464手目 税務
【問題】
効用関数が
U(X,Y) = X^0.5 × Y ^0.5
で与えられる消費者を考える。所得は100、財Xの価格は2、財Yの価格は4のとき、以下の問いに答えよ。
1. 予算制約式を書け。
2. 最適消費量(X*,Y*)を求めよ。
3. このときの効用水準を求めよ。
ウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラぁ!
【問題】
潜在GDPが500兆円、自然失業率が4%である国を考える。実際の失業率が6%のとき、オークンの法則を用いて実際のGDPを推定せよ。
ウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラぁ!
ふぅ、後期のテストも、終わった終わった。
ゼミ試験より、楽勝だったんじゃなーい。
私は教室を出て、生協で粟田さんと合流した。
粟田さんは、お菓子売り場でグミを物色していた。
「あ、香子ちゃん、どうだった?」
「たぶん、落としたのはないと思う」
「私もだいじょうぶかな。一個だけ、Cかも、っていうのはあるけど」
単位は時の運。
というわけで、試験から解放された私たちは、新宿へ繰り出した。
美味しいものを食べて、ショッピングして、カフェへ。
ひと息ついていると、粟田さんは、
「そういえば香子ちゃん、インターンシップ、行く?」
と訊いてきた。
私は、カップを持つ手をとめた。
「インターンシップ? ……そうね、ちょっと考えてる」
「就職活動も、どんどん早期化してるし、現場を見ておくのは、悪くないよね」
んー、どうなんだろ。
ああいうのって、現場を見せてくれてるのかしら。
パン屋でいうと、カウンターだけ見せてくれてる感じじゃないかなあ。
私がそう言うと、粟田さんは、
「アハハ、そうかも。でも、ふだんはカウンターすら見せてくれないところも多いから、覗くのもありじゃない?」
「たしかに……とはいえ、どこへ行きたいのか、まだ決めてないのよね」
粟田さんは、順番が逆だ、と言った。
「どこに行きたいかわからないから、インターンシップに行くんだよ。四季報とか読んでも、イメージが掴めないじゃん」
たしかに、とも思うし、そうかな、とも思う。
知らないものは選べない。これは事実だ。
すくなくとも、私はそんなにギャンブラーじゃない。
ベンチャー就職は考えていなかった。
だけど、知っているものを選ぶのは、選ばされているということでもあった。
人生哲学とか、そういう深い話じゃない。
将棋がそうだから。
知らない戦型は選べない。
知っている戦型は選べる。
だけど、知っている戦型を選ぶのは、自由だという意味じゃない。
居飛車を指せないから、振り飛車を指す。
振り飛車を指せないから、居飛車を指す。
自由な選択をしているのは、両方知っているひとだけ。
私はコーヒーを飲んでから、
「粟田さんは、どこか狙ってる企業はある?」
と尋ね返した。
「うーん、そうだね、最近は株価も好調で、証券会社が人気みたい。でも、激務っていう噂だし、ああいうのってお客様商売だから、インターンシップしても、わかんないところは多いかなあ」
「カウンターを見に行く、っていうさっきの話は?」
粟田さんは笑って、
「カウンターどころか、玄関も見せてくれなさそうじゃない?」
と返した。
たしかに。
私は、
「粟田さんは、公務員とか考えないの?」
と追加で訊いた。
「公務員なら、経済の知識を活かせそうなところがいいかなあ。公取とか、国税とか」
国税というキーワードが出て、私はちょっと反応した。
「税務署に興味があるの?」
「もし公務員になるなら、ね。マルサとか、かっこよくない?」
「まるさ?」
「国税局査察部のことだよ。脱税を取り締まるの」
私は、先日の大久保さんのことを思い出した。
「香子ちゃん、どうしたの?」
「ううん、聞いたことないお仕事だったから」
私たちはそのあと、いろいろ情報交換して、解散した。
私は大学へ戻って、夕方の図書館に直行した。
ひと気の減った図書館の片隅で、本を読む。
すると、うしろから声をかけられた。
ふりむくと、大谷さんが立っていた。
「失礼、勉学の最中でしたか?」
「あ、べつに……」
大谷さんは、私が読んでいた本をちらりと見た。
『税務Q&A』というタイトルだった。
大谷さんは、少し声を落として、
「よろしければ、少々お話が……」
と言った。
私は本を閉じた。
「ええ、いいわよ」
席を立って、手近なレクリエーションルームに入った。
本当は予約しないといけないんだけど、短時間ならみんな勝手に使ってる部屋だ。
ガラス張りになっていて、廊下からは丸見え。でも、防音はしっかりしていた。
私たちは、それぞれ椅子に腰を下ろした。
「裏見さん、つかぬことをお伺いします……最近、だれかにつけられていませんか?」
え?
