45手目 ナンパされた女子大生
というわけで、四ッ谷駅へ集合することになったわけだけど――
「だれも来てないじゃないッ!」
私は改札口まえの待ち合いスペースで悶絶した。
コンビニの近くで、ひとの出入りが激しい。
速水先輩の姿も穂積さんの姿もなかった。
「4時に待ち合わせなのにぃ……」
私は腕時計を確認した。16時を2分過ぎている。
穂積さんは、来るかどうか分からないみたいな返事だった。しょうがないのかもしれないけど……速水先輩から遅刻のメールが来ないのは変だし……騙された?
でも、先輩が私を騙すメリットってないわよね。
「あ、いたいた」
ん? 声をかけられた?
私は顔をあげた。頭頂部で髪をゆった女の子が手を振っていた。
「香子ちゃん、お待たせ」
私はホッとする。スマホをしまった。
「こんにちは、穂積さん」
「どうしたの? なんか浮かない顔してるね?」
「待ち合い時間を過ぎたのに、だれも来ないから心配してたのよ」
穂積さんは首をかしげた。
「こんなもんじゃない? まだ3分過ぎでしょ?」
うむむ、時間にルーズ。学生将棋界は、こういうタイプが多い。
あきれる私のまえで、穂積さんはキョロキョロした。
「ところで、速水ってひとは?」
「まだ連絡がないの」
穂積さんは、エーッと悲鳴をあげた。
「おちょくられてるんじゃない?」
「そんなことないわよ。法学部のマジメなひとだし」
「あたしも法学部なんですけどぉ」
ぐッ、そうだった。
「とにかく、先輩は約束をすっぽかすタイプじゃないと思うから……」
「私なら、ここにいるわよ」
おどろいて振り向くと、サングラスに帽子をかぶった女性が立っていた。
長めの青いスカートに、春っぽいベージュのカーディガンを着ていた。
「は、速水先輩ッ!」
先輩はサングラスをはずして、ちらりと私たちに視線をむけた。
「ふたりとも揃ったわね」
「先輩、いついらしたんですか?」
「さっきからいたわよ」
えぇ……気付かなかった。
「こちらが穂積さん?」
速水先輩は、穂積さんを見つめた。値踏みするような感じだった。
「あ、はい……速水萠子さんですか?」
「はじめまして、日本セントラル大学2年の速水よ」
「都ノの穂積八花です」
速水先輩と穂積さんは、手早く自己紹介を済ませた。
「それじゃ、移動しましょ」
私は、どこへ移動するのかとたずねた。
「もちろん聖ソフィアよ」
「え? 正面から入るんですか?」
速水先輩はサングラスをかけなおした。
「大学の敷地に入るだけよ」
うーん、かっこいい。
まるで刑事ドラマに出てきそう。
「キャンパスは、どこに?」
「すぐそこ」
私たちは速水先輩について行く。
階段をのぼりきると、右手のほうにそれっぽい建物がみえた。
高層ビルと教会の組み合わせ。いかにもキリスト教系の大学だった。
私たちは横断歩道を渡って、入り口をさがした。
「あそこね」
先輩は、無機質な金属製のゲートを指さした。警備員室もみえる。
「なんだか裏口っぽいような……」
「どこから入ってもおなじよ」
速水先輩はそう言って、先頭を歩いた。
サングラスのまま? マズくない?
私と穂積さんは顔を見合わせて、あとについていく。
「……」
「……」
私たち3人は、無事に警備員室のまえを通過した。
「呼び止められませんでしたね」
「大学の警備なんて、こんなものよ。女3人を呼び止めたりしないわ」
へぇ、そうなんだ。警備がゆるゆる。
「ずいぶんと華やかな感じですね。キリスト教系だから、もっと地味かと思いました」
「校風よね……っと、ここかしら」
速水先輩は、レンガタイル貼りの建物のまえで止まった。
これまでの建物のなかで、一番モダンだった。
躊躇する私たちをおいて、速水先輩は建物のなかに入った。しかたがないので、私たちも足を踏み入れる。都ノのサークル棟ほど新しくはなかったけど、おしゃれな雰囲気が漂う空間だった。国際色豊かで、英語のポスターも貼ってある。正面には階段があって、右手のほうにはエレベーターもついていた。そばには【階段はダイエット効果があります】の貼り紙。混雑対策かしら。
「将棋部の部室は……」
私たちは、壁に飾られている部屋割りマップをみあげた。
「……あ、3階にありましたッ!」
まっさきに見つけたのは、穂積さんだった。
3階のフロアの端っこに、【将棋部】というシールが貼られていた。
「シールで上書きしているところをみると、物置かなにかを改装したのかしら」
速水先輩の推理は、もっともだと思った。
トイレのまえに位置していて、他のフロアだとそこは部室じゃなかった。
「どうします? 様子をみますか?」
私の質問に、速水先輩は黙って階段をのぼりはじめた。
「ほんとに直接行くんですか?」
先輩は足を止めた。ふりかえって、顎に手をあてる。
「そうね……3人いることだし……」
先輩は、穂積さんのほうへ視線をむけた。
「あなた、高校のとき将棋大会に出てた?」
穂積さんは首を左右に振った。
「じゃあ、あなたが先に偵察してきてくれない?」
穂積さんは難色をしめした。
「先輩だからって、いきなりそれはないんじゃないですか?」
うわッ――私はあせった。
でも、速水先輩は動じなかった。
「無条件だと悪いから、10秒将棋で決めましょうか。どう?」
「えぇ……先輩が負けたら、どうするんですか?」
いや、これは一方的に速水先輩が有利な提案。
事故らない限り、穂積さんじゃ勝てないと思う。
