430手目 見落とし
※ここからは、大河内くん視点です。
パシリ
さて……先手に利があると思いますが、どうでしょうか。
朽木先輩が7五歩を選択した理由は、よくわかりません。
5五同歩のほうが、安全だったはずです。
となりに立っている日高くんは、
「先手有利じゃないか?」
と言いました。
「すくなくとも、先手持ちではありますね」
「まあ、攻めが細いっちゃ細いか」
5四同金、5三歩、5一歩、9五歩。
ほぉ、こう繋げるのですか。勉強になります。
同歩、同香、同香、同角、4五歩。
……なるほど、この急所攻めが効く、と。
どうでしょうか。
残り時間は、先手が10分、後手は9分。
風切先輩がここで1分使って、そろいました。
同歩、3五歩、4六銀。
手堅い。
もしかして、3~4筋の攻めは、見た目より厳しいのかもしれません。
日高くんは、
「だけど、5四の金がなあ」
と、金の位置を気にしていました。
「そこは同意です。狙っていきたいですね」
案の定、風切先輩も目をつけました。
3六歩に5七香。
朽木先輩は、かまわず3四桂と打ち返しました。
僕はメガネをなおして、
「そういうことですか」
とつぶやきました。
「なにかわかったか?」
「途中から、攻め合いの方針だったようです。どこかの段階で、決めたのだと思います。5五同歩としなかった時点ではないでしょうか」
今回の個人戦、図らずも、風切対策コンペの様相です。
1年生組は全滅。
最新研究でもダメ、時間攻めでもダメ、棋力のバイオレンスでもダメ。
しかし、対策はしないといけない。
この状況、かなりキツイです。
僕も風切先輩と当たる可能性があったので、対策はしてきました。
朽木先輩に負けて、それ以前の問題になってしまいましたが。
日高くんは、
「風切さん対策なんて、可能なのか?」
と、首をひねっていました。
「できないかもしれないです。そもそも、将棋で安定的な対策が可能なら、藤井くんは29連勝もしないって話です」
「たしかに……だったら、やる意味もないか。よく寝たほうがマシかもな」
そういうわけじゃないから、むずかしいんですよ。
勝てなさそうなあいてに、無意味かもしれない対策をする。
苦行ですが、勝負ごとなら、どこかで求められる状況です。
するしないは個人の自由ですが、しないひとはそこまでなんですよね。
なぜでしょうか。よくわかりません。
パシリ
取り合うしかなかったみたいです。
4六桂、同金、2五歩、3五歩。
3五歩? ……意味深な手。
日高くんは、
「3六金かと思ったが……」
とつぶやきました。
「僕もそう思いました。このままだと、拠点が2ヶ所できます」
「2筋と3筋だな」
僕は軽く小考──3六同金は、3五歩、同金、3二香を嫌った?
だとすれば、3六同金、3五歩、4六金で、けっきょく拠点はできる流れでしたか。
朽木先輩は30秒ほど考えて、2六歩と取り込みました。
3六金、3四歩、5一角成。
やはり、レベルが高い。
すぐに3六同金なら、3五歩、4六金、2六歩、5一角成に、2四香が成立した、ということですね。今気づきました。
【参考図】
本譜はこれが成立しないので、4二角とぶつけるくらいですか?
しかし、後手も角が動き始めました。
風切先輩の独壇場では、ないように思います。
それとも?
パシリ
4二角、6一馬。
日高くんは、
「7四飛か2七銀だな。銀交換するかどうかでしかないが」
と言いました。
2七銀、同銀、同歩成、同玉、7四飛──間に合っていないのでは?
