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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第72章 レディースデー(2018年1月13日土曜)
481/487

464手目 税務

【問題】

効用関数が


 U(X,Y) = X^0.5 × Y ^0.5


で与えられる消費者を考える。所得は100、財Xの価格は2、財Yの価格は4のとき、以下の問いに答えよ。

1. 予算制約式を書け。

2. 最適消費量(X*,Y*)を求めよ。

3. このときの効用水準を求めよ。


 ウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラぁ!


【問題】

潜在GDPが500兆円、自然失業率が4%である国を考える。実際の失業率が6%のとき、オークンの法則を用いて実際のGDPを推定せよ。


 ウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラぁ!


 ふぅ、後期のテストも、終わった終わった。

 ゼミ試験より、楽勝だったんじゃなーい。

 私は教室を出て、生協で粟田あわたさんと合流した。

 粟田さんは、お菓子売り場でグミを物色していた。

「あ、香子きょうこちゃん、どうだった?」

「たぶん、落としたのはないと思う」

「私もだいじょうぶかな。一個だけ、Cかも、っていうのはあるけど」

 単位は時の運。

 というわけで、試験から解放された私たちは、新宿へ繰り出した。

 美味しいものを食べて、ショッピングして、カフェへ。

 ひと息ついていると、粟田さんは、

「そういえば香子ちゃん、インターンシップ、行く?」

 と訊いてきた。

 私は、カップを持つ手をとめた。

「インターンシップ? ……そうね、ちょっと考えてる」

「就職活動も、どんどん早期化してるし、現場を見ておくのは、悪くないよね」

 んー、どうなんだろ。

 ああいうのって、現場を見せてくれてるのかしら。

 パン屋でいうと、カウンターだけ見せてくれてる感じじゃないかなあ。

 私がそう言うと、粟田さんは、

「アハハ、そうかも。でも、ふだんはカウンターすら見せてくれないところも多いから、覗くのもありじゃない?」

「たしかに……とはいえ、どこへ行きたいのか、まだ決めてないのよね」

 粟田さんは、順番が逆だ、と言った。

「どこに行きたいかわからないから、インターンシップに行くんだよ。四季報とか読んでも、イメージが掴めないじゃん」

 たしかに、とも思うし、そうかな、とも思う。

 知らないものは選べない。これは事実だ。

 すくなくとも、私はそんなにギャンブラーじゃない。

 ベンチャー就職は考えていなかった。

 だけど、知っているものを選ぶのは、選ばされているということでもあった。

 人生哲学とか、そういう深い話じゃない。

 将棋がそうだから。

 知らない戦型は選べない。

 知っている戦型は選べる。

 だけど、知っている戦型を選ぶのは、自由だという意味じゃない。

 居飛車を指せないから、振り飛車を指す。

 振り飛車を指せないから、居飛車を指す。

 自由な選択をしているのは、両方知っているひとだけ。

 私はコーヒーを飲んでから、

「粟田さんは、どこか狙ってる企業はある?」

 と尋ね返した。

「うーん、そうだね、最近は株価も好調で、証券会社が人気みたい。でも、激務っていう噂だし、ああいうのってお客様商売だから、インターンシップしても、わかんないところは多いかなあ」

