47手目 コンビネーション
「聖ソフィアのメンバーが、思っていたより厚い?」
風切先輩は、コーヒー牛乳のストローをくちびるから離した。
「どういうことだ?」
「すくなくとも、穂積さんクラスがふたりいます」
私は、聖ソフィアで目撃したことを伝えた。
ユウイチという名前の少年が、穂積さんを負かしたのだ。
風切先輩は、椅子に座ったまま視線を逸らした。
「下の名前がユウイチの、軽そうな男……思い当たる節はないな」
「全国レベルってわけじゃ、ないと思います。穂積さんとイイ勝負だったので」
「棋譜は分かるか?」
なんとかかんとか思い出して、私は盤にならべた。
「ここで穂積さんが時間切れになりました」
私がならべ終えると、風切先輩はタメ息をついた。
「時間切れもなにも、簡単に詰んでるな」
「はい……ほかの逃げ方でも寄っているので、普通に負けかな、と」
風切先輩は、キャスター付きの椅子をひいた。
カラカラという音が鳴り、椅子は窓際で止まった。
先輩は窓のそとをみつめた。
ほかの部員――松平、三宅先輩、大谷さんと私は、固唾をのんで次の言葉を待った。
「……もうひとりの将棋は?」
「そっちの子の将棋は観ていません」
「観てない? なんで穂積クラスだと分かる?」
「ユウイチっていう男子との会話で、そう判断しました」
練習にさそっていたし、相手の将棋を小馬鹿にしているところもあった。
ユウイチくんより格下ってことはないはず。
仮にそうなら、ユウイチくんはもっと強く反発したはずだ。
私の推理に、風切先輩も納得してくれた。
「たしかに、納得がいくな。容姿は?」
「色黒金髪で、ユウイチくんよりもさらに軽そうな感じでした」
風切先輩は、そっちにも心当たりがないと答えた。
「聖ソフィアは、公式戦未経験者で固めてるのかもしれないな」
「そんなことする意味ありますか?」
「意味のあるなしよりも、そうするしかないんだろう。ここ数年、聖ソフィアに全国強豪は入っていないはずだ。それに、あの火村の存在もある」
「と、言いますと?」
「聖ソフィア将棋部を再建したのは、おそらくあの女だ。性格からして、リーダーにおさまらないと気が済まないタイプだろう。部内で独裁を敷くには、古株の強豪がいると邪魔になる。年上もな。そのチャラい二人組、多分1年生なんじゃないか?」
そこまでは分からなかった、と私は告げた。
風切先輩は、飲み終えたコーヒー牛乳のパックを、ゴミ箱にシュートした。
ポスンと見事に入って、先輩は椅子をこちらに向ける。
「とにかく、貴重な情報だ。裏見には感謝しないとな」
いえいえ、それほどでも。
「お礼なら、潜入を提案した速水先輩と、指してくれた穂積さんに言ってください」
「そう言えば、穂積はどうしたんだ?」
私は言葉に詰まった。
みんなの視線を感じて、しどろもどろになる。
「えーとですね……じつは……」
「みんなそろってるッ!?」
バタンとドアがひらいて、女の子が飛び込んできた。
穂積さんだった。
心臓が止まりかけた私をよそに、風切先輩はニヤリとした。
「なんだ、裏見、勧誘に成功したのか。大戦果だな」
「いや、あのですね……これは……」
風切先輩は椅子に座ったまま、穂積さんのほうに向きなおった
「穂積、よく来た。来週の日曜日は団体戦だ。さっそく参加してくれ」
「あの連中、日曜日に来るんですねッ!?」
穂積さんの怒声に、風切先輩は眉をひそめた。
「あの連中?」
「聖ソフィアですよッ!」
「団体戦は、全部で3日ある。どこで当たるかは分からない……なにかあったのか?」
穂積さんはそばにあった書類を丸めて、テーブルをしばいた。
こらッ! それは私の大事なレジュメ!
