436手目 決勝のその先
※ここからは、香子ちゃん視点です。
こうして、秋の個人戦は終わった。
閉会式は、いつもより微妙な空気だった。
暗いとか険悪とかじゃなくて、疲れたような、ホッとしたような感じ。
一番安堵しているのは、運営だと思う。
男子も決着がついたし、太宰くんも命に別状はないようだった。
エレベータ前のスペースに、全員集合。
日高くんは表彰状を持って、前に出た。
「それでは、表彰式です。男子の部、風切隼人さん」
風切先輩は、はい、と言って、日高くんの前に立った。
おたがいに気をつけ。
「2017年度、関東大学将棋連合、秋季個人戦男子の部優勝、都ノ大学3年、風切隼人殿。あなたは頭書の成績をおさめられましたので、ここに表彰します」
拍手ぅ。
次は志邨さん。
日高くんは風切先輩とバトンタッチ。
志邨さんは、ちょっと猫背のまま、先輩と向かい合った。
「2017年度、関東大学将棋連合、秋季個人戦女子の部優勝、晩稲田大学1年、志邨つばめ殿。あなたは頭書の成績をおさめられましたので、ここに表彰します。関東大学将棋連合会長、風切隼人」
志邨さんは、両手で賞状を受け取った。
パチパチパチ。
そのあとは、男子準優勝の朽木先輩、女子準優勝の橘先輩が表彰された。
ギャラリーからは、
「4人中3人が晩稲田か」
「完全に晩稲田の時代だなあ」
という声もあった。
こらこら、男子の優勝は風切先輩ですよ、お忘れなく。
風切先輩はうしろにさがって、また日高くんが登場。
「それでは、2017年度、秋の個人戦を終わりたいと思います。なにか連絡事項はありますか?」
ふたりの手が上がった。
八千代先輩と……あれ? 三和さん?
三和さん、さっきまでいたかしら?
日高くんは、
「あ、えっと……」
となったので、三和さんは、
「八千代ちゃんが先で」
とゆずった。
「では傍目さん、お願いします」
「すでに連絡があったかと思いますが、来週日曜日から、王座戦の出場校を決める予選が始まります。シードでない大学のかたは、よろしくお願いいたします」
はーい。
次は三和さん。
「トラブったって聞いて、さっき来たんだけど、なんかあった?」
あっさりとしつつ、急所を突く質問だった。
日高くんは、
「病人が出て、救急車で運ばれました」
と答えた。
「ごめん、そこは聞いた。容体は?」
「わからないです」
「ま、そりゃそうか……対局中? 対局後?」
「正確な時間は不明です」
「不明? ……対局者が、病院に運ばれたんじゃないの?」
いいえ、と日高くんは否定した。
三和さんは、
「じゃあなんで、3位のひとがいなかったの?」
と重ねて訊いた。
……………………
……………………
…………………
………………あれ?
そういえば、大谷さん、火村さん、氷室くんの3人、準決勝敗退組では?
普通だったら、3位決定戦があるような?
聖生の件でバッタバタになってて、気づかなかった。
日高くんは、
「3位決定戦は、やっていません」
と答えた。
「なんで?」
「そういう取り決めになったので……ですよね、会長?」
風切先輩は、意表を突かれたみたいで、
「……そうなのか?」
と返した。
周囲がざわつく。
日高くんは、
「あ、すみません、会長は対局中でしたね。えーと……そうですよね、傍目さん?」
と、確認先を変えた。
八千代先輩は、
「私は日高さんから、それを聞いたように思いますが……」
と返した。
日高くん、挙動不審になる。
「あ、そうですね、すみません……えーと、ちょっと確認します」
日高くんは、スマホを取り出した。
「……そうだ、思い出した。氷室からだった。氷室、いるか?」
うしろのほうで、声がした。
ギャラリーのあいだから、氷室くんが顔を出した。
「いるよ」
「氷室は、だれから聞いたんだ?」
「速水さん」
会場が静まり返った。
日高くんは、八千代先輩に視線を向けた。
八千代先輩も戸惑っていたけど、すぐにメガネをなおして、
「すみません、話が長引きそうなので、役員と大谷さん、火村さん、大河内さんだけ、残っていただけませんでしょうか?」
と仕切り直した。
その通りになって、私と松平も離脱することになった。
1階で待つ──どうしよう。
閉館が近いのか、ひとはまばらになっていた。
お店も閉まり始めている。
松平は、
「先に帰っても、いいと思うが……」
とつぶやきつつ、煮え切らない表情だった。
理由はわかる。
聖生の話と、今回の運営のミス。重なり過ぎている。
もし3位決定戦があったら、氷室くんと大谷さんと火村さんは、あの電話に立ち会わなかった。つまり……3位決定戦がおこなわれないことを、聖生は知っていた。
なぜ? 聖生が仕掛け人だから。
これ以外に、尤もらしい説明が見当たらなかった。
けど……納得できない。
辻褄の合わないところを、松平は代弁してくれた。
「犯人は、速水先輩ってことになるが……さすがに信じたくない」
そう、速水先輩=聖生って、ありえなくない?
