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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第66章 聖生復活(2017年10月23日月曜)
449/487

435手目 知られない壁

※ここからは、志邨しむらさん視点です。

 パシリ


挿絵(By みてみん)


 ……先手がいい。

 私はそのことを、来栖くるすに告げた。

 来栖は、

「5八歩と打っても、いいくらいですね」

 と返した。

 5八歩は優位の確保。来栖らしい。

「志邨さんなら、どうします?」

「……一回5五歩と打つ」

「同飛、4六金?」

「そう。後手は引かずに3三角もある」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 あるいは、5七歩成、5五金、6八とと取り合ってもいい。

 そこで同飛とされたとき、どうするか。

 30分将棋では、攻めるか受けるか、あらかじめ決めないといけない。

 朽木くちきさんも、そのあたりはわかっている。

 私はポケットに手を突っ込んで、しばらくその筋を読んだ。

 けど、朽木さんが動いたとき、全然違う手が指された。


挿絵(By みてみん)


 来栖は、

「端……端ですか。やや意外性があります」

 と言った。

 意外性──どうだろう、候補手ではあった。

 問題は意図だ。

 そう説明すると、来栖は、

「いと? ……intentionってことですか?」

 と訊き返した。

「そう」

 来栖はあごにこぶしをそえて、首をかしげた。

「将棋の指し手に、意図は必要でしょうか?」

「必要というか、どうしてもあるよね、意図は」

「そうですか? 盤面評価の問題ですよね?」

 私は、肯定も否定もしなかった。

 この端攻めには、意図がある。

 5八歩と受けなかった意図が。

 それを知りたい。

 9五同歩、5五歩、同飛、4六金。

 風切さんは、3三角と上がった。


挿絵(By みてみん)


 攻め合いになった。当然。

 後手は馬を作れるけど、その馬は自陣に利かない。

 そこが先手の狙い目。8筋でなんとかする気だ。

 来栖は、

「後手のほうが薄いと思います」

 とささやいた。

「たぶん、ね」

 5五金、同角、5八飛、1九角成。

 朽木さんは8四歩。攻めの拠点を進めた。

 風切さんは2九馬で、駒得へ。

 朽木さんは間髪おかず、3一飛と下ろした。

 ここまでは、さっき読んであったはず。

 風切さんは無言で──8五歩。


挿絵(By みてみん)


 来栖は、

「これ、銀を前に出ますよね……攻めを加速させているのでは?」

 と、いぶかしげだった。

「8六に銀が居座られたら、どうしようもないからね」

「なるほど」

 9五銀、9四歩。

 これで銀は死んだ。

 でも、同銀、同香、同香で、全然イケる。

 そこで9八歩、同玉、8六桂と打たれても、大したことはない。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 違う手が指された。

 来栖は、

「銀を捨てて桂馬を拾う……なにかメリットがあるのでしょうか?」

 とつぶやいた。

 んー……まあ、これでも先手優勢か。

「この手の意図は、わかる」

 来栖はこちらを横目で見て、

「その意図とは?」

 とたずねた。

「このまま速攻で寄せる気だ」

 9五歩に6一龍。

 唐突な龍切りに、ギャラリーはかすかにどよめいた。

 けど、銀を見捨てたなら、これしかない。

 風切さんも気づいていた。

 すぐに同銀。

 5五桂が打たれる。


挿絵(By みてみん)


 放置は必至。

 8三金、7一玉、6三桂成、8一金、7三金まで。

 風切さんは息をついて、背筋を伸ばしなおした。

 この手は、読んでいなかったかもしれない。

 そう感じる。

 残り時間は、先手が10分、後手が13分。

 差はある。ここで並びそうだけど。

 来栖は、

「速攻とは、こういう意味でしたか。この段階で必至がかかりそうになるのは、珍しいと思います」

 と言った。

「お互いに攻め合ったからね……とりあえず、後手は受けないと」

 第一感、5二金。外野の意見。

 当事者としては、読み間違っていると終わるから、慎重にいくはず。

 じっさい、風切さんは3分使って、ようやく動いた。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 予想通り。

 朽木さんはノータイムで8三金。

 7一玉、6三桂不成、同金、5四歩。


挿絵(By みてみん)


 続きそうだ。

 これも放置できない。放置は5三歩成、同金、7三金で終わり。

 風切さんは6二玉で、脱出を図った。

 朽木さんは30秒ほど読みなおして、4四金と置いた。


挿絵(By みてみん)


