454手目 先輩らしい
大谷さんの信任投票は、あっさりと可決された。
というわけで、最初の役員会──の前に、都ノ将棋部も、役員交代。
私と松平は授業終わりに合流して、部室へと向かった。
途中の廊下で、松平は、
「あー、ようやくこの仕事から解放される」
と言って、大きく背伸びをした。
「おつかれ。なんだかんだ、いろいろあったわね」
「将棋以外に、手広くやり過ぎた」
将棋部、会長補佐、聖生探偵団etc
松平は折口研もあったし、ほんとうに手広くやり過ぎた感。
私は、
「そう考えると、次のメンバーは、将棋に集中できそう」
とつぶやいた。
「だな……っと、そろそろ黙るか」
部室が近くなった。
ドアを開けると、1年生が勢ぞろいしていた。
松平は、
「よーし、みんな、集まってもらって、すまない」
と言ってから、ホワイトボードの前に立った。
「次期役員なんだが、都ノでは、指名方式になってる。他大でも、ほとんどそうだ。というわけで、俺たちから指名させてもらって、いいか?」
反対は特になし、と。
「じゃ、これで頼む」
〔主将〕 愛智覚
〔部長〕 平賀真理
〔会計〕 車田マルコ
〔幹事〕 青葉暖 ※4月から
「1年生は、4人しかいない。会計監査は引き続き、2年生の穂積にやってもらう。任期は、幹事だけ、来年の4月から、再来年の3月まで。他は、今年の12月から、来年の11月まで。異論があるひとは、この場で言って欲しい」
これも特になし、と。
事前に根回ししてあったというか、各人に声かけはしてあった。
松平は、
「じゃあ、12月からよろしく頼む。わからないことがあったら、気軽に訊いてくれ」
と言って、ミーティングを終わらせた。
あっさり。
そこからは、練習会に。
私も3局指して、勝ち越し。
青葉○ 平賀○ 松平●
うーん、最後の一局もなあ、詰みを逃さなかったら、勝ってた。
終わったあと、私は帰宅、松平は平賀さんと一緒に、折口研へ移動することになった。
私は、サークル棟を出たところで、
「そういえば、折口先生、最近は呼び出しが減ってない?」
と訊いた。
松平は、
「嵐の前のなんとやら、だぞ」
と、嘆息した。
「え、どういうこと?」
「でかいプロジェクトが、動いてるっぽい。そっちの打ち合わせと予算獲得で、時間を取られてただけみたいだ」
マジかぁ。
困ったなあ、と思う私の横で、平賀さんは、
「いよいよ、ボクたちの腕の見せ所ですッ!」
と息巻いていた。
あのですね、来年度は、将棋部にとって大事な年なんですよ。
私は遠回しに、
「風切先輩は4年生になるし、大会向けの時間を、確保しないとね」
と、牽制した。
平賀さんは、
「文武両道、もとい、将棋メカ両道ッ!」
と返した。
両立できれば、それに越したことはないわけでして、はい。
そのあとは、校舎と裏門の方向へ、それぞれ分かれた。
自宅に辿り着いた私は、着替えをして、料理。
ポトフを作る──ふむ、なかなかうまくできたんじゃない。
でも、時間かかるなあ。圧力鍋が欲しい。
お皿についで、着席。スマホで、ドラマを観ながら食べる。
コンソメをちょっと多めに入れたのが、グッド。
ネットのレシピって、薄味のものが多いわよね。
あとで調整できるようになってるんでしょう、たぶん。
食事のあいだも、今日のことについて、ちらほら考えていた。
悩ましい状況になった、と感じる。
今の1年生は、この部の立ち上げの経緯を知らない。
これは、以前から気になっている点だった。
それに、2年生のあいだでも、やっぱり温度差が出てきた──ように感じる。もちろん、手抜きをしているひとは、いない。だけど、王座戦になんとしてでも行きたい、というメンバーは、そんなにいないんじゃないだろうか。
いずれにせよ、一番謎なのは、風切先輩の本音。
王座戦に行くことが、入部の条件だった。
今は? というか、次で4年生なんだし、行けなくても退部するタイミングがない。来年度の秋の団体戦で、王座戦出場の可否は決まる。だから、有言実行するとしても、最速で10月上旬。つまり、春にBへ落ちて、秋でBの1位にも2位にもなれませんでした、というパターン。もしAに残留できれば、関東の選抜トーナメント出場までは、確定。A級校は2位から最下位まで、全部出られるから。この場合は、10月下旬か、11月上旬に結果が出る。
どのタイミングにせよ、4年生の引退と、ほぼ同時期。つまり、早期退部の意味はないのだ。まあ、先輩が出資してくれた、お金の問題は解決しないんだけど……たぶん、今の2年生が貯金を出し合ったら、足りると思う。
……………………
……………………
…………………
………………
迷走はしていない。
むしろ、普通の部に着地しようとしている。
お皿がスープだけになったとき、ドラマも終わりかけていた。
最終回。
一組の男女が、なにやら言い合いをしている。
セカンドシーズンを予感させるような結末。
なんとなくすっきりしない心地で、私はシークエンスを止めた。
○
。
.
