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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第66章 聖生復活(2017年10月23日月曜)
448/487

434手目 当事者性

※ここからは、朽木くちきくん視点です。

 さて……困ったことになった。

 太宰だざいくんの容体は気がかりだが、対局中なので抜けられない。

 エレベータのまえで待機していると、可憐かれんが戻ってきた。

「病院はわかりました。又吉またよしさんと倉田くらたさんを向かわせています」

「具合は?」

「わかりません。車のなかで倒れていたそうですが、季節が季節なので、熱中症ということはないかと……」

 たしかに、そうかもしれない。

 しかし、車のなかで気を失うなど、尋常ではなかった。

 命にかかわらないことを祈る。

 僕が考え込んでいると、可憐は、

「決勝で勝てず、もうしわけありませんでした」

 と言った。

「謝る必要はない。準優勝は、十分に立派な成績だ」

 僕は、将棋の内容を訊いた。

 先手志邨しむらで、角換わりから押し切られたらしい。

 可憐は、終盤の詰みの説明をしたあとで、

「出過ぎたマネかもしれませんが……このまま延期を申し出ては?」

 と小声で告げた。

 もっともなアドバイスだ。

 とはいえ──

「僕が対局者でなければ、そうしたと思う」

 速水はやみくんがいても、そう提案したのではないだろうか。

 僕は風切かざぎりくんのほうを見た。

 ソファーに座って、ふともものうえで手を組み、じっと前を向いている。

 あれは……将棋のことを考えている目だ。

 あるいは、これからの対局に備えて、心を無にしている目だ。

 両者は異なる。どちらなのかまでは判断できない。

 いずれにせよ、この状況、このハプニングについて考えてはいないはずだ。

「……やはり風切くんは、ただの大学生将棋指しではないのだな」

「なにかおっしゃられましたか?」

「いや、次の戦法をなににしようか、考えていた」

 可憐はなにか言おうとした。

 しかし、けっきょく口にしなかった。

 ウソだというのは、バレたような気もする。

 さて、いろいろと困ってきた。

 僕が嘆息するヒマもなく、慶長けいちょう日高ひだかくんの声が聞こえた。

「それでは、決勝の指し直し局を始めます。ご集合ください」

 もういちど洋室に入る。

 窓を背にして座る。

 ギャラリーは、半分くらいになっていた。

 帰った者も多いのだろう。

 風切くんも入室して、新しい缶コーヒーをテーブルに置いた。

 日高くんは、やや疲れたようすで、

「先ほど説明した通り、これが本日の最終局です。千日手、持将棋の場合は、後日、別の会場にて指し直します。日程と場所は未定です。よろしいでしょうか?」

 と確認を入れた。

「ああ」

「承知した」

 駒を並べて、チェスクロをセットする。

 振り駒──僕の先手。

 日高くんは、スマホの時計で時刻を見ていた。

「準備はよろしいですか? ……あと10秒です……始めてください」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 僕はひと呼吸おいて、7六歩と突いた。

 3四歩、2六歩、4四歩、4八銀、3二飛。


【先手:朽木くちき爽太そうた晩稲田おくてだ) 後手:風切かざぎり隼人はやと都ノみやこの)】

挿絵(By みてみん)


 三間──相当自信があるのか、他の研究をしてこなかったのか。

 ここまで秘匿する意味もないから、前者だろうか。

 あるいは、第三の可能性として、これを連投せざるをえない事情があるのか。

 ひとまず、愚直に組もう。

 2五歩、3三角、6八玉、9四歩、7八玉、4二銀、5八金右。

 方針は、対局前から決めてあった。

 無理矢理の打開はしない。

 今日中に決着をつけなくても、よいと思う。

 6二玉、9六歩、7二銀、5六歩、4三銀、7七角、7一玉。


挿絵(By みてみん)


 風切くんは、素直に美濃のようだ。

 8八玉、8二玉、7八銀、5二金左、8六歩、3五歩、4六歩。

 左美濃から、様子をみる。

 スキがあれば穴熊へ移行したい。

 5四歩、5七銀、4二飛、8七銀、6四歩、7八金、7四歩、6八銀。


挿絵(By みてみん)