私はびっくりした。
「そんなことないけど……どうかしたの?」
「先日、スーツ姿の女性が、裏見さんのあとをつけていたように見えました。校門から部室までのあいだに、つかず離れず、という雰囲気でした」
私は困惑した。
それがもろに顔に出ちゃったらしく、大谷さんは、
「お心当たりがおありのようですが?」
と訊いてきた。
私は逡巡したあと、事情を話した。
聞き終えたあと、大谷さんはしばらく黙った。
「……駒の音に税務署の調査が入っているのではないか、ということですか?」
私は、声を落とした。
「わかんない。いずれにせよ、税務調査って、大したことないみたいなの。ルーチンで企業を調べて、ちょっと間違ってるところを直させるだけなんだって。さっき読んだ本によると、だけど、ウソが書いてあるとも思えないし。でも、宗像さんの場合は……」
「聖生関連かもしれない、と?」
私は、うなずき返しそうになって──躊躇した。
「どうかしら……将棋道場の経営者が、すごいお金を動かしてたら、それだけでも調査の対象になりそうだけど……1階にジュエリー店もあるし……」
大谷さんは、
「それほど簡単に、税務署へ伝わるものでしょうか?」
と訝しんだ。
これにはちゃんと回答できる。日本の税務署は、銀行口座の情報をかなり正確に知っているのだ。ほとんど丸裸だと言ってもいいくらい。入金履歴や出金履歴から、そのひとがどうやって稼いでいて、どのくらいお金を使っているのかもわかる。そこから推定される生活と、実際の生活がズレている場合、あやしい、となる。例えば、銀行口座から500万円を出金したのに、車も家も買ってない、長期旅行もしていないし、大きな病気もしていない、となると、その500万円はどこに行ったの、という疑問が生じる。個人じゃなくて法人でも、当然同じような話になる。
こういう背景を知ると、南原さんや橘さんが大久保さんを疑ったのも、説明がつく。駒の音の資金繰りと、レディースセミナーのようなイベントの経費が一致していなかったら、脱税を疑われてしまうわけだ。
大谷さんは、また熟考した。
「……しかし、裏見さんがつけられる理由は、ないように思いますが」
「その点なんだけど、駒の音のお給料って、現金手渡しなのよね。レディースセミナーのときも、封筒で渡されたの」
大谷さんは口もとにひとさしゆびをあてて、視線をガラス壁に向けた。
廊下を、学生が歩いている。足音は聞こえない。
「……脱税をしてると、そうお思いですか?」
「そこまでは言わないけど……それに、否定的な根拠もあるから」
「どのような?」
「ここまでの情報を整理すると、聖生の遺産は、大円銀行に預けられてるっぽくない? そこからの運用益だけで、相当あると思う。将棋道場やジュエリー店のこまごまとした収益なんて、正直に納税してると思うのよね」
「運用益をごまかしたいのでは? 例えば、駒の音の経費とみせかけて、少しずつ株を買うなどは?」
それはかなり難しい、と私は答えた。
「税務署は、証券会社も調査できるの。これは個人でも法人でもいっしょなわけで……」
そこまで言って、私はハッとなった。
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………………そっか、なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろ。
「そう、法人を調べればいいのよ。宗像さんがなにをしてるのか、突き止められるかも」