 私はこの手を、じっと見た。

 来栖は、

「簡単に受かりそうですが……」

 と言った。

「いや……厳しい」

「そうですか? 3三歩くらいでも、良さそうじゃないです?」

「角の援軍がある」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 来栖はしばらく考えて、

「なるほど、角を出る余裕が生まれますね。しかし、8六桂と打っても反撃にならないですし、受けるしかないのでは?」

 と返した。

「攻めはある」

「……ありますか?」

 ある。風切さんは、おそらく気づく。

 でも、それで逆転ってわけじゃない。

 他の手を指したら、終わるだろう。

 来栖は口もとにこぶしを当てて、考え始めた。

 私はじっと待つ。ただ待つ。

 風切さんがその手を指すかどうかを、待つ。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………動く。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 指した。

 来栖は、

「これですか?」

 と、ちょっと驚いていた。

「ギリギリ戦える」

 来栖はまた考えて、

「5三歩成、同金、7三金、同玉、5三金くらいで、互角のような……」

 と言った。

「後手が良くなったわけじゃないよ。これなら戦えるってだけ」

「だけ……ですか。しかし、先手としては急に気味が悪くなります」

 来栖が正しい。

 さっきまでは、先手有利だった。

 ギャラリーの視点だけでなく、対局者の視点でも、そうだった。

 おそらく、これで互角になった。

 後手の芽を摘み取っておくチャンスが、どこかであったはずだ。

 朽木さんは、それをスルーしてしまった。

 焦ってる? そうは見えない。

 朽木さんは、そういうタイプじゃない。

 土御門つちみかどさんなら焦ってるかも。

 焦らないことが、常にいいわけでもない。

 焦る必要があるときだって、あるいは。

 朽木さんは、残り5分になるまで動かなかった。

 ギャラリーの中には、

「そんなに考えるところか?」

「先手の攻め、案外に薄いのかもな」

 と言うひともいた。

 的外れだ。

 先手の攻めは、薄くない。

 問題は、後手の攻めが想像以上に厚いこと。

 私は前髪をなおしながら、朽木さんの背中を見た。

 年季の入ったスーツを、しわひとつなく着こなしている。

 どうですか、先輩? 勝てそうですか?

 同じ大学だからって、応援はしません。

 個人戦ですから。

 私が見たいのは、風切さんという壁が、どれくらい高くて──


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 端を止めた。

 来栖は、

「やっぱり止めますよね。9三歩の選択も、あったと思いますが」

 と言った。

 風切さんは、9七香と放り込む。

 同桂、同歩成、同香、6九飛。


挿絵(By みてみん)


 滑り込むように打たれた飛車が、先手玉をおびやかし始めた。

 来栖も、

「思ったより危ない……です」

 と認めた。

「互角だけどね」

「志邨さん、やけに冷静ですね……あ、いつものことですか」

 いつものこと、ね。

 私は頭をかいた。

 ひとには意図がある。だけど、それは伝わらない。

 意図は見つけるしかない。たとえ幻想だとしても。

 朽木さんは7九金と引いた。

 8六桂と打たれる。

 詰めろがかかった。

 来栖は、

「この桂馬、どうでしょうか。5三歩成、同金、8六角、同歩、7三金、同玉、6九金と取っていけば、後手は困りそうですよ。9三に飛車を打つスペースがあります」

 と指摘した。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 このへんは、さすが感ある。

 来栖も読めている。

 だけど、朽木さんはもっと読めていて……風切さんは、もっともっとよく読めているかもしれない。

 私は返事をせずに、局面を見守った。


 パシリ


 5三歩成が指された。

 同金、8六角。

 風切さんは、持ち駒に手を伸ばした。

 そうだ、私もそうする。

 風切さんはそれを打つ直前、朽木さんを見た。

「自信はなかったが……ギリギリ繋がったな」


挿絵(By みてみん)


 綺麗な手だ。それが私の感想。

 来栖は、

「タダ捨て……成立しますか?」

 と吃驚した。

「する」

「同銀が即死なのはわかります。しかし、9八玉のあと、飛車はどのみち助かりません」

 飛車を助ける必要はない。

 朽木さんは、残り3分。

 意表を突かれたかもしれない。

 けど、ここで時間を使うわけには、いかなかった。

 すぐに9八玉。

 風切さんは4四金で、自分から金交換をしかけた。

 6九金、8六歩、4四歩。


挿絵(By みてみん)