「あいつら、あたしだけナンパしなかったんですよッ!」
「……もう一回言ってくれ」
穂積さんは風切先輩を無視して、レジュメをテーブルに放り投げた。
「この恨み晴らさでおくべきかぁ!」
「待て……なにを言ってるのか分からないんだが……」
風切先輩は、もういちど尋ねようとした。
ところが、三宅先輩にとめられた。
「やる気になってるなら、放置でいいんじゃないか?」
「いや、私怨で大会に出られたら困るぞ」
「どうせ聖ソフィアに裏見と行ったら裏見だけナンパされたとかだろ?」
図星。
風切先輩はこめかみに指をあてて、嘆息した。
「しかしなぁ……」
「とーにーかーくッ! いつ聖ソフィアと当たるんですかッ!?」
風切先輩は、さっきの回答をくりかえした。現時点では分からない、と。
そして、こう付け加えた。
「初日の朝に抽選がある。何戦目に当たるかは、そのとき判明するはずだ」
穂積さんは、相手チームとの当たり方を質問してきた。
どうやら、団体戦の仕組みを全然知らないようだ。
ここは部長の出番ということで、三宅先輩にバトンタッチする。
三宅先輩は、購入したばかりのホワイトボードのまえに立った。
「大学将棋の団体戦は7人制だ。1番席から7番席まで、白星の多いほうが勝つ」
「7人で4勝以上ですね?」
穂積さんの確認に、三宅先輩はうなずき返した。
「出場する選手は、指定の用紙に登録する。これをオーダー表と言って、オーダー表には1校あたり14人まで名前を書ける」
穂積さんは眉間にしわを寄せた。
「14人? ……この部、何人いるんですか?」
「6人だ」
私、松平、大谷さん、穂積さん、三宅先輩、風切先輩――それだけ。
「ちょっと待ってください。条件を満たしてなくないですか」
「7人未満でも、試合には参加できる」
「でも、6人で4勝しないといけないんですよね?」
三宅先輩はタメ息をつく。マーカーの底でひたいを掻いた。
「だから困ってるんだ」
「前も言いましたけど、あたし、勝ち目のない勝負はしませんよ」
「ナンパのリベンジをするんじゃないのか?」
「聖ソフィアのときだけ出場すればいいじゃないですか」
三宅先輩は、そんな出方は認めないと主張した。
穂積さんはいじけて、
「えぇ、だったら全部サボりま〜す」
と言い切った。あのさぁ……こういうタイプ、地元だと見なかったから困惑する。
風切先輩も見かねたのか、口をはさんできた。
「そう悲観的になるな。うちのメンバーなら、6人でも4勝あげられる」
「根拠を提示してください」
風切先輩は、各部員の推定レーティングを告げた。
そして、Dクラスの大学の平均レーティングと比較した。
「というわけで、うちは勝率7割強、1試合あたりに期待できる勝ち星は4以上だ」
「その計算、信頼できます?」
風切先輩は、自分のひたいに指をあてた。
「こうみえても、計算は得意なんだぞ。数学科だしな」
これは本当。
部で買い出しに行ったとき、金額を消費税込みで全部暗算していた。
元奨励会員おそるべし。
数学科という肩書きが利いたのか、穂積さんもマジメな顔になった。
「ようするに、チームとしては全勝ペースってことですよね?」
「ああ……俺もさっきまでは、そう思っていた」
部員全員が、風切先輩のほうに顔をむけた。
「裏見から情報をもらうまでは、な。正直、聖ソフィア戦はきびしいと思う」
勝てないってことですか、と私は尋ねた。
「オーダー次第だ。火村に俺が当たって、大谷が黒髪に当たれば、あるいは……」
「そのオーダー表って、具体的にどうやってつくるんですか?」
穂積さんの質問。ふたたび三宅先輩が答える。
「さっきも言ったとおり、14人を順番にならべて、そこから7人出す」
「順番に? 14人登録してそこから7人と、どう違うんです?」
「数字の大きい選手は、数字の小さい選手よりまえには出られない……例をあげよう」
三宅先輩は、ホワイトボードにペンをはしらせた。
大将 A 副将 B 三将 C 四将 D 五将 E
「5人登録で、3人出す場合を考えてみる。このとき……」
1番席 A 1番席 A 1番席 B 1番席 C
2番席 B 2番席 C 2番席 C 2番席 D
3番席 C 3番席 E 3番席 D 3番席 E
「こういうのは全部合法だ。大将は一将、副将は二将と考えてくれ。そして……」
1番席 B 1番席 A 1番席 E 1番席 C
2番席 A 2番席 C 2番席 D 2番席 D
3番席 C 3番席 B 3番席 C 3番席 A
「こういうのは全部アウトになる」
穂積さんは、なんとなく分かったと答えた。
「順番をとばすのはセーフで、根本的に入れ替えるのはアウトってことですね?」
「そうだ。飲み込みが早いな」
三宅先輩が褒めたところで、穂積さんはさらなる飲み込みの早さをみせた。
「あれ? ってことは、人数を多く登録したほうが得じゃありませんか?」
「ん、そこまで理解できるのか……そのとおりだ。根本的な入れ替えができない以上、最初に登録する人数は、多いほどいい。順番をとばすためには、抜けてくれる選手が必要だからな。例えば、ABCの3人しかいないなら、出すパターンは1通り。ABCDの4人いるなら、ABC、ABD、ACD、BCDの4通り……どんどん増えていく」
ちなみに、x人登録y人出場の組み合わせは、xCyだから、7人出場の場合は、
1〜7人登録 1通り
8人登録 8通り
9人登録 36通り
10人登録 120通り
11人登録 330通り
12人登録 792通り
13人登録 1716通り
14人登録 3432通り
となる。7人ぴったり登録するのと、14人丸々登録するのとでは、雲泥の差だ。
大学受験の数学、まだまだ忘れてないわよ。
「今から8人くらい集められません?」
穂積さんは、そう提案した。
これには三宅先輩が難渋をしめした。
「勧誘はしない方針だ」
「え? 勧誘しない? ……意味が分からないんですけど」
三宅先輩は、設立当初の取り決めを説明した。
王座戦を目指すから、ヤル気のない部員は入れないという合意だ。
穂積さんは、この説明に肩をすくめた。
「逆らったとき首にすればいいじゃないですか」
「そんな独裁ができるわけないだろ。どこのクラブも、強制退部させるときは一定の手続が必要だ。部員総会とかな。学生だけで好き勝手できるサークルとはちがう」
穂積さんは椅子からとびおりた。
そして、スマホをポケットからとりだした。
「言うことを聞いてくれるひとなら、いいんですね?」
「ああ……心当たりがあるのか?」
「あります」
「絶対に聞いてくれるやつじゃないとダメだぞ。仲がいいとかじゃなくて……」
穂積さんは、三宅先輩の話をさえぎった。口の端に笑みをこぼす。
「絶対に聞いてくれます。任せてください」