12月に入ると、大学もまったりしてきた。
プライベートな時間を過ごすひとが、増えてるんでしょうね。
私も屋内のカフェで、のんびりとくつろぐ。
コーヒーを買いまして──あれ、愛智くんがいる。
すこし離れたところで、4人がけのテーブル席に、ひとりで座っていた、
勉強してるっぽい。
声をかけるのも……と思ってたら、目が合ってしまった。
私はコーヒー片手に近づいて、
「おつかれさま……なにしてるの?」
と尋ねた。
「フランス語の勉強です」
「課題?」
「いえ、自主勉です」
えらい。
「がんばってね」
と言って去ろうとすると、愛智くんは、
「あ、すみません、もしお時間があれば、主将の件について、ちょっとお話が」
と言った。
ん……なんだろう。
まあ、急いでるわけじゃない。
私は、愛智くんの対面の椅子に座った。
「主将の件っていうのは?」
「辞退したいとかじゃないんですが、僕、こういうのやったことないんですよね」
「大丈夫よ。別に経験が必要なわけじゃ、ないから」
っていうか、主将や部長をやったことのあるひと、今の1年生にいない説。
平賀さんだって、高校のときは会計かなにかで、リーダーはしていないらしい。
車田くんと青葉くんは、そもそも役員経験なし。
だから、人格的・棋力的に、愛智くん一択なわけですよ。
けれど、不安なのもわかる。
「ま、そのへんは、上級生でサポートするから」
「マニュアルみたいなものって、ありますか?」
ないです。
んー、作っとけばよかったかなあ、という気もするんだけど、部自体が立ち上げて2年目なわけで、作りようがないという。
そこから愛智くんは、細かい部分をいろいろ訊いてきた。
答えられる範囲で、答える。
ひと段落したところで、私は、
「ところで、フランス語って、難しい?」
と尋ねた。
「どうですかね……まだ始めて1年も経ってないですし……裏見先輩、二外はなんですか?」
「中国語」
「なんで中国語にしたんですか?」
簡単そうだから、というひとは多い。
けど、私は、
「英語と中国語ができれば、GDP1位、2位の国の言葉が、両方できるでしょ」
と答えた。
「なるほど」
「愛智くんは、なんでフランス語?」
「フランス現代思想に興味があるんです」
「……ふらんすげんだいしそうって、なに?」
「サルトル、アルチュセール、ドゥルーズ、フーコー、バルト、デリダあたりです」
専門用語を言われても、わからん。
「ひとことで言うと?」
「ひとことで……ちょっとムリです。僕がよくわかってないのもありますが、そもそも一枚岩の思想じゃないので」
「じゃあ、どういうところに惹かれるの?」
愛智くんは、難しそうな顔をした。
「それが……自分でも、よくわかんないんですよね。高校のときの副読本で、なんか面白そうだな、と思ったんです……でも、大学に入って、いろいろ調べてみたら、ニーチェやハイデガーの影響もあるみたいで……けっきょく、ドイツ哲学を先にやらないといけないのかな、とか……ある先生は、外国語を先に勉強したほうがいい、って言ってました」
「理由は?」
「原書で読まないと意味がないから、です」
「げんしょ?」
「もとのテキストです。フランスの思想家たちは、フランス語で書いてるわけですよね」
なるほど、原文のことか。
ただ、それでも意味がよくわからなかった。
「日本語訳はないの?」
「あります」
「だったら、日本語で読めばよくない?」
「やっぱりそう思います? 経済学部だと、どうですか?」
私は、ちょっと考えてみた。
「……例えば、マンキューっていうひとの入門書が有名なんだけど、あれを英語で読んでるひと、まずいないと思う。先生たちが、英語で読んだほうがいい、って言ってるのも、聞いたことない……かな。あくまでも、私の経験の範囲内で」
愛智くんは腕組みをして、黒マスクのなかで嘆息した。
「哲学科の先生のアドバイスなら、正しいとは思うんですが……納得のいかないところもあって……僕、哲学に向いてないのかなあ」
いやいや、まだ早いでしょう。
私は、
「4年間あるんだし、じっくり勉強するのも、いいんじゃない」
と伝えた。
「ですね……ところで、裏見先輩は、なんで経済学部を選んだんですか?」
「んー、お金に興味があるのよね」
「裏見先輩らしいですね」
オホホホ、でしょ──ん? どういうこと?