469手目 足踏み
「白須、なんでここにいるんだ?」
少年は、黙ってスマホを手に取り、ポケットに入れた。
そして、無表情に、
「御手さんこそ、どうしたんですか」
と返した。
御手くんは、たしかに、と言って、
「俺のほうが謎存在だな。大学将棋でS台へ行くことになったから、ついでに寄ってる」
と答えた。
すると、少年──たぶん、この子が白須くん──は、
「次の大会があるので、練習です」
と、自分のほうも答えた。
御手くんは、
「そっか、がんばれよ」
とだけ言って、その場を去る気配を見せた。
イくんと小牧さんは、なにも言わなかった。
私たちがしばらく歩くと、うしろから次の曲が聞こえた。
ふりかえってみたけど、ギャラリーに隠れて見えなかった。
小牧さんは、
「今のが白須か?」
と訊いた。
というか、単に確認した。
御手くんは、
「あれ、初対面でした?」
と返した。
「3つ違いだからな」
「あ、そっか、大会でいっしょにならないんですね。SNSで見たことないです?」
ない、と小牧さんは答えた。
「けっこう有名ですよ」
でしょうね。
スタイルがいいし、素人目に見ても、ダンスはうまかった。
と同時に、御手くんがラーメン屋で、白須は将棋続けないかもな、と言った理由もわかった。なんというか、将棋指してる場合じゃない感がある。
公園を出たところで、ちょっと夕暮れっぽくなった。
新宿へ移動して、飲み会。
居酒屋みたいなところじゃなくて、もうちょっとお洒落なところにした。
木目調のテーブルに座って、わいわいと注文。
都ノのメンバーは、風切先輩以外、アルコール控えめ。
小牧さんと風切先輩は、ビール片手に、S台でなにをするか相談していた。小牧さんが、牛タンを食べて、そのあと松島へ行こう、と提案したら、風切先輩は、マツシマってなんの飲食店だ、と返していた。もうちょっと日本史とか地理を勉強しましょう。
それにしても、雰囲気のゆるいこと。七将戦って、強豪へのご褒美旅行かなにかなのでは? 非公式戦だし。
話題はぐるぐる回って、また新入生の話になった。
イくんは、
「白須くん、大学でも将棋やってくれないかなあ」
と、お酒を片手に言った。
御手くんは、
「九州は他人事だもんな。来てくれる大学はいいが、他の大学は困るぜ」
と混ぜっ返した。
イくんは笑った。
「いや、その解釈はいじわるでしょ。ね、大谷さん?」
大谷さんは、ウーロン茶のグラスを置いて、
「白須さんは、中学生のときから、ダンスがおじょうずでした」
とだけ答えた。
イくんは、その先の言葉を待っていたらしく、しばらく大谷さんを見つめた。
「……ん? つまり?」
小牧さんは、目をつむってビールをかたむけながら、
「ダンスに専念したいなら、中学、高校でチャンスは2回あったのに、やめてない。だから今回もやめないだろう、ってことだろ」
と解釈した。
イくんは、
「そうなの?」
と訊いた。
大谷さんは、
「いずれにせよ、これは外野が決めることではないかと」
と、もう一度はぐらかした。
イくんは、ま、そっか、と言って、お酒を飲んだあと、
「案外、都ノに入ったりして」
とひとりごちた。
その口調は、3分の2くらい冗談に響いたけど、残りはそうでもなかった。
御手くんは、
「関東の進学先って、そんなに複雑なのか? C葉出身で国公立目指すなら、房総じゃね?」
と指摘した。
イくんは、
「房総って、今どのクラス?」
と訊いた。
御手くんは、知らない、と答えた。
松平は、
「秋にBへ上がった」
と教えた。
イくんは、
「じゃあ、将棋を指す環境としては、悪くない」
とうなずいた。
いや、そもそもそういう問題じゃなくて、白須くんが将棋を続けるかどうかだったような。それとも、イくんは、将棋をやめないっていう前提で話してるのかしら。
いずれにせよ、その話題はそれっきりになった。
居酒屋を出て解散する頃には、外は心底冷え切っていて、私はカイロをとりだした。
酔っぱらった風切先輩は、小牧さんに、
「おーい、S台行ったら、牛タンおごってくれよ」
と絡んでいた。
「なんで俺がおごらないといけないんだよ」
「じゃあ負けたほうがおごろうぜ」
「当たるかどうかわかんないだろ」
うんたらかんたら。
ほらほら、早く帰りましょ。
というわけで、H島へ帰省するぞーッ!
