表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
484/489

大久保美樹の矛盾

 喫茶店の片隅は、いつも平穏な空間だ。

 ほんとうは、そうじゃないとしても。

 コーヒーが置かれたとき、彼はようやく現れた。

「すみません、遅れました」

 眼鏡をかけた、ちょっとお堅そうな男性。

 田嶋たじま刑事だ。

 同じ公務員として、気が合うこともあれば、合わないこともある。

 田嶋さんは、私の正面に座ると、メニューも見ずに、

「どうでした?」

 と尋ねた。

「先に注文したほうが、いいですよ」

「そうですね」

 田嶋さんは、おざなりにコーヒーを頼んで、また私のほうを向いた。

「次のミーティングについて、先に伝えてもいいですか?」

「さっきと質問が違いますね」

 田嶋さんは、視線を横にそらした──コーヒーが来るまでは、無難な会話をする、ということですか。

「どうぞ」

「彼女の言い分だと、早めに全員で集まりたいです」

「早めって、いつですか?」

「それはこれから詰めます」

 私は呆れた。

 と同時に、あの女子大生も、焦っているのかな、と思った。

「お父さんの退職と、関係があります?」

 田嶋さんは、眼光鋭くこちらを見た。

 いきなり刑事っぽくなるのは、やめて欲しい。

「それは関係ないんじゃありませんか?」

「コネは減りますよ、確実に」

 コーヒーが運ばれてきた。

 店員さんは、客の会話になにも興味がないらしく、すぐに立ち去った。

 話題は、ここで元に戻った。

「どうでした?」

 私は鞄から、紙の束を取り出した。

 田嶋さんは、

「口頭で」

 と遮った。

「ただのパンフレットです」

 テーブルのうえに置く。

 田嶋さんは、それを見るふりをしながら、

「で?」

 と、先を促した。

「グレーの委託契約らしきものがありました。大学生にアルバイトをさせているのですが、雇用契約を結んでいないんです。大学生はそれに気づいていなくて、確定申告をしていませんし、市民税も払っていません」

「どのくらい問題がありますか?」

 私は肩をすくめた。

「ほとんどないです。細部をぼやかして上司に相談したら、相手にされませんでした」

「相手にされなかった、というのは?」

「そんなことをしている暇があったら、地元のそば屋の大口寄付を調べろ、って言われました」

「……そうですか」

 予期していたような口調だった。

 やや腹立たしい。

 警察で見つからなかったのだから、税務署で見つかるわけがない、というニュアンスが、どこかにあった

「ただ、それがかえってあやしいと感じています」

 私の発言に、田嶋さんもうなずいた。

 パンフレットから顔をあげて、コーヒーを飲んだ。

「こちらも、そう思っています……撒き餌、とでも言うんでしょうか」

 税務署だと、お土産、と呼ばれているものだ。

 税務調査なんて、そんなにクリーンな仕事じゃない。

 どうしても納税者のミスを見つけたい、という職員は、残念ながらいる。

 そういう職員は、いろいろと難癖をつけたあと、納税者がめんどくさくなって修正に応じるのを待つのだ。

 こうなると、納税者側でも、事前に対応をする。故意のうっかりミス。矛盾した概念だけど、ようするに「うっかり申告ミスをした」ように見せかけること。税務署員はそれを指摘して、じぶんの手柄にする。それでさっさと帰ってもらえるなら、納税者も時間の節約になる。望ましくないWIN-WIN関係だ。

 田嶋さんはコーヒーをサッと飲み干し、伝票を手にした。

「歩きながら話しましょう」

「個別でいいですよ」

「そちらの手数料ということで、今回は持ちます」

 支払いを終えて、店を出る。寒い。

 私はマフラーを巻きながら、視線を高くあげた。

 澄んだ空。ほんとうに澄んだ空だった。

 まるで私たちが、バカバカしいと言われているかのようだ。

 死んだ相場師の遺産?

 都市伝説?

 実際には、それよりお笑い草だ。国は、あの姉弟の資産を把握している。どこから来たのかも知っているし、あの姉弟の父親──聖生のえるとかいう、ふざけた名前で呼ばれている人物──が、どうやって稼いだのかも知っている。合法的な資産を、周囲があやしい目で見ているだけ。

 そう、金額が大きい──とてつもなく大きい、ということを除いては。N資金は、存在する。でもそれは、すごいお金持ちがいる、という意味でしかない。

 じゃあ、私はなんで、こんなことをしているの?

 矛盾している。自分が。

 田嶋さんも空を見上げながら、

「私たちがやっていることは、外から見れば、こどもの遊びかもしれません」

 とつぶやいた。

 私は、

「しかも、税金を使った遊びです」

 と返した。

 田嶋さんは、独り言のように、

「弁明があるとすれば、あちらのほうからも、ちょかいをかけてきていることです。なにかをしようとしている人物がいる……しかも、自分は巨悪だと、そう仄めかしている。もしそれが本当なら、なぜ見つけられないのでしょう? 切り口が間違っている?」

 と、疑問文で結んだ。

 雑踏とすれちがう。

 会話が漏れないよう、黙って通り過ぎた。

 人の熱気が消え、冷たい風がよみがえる。

 私はコートの前を押さえながら、白い息を吐き、言葉をつむいだ。

「巨悪って、桃みたいなものだと思うんです」

 田嶋さんは、ふと足を止めた。

 なぞなぞを解くみたいに、しばらく黙った。

「……甘い罠がある、ってことですか?」

「桃って、種が大きいですよね。どこから包丁を入れても、ぶつかるんです」

 田嶋さんは、また黙った。

 そして、納得したような表情を、わずかに浮かべた。

「悪事が巨大なら、切り方は関係ない、と?」

「はい。暴力団だって、そうじゃないですか。麻薬を売ってる暴力団は、脱税もしています。麻薬の資金を確定申告するなんて、ありえないです。だから、あの姉弟が巨悪なら、もうとっくに解明できてるはずなんです」

 それができないから困っているんです──田嶋さんは、そう言いたげだった。

 私は先を続けた。

「切ろうとしているものが、間違っている……その可能性は、ありませんか?」

「……つまり?」

 ひとりの女性が、そばを通り過ぎる。

 私は口を閉じ──その背を目で追った。

「父親は、失踪宣告で亡くなったことになってるんですよね? ……もしかして、生きているんじゃないですか?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