461手目 レディース講座
※ここからは、香子ちゃん視点です。
あけまして、おめでとうございまーす。
私は元気にあいさつして、道場へ上がった。
駒の音は、今日も盛況。
遅番だったこともあって、すでに対局は始まっていた。
受付の宗像さんは、
「おはようございます」
と返してから、いくつか指示を出した。
着替えて、すぐに洗い物。
溜まった湯呑みを片づけたら、手合い。
90分経ったら、休憩。
もう慣れたもので、ルーチンを淡々とこなす。
夕方になって、冬の早い日が落ちて来ると、宗像さんは、
「今日は早く閉めますので、ラスト1局でお願いします」
とアナウンスした。
そう、早閉めなのよね。
入り口に貼り紙もしてあった。
閉店時間になって、後片づけをして終わり。
「橘さん、裏見さん、おつかれさまでした」
おつかれさまでーす。
あとは帰るだけ、というところで、宗像さんは、
「おふたりは、来週の土曜日、空いてますか?」
と訊いてきた。
橘さんは、用件を尋ねた。
宗像さんは、
「レディース講座が都内であるんですけど、人手が足りなくて」
と答えた。
んー、レディース講座かあ。
将棋人気で、需要が出てきた感じなのかな。
詳しく訊いてみると、初級者~中級者向けらしかった。
お給料は弾む、とのこと。
どうしようかなあ。期末試験まで時間はあるけど、レポートが。
そのことを伝えると、宗像さんは、
「午前か午後だけでも、お願いできませんか。作業が終わったあとは、控え室で勉強してもかまいません」
と返した。
ふーむ……私は、ちょっと考えさせてください、と言って、その日は解散した。
○
。
.
けっきょく、来てしまったわけですが。
最初は、代理を立てようと思ったのよね。
でも、穂積さん×、ララさん×、平賀さん×で、どうにもならなくなった。
それに、レポートはなんだかんだで間に合いそう、というのもあった。
会場は、四ツ谷。つまり──
「オーッホッホッホ、香子、来てあげたわよ」
火村さんは、駅前の雑踏に似つかわしくない高笑いをした。
となりには、ノイマンさんがいた。
「裏見お姉さま、今日もゴキゲンうるわしいのです」
ノイマンさんも、うるわしくてよ。
アルバイトの助っ人で呼んだわけじゃない。
私が四ツ谷に寄ると言ったら、じゃあ会おう、ってなっただけ。
「会場案内だけなのに、悪かったわね」
「いいのよ。あたしたちも、大学へ行く用事があったから」
なんだ、そういうことか。
聖ソフィアは駅近。
私が、
「期末試験が近いものね。図書館で勉強?」
と尋ねると、火村さんは、
「チッチッチッ、あたしって天才だから、楽勝」
と返した。
あのさあ、私は呆れつつ、ノイマンさんに、
「ノイマンさんは、1年生よね。わからないことがあったら、アドバイスするわよ」
と伝えた。
「私もお姉さまも、大学はいっぱい出てるので、だいじょうなのです」
???
もうよくわからん。
とりあえず、会場へ案内してもらう。
スマホで調べればいいだけなんだけど、詳しいひとに案内してもらうほうが、安心。
大通りを進んで、銀行を通り過ぎると、目当ての白いビルがあった。
め、めちゃくちゃ簡単だった。なんだかもうしわけない。
「ありがと、お夕飯でも一緒にしましょ」
別れようとしたところで、向こうから顔見知りが歩いてきた。
宗像さんだった。
宗像さんもこちらに気づいて、
「裏見さん、おはようございます」
とあいさつしてきた。
「あ、おはようございます」
「今日は、ありがとうございます」
宗像さんはそう言いながら、火村さんに目を向けた。
「……こんにちは、以前、お店にいらしたかたですよね」
え? 覚えてるの?
接客業のプロなら、これくらいはできるのか。
火村さんは、
「オホホホ、ごきげんうるわしゅう」
と、いきなりしおらしくなった。
ノイマンさんは初顔だから、
「ノイマン・ミラーカと申します。よろしくです」
と自己紹介した。
宗像さんは、
「よろしくお願いします。裏見さん、他のかたにも声を掛けていただいたんですね」
と言った。
え、あ、違う。
私が訂正するよりも早く、火村さんは、
「というわけで、よろしくお願いしまーす」
と悪乗りした。
ちょ、おま。
宗像さんは、
「それでは、ご案内します」
と言って、ビルに入ってしまった。
火村さん、最初からこれを狙ってたんじゃないでしょうね。
ぷんぷん。
とりあえず、4階までエレベータで上がる。
内廊下に出て、ドアを開けると、こぎれいな白い空間が広がった。
女性が何人か来て、思い思いの場所にいた。
立っているひともいれば、座っているひともいる。
橘さんを除くと、全部で……6人。
まあ、こんなものか──って、ちょッ! 南原さんがいるッ!