一度も考えなかった可能性だし、他の事件との整合性もない。
そもそも、調べたらすぐバレる嘘を、速水先輩がつく?
私は、
「氷室くんの自作自演だっていうほうが、まだありえそう」
と、率直な感想を漏らしてしまった。
松平は、
「あの場では言わなかったが、氷室の行動は、たしかに怪しかった」
準決勝での敗退が、あっさりしすぎていたこと。
太宰くんと最後に連絡を取っていたこと。
あの刑事さん(?)もグルだとしたら?
ありえる。あのひとが警察だったなんて、今となっては疑わしい。
とはいえ、濡れ衣の可能性もあって、なんとも言えなかった。
私は、
「仮に氷室くんの仕業だとしても、なにがしたいのか、意味不明なのよね」
と指摘した。
松平も同意した。
「とりあえず、保留だな。上でどうなったか待とう」
……………………
……………………
…………………
………………あ、みんな降りてきた。
私たちに最初に気づいたのは、火村さんだった。
けど、火村さんは周囲を警戒しているらしく、声をかけてこなかった。
次に気づいたのは、大谷さんだった。
「裏見さん、松平さん、お待たせしました」
いかにも待ち合わせしてました、という流れを装ってくれた。
おかげで他のメンバーは、私たちの存在を不審に思わなかったっぽい。
風切先輩も、
「すまん、待たせたな」
と言って、気軽に合流してきた。
そこからは、もうなにも議論はなくて、解散。
暗くなり始めた屋外へ、私たちは出た。
そのまま最寄り駅へと向かう。
私は、
「けっきょく、なんだったんですか?」
と、さりげなく尋ねてみた。
風切先輩は深刻そうな顔──をするかと思いきや、快活に笑って、
「氷室の勘違いだった。もこっちとのやりとりで、3位決定戦は中止しろ、と誤読したらしい」
と答えた。
え……それだけ?
これには、松平もあっけにとられて、
「証拠はあったんですか?」
と訊いた。
「MINEを見せてもらった。普通なら、そういう誤読はしなかっただろうな。まあ氷室ってことで、許してやってくれ」
「はあ……」
私は松平と、視線をかわした──やっぱり、氷室くんの自作自演?
大谷さんは黙っているけど、同じ疑念をいだいているように感じた。
もっとも、それ以上は追及できないから、この話題は打ち切りになった。
太宰くんのことも訊いてみた。これも空振り。
風切先輩も大谷さんも、詳しい情報は持っていなかった。
地下鉄の入り口に到着。そのまま階段を降りた。
改札を抜けようとしたところで、ふと声をかけられた。
「風切さん」
女のひとの声だった。
まさか……ふりむくと、志邨さんが立っていた。
風切先輩は、一瞬ドキリとしたようで、すぐには返事をしなかった。
「晩稲田の志邨です」
「え、ああ、知ってるぞ」
ぎこちない会話から、志邨さんは先を続けた。
「急いでます?」
「いや……帰るだけだが」
志邨さんは、一瞬──ほんの一瞬だけ、溜めを作った。
「私と、将棋を指してもらえませんか?」
風切先輩は、きょとんとした。
それから、なんだそんなことか、という感じで、フッと息をついた。
「いいぜ。ただ、今からは……」
「個人戦の総合優勝を決めましょう」
私は、風切先輩の横顔を見た。
先ほどまでの笑みは消えて、勝負師の顔になっていた。
「本気で言ってるのか?」
「はい」
ふたりの視線が、空中でぶつかった。
「どうして決めたいと思った?」
「むしろ、なんで決めないんですか? 私が女で、風切さんが男だからですか?」
私には、その会話の意味がわからなかった。
でも、風切先輩には伝わったようだった。
嘆息して、目を閉じた。
「たしかに、なんで分けてるんだろうな……でも、機会はある」
「団体戦ですか?」
「それじゃ不満か?」
「風切さんは速水さんに負けたとき、個人戦の延長だと思ってました?」
先輩は、ゆっくりとまぶたを上げた。
「……言いたいことはわかった」
「指してもらえます?」
「ダメだ」
志邨さんは、ちょっとムッとしたようだった。
一歩前に出かけた。
「どうしてです?」
「非公式で指しても、格付けにはならない」
志邨さんは、さみしそうな眼をした──ように見えた。
あるいは、もっとべつの感情だったかもしれない。
スポーツシューズのつま先で、地面を蹴った。
「……真剣に受け止めてもらえたことは、わかりました」
「悪いな、めんどくさいやつで」
「いえ……こちらこそ」
志邨さんは姿勢を変え、こちらに背中を向けた。
そして、そのまま階段を上がっていった。
そのうしろ姿を目で追いながら、風切先輩は、小さくつぶやいた。
「俺だって気づいてるさ。もこっちと決勝をやってたら、優勝してないかもって……な」