474手目 武蔵と小次郎
※ここからは、古谷くん視点です。新巻くんと別れたあとに戻ります。
東京の空は、なんとなくくすんでいる。
悪い意味ではなく、印象として。
国立駅を降りると、まっすぐな大通りに出た。
それを直進すると、左右にキャンパスがあらわれた。
あんまり東京っぽくないな、とも思う。
僕は右のほうへ折れて、レクリエーション会場へと向かった。
噴水が途中に見える。学生や、事務員も。
正直なところ、高校に入学したときと、あんまり変わらない。
すべてが儀式的だ。
このまえの健康診断並みに、ルーチンワークを感じた。
熱心にやっているのは、サークルの勧誘くらいだった。
僕は、あるブースの横で、足を止めた。
八ツ橋大学将棋部
その途端、流し髪の、ちょっとミステリアスな男性が、横からあらわれた。
ニヤついているわけではないけれど、意味深な笑みを浮かべながら、
「きみ、将棋に興味あるのかな?」
と訊いてきた。
「少し」
「どれくらい指せる?」
「初段以上……ですかね」
あいての表情が変わった。
驚いたわけではない。値踏みするような目つきになった。
一方で、今の言葉をストレートには受け取らなかったとも感じた。
「初段以上、ね……よければ、ちょっと指していかない?」
「次のオリエンテーションまで、一局くらいなら」
先輩は、くすりと笑った。
「それじゃ、一局……美作くん」
ミマサカ? ……H庫の美作くん? いきなり県代表を当ててくるのか。
さっきの一局発言が、うかつだったかも。
何局指せるか考えた時点で、素人じゃないと判断されたっぽい。
とはいえ、いきなり強豪を当ててくるなんて、入部させる気がないのだろうか。
とりあえず、着席した。
古い長机に、パイプ椅子を置いただけのブースだ。
そこへ、やんちゃそうな、ダークブラウンヘアの男子があらわれた。
背格好は普通だけど、袖から出ている腕は、明らかに筋肉がついていた。
顔立ちは、ちょっとこどもっぽいところが残っている。
眉毛が太くて、耳がややとがっていた。
春物の柄シャツにデニム。どちらも新調したもののようだ。
右のひたいに、ばんそうこうがはってあった。
たしか、剣道でも有名なんだよね、このひと。
「山名さん、なんですか?」
「このひとと、一局指してもらえないかな」
「うーす」
美作くんは、こちらを向いた。
「美作だ。俺も1年生だから、よろしくな」
「古谷です」
「タメ語でいこうぜ」
美作くんは、僕のことを知らないっぽいな。
まあ当たり前か。
さすがにそこまでうぬぼれていない。
駒を並べて、チェスクロをセット。
振り駒をして、僕の先手。
美作くんは、チェスクロを押しながら深々と一礼した。
「よろしくお願いしまーす」
「よろしくお願いします」
パシリ パシリ
戦型は角換わりになった。
いよいよ開戦か、というあたりで、美作くんは雰囲気が変わった。
いっちょ相手してやるか、という気配が消えて、マジメに指し始めた。
「……」
「……」
観戦者も増えてきた。
山名さんは最初から観てたけど、もうふたりほど登場。
なるべく視界に入れないようにする。
パシリ パシリ
ん、ひょっとしてイケるか。
パシリ パシリ
いや、ダメか。
終盤の入り口が、さすがの腕力だった。
僕は詰みが発生しているのを確認して、頭を下げた。
「負けました」
「ありがとうございました」
美作くんの第一声は、
「古谷って、どこ出身?」
だった。
「H島」
「H島のどこ?」
「駒桜市」
美作くんは、一瞬考えて、
「……あー、捨神さんのとこ?」
と訊いた。
「そうだよ」
「ふーん、そっか……感想戦、する?」
どうしようかな。
スマホを確認した。
5分くらい時間があるといえば、ある。
でも、感想戦をする余裕はなかった。
僕がそう告げかけたところで、スッと、横から顔がのぞいた。
ひどく中性的な、腰まである長い髪をしたひとだった。
僕はそのひとを知っていたから、1年生のもうひとりの強豪、佐木くんだと気づいた。
佐木くんは、長いまつ毛の下に、ひどく無表情な瞳を持っていた。
着ているものはいたってシンプルで、白いシャツにカーキ色のズボン。
装飾品は一切なかった。ブランドマークすらない。
「武蔵、このあと1年生のレクリエーションがあるよ」
落ち着いた、抑揚のない声で、佐木くんはそう諭した。
美作くんは、
