465手目 聖生の本名
……ダメだ。
翌日、私は大学図書館の個室を借りていた。
狭いブースで、木製のテーブルが、ぎりぎりひとつ。
そのうえに、低スペックのノートパソコンが一台。
インターネット検索をかけて、早1時間。
結果は芳しくなかった。
となりに詰めて座っていた大谷さんは、画面を覗きながら、
「駒の音は法人化されていない……ということですか」
とつぶやいた。
そう考えざるをえない……か。
私たちが調べているのは、住所から法人を逆引きする検索システム。
有料なんだけど、そんなに高くないから、課金して使っていた。
宗像姉弟は聖生の財産を、法人経由で取得した。これが私たちの推理だった。単純に相続するんじゃなくて、聖生が設立した法人の役員に就任する、というパターン。これは、相続税回避でよく使われる手法だった。
「だから、駒の音を経営している法人があると思ったんだけど……」
私は首をかしげた。
将棋道場が法人化していないこと、それ自体はおかしくない──と思う。
法人化するメリットのひとつは、節税。
だけど、法人化したら必ず節税になる、というわけではない。
売り上げが少ないなら、余計なコストがかかるだけだ。
あの席料で大きな儲けがあるはずもないし、ジュエリー店も、どちらかといえば閑古鳥に近かった。
だったら、法人じゃなくてもいいですよね、となるわけだけど──じゃあ、聖生が設立した法人は、どこへ?
それとも、法人経由で遺産を取得した、という予想が間違い?
「そもそも、聖生の遺産なんて、ほんとはなかった……?」
私のつぶやきに、大谷さんは、
「逆ではないでしょうか?」
と言った。
「逆?」
「将棋道場の売上もジュエリーショップの売上も、法人化するほどではないと仮定しましょう。すると、宗像さんは、どこから生活費を得ているのですか? 趣味のお店だけで暮らしている、というのは、逆に妙だと思うのですが」
一理ある。
私はちょっと考えて、
「むしろ聖生の遺産は実在して、そこからの収入が充分あるから、趣味でお店をやれる……こっちのほうが、しっくりくるかも」
と返した。
大谷さんは、
「それだけだと良いのですが……」
と、意味深なことを口走った。
「それだけ、っていうのは?」
そのとき、スマホが振動した。
見ると、松平からの連絡だった。
剣之介 。o O(意外な方向にビンゴだったぞ)
私はすぐに返信をした。
香子 。o O(なにかわかった?)
剣之介 。o O(あとで話す。先に部室で待っててくれ)
ん? ……MINEに書けないってこと?
私は不安になった。
大谷さんは、
「もしかすると、拙僧の勘が当たっているやもしれません。裏見さん、こちらのデータベースで、まだ調べることはありますか?」
と訊いた。
私は、
「宗像ふぶきで検索できればいいんだけど……名前から法人を引くのは、できないのよね。法人名が先にわからないと、代表者の情報にアクセスできない」
と答えた。
「大株主は、氏名が開示されていると聞いたことがあります。それは検索できないのでしょうか?」
なるほど、と私は思った。
ネットで検索してみる。
「……上場企業の有価証券報告書に、株主の情報が載ってるみたい」
「全員ですか?」
「ううん、上位10名」
「株主の氏名から、企業を逆検索できますか?」
私はいろいろ調べてみた。
けど、これもできないっぽかった。
そもそも、非上場の場合は調べようがない、ということもわかった。
大谷さんは、
「では、拙僧たちの調査も、ここまでのようです。松平さんがお戻りになられるまで、時間がかかると思いますが、部室へ行きましょう」
1時間後──夜の部室へ戻ってきた松平は、やたら興奮していた。
ドアを開けるなり、
「すまん、待たせた」
と、息を弾ませた。
私は椅子に座って、大谷さんと盤を挟んでいた。
手を止めて、
「どうだった?」
と訊いた。
松平は、廊下にだれもいないことを確認すると、ドアを閉めた。
そして、テーブルに近づくと、声を落とした。
「将棋道場の持ち主がわかった」
「だれ?」
「恭二だ」
私は吃驚をあげかけた。
一方で、大谷さんはいたって冷静に、
「不動産登記が、そうなっていたのですね?」
と確認を入れた。
「ああ、立川の法務局に行ったら、オンラインでもできるって言われたんだが、やりかがわからなかったから、窓口で交付してもらった。これだ」
松平は、一通の封筒をテーブルに置いた。
大谷さんは、それを開けて、中身をひらいた。
いくつかの枠線で区切られた、細かい文字の書類が出てきた。
松平は、
「これが不動産の証明書らしい。とりあえず、表題部を見てくれ」
と言った。
私と大谷さんは、【表題部】と書かれた、一番上の欄を見た。
駒の音の住所が書かれていて、3階建て構造であることや、床面積も記載されていた。
そして、その枠の一番下に、所有者の欄があった。
宗 像 恭 二
マジかぁ……恭二くんのものだったなんて。
私は、
「ってことは、宗像くんが相続したのかしら?」
とひとりごちた。
すると、松平は、
「いや、話はそう簡単じゃないんだ。そのひとつ下の、権利部甲ってのを見てくれ」
と言った。
私はそれも確認した。
順位番号 1
登記の目的 所有権保存
受付年月日 昭和58年4月11日
所有者 田端一郎
順位番号 2
登記の目的 所有権移転
受付年月日 平成24年12月25日
原因 平成24年12月25日売買
所有者 宗像恭二
……どういうこと?
