44手目 予期せぬお誘い
散らばっていた参加者が、一同に会する。
幹事全員が黒板のまえに並ぶと、おごそかな雰囲気になった。
入江会長は、八千代先輩から賞状入りの箱を受け取った。
「それでは、表彰式に移ります。男子から。優勝、氷室京介くん」
「はい」
例のクールな少年が、帝大のグループから前に出た。
「2016年度、関東将棋連合、春の個人戦男子の部優勝、帝国大学1年、氷室京介殿。あなたは頭書の成績をおさめられましたので、ここに表彰します」
入江会長は、おめでとうございますと言って、賞状を手渡した。
「ありがとうございます」
氷室くんは会釈して受け取った。すると、うしろからペンを持った手が上がった。
「なにか、コメントはありますか?」
東方の春日さんだった。記者魂がうずくらしい。
氷室くんは賞状を手にしたまま、あいかわらずの冷静な表情で、
「最終局は熱戦で、運よく勝てたように思います。途中で不戦勝になった局も、実際に指してみたら、僕が負けていたかもしれません……とにかく、運が良かったです」
と答えた。
えぇ……あの不戦勝に言及するんだ。なんだかKYな気もする。
私はちらりと、風切先輩のほうを盗み見てしまった。
なんとも言えない表情――会場では、拍手が鳴りひびく。
「それでは、準優勝、朽木爽太くん」
「はい」
晩稲田のほうから、朽木先輩が前に出た。
継ぎはぎだらけのブランドものスーツで、やっぱり変にみえる。
「2016年度、関東将棋連合、春の個人戦男子の部準優勝、晩稲田大学2年、朽木爽太殿。あなたは頭書の成績をおさめられましたので、ここに表彰します。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
さっきと同じように、春日さんがコメントを求めた。
朽木先輩は賞状を脇にはさんで、なんとも貴公子然とした立ち方をした。
「そうだな……氷室くんも言っていたように、最後は熱戦だったけれども、こちらが一手足りなかったように思う。秋はより精進して望みたいので、またよろしくお願いする」
パチパチパチ。
「女子の部に移ります。優勝、速水萠子さん」
「はい」
速水先輩は、颯爽と前に出た。
「もこっち先輩、日本一ッ!」
奥山くん、ノリがいいわね。まるで自分のことみたい。
「2016年度、関東将棋連合、春の個人戦女子の部優勝、日本セントラル大学2年、速水萠子殿。あなたは頭書の成績をおさめられましたので、ここに表彰します。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
定例のコメントタイム。
「氷室くんとおなじで、運が良かったという感想です。準決勝における三和さんとの戦いは、こちらが悪い局面もありました。今後も精進していきたいと思います」
「3連覇については? なにか感想はありませんか?」
春日さん、食い下がる。
「そうですね……まだ実感が沸きません。以上です」
「後進については? 1年生のなかで、目立った選手はいましたか? あ、ちょっと」
速水先輩、無視して日センのグループに帰還。
「それでは最後に、準優勝、カミーユ・ホムラさん」
カミーユ? ……外国人だった?
知っていた面子と知らなかった面子がいたようで、反応は半々だった。
私はその中間。日本人にしては、色白過ぎると思っていたから。
「は〜い」
間延びした返事。火村さんは、めんどくさそうに前に出た。
「2016年度、関東将棋連合、春の個人戦女子の部準優勝、聖ソフィア大学1年、火村カミーユ殿。あなたは頭書の成績をおさめられましたので、ここに表彰します。おめでとうございます」
「ありがとうございまーす」
火村さんは、春日さんからコメントを求められるまえに、まくしたてた。
「今回は準優勝でかんべんしてあげるけど、次はそうはいかないんだからねッ! だいたいさっきのコメント、なんで決勝戦をあげないのよッ!? ディスってるつもりッ!?」
はいはい。明石くんが取り押さえて、奥に連行された。
お子様ですか。
三宅先輩は、
「あそこは、いつから聖ソフィア幼稚園になったんだ」
と言いながらタメ息をついた。
入江会長は、ぐるりと会場を見回した。
「なにか連絡事項はありますか? ……ありませんね。それでは、春の個人戦を終わります。お疲れさまでした」
「お疲れさまでした」
一気に解散――かと思いきや、土御門先輩が声をかけてきた。
「さあさあ、打ち上げじゃ。パーッと飲もうぞ」
土御門先輩は、まず風切先輩を誘ったあと、私たち1年生も誘ってきた。
「あの……月に2回は……」
「なにを言うておるんじゃ。大学生は毎週飲み会と、相場が決まっておる」
そんなバカな。とはいえ、断れる雰囲気でもないし、前回は風切先輩の復帰祝い、今回は個人戦終了の打ち上げで、目的がちがう。前回よりも、大人数が集まるようだ。
「新宿でやるぞ。晩稲田と慶長も来る予定じゃ」
ん? 晩稲田と慶長も?
