475手目 年度の指し初め
※ここからは、松平くん視点です。
さーて、個人戦なわけだが──ちょっと困ったことになった。
俺自身について、ではなく。
窓から景色を眺めていると、重信先輩に話しかけられた。
「浮かない顔してるけど、どうしたの?」
俺はふりむいて、
「ちょっと考えごとをしてて……」
と返した。
「今日の作戦?」
「いえ、新歓の結果で……」
ああ、と、重信先輩も納得した。
「ふたり強豪が入ったけど、そのふたりしか入らなかった、って点ね」
そうなんだよなあ。
六連と越知しか入らないとは、思わなかった。
重信先輩は、
「ガチンコ系のクラブってことで、敬遠されてるっぽいね、平賀さんの話だと」
と指摘した。
「ガチなのは本当なんで、なんとも言えないですが……」
「でもさ、僕みたいなのもいるんだし、もっと気楽に入ってもらっても、いいと思う。大会にまったく顔を出さないとかは、困るけど」
難しいよなあ、このへんは。
ひとまず、今日の個人戦をがんばるか。
と、気合を入れようとしたところへ、星野がやってきた。
「おはよ~」
「おはよう。これで全員か?」
俺は周囲を見た。
車田、青葉、愛智の2年生勢と、3年生の俺。
三宅先輩は就活で休み。風切先輩はシードで来てない。
女子は2日目から。
1年生の六連は、さっき見かけた。
よし、全員そろったな、と思いきや、星野は、
「もうひとり連れてきたよ」
と言って、男子を紹介してきた。
短髪の、ちょっと不自然な髪型で、春なのに日焼けしていた。
その不自然さは、もともと坊主頭だったのを、最近伸ばしたからだ、と気づいた。
髪が梳かれてないのだ。
目が大きくて、いかにも好青年、というイメージだった。
服装は──色彩がちぐはぐだな。
その柄の黄色いシャツに白いズボンは、変だろ。
ずいぶんとハキハキした調子で、
「古賀です。よろしくお願いします」
とあいさつしてきた。
だれだよ。
星野は、
「僕の高校の後輩で、野球部だったんだけど、大学では別のことをしたいらしいから、引っ張ってきた」
と添えた。
古賀は、
「本日は、よろしくお願いします」
と言って、背筋を伸ばし、綺麗な一礼。
俺は戸惑ってしまう。
「お、おう……新入部員、ってことか?」
「敵情視察をしに来ました」
ん? どういうことだ?
俺が訊き返そうとするよりも早く、星野は、
「いや、古賀くんも出るんだよ」
と訂正した。
古賀は、えッ、という顔になった。
「相手チームを調べるんですよね?」
「自分で指してみたら、よく調べられるだろ」
「は、はぁ……」
おい、騙されてるぞ。
俺が呆れる中、古賀は将棋盤とチェスクロを持たされていた。
俺は、星野を手で呼び出して、小声で、
「ヤル気のないメンツは、入れちゃダメなんだぞ」
と注意した。
星野は、
「彼はすごくマジメだから、ヤル必要が生じたら、ヤルよ」
と笑って返した。
また黒いこと考えてるなあ。
やれやれという感じで、俺は対局会場へ移動した。
最初が肝心だ。今回は2日目に残るぞ。
順番にくじを引いていく。
……………………
……………………
…………………
………………マズいところを引いた。
俺の対局相手は、教室のすみっこで待っていた。
1年生の白須だった。
ポケットに手を突っ込み、ガムを膨らませていた。
服装は凝っていて、白をベースにしたストリート系。
白須は、俺に気づいて、
「……松平さんですか?」
と訊いてきた。
「ああ、よろしく」
「このまえ、代々木公園で会いましたね」
覚えてるのか。記憶力がいいな。
ともかく、やることは将棋だ。
気おくれはしないぞ。
俺がそう決意したところで、白須は、
「失礼」
と言ってから、口もとにティッシュをやり、ガムを吐き出した。
そのままゴミ箱に捨てる。
なんというか、律儀だな、うん。
着席して、駒を並べる。
白須は淡々としていた。動作すべてが。
駒音が聞こえなくなったところで、幹事の声がした。
「準備はよろしいですか? ……それでは、始めてください」
「「よろしくお願いします」」
白須は、チェスクロを軽く押した。
俺は7六歩、白須は3四歩。
そこから2六歩、4四歩、4八銀、3二飛と進んだ。
振り飛車党。
ちらっと聞いてはいたが、集中的に調査はしていなかった。
序盤は流そう。
2五歩、3三角、6八玉、9四歩、7八玉。
白須はなんというか、手に迷いがなかった。
ほとんど考えていない、あるいは、体が勝手に動いている、というイメージ。
このあたりは何百局と指してるだろうから、当然ではある。
4二銀に、俺は9六歩と突いた。
端の打診に対して、白須はすぐに囲い始めた。6二玉。
以下、5六歩、4三銀、7七角。
穴熊を見せたら、どうだ? 反応するか?
