速水萠子の愉悦
※ここからは、速水さん視点です。決勝開催中に戻ります。
秋風が吹く。まだ暖かい風だ。
学校帰りの中高生たちが、私の横を通り過ぎていく。
視界にはビルの群れ。A田にはない光景。
懐かしくないはずなのに、どこか懐かしい。
腕時計を見ると、16時を回っていた。
そろそろね……と、噂をすれば。
一台の白いカローラが、交差点を左折してきた。
それは私の前で停車して、後部座席のドアを開けた。
助手席の窓もひらいて、メガネの男性が、こちらを見た。
「どうぞ」
私は後部座席に座ると、シートベルトを締めた。
ドアが閉まる。
「どうでした、田嶋さん?」
田嶋さんは、すぐには答えなかった。
アクセルを踏み、ハンドルを回す。
車が公道に出たところで、ようやく口をひらいた。
「少年は、助かったようです」
そちらから報告しますか。
まあ、当然か。
「太宰くんの容体は?」
「太宰というひとは知りません。病院へ行った少年なら、命に別状はないようです」
そういう言い回し。ね。
「身分証は確認しなかったんですか?」
田嶋さんは、さあ、と言って、
「財布は持っていませんでした」
と返した。
なるほど……それもひとつの情報か。
「現場の状況を教えてください」
田嶋さんは簡潔に、要点を押さえて説明した。
車を最初に発見したのは、田嶋さん本人であること。
覗き込んだら、気を失っているらしき少年がいたこと。
ドアは最初から開いており、エンジンもかかっていたこと。
119に連絡後、ビルの警備室にも連絡を入れたこと。
私はそれを聞いて、
「周囲に不審な人物は?」
と尋ねた。
「いませんでした」
「だれもいなかったということは、ないですよね?」
「そうですね……他の車の持ち主や通行人は、何人かいました。あからさまな不審者は、いなかったです」
私は、
「不審者かどうかの判断は、難しいと思います」
と指摘した。
すると、田嶋さんは、
「そもそも、不審者をさがす意味があるんでしょうか?」
と返した。
「というと?」
「車をあそこへ置いたのは、聖生なのか、ってことです」
「……なるほど」
私は姿勢をなおして、座席に背をつけた。
今の田嶋さんの発言──2通りに解釈できる。
「今回の件と聖生は関係がない、あるいは、聖生に頼まれた別人の犯行?」
「どちらかと言えば、後者ですが……いずれにせよ、こんなタイミングで、のこのこ出てくるやつじゃないです。それなら、とっくに捕まえています」
「罪状は?」
田嶋さんは、やや言葉に詰まった。
だけど、皮肉交じりに、
「速水さんは、どうやって聖生を捕まえるんですか? この会の発起人は、速水さんですよね?」
と言った。
「質問に答えるまえに、ひとこと。会員同士は対等です。発起人に意味はありません」
「検察と警察の関係者に、女子大生がひとり……話は、あなたを中心に回っているらしいじゃないですか」
「田嶋さんが回してくださっても、いいんですよ」
バックミラー越しに、視線が投げ掛けられた。
いらだっているというよりは、こちらを窺っているような目だった。
田嶋さんは、
「……で、どうやって捕まえます?」
と、同じことを訊いた。
私は車窓から、東京の街並みを見た。
欲望の街を。夢を叶えられた者と、叶えられなかった者がいる街を。
「大円銀行に手をつけます」
田嶋さんは、運転中なのも忘れて、振り向いた。
「本気か?」
「田嶋さん、信号」
急ブレーキ。
横断歩道のギリギリ手前で、車は停まった。
歩行者信号が青に変わる。
人の群れを背景に、田嶋さんはこちらを向いた。
「どうやって?」
「聖生に協力した人物がひとり、わかっています。田嶋さんも、ご存じでしょう」
「僕は取り調べをしてないが……名前は聞いている」
「そのルートを、もう一度つつきます」
「二課で無理だったのに? 証拠はなにもなかったそうじゃないか」
私は視線を返した。
思わず笑みがこぼれる。
「カードはまだあります」
そう、招待状がある。
聖生から、電話越しに送ってもらったものだ。
彼らもそれを受け取っただろう。
使い道に気づいたとしたら? 危険だ。
アドバンテージは、私に。
でも詰まさなければ、意味がない。将棋と同じ。
「田嶋さん、他のメンバーに連絡を。詳細はあとで送ります」
「令状は?」
信号が変わる。
最後のひとりが渡り切ると同時に、私は答えた。
「令状はいらないです。パーティーの主催者は、あちらですから」