○
。
.
到着。
キャリーケースを引いて帰宅すると、ナルがうれしそうに吠えてきた。
「クーン」
「はいはい、ただいま」
ひさしぶりの家族団らん。
おじいちゃんは、私が進学したときより、ちょっと足腰が弱くなってるみたいだった。
以前よりゆっくり立ち上がって、ゆっくり歩いていた。
その夜、将棋を指したときも、香子は、大学に入ってからまた強くなったなあ、と言いながら、あっさり負けた。
私にはけっこうショックなできごとで、他の用事はなるべく早めに済ませて、実家にいようかな、と思った。
翌日は、松平といっしょに、母校の市立を訪問した。
3年生の赤井さんが出迎えてくれた。
赤井さんは、メガネを新調したらしく、縁なしになっていた。
私は、
「まだ受験シーズン終わってないのに、ごめんなさいね」
と謝った。
赤井さんは、
「あ、私は就職組なので、だいじょうぶです」
と返した。
あ、そうなんだ。
どこの企業かと思ったら、公務員らしい。
赤井さんは、
「神崎先輩と同じ勤務地を志望したんですが、関西所属になってしまいました」
と言って、ちょっと残念そうな顔をした。
神崎さんつながりか──なんとなく、あやしげな職業。
ま、あまり触れないでおきましょう。
そのあと私は、1、2年生と会った。
うーん、どうも距離感。
それもそのはずで、この学年とは高校生活をいっしょに送っていない。
なんかよく知らないOG、みたいな立ち位置になってしまう。
帰り道、そのことを松平に話すと、松平は、
「俺もそういうのはあるが、特に裏見は高校からだもんな。ま、全員と顔見知りになるってムリだし、あんま気にしないほうがいいぜ」
と言った。
うーん、そこだけじゃないのよね。
高校のときの友だちとも、なかなか会えない。
就職したひとは、平日働いてるし、進学したひとは、このタイミングで帰省しているとは限らない。
なんというか、疎外感──ううん、ちがう。
小中高と続いていた世界が、ちょっと変わってしまった。
そのとき、うしろでクラクションが鳴った。
白い軽トラック。
おっと、道にハミ出てたか、と思いきや、ちがっていた。
停車して、運転席から、なつかしい顔がのぞいた。
ニット帽をかぶった、小柄なコワモテ男性。
菅原先輩だった。
「おーい、松平、裏見、ひさしぶりだな」
松平は、
「菅原先輩、おひさしぶりです」
とあいさつした。
私もあいさつすると、菅原先輩は、
「ふたりは、上京組か?」
と訊いてきた。
松平は、
「ええ、今は東京にいます」
と答えた。
私は、
「木原先輩は元気ですか?」
と尋ねた。
「ああ、子ども産んだばっかだから、ちょっち体調悪いみたいだけどな」
え? ……出産?
聞いてないんだけど。
「いつですか?」
「1月」
えーッ、いや、おめでたい。
私は、名前を聞いた。
「ふたりの漢字をひとつずつとって、数真にした」
「男の子ですか」
「ああ、最初は3時間おきにミルクやんないといけなかったから、マジでヤバかったぞ。うちは両親が同居してるからまだいいが、それでも寝不足だ」
とかなんとか言いながら、まんざらでもなさそう。
菅原先輩は、親指を立てて、ハンドルをにぎった。
「んじゃ、金稼がないといけねえから、またな」
お気をつけて。
走り去ったトラックを見送った私たちは、しばらく黙っていた。
それから、松平はひとこと、
「みんな、人生始まってんなあ」
とつぶやいた。
そう、それぞれの人生が始まってる、この感じ。
でも、私はまだ足踏みしている気分。
とりあえず、現実の地面に対して、また一歩踏み出すのだった。