私は松平に、読み方を尋ねた。
「順位番号は、登記をした順番だ。田端さんが最初に登記して、そのあとで恭二が登記してる」
「所有権保存っていうのは?」
「新築建物の登記らしい。ようするに、田端さんが建てたんだろう」
所有権移転……これは分かる。所有者の交代だ。
その原因が、平成24年12月25日の売買。
つまり、宗像くんは田端さんから買った、と。
私は驚きつつも、ひとつ合点のいったところがあった。
「そっか……『席主代理』っていうのは、ウソじゃなかったんだ。席主は宗像くんだったのね」
だけど、なんでそんなことになってるの?
ふぶきさんが所有者なら、納得できる。
あるいは、ふぶきさんが経営する法人が所有者なら、それも納得できる。
最初は後者かと思っていたけど、それはこの調査で否定された。
私は、大谷さんに話を振った。
「どう思う?」
大谷さんは、眼光鋭く、書類に目をとめていた。
そして、ゆっくりとくちびるをひらいた。
「宗像くんの気まぐれとも、長男名義にしただけとも考えられますが……しかし、裏があるやもしれません」
「裏?」
「裏見さんは、宗像さんの身分証明書を、ご覧になられたことがありますか?」
「身分証明書? 免許証とか?」
「はい」
「……ないと思う」
「すると、宗像ふぶきは、あくまでも自称ということになりますね」
私は一瞬、その発言の意味を把握しかねた。
けど、わかった瞬間、えぇッ、と声をあげた。
「ぎ、偽名ってこと?」
「可能性はゼロではありません」
「そんなことする必要ある?」
大谷さんは、憶測にすぎませんが、と断ったうえで、
「本当は、宗像姓ではないのでは?」
と言った。
私と松平は、しばらく黙った。
そして、その可能性が示唆する重大さに、息を呑んだ。
「……聖生の本名を伏せてる?」
大谷さんは、静かにうなずいた。
「有縁坂の佐田さんの話によれば、聖生の……すくなくとも、京都に現れた聖生の娘は、家出をしていました*。母方の姓が宗像で、そちらへ改姓する前に家出をしたとなれば、どうでしょうか」
私は、
「そういえば、佐田さん、聖生が捨てたかもしれない中古車を、調べたって言ってたわ**」
と返した。
大谷さんは、
「そのとき、所有者は宗像姓だった、とおっしゃっていました。が、それは聖生ではなかった、とも。佐田さんは、母方の姓だろう、と推測なさっていました。もしかすると、これが正しかったのかもしれません。そう考えることで、駒の音もジュエリーショップも、法人化されていない理由がわかります」
と続けた。
私は、どういう意味か、と尋ねた。
「住所がわかりやすい場所を法人化すると、代表者の氏名を突き止められてしまうからです……つまり、宗像さんの本名は、聖生に繋がる鍵、ということに……だとすれば……」
大谷さんは顔をあげ、窓を見た。
外はすっかり、冬の暗さに沈んでいた。
「税務署の女性は、宗像さんの本名を知っているはずです」
*197手目 LEH
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**252手目 ナンバープレート
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