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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第73章 東京案内(2018年2月8日木曜)
486/487

469手目 足踏み

白須しらす、なんでここにいるんだ?」

 少年は、黙ってスマホを手に取り、ポケットに入れた。

 そして、無表情に、

御手おてさんこそ、どうしたんですか」

 と返した。

 御手くんは、たしかに、と言って、

「俺のほうが謎存在だな。大学将棋でS台へ行くことになったから、ついでに寄ってる」

 と答えた。

 すると、少年──たぶん、この子が白須くん──は、

「次の大会があるので、練習です」

 と、自分のほうも答えた。

 御手くんは、

「そっか、がんばれよ」

 とだけ言って、その場を去る気配を見せた。

 イくんと小牧こまきさんは、なにも言わなかった。

 私たちがしばらく歩くと、うしろから次の曲が聞こえた。

 ふりかえってみたけど、ギャラリーに隠れて見えなかった。

 小牧さんは、

「今のが白須か?」

 と訊いた。

 というか、単に確認した。

 御手くんは、

「あれ、初対面でした?」

 と返した。

「3つ違いだからな」

「あ、そっか、大会でいっしょにならないんですね。SNSで見たことないです?」

 ない、と小牧さんは答えた。

「けっこう有名ですよ」

 でしょうね。

 スタイルがいいし、素人目に見ても、ダンスはうまかった。

 と同時に、御手くんがラーメン屋で、白須は将棋続けないかもな、と言った理由もわかった。なんというか、将棋指してる場合じゃない感がある。

 公園を出たところで、ちょっと夕暮れっぽくなった。

 新宿へ移動して、飲み会。

 居酒屋みたいなところじゃなくて、もうちょっとお洒落なところにした。

 木目調のテーブルに座って、わいわいと注文。

 都ノみやこののメンバーは、風切かざぎり先輩以外、アルコール控えめ。

 小牧さんと風切先輩は、ビール片手に、S台でなにをするか相談していた。小牧さんが、牛タンを食べて、そのあと松島へ行こう、と提案したら、風切先輩は、マツシマってなんの飲食店だ、と返していた。もうちょっと日本史とか地理を勉強しましょう。

 それにしても、雰囲気のゆるいこと。七将戦って、強豪へのご褒美旅行かなにかなのでは? 非公式戦だし。

 話題はぐるぐる回って、また新入生の話になった。

 イくんは、

「白須くん、大学でも将棋やってくれないかなあ」

 と、お酒を片手に言った。

 御手くんは、

「九州は他人事だもんな。来てくれる大学はいいが、他の大学は困るぜ」

 と混ぜっ返した。

 イくんは笑った。

「いや、その解釈はいじわるでしょ。ね、大谷おおたにさん?」

 大谷さんは、ウーロン茶のグラスを置いて、

「白須さんは、中学生のときから、ダンスがおじょうずでした」

 とだけ答えた。

 イくんは、その先の言葉を待っていたらしく、しばらく大谷さんを見つめた。

「……ん? つまり?」

 小牧さんは、目をつむってビールをかたむけながら、

「ダンスに専念したいなら、中学、高校でチャンスは2回あったのに、やめてない。だから今回もやめないだろう、ってことだろ」

 と解釈した。

 イくんは、

「そうなの?」

 と訊いた。

 大谷さんは、

「いずれにせよ、これは外野が決めることではないかと」

 と、もう一度はぐらかした。

 イくんは、ま、そっか、と言って、お酒を飲んだあと、

「案外、都ノに入ったりして」

 とひとりごちた。

 その口調は、3分の2くらい冗談に響いたけど、残りはそうでもなかった。

 御手くんは、

「関東の進学先って、そんなに複雑なのか? C葉出身で国公立目指すなら、房総ぼうそうじゃね?」

 と指摘した。

 イくんは、

「房総って、今どのクラス?」

 と訊いた。

 御手くんは、知らない、と答えた。

 松平まつだいらは、

「秋にBへ上がった」

 と教えた。

 イくんは、

「じゃあ、将棋を指す環境としては、悪くない」

 とうなずいた。

 いや、そもそもそういう問題じゃなくて、白須くんが将棋を続けるかどうかだったような。それとも、イくんは、将棋をやめないっていう前提で話してるのかしら。

 いずれにせよ、その話題はそれっきりになった。

 居酒屋を出て解散する頃には、外は心底冷え切っていて、私はカイロをとりだした。

 酔っぱらった風切先輩は、小牧さんに、

「おーい、S台行ったら、牛タンおごってくれよ」

 と絡んでいた。

「なんで俺がおごらないといけないんだよ」

「じゃあ負けたほうがおごろうぜ」

「当たるかどうかわかんないだろ」

 うんたらかんたら。

 ほらほら、早く帰りましょ。

 というわけで、H島へ帰省するぞーッ!


