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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第70章 裏見香子、学業に励む(2017年11月8日水曜)
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448手目 ゼミナール入室試験

※ここからは、香子きょうこちゃん視点です。

 部室のテーブルで、私は一冊の本を読んでいた。

 すると、くしゃみがひとつ聞こえた。

 風切かざぎり先輩だった。

 パソコンに向かって、なにやら調べ物をしている最中だった。

「だれか俺のうわさをしてるな」

 そういうオカルトはNG。

「だいじょうぶですか?」

「風邪じゃないんだが、ここ数日、たまにくしゃみが出る」

 風邪なのでは?

 私は、

「大会も終わりましたし、ゆっくり休んでください」

 と言った。

 ところが、先輩は、

「そうもいかない。次のプレゼミは俺の担当だ」

 と答えた。

「プレゼミ? プレゼミって、2年時の打ち合わせですよね?」

「ん? 経済学部だと、そういう意味なのか?」

 そうですね、と私は返した。

 正式な登録は3年生からだけど、事前に集まっているゼミがあるのだ。

 2年生終わりの春休みに集まる、っていうのが、一番多いらしい。

 それを聞いた先輩は、

「数学科のプレゼミは、正式科目だ。理系だと、4年で卒研だろ。松平まつだいらもそうだと思う。だけど、4年生になっていきなり、はい卒業研究をしましょう、なんて、ふつうはできないからな。3年生のうちに仕込むわけさ」

 と教えてくれた。

 なるほど。

 私が納得していると、風切先輩は、

「まあ、俺はできるけどな」

 と言って笑った。

 あのですね、そういう態度は、周囲の反感を買うわけでありましてね。

 一方、風切先輩は、私が読書していたことに気づいて、

「将棋の本じゃないっぽいが、なに読んでるんだ?」

 と訊いてきた。

 私は表紙を見せた。

「『経済学部生のための数学』……そうか、裏見うらみも数学教に回心したか」

 ちがいます。

 私は事情を説明した。

 ようするに、今日がゼミナールの入室試験なんですよッ!

 風切先輩は、

「入室試験が数学とは、世の中、捨てたもんじゃない」

 と、やたら感心していた。

 うーん、数学の話題になると、やはり危ないキャラだ。

 私はスマホで時間を確認して、テキストを鞄へ仕舞った。

「じゃ、行ってきます」

「おう、がんばれよ。わかんなかったら連絡くれ」

 それはカンニングですッ!


  ○

   。

    .


 とは言ったものの……サポートして欲しいくらい緊張する。

 この試験、普通に落ちることがあるらしいのよね。

 当たり前といえば当たり前なんだけど、形骸化しているゼミもあると聞いた。

 で、なにが問題かというと、落ちたら二次募集へ回ることになる。この時点で、人気ゼミは締め切っているのが通例。つまり、一次募集で落ちると、不本意進級になる可能性が高くなってしまうのだ。

 私は前から3番目の、窓際の席に座っていた。

 全部で10人の志願者。

 開始時刻5分前に、五十嵐いがらし先生が入室した。

「それでは、五十嵐ゼミナールの入室試験をおこないます。教室を間違えている、というひとがいたら、退室してください」

 さすがにいない。

「学生証を、机のうえに出してください。学生証がなければ、試験は受けられません」

 ひとりを除いて、みんなもう出してあった。

 さすがに2年生だから、こういうのは慣れている。

 そのあと、スマホの電源を切るように指示があった。

「では、問題用紙をくばります。回答欄は同じプリントにあります。合図があるまで、表にしないでください。試験時間は、60分です」

 先生は、前から順に配った。

 問題は透けて──見えませんね、はい。

 ただ、A3一枚ということはわかった。

 先生は教壇へもどると、腕時計で時間を確認した。

「……それでは、始めてください」

 私は問題用紙をめくった。


【問1】

挿絵(By みてみん)


 まずは行列。線形代数だから、王道ではある。

 小問は全部、初歩的。

 行列の和は、各項を足すだけ。(1)は楽勝。

 問題は積だ。これは各項の掛け算じゃない。

 慎重に計算して……よし。(2)もクリア。

 行列式は、a1,1 * a2,2 - a1,2 + a2,1で出せる。

 足し算を間違えないようにして……うん、(2)より簡単だった。

 逆行列は、

 a2,2 -a1,2

 -a2,1 a1,1

 に置き換えて、行列式の解で割る……よし、できた。

 ウォーミングアップは完了。次。


【問2】

挿絵(By みてみん)


