438手目 手順のパズル
3二金、9六歩、7四歩、4七銀、1四歩、1六歩。
山名くんは、ほとんど時間を使わなかった。
スムーズというよりは、手なりで指してるっぽい。
私もこれまでの経験を活かして、飛ばす。
4二玉、5六銀、7三桂、4八金、6三銀、3七桂。
ここからは、慎重な駒組みが始まった。
6二金、2九飛、8一飛。
4筋を突くタイミング、6筋を突くタイミング、お互いの飛車の位置。
先に形を決めたのは、山名くんだった。
ここで6六歩。
5四銀、2五歩のあと、これ以上保留できないと判断して、私も4四歩。
7九玉の引きに、4一飛と回った。
山名くんは、数秒ほどこの手を見つめた。
「……8八玉」
3一玉と下がって、プレッシャーをかける。
飛車筋を通したけど……7九玉。
反応なし。
うーん、さすがに見破られるか。
この瞬間に4五歩は、まったく続かない。
私は2二玉と入城した。
「僕も寄るよ。6九飛」
見合いになった。
私は8一飛と戻す。
8八玉、4一飛、2九飛、3一玉。
こうなったら、千日手作戦。
先手から動いてもらう。
6九飛、8一飛。
山名くんは、ここで躊躇なく4五歩と突いた。
タイミングを計ってたのか。
変わったかたちじゃないから、すぐに対処する。
4五同歩、同銀に4一飛。
銀交換には応じない。
山名くんは1分考えて、5六角と置いた。
うまい角打ちだ──と、感心してる場合じゃない。
3四を狙ってると見せかけて、7四が目標だと思う。
4五の銀は、すぐには動けないから。
7四を守る方法は、6三角と打つか、6五歩と突くか。
後者のほうが積極的。
6五歩、同歩、7五歩、同歩、4五銀と取るのが一例。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
同桂はそんなに痛くない、というのがポイント。
3三桂成は4八飛成で勝てるはず。
3二成桂以下の突進があっても、耐えられる。
ここまでが6五歩の読み。
代案の6三角は、受け身過ぎて指したくない。
「6五歩」
山名くんは少し考えて、同歩。
7五歩、同歩、4五銀、同桂。
私は5五銀と置き返した。
非常に直接的だけど、受けにくいはず。
山名くんは4六歩で、角銀交換を許容した。
5六銀、同歩、6八歩、同飛、5九角。
はい、キマり~……と言いたいところだけど、そうでもない。
これが銀だったらキマっている。後手優勢。
でも、現時点では角金交換の進行だ。
駒割りは水平になっていく。
山名くんからも、劣勢の気配は感じられなかった。
淡々と読んでいる。
「……」
5八飛と寄った。
4八角成、同飛、6五桂。
弾みをつける。
山名くんは、ここで時間を使った。
応手が多いからだろう。
パッと見でも、6八飛や6三歩、あるいは6八銀打がある。
私も合わせて読んだ──6八飛が有力かな。
7七桂成が王手だから、6二飛成とは抜けない。
でも、同金のあと、後手は6三歩と打つくらいしかない。
この瞬間、先手のターンになる。
私は先手の動きを予測した。
……………………
……………………
…………………
………………あんまり手がない?
6三歩のあと、先手には意外と攻めがなかった。
7六角と打つくらい。そうなると、この順は──
パシリ
やっぱり、外してきた。
6八飛は面白くないと判断した証拠だ。
私は7七桂成、同桂に、6九銀と引っかけた。
山名くん、また手が止まる。
多分だけど、思ったより手がなくて困ってるんだと思う。
困ってるのレベルとしては、まだ浅いにせよ。
「……6八飛」
7八銀成、同玉として、ここで6三歩と打つ。
単に6八飛と比べて、傷を広げたようにも見える。
それとも? 角筋に賭けた?
