457手目 王手金の罠
※ここからは、関くん視点です。
いやあ、始まった始まった。
単なる役員参加は、もどかしい。
出るなら、選手じゃなきゃなあ。
僕はあちこちを回りつつ、乙部vs太宰に足を止めていた。
なるほどねぇ。
僕が感心していると、ファッショナブルな青年が現れた。
脇こと、ワッキーだった。
「ワッキー、ひさしぶり」
「おひさしぶり。またずいぶんと、変わった対局を観てるね」
「それは、どういう意味で?」
「後手の変則将棋だよね、これ」
さすがの分析力。
東海のテーブルはあっちだよ、って、野暮なことでも言われるのかと思った。
「僕も途中からしか観てないけど、たぶん合ってる。殴り合いに持ち込んで、これ以上は組ませない、っていう作戦。かなりの賭けだけど」
ワッキーは、
「そもそも、太宰が序盤から変化したんじゃないの。普通の角換わりからこうなった、とは思えない」
とも言った。
だろうね。
ま、そのへんは一回置いといて、ここからは乙部さんの猛攻ってわけだ。
僕は、
「6四同銀、同歩、4四銀、同角、同歩に4七歩成で、いい勝負ではある」
と付け加えた。
【参考図】
ワッキーが、たしかに、と返したところで、駒音が聞こえた。
6四同銀、同歩、4四銀、同角、同歩、4七歩成、同金まで、スラスラと進んだ。
そして、太宰の手が止まった。
僕は、
「悩ましい。3八銀の直接手以外に、7七歩と一本入れる手もある」
と指摘した。
ワッキーは、
「7五歩もあるね」
と補足した。
「7五歩……手抜いて7三歩成が入りそうじゃない?」
「自分で言っておいてなんだけど、7七歩、同桂、7五歩のほうが、可能性としては高い」
なるほど、7六歩が桂当たり。
今度は手抜けなさそうだ。
太宰のやつ、ここで考えてるってことは、6四銀は見切り発車だったな──っと、指す。
パシリ
7七だった。
太宰はお茶を飲んだあと、他の対局へ視線を向けた。
あんまり自信ない感じかなあ。
乙部は乙部で、ここから1分考えた。
もちろん、同桂は確定。問題は、その先だ。
僕は、
「同桂、7五歩、同銀は、7六歩でダメだよね。8五銀一択。となると、このかたちをどう評価するか、そこにかかってくる」
とコメントした。
ワッキーは、
「シンプルに3八銀が効けばいいけど、7一角の反撃がきつそうだ。7二飛、6一角、7一飛、5二角成、2九銀不成は、4三歩成で終わってる」
と言った。
【参考図】
「だね。先手は9七~8六のスペースが大きい」
「となると、8五銀のかたちは、まだ乙部さんペースだと思う。もっと攪乱していかないと、乙部さんのセンサーは乱せない」
とはいえ、そう簡単には……あ、指した指した。
7七同桂。
以下、7五歩、8五銀に、太宰は8六歩とひねった。
「どうですか、解説の脇さん」
「第一感、取りたくない。かえって王様が狭くなる」
「2五歩としますか」
「それも第一感」
本譜もそうなった。
2五歩、同歩、7一角。
太宰は、ここで飛車を切った。
9二飛はジリ貧だったから、しょうがない。
それに、まだいい勝負だ。
ちょっと立ち寄った対局にしては、面白い将棋になった。
同桂、7六銀。
乙部は、2五桂と反撃に出た。
2四歩、3三桂成、同金、1四歩、同歩、4五桂。
これも厳しい。
僕は、
「そろそろ反撃しないと、後手潰れるね」
と言った。
ワッキーは、
「6五桂じゃない?」
と、反撃の糸口を端的に告げた。
実際、それくらいしかないから、太宰も1分使って、6五桂。
この時点で、先手と後手の残り時間は、それぞれ10分を切った。
