427手目 手洗い
単に走った。
ギャラリーは賛否両論。正直、このレベルは評価のしようがない。
強豪のコメントが参考になる程度。
来栖さんも、
「手番を渡しちゃった感もありますが、さて……」
と、善悪には言及しなかった。
風切先輩もむずかしいと判断したのか、時間を使った。
手が広いのよね。
攻めるなら2五歩。だけど、2三金引で繋がるのか、という問題がある。8一龍と桂馬を拾うのもアリだし、2七歩と打って、2六歩を消しても良さそう。
私は来栖さんに、
「どう指したい?」
とたずねた。
来栖さんは腕組みをして、しばらく考えた。
「……2九玉と下がりたいです」
「え? 王様を?」
「2九玉に2七銀なら、2八歩で消せるんですよね」
【参考図】
うーむ、これは思いつかなかった。
たしかに、3八銀成、同金と締まれば、安定する。
私は、いい手ね、と褒めた。
「ありがとうございます。でも、2七銀は勝手読みに近いです」
ふむ、それも一理ある──っと、指しそう。
風切先輩は、7六歩を選択した。
んー……ん? なにこの歩?
10秒ほど考えて、意図に気づいた。
同飛なら飛車の横利きが消えるから、今度こそ2五歩or銀ってことか。
もちろん、同飛とせざるをえない。氷室くんも取った。
2五銀、2七銀、同銀、同歩成、同玉、5八銀。
え……こ、これはッ!
来栖さんは、
「後手、いきなり良くなったのでは? 同金とできないです」
と指摘した。
た、たしかに、同金、7七飛成、同桂は、4九角でハマる。
先手に見落としがあった?
外野が心配するなか、風切先輩はためらいなく、3八玉と下がった。
4九銀不成、同玉、2三歩。
安定……した?
2四銀と突っ込む手は残っている。
でも、取って取って、のあとがなさそう。
風切先輩は20秒ほど使って、2四銀。
同歩、2三歩、同金、2五歩で、さらに合わせた。
これは手筋っぽい。
来栖さんも、
「同歩は2四歩で困りますね。同金に3一銀が、いきなり詰めろなので」
と評価した。
氷室くんは無表情。
そのまま考えるかな、と思った矢先、席を立った。
うしろのギャラリーが、慌ててうしろに下がった。
氷室くんは、風切先輩になにか話しかけようとした。
けど、日高くんのほうを向いて、
「離席は禁止?」
とたずねた。
「トイレか?」
氷室くんはうなずいた。
「トイレはオッケーだ。スマホは置いて行ってくれ。ただし、この階から出るのは禁止な。飲み物が欲しいときは、悪いがほかのひとに頼んでくれ。俺でもいい」
「わかった」
氷室くんは、ポケットからスマホをとりだして、日高くんに渡した。
そして、そのまま部屋を出て行った。
風切先輩は、お茶のキャップを開けて、ひとくち飲んだ。
ほんのわずかに、部屋の空気が軽くなった。
ギャラリーのあいだでは、
「残り6分なのに、よく立つな」
「我慢するよりいいだろ」
という会話もあった。
2分ほどして、氷室くんはもどってきた。
着席して、失礼しました、と言ってから、すぐに飛車を引いた。
風切先輩は、むずかしそうな顔をした。
若干イヤそうな雰囲気もあった。
その理由は、すぐに明らかになった。
6三龍、7三飛、6一龍、7一飛、6三龍、7三飛。
千日手模様だ。
風切先輩は、ここで手を止めた。
来栖さんは、
「ダラダラ指さないで、すっぱり決めるつもりっぽいです」
と解釈した。
私もそう思う。
あと一手で千日手、というところまで、ちょっとずつ時間を使って指してしまうことがある。これって、効率的じゃない。時間がもったいないし、気が散ってしまうからだ。
風切先輩は、後頭部に手を回して、結んだ髪をさわった。
目だけは盤面を追っている。
千日手にしてもいい……とは感じる。
先手は、王様の位置が不安定だ。終盤、流れ弾で即死する可能性もある。
来栖さんも、同意見だった。
「私なら、喜んで千日手にします。裸玉と穴熊じゃ、戦える気がしません」
風切先輩がどう出るか、私たちは見守った。
パシリ
ギャラリーに緊張が走る。
一触即発の緊張じゃなくて、トリッキーな挙動をされたときの緊張だ。
これは……受け?
王様が薄いから、龍でガードした?
え、でも、意味なくない?
千日手回避なら、5二龍の一択かな、と思っていた。銀当たりだ。
氷室くんも、この手を読んでいなかったのか、また小考した。
残り4分のうち、2分使って、6七歩と打った。
……うまいッ!
来栖さんも、
「空中に拠点を作って、両取りのプレッシャーをかけましたね。さすが」
と感心した。
風切先輩は、さっきの6九龍に3分使った。
残り時間は3分。
この手が読みに入っていなかったら、きつい。
いや、しかし、風切先輩なら──
パシリ
2四歩ッ! 押し込んだッ!
