437手目 正面突破
※ここからは、香子ちゃん視点です。
うーむ……。
私はオーダー表とにらめっこしながら、部室で頭を悩ませていた。
他のメンバーは帰っていて、がらんとしている。
ときどき窓の外から、学生たちの声が聞こえた。
正面に座っている松平は、
「これはもう、読めないな」
と言って、一枚の棋譜用紙をひらひらさせた。
同感。
王座戦の残り1枠を決める、大事な試合──っていうのはわかるんだけど、情報が不足し過ぎている。しかも、総当たりじゃなくてトーナメント。不確実性が高い。
松平は、
「帝大と大和はシードだから、当たる可能性があるのは、慶長、八ツ橋、治明、首都工、日セン、聖ソフィア、房総の7校だ。実力も校風もバラついてて、読みようがない」
と嘆息した。
私は、
「そもそも、全勝条件なのよね」
と返した。
王座戦の選抜トーナメントは、2日かけてやる。
オーダーは1日ごとに固定。
つまり、1日目のオーダーと2日目のオーダーは、違っててもいい。
2日目はメンバーがはっきりしている。
1日目に勝ち残った1校vs大和が準決勝、vs帝大が決勝。
これじゃあ、オーダーもへったくれもなくない?
爆発的に勝つしかないわけで。
私たちが黙っていると、ドアがノックされた。
大谷さんが顔を出した。
「遅くなり、失礼いたしました」
いえいえ、ご苦労さまです。
大谷さんは、テーブルのもうひとつの縁に、腰を下ろした。
「いかがですか?」
私は、
「出たとこ勝負かな……」
と返した。
大谷さんは顔色を変えず、
「クジで決めても同じ、という結論ですか?」
と確認してきた。
さすがにそれは、と言いたいところだけど、半分くらいは同じだと思う。
松平も、
「ズラせるようにだけしておけば、あとはクジでも変わらないかもしれない。いつもの団体戦みたいに、2つも3つもズラすって状況は、まず発生しない……というか、実力順で上から7人出し続けることになりそうだ」
と答えた。
私もここまでの議論で、ズラして1枚、という意見だった。
Bのときみたいに、当て馬2人で残り5人が4勝、という作戦は、A級校には通用しそうにない。
大谷さんは、
「では、現状で上から7人出すとして、どなたになりますか?」
と重ねて尋ねた。
松平は、
「風切先輩、大谷、裏見、愛智、穂積、平賀……と、もうひとり」
と答えた。
「7人目について、松平さんのご意見は?」
「ここ数日指した感じだと、俺」
「裏見さんのご意見は?」
「松平……かな。ララさんと星野くんは、あんまり調子良くなさそう」
大谷さんは目を閉じて、しばらく思案に耽った。
1分ほどして、
「他校は、風切先輩を避けてくると思いますか?」
と訊いた。
私と松平は、顔を見合わせた。
私は、
「その点も議論したんだけど……避けてこないと思う」
と伝えた。
「……やはり、そうですか」
大谷さんも、同じ結論に達していたらしい。
ようするに、ひとりくらい強豪がいても、A級校はそんなの気にしない、と。過去のデータを見ても、上位校は下位校をパワープレイで潰す、という方針を取っていた。なんのてらいもなく、上から7人出してくるだろう。
大谷さんは、まぶたをあげた。
「承知しました。奇策は通じないようです。正面突破します」
○
。
.
王座戦選抜、初日。
私たちは慶長のキャンパスに集合した。
集まった大学は少ないけど、控え室の数も減らされていて、相部屋に。
私たちのとなりには、案の定というかなんというか、聖ソフィアが陣取った。
火村さんは、開口一番、
「おはよ、昨日はよく眠れた?」
と訊いてきた。
「ちゃんと寝たわよ。火村さんは?」
火村さんはお嬢様スマイルで、
「オホホホ、あたしって眠りのプロだから」
と返した。
なんじゃそりゃ。
とりあえず、準備準備。
会場内は、いつもより緊張感があるといえばあるし、ないといえばなかった。
練習将棋をするひと、談笑するひと、棋譜を調べているひと、色々。
私は事務手続きを済ませて、しばらく待機。
幹事のひとが来た。
「オーダーの提出時刻です。確認後、すぐに始めます」
ぞろぞろと移動。
ちょっと小さめの部屋で、司会は八千代先輩だった。
「これから、王座戦の関東選抜トーナメントを開催します。まずは抽選です」
うーん、ドキドキする。
A級上位から引いていく。
「慶長、3番」
トーナメント表が埋まっていく。
房総とは、さすがに当たらないか。
この枠なら、7のほうがいい。日センが多分2番目に弱い。
大谷さんが前に出た。クジ箱に手を入れる。
7、来い。
「都ノ、6番」
うーん……でも、結果はそんなに悪くない。
全部埋まった表は、こう。
会場からも、
「山が偏ってないか?」
「上のほうがキツイな」
という会話が聞こえた。
八千代先輩は、校名をもう一度確認したあと、
「それでは、オーダー表を返却します。オーダー交換をしてください」
と告げた。
私たちは、黒板から3列目を割り当てられた。
都ノからは松平が、八ツ橋からは山名くんが出た。
「都ノから、どうぞ」
「八ツ橋からでいい」
山名くんは、オーダーを読み上げた。
「八ツ橋、1番席、副将、2年、山名由多加」
「都ノ、1番席、副将、2年、裏見香子」
ぐぁあ、山名くんとか。
「2番席、三将、4年、中川壮太」
「2番席、三将、3年、風切隼人」
「3番席、四将、1年、沖田勲」
「3番席、五将、2年、松平剣之介」
「4番席、六将、3年、土御門公人」
「4番席、六将、2年、大谷雛」
「5番席、八将、4年、野辺光希」
「5番席、八将、1年、平賀真理」
「6番席、十将、2年、関川陽也」
「6番席、十将、2年、穂積八花」
「7番席、十二将、3年、木下大輝」
「7番席、十二将、1年、愛智覚」
私は松平と交代して、着席した。
目のまえには、澄まし顔の山名くん。
山名くんは、後ろ髪がこのまえより、ちょっと長くなっていた。
細いポニーテールみたいに結んでいる。
駒を並べて、チェスクロをセットして、振り駒。
ゆずり合って、私が振ることに。
「……都ノ、偶数先」
「八ツ橋、奇数先」
あとは待つだけ。
室内で咳払いが聞こえて、それから静かになった。
八千代先輩は、スマホの時計から顔を上げた。
「準備はよろしいですか?」
よし。
「それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
私はチェスクロを押した。
7六歩、8四歩、2六歩、8五歩。
【先手:山名由多加(八ツ橋) 後手:裏見香子(都ノ)】
山名くんは、あごにこぶしを添えて、この局面を見据えた。
「角換わり……ね」
少し考えて、7七角。
私は3四歩と、角道を開けた。
6八銀、7七角成、同銀、2二銀、3八銀、3三銀、7八金。
ここで早速の奇襲。
「6四歩」
山名くんは、ん、と声を発した。
これは6三角のお誘い。
もちろん、問題はない。
打たせる罠、というわけでもなく、先手が悪くなるわけでもない。
この手の意味は、攪乱。
正面から受けて立つとはいえ、少しくらいは工夫が欲しい。
案の定、30秒ほど時間を使ってくれた。
6八玉、9四歩、6三角。
私は7二角と打って、3六角成、同角、同歩、7二銀と進める。
山名くんは、へぇ、と、意味深な笑みを浮かべた。
「変則的一手損か。裏見さんの研究か、僕の研究外しか……あるいは、その両方かな。受けて立つよ。4六歩」