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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第69章 2017年度王座戦関東選抜トーナメント2日目(2017年11月5日日曜)
462/487

447手目 HAYATO

※ここからは、氷室ひむろくん視点です。

 僕は、ある仮説について考えていた。

 馬鹿馬鹿しいといえば、馬鹿馬鹿しい仮説だが……今は対局を終わらせよう。

 勝つにせよ、負けるにせよ。

 僕は生河いがわくんの応手を待った──そろそろ動く。

 案の定、生河くんの腕が伸びた。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 そこか。

 すぐに対応する。

 5二角、2四歩、2二金、3七金。

 決めるだけ決めて、上がってきた。

 僕は4五銀左と受けた。

 生河くんは次の手も早かった。

 2三歩成、同金からの、3二角。


挿絵(By みてみん)


 ……後手が悪い。

 あとは、どれだけ離されないか……か。

「3三玉」

 4一角成、同角で飛車角交換。

 生河くんは5一飛の深い打ち込み。

 今のところは、8一飛との比較が難しかった。あっさり指してきた。

 3二角打、2二歩、5六銀、2一歩成、4七歩成。


挿絵(By みてみん)


 インファイトに。

 生河くんの手が止まった。

 残り時間は、先手が13分、後手が10分。

 時間も押されてる。

 ただ、伏線はもう張ってあった。機能するかどうかは知らない。

 生河くんは1分使って、3一と。

 僕は3七とと取る。

 3二と、同角、3七飛。

 僕は4六銀で圧をかけた。

 2七飛、5七銀左成、2四歩、同玉、3一飛成、4一金、1一龍。

「8七歩」


挿絵(By みてみん)


 さて、と……これで頓死のスキームはできあがった。

 まだ僕が悪いけどね。

 生河くんは、ここでちょっと考えた。

 攻め切るつもりなんだろう?

 じっさい、攻め切れそうなかたちに、敢えてした。

 ここからは綱渡りだ。

「……4四桂」

 そうこなくっちゃ。

 7六歩、同銀、6七桂。

 僕も攻める。

 生河くんは、すこし迷ったような手つきで、6九玉と寄った。


挿絵(By みてみん)


 ……同銀じゃなかった。

 清算して最後に同飛、のかたちを嫌ったね。

 伏線は回収された……かな。

 とはいえ、ほとんどのパターンは僕が悪い。

 一見有力そうな7七歩は、3二桂成でそのまま押し切られる。7八歩成、同玉のあとが続かない。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………こうだな。


 スッ


挿絵(By みてみん)


 生河くんは一瞬無表情になって──それから、あッ、と言った。

 顔に出たね。

 うしろの応援団ふたりも、雰囲気が変わった。

 特に志邨しむらさんは顕著。

 同歩なら5四角と飛び出すのが狙い。

 そのスペースを作るための、タダ捨て。

 生河くんは、ここから長考した。

 残り10分を切るまで考えて、3二桂成。

 角を消した。

 同金、5一角、4二歩、8七銀、4七銀成。


挿絵(By みてみん)


 圧殺へ。

 武器は取り上げた。ここからの先手は、受け一辺倒。

 生河くん、ふたたび長考。

「……5九歩」

 あとは僕が間違えなければ──いや、あとは、じゃないな。

 将棋はいつもそうだ。さっきまでも。

「7六桂」

 生河くんは4七飛と切った。

 同成銀、6七金、8八桂成、4九香。


挿絵(By みてみん)


 さすが。

 無理矢理にでも攻勢に切り替えようとしてくる。

 5一角も、その証拠だ。

 この角は、打たないほうが良かったはず。

 ひとまず先手の王様周りをクリーンにする。

 8七成桂、4七香、7八銀、5八玉、6七銀不成、同玉、5六金。

 上から押さえつける。駒数こまかずはギリギリ。

 5八玉、5七飛、4九玉、4七金。

 生河くんは4八歩と受けた。


挿絵(By みてみん)


 僕はいったん水を飲む。

 確認タイム。

 一見、3筋の攻めが利く。

 3七香や3六香。

 どちらも進行は同じで、2九銀、3九香成、同玉、5九飛成の滑り込み。


挿絵(By みてみん)


 (※図は氷室くんの脳内イメージです。)


 合駒は効かない。

 だから2八玉と上がるしかなくて、4八龍、1七玉、3八金──これは危険だ。

 おそらく、4五銀の反撃がある。


挿絵(By みてみん)