「カウンターを見に行く、っていうさっきの話は?」

 粟田さんは笑って、

「カウンターどころか、玄関も見せてくれなさそうじゃない?」

 と返した。

 たしかに。

 私は、

「粟田さんは、公務員とか考えないの?」

 と追加で訊いた。

「公務員なら、経済の知識を活かせそうなところがいいかなあ。公取とか、国税とか」

 国税というキーワードが出て、私はちょっと反応した。

「税務署に興味があるの?」

「もし公務員になるなら、ね。マルサとか、かっこよくない?」

「まるさ?」

「国税局査察部のことだよ。脱税を取り締まるの」

 私は、先日の大久保おおくぼさんのことを思い出した。

「香子ちゃん、どうしたの?」

「ううん、聞いたことないお仕事だったから」

 私たちはそのあと、いろいろ情報交換して、解散した。

 私は大学へ戻って、夕方の図書館に直行した。

 ひと気の減った図書館の片隅で、本を読む。

 すると、うしろから声をかけられた。

 ふりむくと、大谷おおたにさんが立っていた。

「失礼、勉学の最中でしたか?」

「あ、べつに……」

 大谷さんは、私が読んでいた本をちらりと見た。

 『税務Q&A』というタイトルだった。

 大谷さんは、少し声を落として、

「よろしければ、少々お話が……」

 と言った。

 私は本を閉じた。

「ええ、いいわよ」

 席を立って、手近なレクリエーションルームに入った。

 本当は予約しないといけないんだけど、短時間ならみんな勝手に使ってる部屋だ。

 ガラス張りになっていて、廊下からは丸見え。でも、防音はしっかりしていた。

 私たちは、それぞれ椅子に腰を下ろした。

「裏見さん、つかぬことをお伺いします……最近、だれかにつけられていませんか?」

 え?

 私はびっくりした。

「そんなことないけど……どうかしたの?」

「先日、スーツ姿の女性が、裏見さんのあとをつけていたように見えました。校門から部室までのあいだに、つかず離れず、という雰囲気でした」

 私は困惑した。

 それがもろに顔に出ちゃったらしく、大谷さんは、

「お心当たりがおありのようですが?」

 と訊いてきた。

 私は逡巡したあと、事情を話した。

 聞き終えたあと、大谷さんはしばらく黙った。

「……こまに税務署の調査が入っているのではないか、ということですか?」

 私は、声を落とした。

「わかんない。いずれにせよ、税務調査って、大したことないみたいなの。ルーチンで企業を調べて、ちょっと間違ってるところを直させるだけなんだって。さっき読んだ本によると、だけど、ウソが書いてあるとも思えないし。でも、宗像むなかたさんの場合は……」

聖生のえる関連かもしれない、と?」

 私は、うなずき返しそうになって──躊躇した。

「どうかしら……将棋道場の経営者が、すごいお金を動かしてたら、それだけでも調査の対象になりそうだけど……1階にジュエリー店もあるし……」

 大谷さんは、

「それほど簡単に、税務署へ伝わるものでしょうか?」

 と訝しんだ。

 これにはちゃんと回答できる。日本の税務署は、銀行口座の情報をかなり正確に知っているのだ。ほとんど丸裸だと言ってもいいくらい。入金履歴や出金履歴から、そのひとがどうやって稼いでいて、どのくらいお金を使っているのかもわかる。そこから推定される生活と、実際の生活がズレている場合、あやしい、となる。例えば、銀行口座から500万円を出金したのに、車も家も買ってない、長期旅行もしていないし、大きな病気もしていない、となると、その500万円はどこに行ったの、という疑問が生じる。個人じゃなくて法人でも、当然同じような話になる。

 こういう背景を知ると、南原なんばらさんやたちばなさんが大久保さんを疑ったのも、説明がつく。駒の音の資金繰りと、レディースセミナーのようなイベントの経費が一致していなかったら、脱税を疑われてしまうわけだ。

 大谷さんは、また熟考した。

「……しかし、裏見さんがつけられる理由は、ないように思いますが」

「その点なんだけど、駒の音のお給料って、現金手渡しなのよね。レディースセミナーのときも、封筒で渡されたの」

 大谷さんは口もとにひとさしゆびをあてて、視線をガラス壁に向けた。

 廊下を、学生が歩いている。足音は聞こえない。

「……脱税をしてると、そうお思いですか?」

「そこまでは言わないけど……それに、否定的な根拠もあるから」

「どのような?」

「ここまでの情報を整理すると、聖生のえるの遺産は、大円だいまる銀行に預けられてるっぽくない? そこからの運用益だけで、相当あると思う。将棋道場やジュエリー店のこまごまとした収益なんて、正直に納税してると思うのよね」

「運用益をごまかしたいのでは? 例えば、駒の音の経費とみせかけて、少しずつ株を買うなどは?」

 それはかなり難しい、と私は答えた。

「税務署は、証券会社も調査できるの。これは個人でも法人でもいっしょなわけで……」

 そこまで言って、私はハッとなった。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………そっか、なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろ。

「そう、法人を調べればいいのよ。宗像さんがなにをしてるのか、突き止められるかも」

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