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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第72章 レディースデー(2018年1月13日土曜)
483/487

466手目 脱税疑惑

 次のアルバイトの日、私は少し緊張していた。

 対局の音、チェスクロの音。

 談笑するこどもたち。

 私は一局済ませて、休憩中。

 道場の奥で、淡々と指すたちばなさん。

 そして、手合いを決める受付台で、なにやら計算している宗像むなかたさん。

 宗像ふぶきが偽名? そんなこと、ある?

 私が首をかしげていたら、宗像さんと目が合った。

 い、いかん、と思った瞬間、入り口のドアがひらいた。

 登場したお客さんに、私は息を呑む──税務署のお姉さんだ。

 いや、税務署かどうかは確定してないけど、レディースセミナーに来てたひと。

 大久保おおくぼさん。

 大久保さんは、今日もカジュアルフォーマルな服装だった。

 色合いがちょっと違っていて、前回は紺、今回はダークグレー。

 宗像さんは、

「あ、こんにちは」

 と、やや気軽にあいさつした。

 顔をおぼえているっぽい。

 お客さんに関する記憶力が、抜群にいいのよね。

 去年1回しか来てないひとでも、おぼえていたことがあった。

 大久保さんは、店内を見ながら、

「こんにちは……こちらは、こまの本店ですか?」

 と、やや妙な言い回しをした。

「はい、先日はセミナーにいらしていただき、ありがとうございました」

「もう一回指したいのですが……」

 大久保さんはそう言ったものの、やや入りにくい雰囲気を感じているようだった。

 将棋道場あるある。

 正直、初見で入るのは、けっこうきつい。

 宗像さんもそれを察したようで、手合いに私を指名した。

 うむむ、私も緊張してくる。

 壁際の席へ移動。

 駒を並べる。

 駒落ちかどうか尋ねると、今回は平手で指してみたい、とのこと。

 うーん、反対するのもアレなので、了承する。

 振り駒をして、私が後手番。一礼。

「よろしくお願いします」


 *** 女子大生、対局中 ***


挿絵(By みてみん)


 今回も圧勝。

 短期間で劇的に強くなるほうが怖いので、安心する。

 ただなあ、将棋を指しに来た、という感触が、ないのよね。

 指し手がどこかおざなりというか、負ける方向に進んでるのに、あがいてないというか。

 大久保さんは、

「どこが変でしたか?」

 と訊いてきた。

 感想戦はする、と。

 私は前回よりも踏み込んで、序盤の定跡とか、そのあたりを説明した。

 できれば、駒落ちの定跡通り指してくれたほうが、負けやすいんですよ。

 わー、ちゃんと定跡通り指せましたね、で、丸く収まるから。

 八百長と思われるかもしれないから、言わないけど。

 大久保さんは、王様の位置をなおしながら、

「先日のセミナーにもいらっしゃいましたが、こちらの店員さんですか?」

 と質問した。

「アルバイトです」

「いつから始めてらっしゃるのですか?」

 ん……私はちょっと警戒した。

「すみません、そういう個人情報は……」

「あ、ごめんなさい。こちらのアルバイトで強くなられたのかな、と思って」

 それっぽい発言。

 でも、話の流れに、わずかな違和感をおぼえた。

 大久保さんは、

「あちらにいらっしゃるかたも、セミナーで指していましたね」

 と言って、今度は橘さんに話を転じた。

 橘さんは、窓際でおじさんの相手をしていた。

「ええ、彼女もアルバイトで……」

「女性のかただけで、運営されているのですか?」

 いや、あのですね、ここはいかがわしいお店でもなんでもないわけで。

 最初は誤解かと思ったけど、こうなったら確信せざるをえない。

 なにか調査に来ている。

「アルバイトなので、どういう経営なのかは、ちょっと……」

「そうですね、失礼しました」

 大久保さんは、間を置いてから、

「店主のかたと指せませんか?」

 と訊いてきた。

「……宗像さんとですか?」

「はい、先日のセミナーでも、わかりやすい説明をなさっていましたし、ご指導いただけたらいいな、と」

 それはアレですか、私の教え方がヘタってことですか?