ってことは、同郷の冴島先輩と三和先輩に会うチャンスだ。
顔合わせはしたけど、まだほとんど話せていない。
「会費は、いくらくらいですか?」
「OB・OGも来る。1年生はタダになる……はずじゃ」
最後の伸ばしが気になるけど、私は参加を決めた。
松平と大谷さんも、参加することになった。
なんだかダメ学生になってる気もする――いやいや、いざ、打ち上げへ。
○
。
.
「関東の将棋バカども、今夜は四次会まで行くから、覚悟するのじゃッ!」
「おーッ!」
土御門先輩の危ない檄のあとで、入江会長の挨拶になった。
会長は立ち上がって眼鏡をなおすと、コホンと咳払いする。
「今年度は、大会も順調に進んで、いいスタートを切れたと思います。関東大学将棋保育園も、小学校くらいにはなったのではないでしょうか」
会場から笑い声が漏れた。
「入賞した方々、選手のみなさん、そして大学将棋の将来を祝って、乾杯ッ!」
「かんぱーいッ!」
がやがやと、すぐに宴会が始まった。
私たち1年生はソフトドリンクを飲みつつ、おつまみに箸を伸ばす。
今回はチェーン店だから、脂っこいものが多かった。
「おーい、飲んどるかぁ?」
土御門先輩が、私と大谷さんのあいだに割り込んできた。
狩衣のすそが、若干乱れている。足袋がのぞいていた。
私たちと一緒に座っていた風切先輩はあきれて、
「おまえ、もう酔っぱらってるのか?」
とたずねた。土御門先輩はビールのジョッキを持ち上げて、
「これが飲まずにおられようか。4位じゃぞ。4位」
と、くだをまいた。
4位でも十分に立派だと思うんだけど。関東の男子4位ですよ。
なにが不満なのかたずねてみると、どうやら順位がふたつ下がったらしい。
「まったく、準優勝と4位では大違いじゃ」
「去年の優勝者は、だれだったんですか?」
私は、なにげなく質問してみた。
土御門先輩はジョッキを置いて、ふところから扇子をとりだした。
「そこにおる」
その扇子で指し示されたのは、朽木先輩だった。
「あ、朽木先輩が優勝だったんですか。今の2年生って、層が厚いんですね」
「まあの」
土御門先輩は、ご満悦な表情で自分の顔をあおいだ。
気変わりの早いひとだと思った。お調子者。
そんな感想をいだいていると、もうひとつ人影があらわれた。
「公人、また後輩に絡んでるの?」
なんと、速水先輩だった。私は無意識のうちにスペースをあけた。
速水先輩はお礼を言って、そこに腰をおろした。
「もこっち、優勝おめでとうなのじゃ」
「ありがと。今日はおごってちょうだい」
「もこっちの酒量に付き合っておったら、破産してしまうぞ」
「大丈夫。明日は講義があるから、3次会で切り上げる予定」
飲み過ぎだと思うんですが、それは。
あきれる私に、速水先輩は顔を向けた。私はあわてて居住まいをただした。
「あ、えーと……優勝、おめでとうございます」
「どうも。裏見さんこそ、1年生で準決勝進出はすごいわね」
いえいえ、それほどでも。
「特に、晩稲田の可憐ちゃんを倒したのは、大きいんじゃないかしら」
「なんと言いますか、舐めプされてたみたいで……」
「将棋は結果がすべてよ。舐めプだろうがなんだろうが、勝てば官軍」
うーん、ドライな世界観。嫌いじゃないけど、もやもやする。
私はソフトドリンクに口をつけつつ、会場内を見回した。将棋を指しているグループはほとんどなくて、どこも歓談に夢中になっている。向かいの席では、今日の将棋、左隣の席では、全然関係のない携帯ゲームの話題だった。冴島先輩は晩稲田のグループ、三和先輩は慶長のグループに溶け込んでいて、話しかけにくかった。
「裏見さん、知り合いはそこそこできたかしら?」
速水先輩は、お湯のようなものが入ったグラスを傾けながら、そうたずねてきた。
多分、お酒なんでしょうね。お湯を飲んでるとは思えないから。
「H島出身のひと以外とは、なかなか……」
「あなた、高校から公式の大会に出始めたって聞いたわよ」
えぇ、いったいどこでその話を?