残り時間は、私が10分、山名くんも10分。いい勝負。
さっきの連続長考で削れてくれた。
山名くんは30秒使って、3三桂成、同桂、4三銀。
露骨な打ち込み。
私は5四桂で止める。
3二銀成、同玉、5五銀。
私はここで息をついた。
お茶を飲む。正念場だ。
お互いに囲いが崩れた。しかも玉飛接近形。
愚形同士の殴り合いになっている。
一歩間違えたら終わる。同時に、チャンスでもある。
受けるなら4三銀一択。ただし、ここで受けるのは気が引ける。
いや、でも……受ける局面なのかも。
攻めるなら、5七金と打ちたい。
飛車当たりのうえに、5六金で焦らせる効果もある。
厄介なのは、5七金に2八飛と回られた瞬間。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
次に2四歩がある。
だから、お手伝いなのかもしれない。
5六金とでもしようものなら、2四歩、同歩、4四桂くらいで終わる。
「……5七金」
山名くんは2八飛と寄った。
ここで4三銀と打つ。
折衷案。
先手に手がないことを祈る。
山名くんは1分ほど考えて、2四歩と突いた。
同歩、2五歩、4七角。
どう? なんとかならない?
悪い手じゃないと思う。
5六角成と6八金打の両方を見せている。
2四歩なら、こちらのほうが速い。無視して5六角成とひっくり返す。
山名くんも、表情が険しくなった。
チェスクロを確認して、それから読みを再開した。
残り時間は、先手が6分、後手が5分。
山名くんはそこから1分使って、6五角と上がった。
え? さすがに消極的過ぎでは?
角成りを受けただけだ。
私はチャンスと見た。お茶を飲み、呼吸を整える。
この手は、本当に受けただけ。
しかも、6七の地点がガラ空きになった。
私は6七金打から読み進めた。
8八玉に6九角成、2四歩……8六歩が効かないのか。
だったら……2七歩?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
飛車を叩いて、吊り上げる。
同飛なら7八馬、1八飛なら2筋が大幅に緩和される。
1八飛とは、しないんじゃないかなぁ、この土壇場で。
私は2七同飛、7八馬以下の順を読んだ。
9八玉に7七金が詰めろ。2八飛と引いて受けるしかない。
ここで……ここで?
私は、ふと困った。
5六金は遅いし……いったん受ける? 3一桂は?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これしか受ける駒がない。
2三歩成と捨てて、同桂に2四歩が有力。
そこで2二歩と受けたら、これも止まるんじゃないかしら。
先手は金を渡せない状況だ。渡すなら、詰ますしかない。
後手は右が広いから、即詰みは生じにくい。
私が一番念入りに読んだのは、2二歩に4四桂だった。
以下、同銀、同銀に、同飛。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これに一番悩んだ。
結論、後手勝ち。
ちょっと複雑だけど、後手は詰まなくて、先手に詰めろがかかる。
もし詰めろを回避しようと思えば、2三歩成、同歩、2一銀、4一玉、3二銀打、5一玉に7八飛とばっさり切って、同金、4一金、6一玉、5五角。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
こうやって受けるしかない。明らかに先手敗勢だ。
2三歩成に代えて2三銀も、同じように読んで──
ピッ
ぐッ、時間がないッ!
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は6七金と打って、チェスクロを押した。
山名くんは、ふぅ、と息をついた。
局面が悩ましいことを、自覚しているようだ。
8八玉と寄る。
6九角成、2四歩、2七歩、同飛、7八馬、9八玉、7七金。
山名くんは、ちょくちょく時間を使った。
少し助かる。そのあいだに、2三銀と格闘する。
山名くんが2八飛と引いた時点で、わかったのは1点だけ。2三銀、4二玉、7八飛、同金、2一角と打たれても、詰めろじゃない。でも、後手玉が若干怪しい。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
寄らないとは思うんだけど、自信が──
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は予定通り、3一桂と一回受けた。
「……」
「……」
山名くん、最後の長考。
局面的に、残りの1分を全部使うはず。
私はあいかわらず、2三銀以下のパズルに悩んでいた。
「……」
「……」
ピッ
山名くんは頬にゆびをそえて、しばらく目をつむった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