……1番席、大将、1年生、穂積八花」
「1番席、大将、1年生、有馬勇一」
うわッ! いきなりリベンジマッチじゃないッ!
「2番席、副将、1年、松平剣之介」
「2番席、副将、1年、カミーユ・ホムラ」
「3番席、三将、2年、風切隼人」
「3番席、三将、1年、小林朗」
「4番席、四将、2年、穂積重信」
「4番席、四将、1年、細川多一郎」
「5番席、五将、1年、大谷雛」
「5番席、五将、1年、畠山正」
「6番席、六将、1年、裏見香子」
明石くんは、一瞬だけ視線をあげた。
「6番席、六将、1年、明石嘉門」
ぐッ……そこに布陣していたとは。
「7番席、七将、2年、三宅純」
「7番席、七将、1年、大友義明」
オーダー交換後、あたりはざわついた。
「1年生と2年生しかいないのか?」
「聖ソフィアは全員1年生だぞ」
「両校とも再建したばかりだからな。仕方ないさ」
口々にそう言いながら、3人の男子が教室を出て行った。
ほかのクラスの偵察要員だろう。
一方、私たち都ノ陣営は、空気が凍りついていた――これ、オーダー負けしてない?
相手の正確な棋力は分からない。でも、端にうまくよけられた感があった。
穂積さんは有馬くんに1回負かされてるし、松平と火村さんは松平の分が悪い。7番席の大友くんは、あの色黒の金髪少年だった。彼も穂積さんクラスのはずだ。
こちらの空気を察したのか、火村さんはニヤリと笑った。
ひとさし指と親指で輪っかを作り、目元にあてた。
「言ったでしょ。あたしはな〜んでもお見通し……オーダーは勝ったわね」
うぅ、なんとも答えられない。
萎縮気味な私たちを励ますように、風切先輩がまえに出た。
「そいつは、やってみないと分からない相談だな」
「またまた、強がっちゃって。こういう陣形、日本語だとなんて言うんだっけ?」
火村さんは、両手のゆびで台形をつくってみせた。
「んー、そうだ、カ・ク・ヨ・ク?」
「日本語のお勉強は満点、ってか?」
「アーッハッハ! 完璧にとらえたわよッ! あたしの伝説は、ここから始まるのッ!」
火村さんは左目を覆うように手をあてて、高らかに笑った。
「それでは、席についてください」
幹事の号令――私たちは散り散りになる。
6番席へむかう途中で、松平に声をかけられた。
「裏見、がんばれよ」
「松平もね」
おたがいにすれちがって、着席。
正面には、明石くん。
「はじめまして、裏見さん」
まるで初対面のような挨拶。
私は「こんにちは」とだけ返した。駒をならべる。
「1番席、振り駒をお願いします」
私は両手をひざのうえにそろえて、振り駒を待った。
団体戦では、1番席の振り駒ですべてが決まる。
1番席が先手なら、先手→後手→先手→後手→先手→後手→先手。
1番席が後手なら、後手→先手→後手→先手→後手→先手→後手。
前者は1・3・5・7番席が先手だから奇数先。
後手は2・4・6席が先手だから偶数先。
穂積さんのカシャカシャする音が聞こえた。
「えいッ! ……歩が2枚……えーと、なんだっけ、偶数先ッ!」
「聖ソフィア、奇数先ッ!」
先手か……私は明石くんに、チェスクロの位置をたずねた。
後手を引いた選手に、チェスクロの位置を選択する権利があるからだ。
右利きのひとは右側に、左利きのひとは左側においたほうが有利。
「右で」
明石くんはそう言って、自分の右側にチェスクロを引き寄せた。
「対局準備のととのっていないところは、ありますか?」
返事なし。会場の緊張感が高まる。
「それでは、対局を始めてください」
「よろしくお願いしますッ!」
全員で一礼して、明石くんはチェスクロを押した。
私は5秒ほど間をおいて、2六歩と突いた。
「いきなり手を限定ですか……」
初手7六歩は戦法の幅が広い。
手のうちを見せていない明石くんに対しては、やりたくなかった。
「そこまで警戒しなくても、よいのですが……8四歩」
2五歩、8五歩、7八金、3二金、3八銀。
攻撃的に布陣する。ここから2七銀〜3六銀の鎖鎌銀だ。
「うちの主将も攻め将棋ですが、裏見さんもなかなか……7二銀」
2四歩、同歩、同飛、2三歩、2八飛。
明石くんは、端に手をかけた。
「9四歩」
後手は様子見……どちらかと言うと、受けに回るタイプなのかも。
2七銀、3四歩、3六銀。
「9五歩」
端を詰められた。
ここで2五銀……いや、1四歩〜1三角の備えが先。
中央を厚くしておかないと、なにかあったときに殺到される。
「6八銀」
明石くんは8六歩と突いて、同歩、同飛、8七歩、8四飛と浮いた。
消極的な棋風なら、8二飛かと思ったけど……9五歩も攻勢だった?