乙部、腰を落とし始める。
タイミング的には、考えどころだけど、どうかな。
多分、後手の攻めはギリギリなんだよね。
8七歩成以下、先手は右へ逃げる展開になる。
ただし、逃げるのが遅れたら、アウト。
7九玉の早逃げが必要。
【参考図】
ワッキーは、僕の推測に賛成してくれた。
パシリ
3三桂成。金を取った。
同銀、2三歩、1三玉、7九玉。
そっちか……2三歩を入れないのも、アリだった。
まあ、決めとく流れかも。
太宰、ここで長考。
難しいよ、これは。
ヘタしたら後手が寄るし、うまくいけば先手が寄る。
ただ──
「乙部はさっきの長考で、寄らないと思ったっぽいよね」
僕の発言に、ワッキーは、
「自信は感じる……いずれにせよ、8七歩成が本命。7七桂成のトラップも捨てがたい」
とコメントした。
「というと?」
「7七桂成、同金、同銀成は、先手がマズい。だから6九玉」
「それって、7八成桂に、同玉ってできないじゃん」
「5八玉と逃げる」
「……なるほど、3八金なら1四香、同玉、1八飛か」
【参考図】
さすがは、ワッキー。
やっぱり東海に残って欲しかったなあ。両親と仲直りして……ううん、この話をしたら、凄い目で睨まれたことがある。やめておこう。
太宰、まだ指さない。
ほんのわずかに、首をかしげるシーンもあった。
どこかで切り上げてはくると思うんだけど──残り5分が、その合図だった。
8七歩成。
桂成じゃなかった。
乙部は、ノータイムで同金。
時間差をキープ。
同銀成、6八玉。
時間をかけなかったけど、最善……かな。
さっきの局面は、6九玉との比較が難しかった。
太宰、また考える。
1分使って、7七成銀。
5八玉、3八金。
けっきょくこのルートになった。
修正が利かなかったんだろう。
乙部は、勢いよく1四香。
同玉、1八飛。
さて、どうなんだ、これ。
僕は、
「正直、勝敗は決まってるレベルだと思う。どっちかはともかく」
と予想した。
ワッキーも、
「王手金取りの成否次第だね」
と同意してくれた。
けれど、どっちが勝っているかと訊かれたら、人間では難しい。
そもそも、後手はここで、どうすればいいんだ?
1五歩? 2三玉?
安全なのは前者だな。受け駒も、歩だから安い。
太宰も3分残して、1五歩とした。
乙部はノータイムで、3八飛。さてさて。
太宰、長考。多分、最後の長考。
3分丸々使うか、1分だけ残すか。
僕も読む。
すぐに5五桂は、面白くなさそう。
【参考図】
なにが面白くないかというと、詰めろじゃない。
だから、2二歩成で、詰めろをかけられてしまう。
僕がそれを伝えると、ワッキーは、
「それでも、後手負けとはいえない」
と返した。
ま、それはそう。
ただ、先手優勢な気が。
太宰の残り時間は、1分を切った。
これは、1分将棋になりそうだ。
……ピッ
秒読み開始。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
太宰はギリギリで、6七成銀と寄った。
乙部はこれを見て、座りなおした。
左腕は、あいかわらずテーブルに乗せている。
まだ5分ある。
途中で、時間を節約していたから。
ワッキーは、
「6七成銀は賭けだけど、うまい賭けだ。同玉、5五桂に、5八玉と下がれない。2二歩成が入ってないから、先手が一手遅い」
と解説した。
一手を銀で買ったパターン。
乙部は1分、2分と考える。
……………………
……………………
…………………
………………あれ? 後手勝ちになってる?
深く読んでみると、急に後手が良くなったような?