 数IIIみたいな問題。

 落ち着いて考える。

 えーと……置き換えかしら。

 1+x^2をuと置けば、1/2を前に出して、uの1/2乗っぽい。

 計算……だいじょうぶそう。定数C、忘れずに。

 さて……(2)は……arctanって、tanの-1乗のことよね。

 えーと……私は手が止まった。

 記憶をさぐる。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 あ、そっか、1/(1+x^2)って、arctanの微分そのものじゃない。

 ってことは、arctan x = uと置けばいい。

 簡単になった。(u^2)/2 + C、と。uを戻して終わり。

 ふぅ、私はここで、ひと息ついた。

 腕時計では、20分が経過している。

 問題は、この次、小問(3)──明らかに、難易度が高い。

 激ムズってわけじゃなさそうだけど、後回しにしたほうが、いいかも。

 私は問3へ移った。


【問3】

挿絵(By みてみん)


 ん? 基礎問っぽい。

 (1)はA,BともにLow,Lowが支配戦略。

 (2)上記からLow,Lowのみなのは明らか。

 (3)は……Low,Low以外、全部パレート最適。

 解答欄のスペースからして、答えだけでいいのよね?

 書き書き。

 なんか息抜きみたいな問題だった。

 次が最後。


【問4】

挿絵(By みてみん)


 えッ……あッ、ラグランジュだッ!

 ちょっと待って、ラグランジュって、3年生レベルじゃないの?

 いや、でも、演習本では見たことがあるか。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………(1)と(2)は目途がついた。

 複雑な式のかたちをしてるけど、整理しちゃえば、


 x1^0.5 * x2^0.5


 みたいな、例題にありがちな効用関数の変化形。

 だとしたら、最適消費と価格弾力性は、同じ発想になる。

 (1)は、ラグランジュ関数からの、偏微分。

 (2)は、普通に価格弾力性の計算。

 今悩んでいるのは、(3)だった。

 コブ・ダグラス型関数になりそう、っていうのはわかる。

 っていうか、なるはず。

 これ、ρ→0の極限が(x1^α*x2^(1-α))じゃダメ?

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 証明になってないか。問題文を数式化しただけだ。

 解答スペースは、他のものより広く取ってある。

 途中式がいりそう。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 後方で、だれかが動いた。

「先生、退室していいですか?」

 もう終わったのッ!?

「かまいません。問題用紙は、裏返して置いたままにしてください」

 荷物を片付ける音がする。

 だーッ、そういうプレッシャーをかけないでください。

 とりあえず、(1)(2)は解く。

 変数が多いから、慎重に変形して──よし。

 そのあと、問2の(3)に再チャレンジするか、このまま問4の(3)を解くかで迷った。

 時間的に、ふたつともは無理っぽい。

「残り、10分です」

 私は問2の(3)へもどった。

 問4は、解法の目途が立たなかったからだ。

 うーん、うーん。

「時間になりました。鉛筆を置いてください」

 りょ、両方解けなかった。

 周囲の雰囲気からして、完答者は途中退出の男子しかいない……はず。

 先生は答案を回収して、整理した。

「それでは、試験を終わります。発表は、大学のポータルからになりますので、各自確認してください。以上です」

 そのあと私は、部室にもどった。

 風切先輩は、大谷おおたにさんと将棋を指していた。

「お、どうだった?」

「だいたい解けたんですけど、2問分かりませんでした」

「ちょっと見せてくれるか?」

「対局中ですよね?」

「感想戦」

 私は記憶を頼りに、紙に書いた。

 こういう悩んだ問題は、しばらく覚えているものだ。

 風切先輩は、うしろ髪をくるくるしながら、一瞥。

「……上は、ln(sin x)とln(cos x)の和の当て嵌め、下は対数をとってテイラー展開か、ロピタル」

 瞬殺かーい。

 計算方法も教えてもらった。

 途中、問4の(2)の計算で、ミスをしたことに気づいた。

 最悪。

 私は、

「すくなくとも3問、間違えました」

 と嘆息した。

 風切先輩は腕組みをして、

「なにごとも基礎だよなあ、基礎。裏見も、もうちょっと基礎問を解いて……」

 うんたらかんたら。

 私は席を立って、背伸びをした。

「座りっぱなしで、血流が悪くなったかも。大谷さん、走り込みしない?」

「左様ですね。やはり体力は基礎。風切先輩、参りましょう」

「え……ちょっと待てッ! 俺が悪かったッ! うわぁあああああああッ!」

 はいはい、まずは100メートル3本、よーいどん。

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