な、なぜ麻雀プロが、ここに?
南原さんもこっちに気づいて、歩み寄ってきた。
「おひさしぶり。奇遇ね」
「あ、はい、どうも……」
「そんな顔しないで。ストーキングしてるわけじゃないから」
ほんとぉ?
宗像さんの手前、おとなしくしておく。
当の宗像さんは、
「本日は、よろしくお願いいたします。主催の宗像です」
と、丁寧にあいさつした。
次に、私たちスタッフの紹介。
お客さん6人に対して、私、橘さん、火村さん、ノイマンさんの4人。
そのあとは、事前説明があった通り、簡単なウォーミングアップ。
詰将棋を解いたり、いろいろ。
ひと通り終わって、指導対局になった。
「では、手合いを決めさせていただきます」
ふむ……ほとんど級位者なのでは?
それが悪いと言っているわけじゃない。級位者の指導対局って、難しいわけですよ。初段くらいなら、ここが悪かったですね、みたいな会話でいいんだけど、そうはいかないわけで。しかも、年上のひとが多いから、なおさら緊張する。
「裏見さんは、大久保さんとお願いします」
「はい」
私は席についた──ちらり。
ちょっと怖そうな雰囲気の、若い女性だった。たぶん二〇代。新米社会人、という雰囲気。着ているものは、カジュアルフォーマル。紺のジャケットにズボン、それに白いシャツだった。出社中に寄りました、みたいな服装。首から社員証でもかけていれば、まさにビジネスパーソン、って感じ。髪型はショートボブ。目つきがちょっとキツイ。ひとを寄せ付けないような圧があった。
大久保さんは、
「よろしくお願いします」
と、はっきりした口調で言った。
どうぞお手柔らかに。
私が、
「手合いは、どうしましょうか? 駒落ちか、平手か……」
と言いかけた時点で、大久保さんは、
「6枚落ちでお願いします」
と申告した。
あ、勉強してる感じかな。
それだと助かる。定跡通りに指せばいい。
私は香車と桂馬と飛車角を落とした。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
*** 女子大生、対局中 ***
か、勝ってしまった。
しかも、わりと圧勝。
大久保さんは、
「敗因は、なんでしょうか」
と尋ねてきた。
「そうですね……駒の動きは、よく把握されているようなので、6枚落ちの定跡を勉強されるといいと思います」
ルール違反はなかったし、初歩的なことは知っていそうだった。
出だしが7六歩~2六歩で、平手調だったのは、勉強不足。
だけど、平手の出だしは知っている、ということでもあった。
大久保さんは、
「わかりました」
とだけ言って、どうすれば、とか、そういうことは訊かなかった。
私は、急所の局面をいくつか指摘しておいた。
特に、大駒は勢いに任せて切っちゃダメですよ、と。
ひと息ついたところで、私はお手洗いに立った。
手を洗っていると、鏡にニュッと人影が現れた。
南原さんだった。
「裏見さん、おつかれ」
うおおお、声をかけてくるのか。
「おつかれさまです」
南原さんは、トイレの個室に入らず、お団子ヘアをなおし始めた。
「さっき指してた子、警察か税務署員よ」
……………………
……………………
…………………
………………は?
「大久保さんのことですか?」
「そう」
「お知り合いで?」
「この仕事を長くやってると、なんとなくわかるの」
麻雀プロって、やっぱり危ないお仕事なんですか?
私は困惑した。
南原さんは、ゴムを結びながら、
「まさかここで、賭け将棋をやってるんじゃないでしょうね?」
と、ちょっと真面目な顔で言った。
「やってません」
「ま、それもそうか。あなた、お堅そうだし……ただ、あの子、仕事で来てる感じがする」
どういうことですか。
そう尋ねるよりも早く、うしろのドアがひらいた。
大久保さんが入ってきて、私は心臓が止まりかけた。
一方、南原さんは、なんでもないかのように、お化粧を確認して、トイレを出て行った。
大久保さんは、個室に入った。
ドアを閉める音が、妙に大きく響いたような、そんな気がした。