私はチラリと視線をあげた。
明石くんは涼しげな表情で、雰囲気を読み取らせてくれなかった。
……………………
……………………
…………………
………………
ダメね。どうも呑まれてる感じがする。
知らない相手の心境を忖度してたら、闇がひろがるばかりだ。
「5六歩」
普段どおりに指す。それで通用しないなら、しょうがない。
「気配が変わりましたね……4二銀」
5七銀、1四歩、1六歩、6二玉。
美濃に入った。中央(5二玉)でがんばる順を放棄した模様。
「7九角」
「3三銀」
銀出? ……これは4四銀〜3五歩と突いてきそう。
攻撃的な棋風だ。飄々とした外見は罠。
それなら、こっちにも考えがある。
「6九玉」
4四銀、6六銀、3五歩、同銀、同銀、同角。
「3四飛」
「6八角」
明石くんは黙って、1三角と出た。
いやあ……私は息苦しくなって、ペットボトルの蓋をあけた。
一口飲んで、気息をととのえる。
端角をぶつけるくらいアグレッシブだとは、思わなかった。
同角成、同香? それとも同桂?
どちらにせよ、4五角、2四飛(これ以外は2三角成で死ぬ)、同飛、同歩がある。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
……そっか、1三角成、同香バージョンは、ここで1二角成があるわね。
同桂の場合は、2一飛、2八飛の打ち合い?
私は、どちらのほうが先手にとって得かを考えた。
……………………
……………………
…………………
………………
1三同桂のほうがイヤかなぁ。
1三角成、同桂、4五角、2四飛、同飛、同歩、2一飛、2八飛は、次に後手から8八歩がある。同金なら同飛成で、先手が終了。かと言って、放置に8九歩成とされたら、ほとんど負けに近い。ということは、この順は無さげ……かと言って、1三角成と交換しないのもむずかしいし……同桂に4五角がまちがいってこと?
私はお茶をもうひとくち。思ったよりも、なやましい局面だ。
「……1三角成」
「同桂」
「5七銀」
様子をみる。
明石くんが攻撃系なら、勝手に攻めてきてくれるはずだ。
例えば、いきなり2四飛とぶつけてくるとか――
「7一玉」
ぐッ、冷静。私も7九玉と入る。
「さすがは個人戦ベスト4、駒組みがむずかしくなりました」
明石くんはそう言って、長考し始めた。
今度こそ2四飛なんじゃないかなぁ。なんとなくだけど。
「あ、それ王手放置ですよ」
会場に、いきなり男子の声が木霊した。
「え? 王手?」
「ほら、角がこうこうこうなって……」
「あ、ほんとだ。どうすればいいのかな?」
「そちらの負けですから、『負けました』って言ってください」
「負けました」
穂積兄、あっさり投了……まあ、あそこはしょうがないわね。
私はチェスクロを確認する。まだ8分しか経っていなかった。
「失礼します」
席を立って、ほかの対局席を巡回する。
【7番席 先手:大友義明 後手:三宅純】
【5番席 先手:畠山正 後手:大谷雛】
【3番席 先手:小林朗 後手:風切隼人】
【2番席 先手:松平剣之介 後手:カミーユ・ホムラ】
【1番席 先手:有馬勇一 後手:穂積八花】
風切先輩は、押しているっぽい。大谷さんは駒組み勝ちかな。
中央は2勝1敗ペース。
ってことは、端の4人で2勝すれば勝ち――よしッ!
私は気合いを入れなおして着席した。
「ほかの対局は、いかがでしたか?」
「……」
「おもしろい戦型などは?」
「……」
明石くんは失望したようすも見せず、かと言って嘲笑するような気配もなかった。
「だいたい予想はつきます」
彼は、飛車をスッと寄った。