ワッキーも、
「後手勝ちっぽい」
とつぶやいた。
乙部、ちょっと困ったような様子。
あるよね、こういう急転直下。
しょうがない。
太宰の雰囲気も、うっすら望外、みたいな感じ。
乙部は2分残して、同玉。
以下、5五桂、5六玉、6七銀、4六玉、4五歩、同玉、4七桂成と進んだ。
後手勝ち……だよね。
手数はまだ長いけど、逆転の余地はなさそう。
乙部は、残り20秒になるまで考えてから、
「しまったなあ、錯覚してた。負けました」
と投了した。
「ありがとうございました」
感想戦は、乙部の反省から始まった。
「3六角を過大評価してた。王手金しても、意味なかったね」
太宰は、
「4七桂成に3六角のこと?」
と確認を入れた。
「そう」
「そのあともちょっと難しいかな、と、5五桂の時点では思ってた。いずれにせよ、王様を6六へ逃げられるほうが、困ったと思う」
【検討図】
ふむふむ、入玉含みになって、やや気持ち悪い。
乙部は、
「うーん、入れるかなあ。4七桂成が、即詰めろだし」
と懐疑的。
太宰は、
「僕のほうは、1分将棋。間違える可能性はある」
と言った。
検討した結果、4七桂成、7五玉、3八成桂、7三歩成に、8三歩の置き駒がうまいブロック、という結論になった。
【検討図】
1分将棋で気づくかどうか、微妙な手だ。
乙部も意見を変えて、
「意外ともつれるっぽい……」
と残念がった。
けど、すぐに気を取り直して、
「そういえば、チームはどうなったんだろ」
と、あたりを見た。
すると、だらっとした感じの、無精ひげの青年が、
「1-6で負けたよ」
と教えた。
乙部さんは、大げさに天を仰いだ。
「ダメだこりゃ。今日の打ち上げは、関のおごり」
なんでそうなるの。
場所:2017年度王座戦 1日目1回戦 蝦夷vs晩稲田
先手:乙部 愛菜
後手:太宰 治虫
戦型:居飛車力戦形
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲7八銀 △8四歩
▲4八銀 △8五歩 ▲4六歩 △3二金 ▲6八玉 △5四歩
▲5八金右 △4二銀 ▲4七銀 △6二銀 ▲9六歩 △5三銀右
▲7九玉 △7四歩 ▲5六銀 △4三銀 ▲4五歩 △4一玉
▲3六歩 △4五歩 ▲2二角成 △同 金 ▲3七桂 △6四角
▲3八飛 △3三桂 ▲6五銀 △5五角 ▲7七銀 △7五歩
▲6六銀 △4四角 ▲7八金 △8六歩 ▲同 歩 △5二金
▲7五歩 △8六飛 ▲8七歩 △8二飛 ▲7四歩 △3一玉
▲3九飛 △9四歩 ▲3五歩 △同 角 ▲8八玉 △2一玉
▲1六歩 △4六歩 ▲2五歩 △4四角 ▲2九飛 △3二銀
▲2四歩 △同 歩 ▲4五歩 △3五角 ▲1五歩 △2三金
▲7五銀 △2二玉 ▲7六銀 △6四銀 ▲同 銀 △同 歩
▲4四銀 △同 角 ▲同 歩 △4七歩成 ▲同 金 △7七歩
▲同 桂 △7五歩 ▲8五銀 △8六歩 ▲2五歩 △同 歩
▲7一角 △8五飛 ▲同 桂 △7六銀 ▲2五桂 △2四歩
▲3三桂成 △同 金 ▲1四歩 △同 歩 ▲4五桂 △6五桂
▲3三桂成 △同 銀 ▲2三歩 △1三玉 ▲7九玉 △8七歩成
▲同 金 △同銀成 ▲6八玉 △7七成銀 ▲5八玉 △3八金
▲1四香 △同 玉 ▲1八飛 △1五歩 ▲3八飛 △6七成銀
▲同 玉 △5五桂 ▲5六玉 △6七銀 ▲4六玉 △4五歩
▲同 玉 △4七桂成
まで122手で太宰の勝ち