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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第69章 2017年度王座戦関東選抜トーナメント2日目(2017年11月5日日曜)
461/487

446手目 旧友

※ここからは、愛智あいちくん視点です。決勝開始時点にもどります。

 僕が到着したのは、決勝が始まる10分ほど前だった。

 教室に入った途端、慶長けいちょう若林わかばやし先輩に呼び止められた。

「あ、きたきた~」

 若林先輩は、ぴょこぴょこと駆け寄ってきて、

「今日もノアくんを、しっかり応援してあげてねぇ」

 と言った。

 僕は一歩前に出た。

「若林先輩、生権力せいけんりょくって、ご存じですか?」

聖剣力せいけんりょく? 新しいラノベかなにか?」

「生権力とはですね、人間の身体を管理し、規律化し、社会的に『正しい』とされるかたちに矯正する力のことです。これは網のように社会に張り巡らされていて、年長者による年少者の身体的動作への介入も、これに当たります。おわかりいただけますか?」

「???」

 若林先輩は、とりあえずよろしくぅ、と言って、去って行った。

 まあ、来ちゃう僕も僕なんだけど、ぶつぶつ。

 とかなんとかしていると、オーダー交換が始まった。

 野次馬で参加──ノアは氷室ひむろ先輩と、か。

 なんだかいいカード。っていうか、どっちかが当てに行ったっぽい?

 対局者は散って、それぞれ席についた。

 ノアは僕を見つけて、

「愛智くん、おはよ~」

 と、ニッコリ顔で手を振った。

「おはよ、調子はどう?」

「みんなピリピリしてて、なんか怖い……」

 だろうね。

 慶長が王座戦出場になったら、ひさしぶりらしいから。

「ま、気楽にやりなよ」

「うん」

 氷室先輩は、先に座っていた。あいかわらず謎の圧がある。

 ノアは気にせず、さくっと座った。

 僕はその右うしろについた──保護者のお母さんみたいだな。

 うしろに下がって、距離を取る──アイドルのコンサート会場で、見守りポジションについてるファンみたいだ。

 普通に観戦しよう。

 他の並びも、偵察がてら確認。

 そのうち幹事の合図が入った。

「よろしいですか? ……では、始めてください」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 氷室先輩がチェスクロを押して、対局開始。

 7六歩、8四歩、7八金、8五歩、7七角。


【先手:生河いがわノア(慶長) 後手:氷室ひむろ京介きょうすけ帝國ていこく)】

挿絵(By みてみん)


 角換わりの出だし。

 3四歩、6八銀、7二銀、2六歩、7七角成、同銀、2二銀。

 7二銀が早い。ただこれだけだと、なんとも言えない。

 4八銀、3二金、9六歩、7四歩、4六歩、3三銀、4七銀。

 氷室先輩は、ここで9四歩と突き返した。

 1六歩、1四歩と両方突き合って、先手は3六歩。


挿絵(By みてみん)


 なんともいえない。

 後手が速攻狙いかどうか──

「なーんか、個人戦みたいな雰囲気だね」

 うわッ、びっくりした。

 ふりむくと、志邨しむらさんが立っていた。

 僕はドキリとする。

「ど、どうしたの?」

「んー、偵察?」

 話を聞くと、どうやら晩稲田おくてだの偵察要員らしかった。

 けど、志邨さんは、

「まあ、他にも事情はあるけど」

 と付け加えた。

「他の事情? ……太宰だざい先輩に、なにかあった?」

「ちがうちがう。あのひとピンピンしてる」

「え、じゃあなに?」

「それはまたあとで話すとして……個人戦みたいな雰囲気だね」

 志邨さんは、盤のほうを見た。

 んー……どうだろう。

 ノアはいつもこんな感じだし、氷室先輩も、そうじゃないかな。

 ふたりとも、チームがどうこうで動くタイプじゃない。

 それとも、志邨さんは別の意味で言った?

 僕が解釈に困っているのをよそに、局面はどんどん進んでいた。


挿絵(By みてみん)


 さすがに速いな……と同時に、角換わり腰掛け銀になりそうだ。

 仕掛けるなら、先手からになったかも。

 氷室先輩が受け身気味なの、気になる。

 ノアは6六歩。

 後手はここで、急戦を仕掛ける態勢になっていない。

 氷室先輩、やや小考。

 志邨さんは、

「右玉っぽい動きかな。千日手にはできないけど」

 と言った。


 パシリ


 4一飛。

 ノアは7九玉で、いったん入城を見せた。

 氷室先輩は、スッと4四歩。

 ノア、これにノータイムで4五歩。


挿絵(By みてみん)


 突っかけた。

 あいかわらずの腕力将棋。

 とはいえ、氷室先輩はさっきの小考で予想していたらしく、同歩、3五歩、同歩、2五歩、5四銀と、即対応した。

 ノアは4五桂と跳ねる。

 3四銀、7五歩。


挿絵(By みてみん)


 これは……後手、もうきついような?