「ん、そっか……じゃあ、あとでまた」
と言いかけた。
佐木くんは、
「武蔵も行くんだよ」
とつけくわえた。
だよね、1年生のレクリエーションなんだから。
「え、そうなの?」
「そうだよ」
「んー……じゃあ、行きながら感想戦するか」
どれだけ感想戦したいの。
とりあえず、だんだん時間がなくなってきたから、移動する。
山名さんは、
「興味あったら、また来てね」
と言って、僕たちを見送った。
キャンパスを歩く。
そんなに広くはない。
美作くんは、ほんとうに感想戦を始めた。
「でさ、あそこで俺が桂馬打ったじゃん。そこはいいと思ったんだけど……」
うんぬん。
一方、佐木くんはまったくしゃべらなかった。
背筋を伸ばして、左右の腕を均等に振り、まっすぐ前を向いて歩いていた。
なんとも対称的。
レクリエーションは、それぞれの学部で違うから、建物でわかれることに。
僕は佐木くんといっしょになった。同じ法学部らしい。
美作くんは、
「小次郎、古谷を捕まえとけよ」
と、笑顔で露骨な指示を出していた。
佐木くんは、うんともすんとも言わなかった。
そのまま会場入りする。
国立大学だから、学生はそんなに多くない。
最初に教員のあいさつがあって、そのあとは事務の説明。
聞き流す気はない。でも、前のめりになるような内容でもなかった。
僕の右どなりに座った佐木くんは、背筋を伸ばして、無表情に聞いていた。
すべてが終わったあと、三々五々。
僕は、席を立つタイミングを見計らった。
将棋部に必ず入るとは言っていない。
佐木くんとは、たまたまいっしょにここへ来た、というだけだ。
ただ、山名さんはもう一回来て欲しそうだったな、と感じた。
美作くんに見つかったら、強制連行されそうだ。
「……じゃ、僕はここで」
席を立つと、佐木くんはこちらを見上げて、
「さようなら」
と言った。
僕のほうが戸惑ってしまった。
「……美作くんはああ言ってたけど、いいの?」
「武蔵は関係ない。僕は武蔵のロボットじゃない」
そっか──まるでロボットみたいだ、と思ってたから、申し訳ないことをしたな。
僕は、少し考えた。
「将棋部に入る選択肢もあるよ」
「……」
会話が続かない。
とはいえ、この会話をする必要もないし、そういう関係でもない。
僕は、じゃあ、と言って、またね、はつけくわえずに、その場を去った。
会場を出て、そのまま駅に向かう。
電車に乗って新宿へ出ると、虎向から、遅れる、とのメッセージ。
僕は駅のコーヒーチェーン店で待つことにした。
ずいぶんと並んで、席を確保するのにひと苦労したあと、通路に面した窓ガラスから、道行くひとびとを眺めた。こっちの視線に、だれも頓着しない。そして、この瞬間が、なぜだかとても大学生らしく感じられた。大学で話を聞いていたときよりも、ずっと。
コーヒーが底をつきかけたところで、虎向はようやくあらわれた。
「すまん、変なのに捕まった」
「カルトの勧誘?」
「将棋部」
ブースにでも行ったのかな、と思いきや、罠に嵌められたかっこうで、笑ってしまった。
「笑いごとじゃないぞ」
「まあまあ、とりあえず注文してきなよ」
虎向は甘いカフェモカを手にして、戻ってきた。
今日のできごとを、あれこれ話し合う。
印象はまあ、なんというか、まだなにも始まっていない、だよね。
逆に、将棋部との接点は生まれてて、ふたりで苦笑した。
虎向は、
「で、その持統って子が、将棋部に入るかどうかはよく考えろ、って言ったんだ」
と、顛末を教えてくれた。
「ジトウ? ……もしかして、S玉の持統さん?」
「知ってるのか?」
「けっこう強豪だよ。話したことはないけど」
「すっげぇヤル気なさそうだった」
ま、そういうのはひとそれぞれだからね。
今日会った佐木くんだって、ヤル気がなさそうといえば、なさそうだった。
6時過ぎに、ようやく店を出た。
夕暮れどきになっている。
節操のない人混みのなかで、僕たちは移動先を相談した。
「カラオケにしよう」
と虎向は提案した。
「カラオケは地元でもできるでしょ」
「いいや、新宿のカラオケは一味違うはずだ」
そうかなあ──いや、そうかも。
さっき飲んだチェーン店も、駒桜で飲んだときとは、なにか違っていた。
大学生になるというのは、そういうことなのかもしれない。
新宿の夜がおとずれる。
街の夜風は、息を始めたばかりだ。