  ○

   。

    .


 到着。

 キャリーケースを引いて帰宅すると、ナルがうれしそうに吠えてきた。

「クーン」

「はいはい、ただいま」

 ひさしぶりの家族団らん。

 おじいちゃんは、私が進学したときより、ちょっと足腰が弱くなってるみたいだった。

 以前よりゆっくり立ち上がって、ゆっくり歩いていた。

 その夜、将棋を指したときも、香子きょうこは、大学に入ってからまた強くなったなあ、と言いながら、あっさり負けた。

 私にはけっこうショックなできごとで、他の用事はなるべく早めに済ませて、実家にいようかな、と思った。

 翌日は、松平といっしょに、母校の市立いちりつを訪問した。

 3年生の赤井あかいさんが出迎えてくれた。

 赤井さんは、メガネを新調したらしく、縁なしになっていた。

 私は、

「まだ受験シーズン終わってないのに、ごめんなさいね」

 と謝った。

 赤井さんは、

「あ、私は就職組なので、だいじょうぶです」

 と返した。

 あ、そうなんだ。

 どこの企業かと思ったら、公務員らしい。

 赤井さんは、

神崎かんざき先輩と同じ勤務地を志望したんですが、関西所属になってしまいました」

 と言って、ちょっと残念そうな顔をした。

 神崎さんつながりか──なんとなく、あやしげな職業。

 ま、あまり触れないでおきましょう。

 そのあと私は、1、2年生と会った。

 うーん、どうも距離感。

 それもそのはずで、この学年とは高校生活をいっしょに送っていない。

 なんかよく知らないOG、みたいな立ち位置になってしまう。

 帰り道、そのことを松平に話すと、松平は、

「俺もそういうのはあるが、特に裏見うらみは高校からだもんな。ま、全員と顔見知りになるってムリだし、あんま気にしないほうがいいぜ」

 と言った。

 うーん、そこだけじゃないのよね。

 高校のときの友だちとも、なかなか会えない。

 就職したひとは、平日働いてるし、進学したひとは、このタイミングで帰省しているとは限らない。

 なんというか、疎外感──ううん、ちがう。

 小中高と続いていた世界が、ちょっと変わってしまった。

 そのとき、うしろでクラクションが鳴った。

 白い軽トラック。

 おっと、道にハミ出てたか、と思いきや、ちがっていた。

 停車して、運転席から、なつかしい顔がのぞいた。

 ニット帽をかぶった、小柄なコワモテ男性。

 菅原すがわら先輩だった。

「おーい、松平、裏見、ひさしぶりだな」

 松平は、

「菅原先輩、おひさしぶりです」

 とあいさつした。

 私もあいさつすると、菅原先輩は、

「ふたりは、上京組か?」

 と訊いてきた。

 松平は、

「ええ、今は東京にいます」

 と答えた。

 私は、

木原きはら先輩は元気ですか?」

 と尋ねた。

「ああ、子ども産んだばっかだから、ちょっち体調悪いみたいだけどな」

 え? ……出産?

 聞いてないんだけど。

「いつですか?」

「1月」

 えーッ、いや、おめでたい。

 私は、名前を聞いた。

「ふたりの漢字をひとつずつとって、数真かずまにした」

「男の子ですか」

「ああ、最初は3時間おきにミルクやんないといけなかったから、マジでヤバかったぞ。うちは両親が同居してるからまだいいが、それでも寝不足だ」

 とかなんとか言いながら、まんざらでもなさそう。

 菅原先輩は、親指を立てて、ハンドルをにぎった。

「んじゃ、金稼がないといけねえから、またな」

 お気をつけて。

 走り去ったトラックを見送った私たちは、しばらく黙っていた。

 それから、松平はひとこと、

「みんな、人生始まってんなあ」

 とつぶやいた。

 そう、それぞれの人生が始まってる、この感じ。

 でも、私はまだ足踏みしている気分。

 とりあえず、現実の地面に対して、また一歩踏み出すのだった。

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