 (※図は氷室くんの脳内イメージです。)


 この局面は、先手有利だと思う。

 罠。

 よって、4筋からの正攻法が一番。

 4四香と打って、4七歩、同飛成、3九玉、2六歩と包囲する。

 これは後手有利。

 勝つ速度は……生河くん次第かな。

 残り2分のところで、僕は読みを打ち切った。

「4四香」

 生河くん、長考。

 どんどん時間が溶ける。


 ピッ


 1分将棋。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 4七歩。

 これしかなかったね。

 同飛成、3九玉、2六歩。


挿絵(By みてみん)


 あとは任せるよ。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 そっちか……生河くんらしい。

「同玉」

 1七桂と打ってきた。1五金もあった局面。

 僕は龍を切った。

 同龍、同香、2七歩成、2六歩、3六玉、6九角。

 ここで僕も1分将棋に。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 4七桂の逆王手。

 4九玉、5七銀、4八銀、5六銀。


挿絵(By みてみん)


 一度捨てた銀が活きてくるのも、組合せの妙味。

 3七銀打、同と、同銀、同玉、3八金、4六玉。


挿絵(By みてみん)


 生河くんから、急に闘志が消えた。

「……負けました」

 37秒残して投了。

「ありがとうございました」

 生河くんは、しばらく感想戦を始めなかった。

 そして、最初のひとことは、

「なんか……高校のときみたいで……」

 だった。

「そうだね」

 都代表のトーナメント。

 途中までは僕が不利だった。

 生河くんは、

「たぶん、攻め間違えて……6五銀が見えなかったから……」

 と口ごもった。

 僕が返そうとすると、うしろに立っていた黒マスクの少年が、

「ノア、疲れてるなら、また今度にしたほうが、いいんじゃない?」

 とアドバイスした。

 生河くんは、

「あ、そうだね……すみません、また今度でも、いいですか?」

 と言った。

「もちろん。それじゃ、ありがとうございました」

「ありがとうございました」

 席を立つ。

 そのまま廊下に出た。

 控え室へ戻ろうとしたところで、ふと声をかけられた。

 ふりむくと、太宰だざいが立っていた。

 ちょっとお洒落な白黒のモノトーンコーデで、ハンチング帽を被っていた。

「おつかれ、どうだった?」

「僕の勝ち……だけど、それを訊きたいわけじゃ、なさそうだね」

「ちょっと話せる?」

 僕たちは、会場よりも2つ上の階へ移動した。

 休日だけあって、だれもいなかった。

 太宰はポケットに手を入れ、廊下の窓ガラスを背にして、もたれかかった。

 秋の光が、衣服の黒を妙に輝かせた。

「さて、どっから話そうか」

 僕は、

「先日の件?」

 とたずねた。

「じゃなくてもいいけど、まあそこからかな。どういう噂が流れてる?」

 僕は肩をすくめた。

「特に」

 太宰は、

「なるほど、僕はすこしばかり自意識過剰みたいだ。一大学生の昏倒なんて、だれも相手にしないよね。とりあえず、僕が気を失ってた理由に、だれも事件性を見出さなかったわけだ……数人を除いて」

 と続けた。

「そうかもね……で、真相は?」

「たぶん睡眠薬」

「たぶん?」

「睡眠薬って、効くのに30分くらいかかるんだよ。急に意識を失ったりはしない。僕が眠り込んだ30分以上前に、ジュースを飲んだ記憶がある」

「医師の診断は?」

「救急科の先生に診てもらって、精神科のカウンセリングを勧められた」

 僕はその言葉の意味を、しばらく考えた。

「……精神疾患を疑われたわけか」

「そういうこと。まあそこはいいんだけど、犯人の思うつぼって話になる」

 その推論は、僕にもわかった。

 もし事件性が出てしまったら、警察沙汰になる。

 監視カメラを入念に調べられたりして、面倒なことになるだろう。

 そこで、別の症状と混同されそうな手段を選んだ。

 それでいて、警告の効果は抜群、というわけだ。

 僕は、

「厄介だね」

 と言った。

「うしろからバットで殴られたほうが、聖生のえるの正体は掴みやすかった……まあ、僕が助からなかった可能性があるけど。どうやって飲み物に睡眠薬を入れたのか、これもわからない……あくまでも、じっさいに盛られた、という仮定のもとでね。車はどこかの廃車で、持ち主は不明だった」