 と、論点はそこじゃない。

「宗像さんは、対局なさらないです」

「なぜですか?」

 なぜですか、と言われましても。

 そういう決まりになっている。

 私が困っていると、うしろに人影が現れた。

 橘さんだった。

「次はわたくしが手合いです」

 助かった。

 ありがとうございました、と言って、離席。

 橘さんは有無を言わさずに座ると、駒を戻し始めた。

 大久保さんは、黙って従った。

 私はひと息ついて、水分補給。

 そのあとはこれと言ったことも起こらず、閉店の時間になった。

 大久保さんは、最後までずっといて、橘さんに将棋でしばかれていた。

 しかも、終了時には、一番最後に退店。

 受付の前を通るとき、大久保さんはふと足を止めた。

「今日はありがとうございました」

 宗像さんは、

「こちらこそ、ご来店ありがとうございました」

 と返した。

「宗像さんは、将棋をしないのですか?」

 大久保さんは、いきなりそう尋ねた。

 けど、宗像さんは、まったく表情を変えずに、

「ええ、私は席主代理で、事務作業担当なので」

 と返した。

「席主は、どちらに?」

 宗像さんはほほえんで、

「席主は道場へは顔を出しません」

 と答えた。

 その台詞の端には、うっすらと、ほんとうにうっすらと、ご存じのはずですが、というニュアンスが感じられた。

 大久保さんは、

「そうですか……また来るかもしれません」

 と言って、道場を出て行った。

 私たちも帰りの支度をして、解散。

 外に出て、寒風に吹かれる。

 橘さんは、自転車を走らせるまえに、ひとこと、

「先ほどのかた、気になさらないほうがよいです」

 と小声で言った。

「え……大久保さんですか?」

「すこし調べてみましたが、税務署員で間違いありません」

 し、調べた、とは?

 疑問が顔に出たのか、橘さんは、

「元朽木くちき証券の人脈を、甘く見ないほうがよろしいです」

 と添えた。

 そ、それはそれで怖いんですが。

 橘さんは、自転車を押しながら、

「いずれにせよ、気にする必要はありません。宗像さんと税務署とのあいだの問題です。課税の更正もよくあることですし、悪質でない限りは、ただの事務作業です。宗像さんを擁護するような言動は、かえってあやしまれます」

 とアドバイスした──そうかしら?

 私と大谷おおたにさんと松平まつだいらは、すこし違う解釈をしている。

「……橘さんって、宗像さんからなにか、書類をもらったことありますか?」

「書類、とは?」

「源泉徴収票とか、そういう……」

 いいえ、と橘さんは答えた。

 私は、

「他でアルバイトしたことないからわからないんですけど、友人から、源泉徴収票がないのっておかしくない、って言われたことがあって……」

 と言いよどんだ。

 これは、粟田あわたさんから指摘されたことだった。

 橘さんは、敷地を出た路上で、自転車を止めた。

「私たちは、雇用されていないのですよ」

「……というと?」

「従業員ではないのです。フリーランスで、お金をもらっているのです」

 え、そうなの?

 私が言い返そうとしたところで、橘さんは、ひとさしゆびを立てた。

「お静かに……あまり深読みすると、不利益が生じるかもしれません。いつもニコニコ現金払いは、ありがたく受け取っておきましょう」

 数日後、私は部室で、とんでもないことに気づいてしまった。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………脱税してるの、私なのでは?

 本を持ってぷるぷるしていると、ララさんに声をかけられた。

香子きょうこ、どうしたの?」

「去年、確定申告しないといけなかったのに、してなかったかも……」

 ララさんは、うわー、出たー、カ・ク・テ・イ・シ・ン・コ・クと言いながら、その場でくるくると回った。

「Meu Deus! 悪しき税金から、ララたちを守り給え」

 私はララさんを放置して、もういちど本を読み直した。

 雇用契約の場合、雇い主に源泉徴収義務がある。

 雇われてるがわは、確定申告の義務なし。

 でも、業務委託の場合、委託されたがわに確定申告の義務がある。

 全部が全部そうなってるわけじゃないけど、私は例外にあてはまってない気がする。

 20万以上稼いだし、雇用契約書もない。

 もしかして……大久保さんは、私を調べている?

 最悪だ、と思いきや、ソファーで横になっていた穂積ほづみさんは、寝ころんだまま、

「そんなに心配する必要ないって」

 と言った。

 私は本から顔をあげた。

「なんでそう言い切れるの?」

「従業員の源泉徴収をしてないのは、宗像さんのミスでしょ。怒られるのは宗像さん」

「私は従業員じゃないのよ」

「それって、香子の自己判断じゃない。裁判官が認定したならともかく、私は従業員だと思ってましたって、言い張ればいいの。そもそも、何十万円くらいの収入で、こんなに大げさに調査しないって。確定申告を忘れてましたあ、なーんて香子から言い出すほうが、絶対にこじれる」

 ララさんは感心して、

「さすがは八花やつか弁護士、悪しき隣人」

 と褒めた。

 そう言われてもなあ、もやもやする。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………松平と大谷さんに相談しましょ、そうしましょ。

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