ただ、私はこのやりとりに反対した。
「こんなところで将棋を指してたら、あやしまれませんか?」
「そうね……将棋を指す時間ももったいないし、穂積さん、行ってくれない?」
穂積さんは「あのさぁ」と毒づいた。
「あたしはパシリじゃありません」
「パシリをお願いしてるわけじゃないわ。あなたが一番身バレしないの」
「だから、それをパシリって言うんでしょ。どれだけ強いか知らないですけど、他大の、しかも1コ上のひとに、ああだこうだと命じられる筋合いはありません」
しまった。ここまで我の強い子だとは思っていなかった。
「ほ、穂積さん、ちょっと冷静に話し合いましょう」
「香子ちゃんこそ、日センにパシらされて、悔しくないの?」
「先輩だって、べつにパシらせてるわけじゃ……」
「なに言ってんの。駅でも変な現れ方したし、あたしたちを監視してたじゃない」
いかんいかんいかん。都ノで仲間割れになってきた。
速水先輩は腕組みをして、じっとこちらを見つめている。私は猶予をお願いした。
「5分よ。5分以内に話し合いがつかなかったら、今日はおひらきにしましょう」
「ほらぁ、おかしいですよ。自分が行くっていう選択肢はないんですかぁ?」
前に出ようとする穂積さんを、私はひっぱった。
「穂積さん、あっちで話し合いましょう。あっちで……」
「お嬢さんたち」
いきなり男の声がした。私たちは一斉にふりかえった。
階段のうえから、二人組の少年が、ゆっくりと降りて来るのがみえた。
ひとりは金髪色黒で、白いシャツに黄土色のジャケット、ひざの部分が破れたジーンズを履いていた。もうひとりは、柄付きのTシャツに紺のジャケットとグレーの長ズボン。ふたりとも首にネックレスをしていた。
すっごく遊び人っぽいオーラを出している。
「こんにちは、他大のひとですか?」
金髪の少年が、にっこりと話しかけてきた。
速水先輩は愛想笑いもせず、
「あなたたち、だれ?」
と、ぶっきらぼうに返した。リアクションが強過ぎる。
金髪少年はアハハと笑って、後頭部を掻いた。
そして、となりのスマートな黒髪の少年に話しかけた。
「まいったな。いきなり嫌われちまった」
「馴れ馴れしい声を出すからだ……すみません、失礼しました。入り口で声が聞こえたので、道に迷っているのではないかな、と……たまたま通りかかっただけです」
「べつに迷ってないわ。ちょっと相談してただけよ」
「相談にしては、やや声が大きかったように思いますが?」
「あら、そこまで分かってるなら、なんで私たちが迷ってると思ったの? むしろ、会話の中身が聞こえてたんじゃない? そもそも、どうして他大だと判断したのかしら?」
うーん、法学部っぽい詰問を見せつけられた。
黒髪の少年も困ったように笑った。
「いやはや、ただの親切心だったんですが」
「ありがたく受け取っておくわ」
ふたりの少年は、私と穂積さんにも手を振って、サークル棟をあとにした。
ホッとしたのも束の間、先輩と穂積さんは舌戦を再開する。
「ほら、いきなり怪しまれてるじゃないですか。堂々と3人で行きましょうよ」
「それだと偵察にならないわ」
「だったら、じゃんけんで。丁半でもいいですよ」
そう言って穂積さんは、サイコロを取り出した。
速水先輩は右肩をすくめて、
「ずいぶんと用意がいいのね。重心が偏ってるのかしら?」
と返した。これには、穂積さんの顔が赤くなった。
「イカサマだって言うんですかッ!?」
「いきなりサイコロを出してきたら、公平性に疑問が残るでしょう」
穂積さんはギュッとサイコロをにぎりしめて、ひとこと。
「あったまキタ……帰る」
「ほ、穂積さん?」
穂積さんは怒って、サークル棟を出て行ってしまった。
私は先輩と彼女の背中をみくらべて、あわてて追いかける。
走り去ったわけじゃないから、途中のお洒落な通りで掴まえることができた。
「ちょっと、追いかけて来ないでよ」
「穂積さん、ごめんなさい、すこしだけ話を聞いて」
「あんな女の話を聞く必要ないでしょ。絶対こっちを利用してるってば」
「それはお互いさまだから……うちも速水先輩の交友関係がないと困るし……」
そのときだった。穂積さんは急に私のそでを引いて、大木のうしろに隠れた。
「ど、どうしたの?」
「シーッ」
穂積さんはくちびるに指を当てて、近くのベンチを凝視した。
私もそちらに視線を向ける。
「あッ」
私は口もとを押さえた――あの二人組の少年だった。
ベンチに座って、スマホをいじりながら会話していた。
「さっきのは失敗だったな」
黒髪のスマートな少年は、スマホの画面を見ながら、そうつぶやいた。
「あんな強気なリアクションされるとは思わないだろ」
金髪色黒の少年は、仕方ないといった感じで答えた。
「いかにも『ナンパしてます』って顔で声をかけるから、ああなるんだ」
「あ? おまえのほうがうまくできたってか?」
「できたね」
金髪少年は、オーバーリアクション気味に空をあおいだ。
「へいへい、だったら、一言目はなんて言うんだ? いいお天気ですね、か?」
「しッ」
黒髪の少年は金髪少年を黙らせて、スマホの画面に集中した。
そして、サッとフリックした。
パシリ
ん? 今の音は?
金髪少年は、相方のスマホを横目で見ながら、くちびるを動かした。
「詰んでなかったか?」
「アドバイス禁止だ」
「おっと、わりぃ」
……………………
……………………
…………………
………………
え……まさか……これってッ!?