期待に反して、白須はノータイムで7二銀。
相穴かどうかも考えないのか。
だったら、こっちも素直に指すぞ。
8八玉、7一玉、5八金右、5二金左、5七銀。
普通に組めそうではあるが──
8二玉、7八金、3五歩、1六歩、4二角。
白須も動き始めた。
4六銀、5四歩、2六飛、4五歩。
っと、仕掛けてきた。
ギアチェンジが強い。
俺は同銀と取って、3三角に4六歩と支えた。
角交換は許容する。
白須も躊躇なく、7七角成。
以下、同桂、3三桂。
穴熊はポシャったものの、こっちにも攻め筋が生まれた。
「2四歩」
ストレートにいく。
同歩、同飛、4五桂、同歩、3三角。
これは……2一飛成だと、2二飛のぶつけがある。
俺は2三飛成で、浅めに入った。
白須は素早く持ち駒を手にした。
3四に置く──3四銀打。
それって、俺が良くないか?
振り飛車側から捌かない、ってことだろ。
俺は10秒ほど考えて、2八龍と引いた。
白須はスッと2二飛。
もちろん取らない。2五歩。
2一飛、2四角で、と金の製造を目指す。
同角、同歩はないだろ、さすがに……2二角か、やっぱりな。
俺は3六歩。
2筋が停滞しているうちに、突破口をひらく。
同歩、4八龍、3一飛、3三歩。
押さえ込みは難しい。
2三歩、5七角、3三角。
よし、ここだ。
「7五角ッ!」
飛車に当てる。
白須は4二歩と打って、受けた。
後手は大渋滞。作戦通り。
8六歩で、上部にプレッシャーをかけていく。
後手は、凝りがたちを解消するのに、時間がかかるはずだ。
3五銀、8五歩。
白須、ここで本局初の長考。
俺も、8四歩以下の筋を読んだ。
先手の穴熊模様に、銀冠ではなく速攻で対応したのは、白須の方針だろう。
そのぶん、玉頭に隙が生じている。
「……」
「……」
白須は、あごに手をあてて、少しばかり左を向いた。
視線がリアルに向かっていないから、脳内将棋盤っぽい。
そこから姿勢をもどして、歩を突いた。
反発するのか──なるほど、一理ある。
6六角、同角、同歩は、6四角で3七を狙われてしまう。
となれば、5七しかない。
これが銀当たり……ん? ちがうな、銀には当たってるが、3五角と出たら、7七角成、同金、3五飛で、角をすっぱ抜かれてしまう。
(※図は松平くんの脳内イメージです。)
つっても、角の引き場所は、ここしかないんだよな。
俺は黙って5七角と引いた。
「6四歩」
悠々と高美濃へ切り替えてきた。
さすがにそれは許さない。
「8六桂」
6三金、6六歩、2二角、6七金右。
白須は10秒ほど考えて、7三銀と補強した。
どうしたもんか。
8九玉~8八銀~8七銀で、むりやり銀冠にするか?
ちょっとためらいもあったが、先手からも迂闊に動けない。
「8九玉」
「7二玉」