不気味に思ったのが顔に出たらしく、速水先輩は釈明をいれた。
「こういう業界では、同郷出身の選手に聞けば一発よ」
「はぁ……そうでしたか……」
「裏見さんの場合は、全国大会経験がないし、もうすこし顔を売ったほうがいいわ」
「大学将棋界にいれば、自然と顔見知りになれませんか?」
それはそうだけど、と先輩は前置きしたあとで、
「うちもひとのことは言えないけど、東京の西にある大学はアクセスが悪いの。そういうところでは、どうしても情報不足になるし、他大と交流しておいて損はないわ」
と付け加えた。
「他大って、例えばどこですか?」
「そうね……」
先輩は、会場をぐるりと見渡した。
「聖ソフィアなんて、どうかしら?」
「ぶッ!」
「あら? いや?」
私は咳き込みながら反論した。
「聖ソフィアって、うちのライバルですよ?」
「ちょうどいいじゃない。同じクラスだし、強い子もいるし」
そういう問題じゃないと思った。というのも、聖ソフィアは、この打ち上げにだれも参加していない。火村さんも明石くんも、いつの間にか姿を消していた。
「これじゃ、交流のしようがありません。連絡先も分からないです」
「簡単よ。聖ソフィアへ遊びに行けばいいじゃない」
「え? ……マズくないですか?」
「どうして? ほかの大学に行くのは違法でもなんでもないわ。もちろん、そこのサークル棟を訪問するのも違法じゃないし、ドアをノックするのも違法じゃないでしょうに」
「いや、まあ、そうかもしれないですけど……どう挨拶すればいいのか……」
そんなのは適当にごまかせばいいと、速水先輩はアドバイスした。
私は先輩の剛胆さにおどろいたあとで、ふとイヤな予感がした。
「先輩、気を悪くしないでいただきたいんですが……都ノを利用してません?」
速水先輩は、うれしそうに眉を持ち上げた。
「関東一の女流に嫌疑をかけるなんて、なかなか勇気があるわね」
「いえ、そういう意味では……」
「気に入ったわ。嫌疑を晴らすために、私も一緒に行きましょう」
これにはおどろいた。私はしばらく無言になった。
「速水先輩も聖ソフィアに行くってことですか?」
「そうよ。駄目?」
「メンバーは?」
速水先輩は、すばやく都ノの席に視線を走らせた。
松平と三宅先輩、風切先輩と土御門先輩はそれぞれ話し込んでいて、男性陣はだれも気付くようすがなかった。大谷さんは手洗いなのか、席をはずしていた。
「……都ノには、ほかにだれもいないの?」
「大谷さんはダメですか?」
「彼女は服装としゃべり方が目立ち過ぎるわ。『拙僧』なんて一人称、東京でも滅多にいないわよ。できれば、将棋界に顔が売れていない子にして欲しいの」
顔が売れていない子――思い当たる節があった。
「だれかいるのね?」
「まだ入部は確定してませんけど、ひとり……」
名前を教えたものかどうか、私は迷った。
すると、速水先輩のほうから察してくれた。
「個人情報は、あとでいいわ。もし決まったら、ここに連絡してちょうだい」
速水先輩は、名刺を一通取り出した。
先輩の名前とアドレスが書いてあるのはいいとして、肩書きに目がとまった。
将棋部主将かと思いきや、べつのものになっていたからだ。
「日本セントラル大学、法学会、副会長……?」
「学生団体よ。サークルみたいなものね」
「はぁ……分かりました。決まったら、ここに連絡させていただきます」
私がそう答えると、速水先輩はべつの席へ移動した。慶長の三和さんと話し始めた。
私は三宅先輩のそでをひっぱって、こちらへふりむかせる。
「なんだ? もう帰るのか?」
「穂積さんのアドレス、教えていただけますか?」
三宅先輩は、オッという顔をして、急にマジメな表情を浮かべた。
「入部させるアイデアを思いついたか?」
「どうなるか分かりませんけど、声をかけるきっかけはできました」
三宅先輩は、だまってメモ帳に走り書きをし、それを破った。
「俺のメールに対しては、どうも反応が悪い。頼んだ」
「はい」
私はアドレスがきちんと読み取れることを確認して、ポケットに忍ばせた。
なんだかんだで速水先輩に乗せられちゃった気もするけど――ま、いっか。