 少しずつ固めていく。

 風切くんは、6三金。

 将棋は先手のゲームで、居飛車のゲームだ。

 極論をいえば、の話だが。

 理は僕にある。ないのは力だ。

 ここからの1時間ちょっとで、棋力差は埋められない。

「……5九金」

 7三桂、9八香。

 穴熊へ。

 風切くんはこの手を見て、30秒ほど考えた。

 3二飛。

 次に5一角か。

 正直なところ、後手から開戦してもらってもいい。

 例えば、5一角以下、7九銀に3六歩。


挿絵(By みてみん)


 (※図は朽木くんの脳内イメージです。)


 このとき、4八金でガードできる。

 5九の金は、それを想定している。

 というのも、これは可憐や他の部員と検討して、ストックしてあったものだ。

 先手を引いて、それらしいかたちになれば、使おうと思っていた。

 ただ……過去の検討では、こちらが本命ではない。

 4五歩の攻め合いが、おそらく最善手。


挿絵(By みてみん)


 (※図は朽木くんの脳内イメージです。)


 AIでも調べてあった。そこそこ信頼できる。

 以下、3四飛に4四歩と取り込んで、同銀、4五歩、3三銀と押し返す。

 その瞬間に4八金と上がって補強。

 単に4八金よりも、後手に主導権を握られにくい。

「……9九玉」

 ひとまず立てこもる。

 5一角。

 ならば4五歩。

 この手を見て、風切くんは目を細めた。

 単に4八金を読んでいたか?

 風切くんは口もとを手でおおって、しばらく動かなくなった。

 それから、缶コーヒーのキャップを開ける。

 ひとくち飲んで、缶を置いた。

 また読み始める──たまらないな、この圧は。

 風切くん、君は自分のことを、負け犬だと言っていたな。

 これが負け犬のオーラか?

 君が負け犬なら、僕らはさしずめハムスターかもしれない。

 いや、これは卑下しすぎだ。

 将棋指しは、僕らのようなアマでも、多少はうぬぼれている。

 勝てないはずはない。

 問題は、諦めないこと──ではないな。将棋は、気持ちのゲームではない。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 浮いた。

 当然の一手だ。

 先ほどの長考は、今後の方針決定だろう。

 ひとまず、研究の利は活かさせてもらう。

 すぐに4四歩と取り込む。

 同銀、4五歩、3三銀、4八金。

 風切くんは、ノータイムで8四歩と突いた。

 見落としがちな手だが、これも研究の範囲だ。

「7九銀」

「3六歩だ」


挿絵(By みてみん)


 僕はハッとなった。

 これも研究の範囲内──だが、深く分析していない。

 部のパソコンのAIでは、第一候補にならなかった記憶がある。

 今度は、僕が考える番になった。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………難しい。

 細部まで研究してあったのは、6五歩~4二角の展開だった。


挿絵(By みてみん)


 (※図は朽木くんの脳内イメージです。)


 これとは合流しそうにない。

 本譜なら、3六同歩、同飛、3七金が本筋か?

 3五飛と引かれたら、6八角と当てられる。

 4五飛、2四歩、4九飛成の攻め合いでも、先手は指せそうだ。

 しかし、空中のねじり合いにすることは、避けたい。

 風切くんの得意な、さばき合いになってしまう。

「……8八銀」


挿絵(By みてみん)


 ハッチを閉める。

 風切くんは、8五歩と突っかけてきた。

 指しすぎと見たい。反撃するなら、このタイミングだ。

 3六歩と手を戻して、5五歩に8五歩と取り返す。

 風切くんは、そのまま5六歩と押し込んできた。

「6八角」


挿絵(By みてみん)


 これでいく。

 先ほどの3六歩、同歩、同飛、3七金、3五飛、6八角のバージョンよりも、かたちが崩れていない。8筋の拠点も大きい。

 風切くんは、フゥと息をついた。

 後ろ髪の結び目をなでる。

 戦えている自信はある。

 有利かどうかと言われたら、もちろん断言はできない。

 しかし、指しやすさは感じた。

 続きを読む。

 風切くんはもう一度コーヒーを飲んで、持ち駒に手を触れた。

 8六歩と打たれる。

 攪乱してきた。

 単に5四飛かと思ったが、ひと工夫、というわけか。

 同角はないので、同銀とする。

 ここで5四飛。

 読みは大きく外れていない。

 8六歩で穴熊が弱体化したとはいえ、8筋の拠点はかえって強固になった。

 4七金、3四銀。


挿絵(By みてみん)


 分岐点だ。

 2四歩は、遅いように感じる。

 手抜かれてしまうだろう。

 2三歩成としたとき、駒に当たっていないのもマイナスだ。

 僕は長考に沈んだ。

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