6七歩を読んでたっぽい? 読んでないと指せないはず。
氷室くんは、わずかに目を細めたあと、同金とした。
風切先輩は一転して、7六歩。
両取りは許容する、と。
6八銀、同角、同歩成、同龍、7六飛。
飛車と龍が接近した。
いったん受けないといけないような。
案の定、風切先輩は7七銀と打った。
氷室くんは、ここで最後の持ち時間を使った。
ピッ
1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
6七歩と滑り込ませた。
同龍、6六金(!)、同銀、7九飛成。
成り込まれたぁ。
来栖さんは、
「さすがに後手いいでしょう」
と断言した。
ぐぅ、そうみたい。
ピッ
先手も1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
5九金。これしかない。
氷室くんは7六角で、援軍を送った。
厳しい。交換するしかなくなった。
同龍、同龍、7七銀、6七龍。
5八銀で受けるくらいしか、ないか。
6二龍と撤退させて、その瞬間になにかする。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
ギリギリのところで、風切先輩は4八金と引いた。
薄い受けだ。
来栖さんは、
「持ち駒を使ったらジリ貧、ってことですかね? 寄ったら意味ないですが」
と、辛口のコメント。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
2九飛。
スペースに打たれた。
けっきょく、3九金と打たざるをえない。
1九飛成、2八銀、1六龍。
先手は金銀4枚になった。
ガチガチだから、イケるかも。
存外に寄らなくなった。
来栖さんも、
「あ、れ……これもう互角のような……」
と口ごもった。
氷室くん、攻めが単純すぎたのでは。
形勢判断が揺れる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
1七歩、1五龍。
風切先輩の手が舞った。
「2五歩ッ!」
氷室くんは、わずかに……ほんのわずかに、ハッとなった。
え? そんなに痛い?
同金なら龍は死なないでしょ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同金。
これで金桂交換、かと思いきや、風切先輩は7二角と打った。
来栖さんは、この手を見て、
「あ、そっか、5四角成だと、ほぼ終わるのか」
とおどろいた。
どういうこと? ……あ、後手は受け駒がないんだ。
5四角成の瞬間、銀と角の両当たり。同時に助ける方法がない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
氷室くんは、6三歩と打った。
6八歩、6五龍、6一角成、7五角、7六銀打。
角龍両取りが実現。
こんなことってある? 先手負けそうじゃなかった?
大逆転にも見えるし、最初から罠だったようにも見える。
氷室くんは、軽く息をついた。
「急転直下でしたね……負けました」
場所:2017年度 秋季個人戦3日目 男子準決勝
先手:風切 隼人
後手:氷室 京介
戦型:先手三間飛車vs後手居飛車穴熊
▲7六歩 △3四歩 ▲6六歩 △8四歩 ▲7八飛 △1四歩
▲1六歩 △8五歩 ▲7七角 △4二玉 ▲4八玉 △3二玉
▲3八銀 △5二金右 ▲3九玉 △5四歩 ▲6八銀 △6二銀
▲5八金左 △5三銀 ▲2八玉 △3三角 ▲5六歩 △2二玉
▲6七銀 △4四歩 ▲7五歩 △3二銀 ▲4六歩 △4三金
▲3六歩 △1二香 ▲2六歩 △3一金 ▲3七桂 △1一玉
▲6五歩 △2四歩 ▲6六銀 △2二金 ▲4七金 △6二飛
▲9六歩 △9四歩 ▲6八飛 △4二角 ▲5五歩 △同 歩
▲5八飛 △5二飛 ▲5五銀 △5四歩 ▲6六銀 △6二飛
▲6八飛 △6四歩 ▲5六歩 △2五歩 ▲同 歩 △6五歩
▲同 銀 △2六歩 ▲1七玉 △6四銀 ▲7六銀 △7四歩
▲同 歩 △7二飛 ▲2六玉 △7四飛 ▲7五歩 △7三飛
▲2七玉 △3三金寄 ▲2四歩 △8六歩 ▲同 歩 △8三飛
▲8五歩 △7三飛 ▲6九飛 △5三角 ▲2八玉 △2六歩
▲6五銀 △同 銀 ▲同 飛 △2四金 ▲6一飛成 △7五飛
▲7六歩 △同 飛 ▲2五銀 △2七銀 ▲同 銀 △同歩成
▲同 玉 △5八銀 ▲3八玉 △4九銀不成▲同 玉 △2三歩
▲2四銀 △同 歩 ▲2三歩 △同 金 ▲2五歩 △7一飛
▲6三龍 △7三飛 ▲6一龍 △7一飛 ▲6三龍 △7三飛
▲6九龍 △6七歩 ▲2四歩 △同 金 ▲7六歩 △6八銀
▲同 角 △同歩成 ▲同 龍 △7六飛 ▲7七銀 △6七歩
▲同 龍 △6六金 ▲同 銀 △7九飛成 ▲5九金 △7六角
▲同 龍 △同 龍 ▲7七銀 △6七龍 ▲4八金引 △2九飛
▲3九金 △1九飛成 ▲2八銀 △1六龍 ▲1七歩 △1五龍
▲2五歩 △同 金 ▲7二角 △6三歩 ▲6八歩 △6五龍
▲6一角成 △7五角 ▲7六銀打
まで153手で風切の勝ち