 僕がそう言うと、志邨さんは、

「だね。わずかに先手持ち」

 と返した。と、その直後に、

「と言っても、判断要素は、先手が攻めてることくらい。AIにこっから持たせたら、だいたい攻め潰せるだろうけど……それはどうでもいいか」

 と補足した。

 僕はなんとなく、

「認識のフレームワークだよね、そういうの」

 とつぶやいた。

 志邨さんは、ちょっと考えたあと、

「あ~、AI脳ってこと?」

 と返した。

 僕は、

「脳の構造が変わってるかどうかは、わかんないけど……認識が脳に規定されてるなら、変わってるのかな? まあ、そこはおいといて、『AIだったらどうしそうか?』って、最近は真っ先に考えちゃうよね」

 と答えた。

 志邨さんは、前髪をなおした。

 なんとなく、視線を虚空へ向けた。

「たしかに……今の私たちって、『正解』のあるテストをしてるよね。それが本当の正解かどうかは、ともかく、参照先は持ってる……以前なら、わかんないものはわかんない、で終わらせてたけど……でも、対局中に参照はできないわけじゃん? さとるは対局中、『AIだとどうなるかな?』って考えるの?」

「……考えるときもある」

「あ……そうなんだ」

 き、嫌われたかな?

 正直に答えたんだけど。

 僕が困惑する横で、駒音がした。


挿絵(By みてみん)


 受けた。

 チェスクロを押した氷室先輩の表情は、なにも語っていなかった。

 けど──受けたという事実は残る。

 これが、将棋の怖いところなんだよね。

 受けた以上、「受けなかったら潰れると認めます」宣言になる。

 逆は、そうでもない。

 「受ける必要はないよ」と、強気でごまかすことは可能。

 僕がこれを指摘すると、志邨さんは、

「まあ、そういう周辺的な話はおいといて……」

 とスルーしてから、沈黙した。

 うわーん、会話がうまくいかない。どうしよう。

 僕は何年トモダチをやってるんだ。

 そのあいだも、局面は進んで行った。

 2四歩、8六歩、同歩、2四歩、7四歩、同角、2四飛。

 ノアの猛攻。

 2三金、2八飛。

 氷室先輩は、軽やかに歩を打った。

「2七歩」


挿絵(By みてみん)


 叩いた。

 志邨さんは、

「流れを変えたいところではある」

 と曖昧にコメントした。

 同飛、2六歩。

 ノアは、ここで考えた。

 志邨さんは、

「叩かずに2四歩を読んでたんじゃないかな。私が氷室さん相手なら、そういう直線的な順は、後回しにするけど……ノアは、ストレートだし……それに、2四歩が悪いわけじゃない。2四歩、2二歩、3三桂、同桂成、同玉、4二歩は、普通にあった」

 と、読みを披露した。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 なるほど……? めちゃくちゃ怖くない?

 ノア、まだ長考中。

 持ち時間を気にするところじゃないけど、少しイヤな流れになった。

 さらに1分して、ようやく着手。

 4三歩。


挿絵(By みてみん)


 叩き返した。

 僕は、

「すなおに同飛とか、2八飛もあったような……」

 とつぶやいた。

 志邨さんは、

「あったね。同飛は2五歩、4三歩で、合流しそうではある。2八飛は、後手に4五銀右と出させて、反動狙い」

 と言って、また前髪をなおした。

「前髪、伸びてない?」

「課題で行けなかった。来週切る……あ、今週」


 パシリ


 同玉、4四歩、同玉、2六飛、2五歩、2七飛。


挿絵(By みてみん)


 これは……後手のほうが難しい。

 だけど、氷室先輩はここまで考えていたらしく、4六歩と垂らした。

 志邨さんは、

「あ~……これ、ノアのミス待ちだね」

 と言った。

「そう?」

「ここまでくると、明確に先手有利。紛れを求めてる」

 あいかわらずの断定口調。

 一方、ノアはこういう思考をしないから、淡々と局面を読んでいた。

 淡々と言っても、攻める気マンマンだ。

 僕は、

「攻める手が多いね。2四歩か、7五歩が有力?」

 と尋ねた。

 志邨さんは、

「プラス、6五歩くらい。ただ、6五歩はノアは指さないと思う。同歩に3七金で、歩を取りに行く手だから」

 と返した。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「これは完封狙い。ノアはもっと過激に行くと思う」

 なるほど、ね。

 そのあと、なんとなく会話が途切れた。

 沈黙じゃない。ただ、途切れたのだ。会話は、そのうちまた始まる。

 この3人で将棋をわいわいやるのは、ひさしぶりだ。

 ノアは会話に加われないけど──いや、そんなことはないか。

 けっきょくのところ、僕たちは将棋で会話している。

 そう思わない?

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