 太宰は僕を見た。

「今の話、信じる?」

 僕は返事をしなかった。

 太宰は、

「信じる、信じない……氷室の思考とは無縁か」

 とつぶやいた。

「そんなことはないよ。リーマン予想は正しいと、多くの数学者は信じてるし、僕も信じてる。だけど、そこに証明はない。統計的な根拠もない。無限にある素数をコンピュータで解析しても、その結果は無だから」

 太宰は、うなずいた。

 背中を窓ぎわから離した。

「さて、今度は僕が訊く番だ……氷室は、あの暗号を解いてるんじゃないの?」

 唐突な質問。

 数秒ほど見合って、太宰はやれやれと首を振った。

「きみは、ほんとうに表情がわからないな……ま、いいや、僕が一方的に推理するね。氷室は、あの暗号が解けていた。大円だいまる銀行の隠し金庫を知っていた*のは、そのおかげだ。宗像むなかたの通帳を見たっていうのは、ウソ……つまり、氷室はあの暗号を解くキーを知っていた」

 僕は黙っていた。

 正しい? 正しくない? どちらだろうね。

 僕はただ無心だった。

「じゃあ、暗号のキーは? ……僕はね、ふと思ったんだよ。きみは、HAYATOがキーだと思ったけど、解けなかった、と言った……じつはそれがウソなんじゃないの?」

 僕は秋が好きだ。

 思考が最も透明になる季節。

 太宰は僕の表情を読むのをやめた。

 こちらへ向かって、歩いてきて──すれ違いざまに言った。

風切かざぎり会長が聖生のえるの息子なんじゃないか……僕はそう疑い始めてるね」

*358手目 解散

https://ncode.syosetu.com/n0474dq/369


場所:2017年度王座戦関東選抜トーナメント 決勝

先手:生河 ノア

後手:氷室 京介

戦型:角換わり力戦形


▲7六歩 △8四歩 ▲7八金 △8五歩 ▲7七角 △3四歩

▲6八銀 △7二銀 ▲2六歩 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀

▲4八銀 △3二金 ▲9六歩 △7四歩 ▲4六歩 △3三銀

▲4七銀 △9四歩 ▲1六歩 △1四歩 ▲3六歩 △6四歩

▲4八金 △7三桂 ▲3七桂 △6三銀 ▲2九飛 △8一飛

▲5六銀 △4二玉 ▲6八玉 △6二金 ▲6六歩 △4一飛

▲7九玉 △4四歩 ▲4五歩 △同 歩 ▲3五歩 △同 歩

▲2五歩 △5四銀 ▲4五桂 △3四銀 ▲7五歩 △6三角

▲2四歩 △8六歩 ▲同 歩 △2四歩 ▲7四歩 △同 角

▲2四飛 △2三金 ▲2八飛 △2七歩 ▲同 飛 △2六歩

▲4三歩 △同 玉 ▲4四歩 △同 玉 ▲2六飛 △2五歩

▲2七飛 △4六歩 ▲7五歩 △5二角 ▲2四歩 △2二金

▲3七金 △4五銀左 ▲2三歩成 △同 金 ▲3二角 △3三玉

▲4一角成 △同 角 ▲5一飛 △3二角打 ▲2二歩 △5六銀

▲2一歩成 △4七歩成 ▲3一と △3七と ▲3二と △同 角

▲3七飛 △4六銀 ▲2七飛 △5七銀左成▲2四歩 △同 玉

▲3一飛成 △4一金 ▲1一龍 △8七歩 ▲4四桂 △7六歩

▲同 銀 △6七桂 ▲6九玉 △6五銀上 ▲3二桂成 △同 金

▲5一角 △4二歩 ▲8七銀 △4七銀成 ▲5九歩 △7六桂

▲4七飛 △同成銀 ▲6七金 △8八桂成 ▲4九香 △8七成桂

▲4七香 △7八銀 ▲5八玉 △6七銀不成▲同 玉 △5六金

▲5八玉 △5七飛 ▲4九玉 △4七金 ▲4八歩 △4四香

▲4七歩 △同飛成 ▲3九玉 △2六歩 ▲2五銀 △同 玉

▲1七桂 △同 龍 ▲同 香 △2七歩成 ▲2六歩 △3六玉

▲6九角 △4七桂 ▲4九玉 △5七銀 ▲4八銀 △5六銀

▲3七銀打 △同 と ▲同 銀 △同 玉 ▲3八金 △4六玉


まで156手で氷室の勝ち

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