 ギャラリーの評価は分かれた。

 先手持ちの声も多い。持ち駒は豊富になった。

 風切さんは、9九金。反撃に出る。

 同銀、同桂成、同玉、7七角。

 4筋方面に、角が利いた。

 朽木さんの手が止まった。


 ピッ


 1分将棋に。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 8八桂。

 当然の8七歩成で、追撃がかかる。

 朽木さんは、59秒まで考えて、7三金の攻めを選択。

 5三玉、4三歩成、同玉、4一飛。


挿絵(By みてみん)


 風切さんも、とちゅうから1分将棋になっていた。

 4二桂。

 ここで4四歩が効かないのは大きい。

 来栖も、

「入玉が止まらないかも……です」

 と、後手優勢を認めた。

 4八飛、4七銀。

 先手の攻めは遮断された。

 詰めろがかかってるから、今度は受けるしかない。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 9八金。

 犠打で同と、とさせた。

 同玉、9六歩。

 このままだとジリ貧、というか、即詰みに討ち取られる可能性すらあった。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 パシーン


挿絵(By みてみん)


 犠打返し。

 同角成に5一飛成で、王様の脱出をサポートした。

 8五桂、4六香、同馬、8七玉、4八銀不成。

 来栖は、

「見事な詰めろ逃れでしたが、犠牲が大き過ぎましたね……先手敗勢です」

 と断じた。

 私はうなずきもしなかったし、首を振りもしなかった。

 9六玉、9四金。


挿絵(By みてみん)


 朽木さんは、駒をそろえた。

「予想以上に手がなかったな……僕の負けだ」

「ありがとうございました」

 一礼が終わって、会場の空気が変わった。

 盛り上がっているひと、安堵しているひと、帰り時間を気にしているひと。

 私はそのどれでもなかった。

 二強が決まった。そして、ここから一強にはならない。

 そう、女子と男子の総合決勝はない。

 風切さんは、席を立った。

 壁が立つ。だれも登ることのできなかった壁が。

 私はその高さを知らない。

 だけど、こうも言える。

 風切さんもまた、私という壁がどれほど高いのかを、知らないのだ、と。

場所:2017年度 秋季個人戦3日目 男子決勝

先手:朽木 爽太

後手:風切 隼人

戦型:先手居飛車穴熊vs後手三間飛車


▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △3二飛

▲2五歩 △3三角 ▲6八玉 △9四歩 ▲7八玉 △4二銀

▲5八金右 △6二玉 ▲9六歩 △7二銀 ▲5六歩 △4三銀

▲7七角 △7一玉 ▲8八玉 △8二玉 ▲7八銀 △5二金左

▲8六歩 △3五歩 ▲4六歩 △5四歩 ▲5七銀 △4二飛

▲8七銀 △6四歩 ▲7八金 △7四歩 ▲6八銀 △6三金

▲5九金 △7三桂 ▲9八香 △3二飛 ▲9九玉 △5一角

▲4五歩 △3四飛 ▲4四歩 △同 銀 ▲4五歩 △3三銀

▲4八金 △8四歩 ▲7九銀 △3六歩 ▲8八銀 △8五歩

▲3六歩 △5五歩 ▲8五歩 △5六歩 ▲6八角 △8六歩

▲同 銀 △5四飛 ▲4七金 △3四銀 ▲9五歩 △同 歩

▲5五歩 △同 飛 ▲4六金 △3三角 ▲5五金 △同 角

▲5八飛 △1九角成 ▲8四歩 △2九馬 ▲3一飛 △8五歩

▲9五銀 △9四歩 ▲2一飛成 △9五歩 ▲6一龍 △同 銀

▲5五桂 △5二金 ▲8三金 △7一玉 ▲6三桂不成△同 金

▲5四歩 △6二玉 ▲4四金 △9六歩 ▲9二歩 △9七香

▲同 桂 △同歩成 ▲同 香 △6九飛 ▲7九金 △8六桂

▲5三歩成 △同 金 ▲8六角 △8七桂 ▲9八玉 △4四金

▲6九金 △8六歩 ▲4四歩 △9九金 ▲同 銀 △同桂成

▲同 玉 △7七角 ▲8八桂 △8七歩成 ▲7三金 △5三玉

▲4三歩成 △同 玉 ▲4一飛 △4二桂 ▲4八飛 △4七銀

▲9八金 △同 と ▲同 玉 △9六歩 ▲5五桂 △同角成

▲5一飛成 △8五桂 ▲4六香 △同 馬 ▲8七玉 △4八銀不成

▲9六玉 △9四金


まで140手で風切の勝ち

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