「さすがに遅くないですか?」
「清算しても遅いか?」
「4三銀と打たれて、負けだと思います」
もっと強く攻め合うしか、ないですね。
僕は別の案を考えました。
「……清算したあと、飛車を逃げずに、3五歩と出ませんか?」
【参考図】
日高くんは、しばらく考え込んで、
「これも遅い気がする」
と言いました。
「そうですか?」
「ただの勘だ。俺じゃ読み切るのに時間が……いや、そもそも読み切れない」
「僕も読み切れません」
3五歩、7二馬は、おそらく速度は逆転……するはずなんですが、具体的な手順が思い浮かびません。先手の玉形がいかにも危ない、というくらいです。感覚の話です。
パシリ
朽木先輩は、2七銀の打ち込み。
同銀、同歩成、同玉、3五歩。
「大河内の言った通りだが……さて……」
僕たちが議論するよりも早く、風切先輩は4六金と逃げました。
周囲のギャラリーのなかには、
「飛車取ってもよくなかったか?」
と言うひとも。
こういう外野の意見は、そのひとの棋力がそのまま反映されますよね。
もちろん、僕と日高のヤジも、七将から見たら噴飯ものなのかもしれませんが。
パシリ
これが七将レベルの手──しかし、遅いと思います。
僕はその直観を信じたい。
僕は風切先輩のうしろにいるので、表情はよくわかりません。
が、困っていそうなオーラは、出ていないです。
風切先輩は1分ほど考えて、7二馬と取りました。
中指で飛車をどけ、薬指で馬を引く、綺麗な動作。
そのまま流れるようにチェスクロを押し、ふたたび朽木先輩のターン。
4五歩、5六金。
朽木先輩、また手が止まりました。
僕は、
「遅いのを自覚してますね」
とつぶやきました。
「ああ……でも思ったよりいい勝負だ」
2六歩と叩くぐらいな気がします。
同玉なら挽回できそうですが、3八玉と冷静に引かれて、どうか。
朽木先輩、残り3分に。
一度姿勢を正して、駒にさわりました。
やはり2六歩ですか?
パシリ
5五歩? ……同金に3三角?
僕は、5七金と引いた場合を思考。
5六香は一目です。
でも、6七金とよけられて、5八香成、同金、5六歩は続かないでしょう。
6二飛、3三角では、間に合わないように思います。
【参考図】
3一銀と引っかけるくらいで、先手良し。
ただ、5五同金と比較して、どちらがいいか、と言われると──
そもそも論、5六香、6七金に5八香成としますかね?
2六歩とか3六歩とか、いくらでもありそうです。
風切先輩は、後頭部に手をあてて、結んだ髪をくるくるしました。
いつもの手癖です。
この癖も分析してみたのですが、イマイチわからなかったですね。
好調でも不調でも出てくるので、単に心理的負荷の問題なのかも。
っと、指します。
パシリ
同金。取りました。
日高くんは、
「3三角としたいんだが、4四桂がある」
と指摘。
「ええ、それが厳しいです」
朽木先輩、また長考。
日高くんは、
「ん? ここで長考するのか? なにか気づいた?」
と、首をかしげました。
「勘で言ってもいいですか?」
「ああ、許可取らなくていいだろ」
「さっきの長考の読みが、ハズれてるんだと思います」
日高くんは、なるほど、と言って、
「同金を想定してなかったか」
と返しました。
「いえ、同金はさすがに読んでいたと思います。5七金の一点読みをしていたとは、思えないので。そのあとのルートで、見落としがあったんじゃないでしょうか」
「そうか、軌道修正の長考か。ありうるな」
残り1分を切りました。
僕の予想が当たってそうです。
悪くないと思ってるなら、連続長考で時間を溶かす必要はありません。
ピッ
後手、秒読みに。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
朽木先輩は、ギリギリで角を上がりました。
そっちですか? ……いや、変ではないか。
3六歩で飛車当たり……でも、それって厳しいんですか?
王手飛車になるわけもなく……ん、待ってください。
「これ、王手飛車の筋がないですか?」
日高くんは、えッ、と眉をひそめて、
「後手は角を持ってないぜ」
と言いました。
「3六銀、3八玉、3七銀成があります」
【参考図】
「……そうか、同玉だと、3六歩の連携で王手飛車か」
そうなんです──けど、簡単に回避できますよね。
風切先輩も、冷静に7五飛と浮きました。
5七歩、6七銀、3四香。
……ん?