424手目 再会
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシーン
ッ!?
ギャラリー全員が硬直した。
最初に事態を察したのは、土御門先輩だった。
「詰みじゃな」
生河くんの表情にも血の気がもどって──頭をさげた。
「負けました」
「ありがとうございました」
この短時間のやりとりに、ギャラリーは困惑した。
私も詰むかどうか確認する──あ、そっか。
言われてみれば、そうだ。
同香はもちろん詰むし、同玉も8五桂がある。
以下、8八玉、7七角成、同金、同桂成、同玉、7九飛成。
【参考図】
明確な詰みだ。
もっとも、持ち駒はけっこうギリギリ。
ふんだんに駒が余るというかたちではなかった。
児玉先輩は、
「手の流れが生んだ罠だね。4四角は自玉の受け、4九飛は角の紐づけ。そういうふうに見える局面だった。単に4四角~4九飛なら、詰めろをかけにきてるって、簡単に気づけたと思う」
と解説した。
ほんとうにそうなのかは、私にはわからなかった。
3二金と置いたとき、生河くんがなにを考えていたのか、判然としない。
児玉先輩はさらに、
「それにしても公人、よく速攻で気づいたね」
と褒めた。
「隼人の信用じゃな。局面からして、詰み以外に9七銀はない。詰むと確信して読めば、長手数とはいえ簡単じゃった」
なるほど……けっきょくは、これも信用か。
生河くんの感想戦は、
「すぐに3三金でしたか……?」
から始まった。
【検討図】
風切先輩は、数秒ほど考えたあと、
「こっちのほうが自信はなかった。同銀、同桂成、同角、3四銀、4四角、4五歩を避けた理由は?」
と訊き返した。
「2二銀と打たれたら自信がなかったです」
【検討図】
これは……複雑すぎて、よくわからない。
風切先輩と生河くんは、黙って2七龍、2六飛、4四歩、2七飛成と進めた。
あたりに沈黙が漂う。
1分ほど経って、風切先輩は、
「後手が悪い」
と評価した。
「……そうですか?」
「6一角が詰めろになってる。6七龍と取れない」
【検討図】
え、詰む? 5二角成に同玉は即詰みだけど、3一玉と引けば、詰まないような……あ、5三馬で王手できるのか。4二金、同馬……ん? やっぱり詰まないのでは?
私が四苦八苦する中、風切先輩は、
「もう遅いし、これくらいにしておくか」
と言って、感想戦を切り上げる発言をした。
生河くんも、はい、と言って終わった。
あとに残った事実は、男子の3日目進出者が風切先輩、朽木先輩、氷室くん、大河内くん、女子は大谷さん、志邨さん、火村さん、橘先輩ということだけ。
会場のあとかたづけも完了して、三々五々になった。
外はすでに暗い。10月だし、関東の日没は早いのだ。
私たちは帰るまえに、ファミレスで食事をした。
ひとまずは、大谷さんと風切先輩のお祝い。
それプラス、今日来たメンバーの慰労。
私は4人席で、大谷さん、ララさん、穂積さんといっしょだった。
4人で1枚のピザを注文して、各自好きな主菜を追加した。
炭水化物+炭水化物になっちゃうけど、私はパスタにした。ボロネーゼ。
フォークとスプーンでパスタを巻きながら、
「大谷さんのほうは、どういう感じだった?」
とたずねた。
大谷さんは、サラダを食べる手をとめた。
「拙僧は、1回戦が来栖さん、2回戦が昭島さん、3回戦がノイマンさん、最後が三和さんでした」
ヒュー、これまたすごいメンツだ。
大谷さんは、
「三和さんは、最後の大会ということで、少々悔しがっていらっしゃいました」
と付け加えた。
私は一瞬、納得しかけた。
でも、すぐに変だと思った。
「三和さん、医学部でしょ? 来年5年生じゃない? ルール的にダメってこと?」
「いえ、連盟の規約上、5年生でも良いそうです。しかし、国家試験も迫っているので、いたん引退するかもしれない、とおっしゃっていました」
大谷さんは、そこで話をとめた。
なにか続く言葉があるように、私には思われた。
もしかすると……速水先輩の引退と、関係しているのではないだろうか。
速水萠子という絶対王者を中心に回っていた世界が、崩れた。
どれほどの衝撃だったのかは、見当がつかない。雲のうえの出来事だ。
ただ、ヤル気がなくなったひとだって、いるのかもしれなかった。
私はパスタを食べた。トマトの味が、口いっぱいに広がった。
そのあとは、お祭りムードでもなく、いつも通りの会食。だれかが優勝したわけでもないし、まあそうかな、という感じ。話題も、個人戦から王座戦の予選へと移った。
2時間くらいして、解散。
都ノの方面へ行くメンバーは、駅へと向かった。
途中、笹塚で乗り換え。
京王新線から京王線という、地方民には紛らわしいルートのひとつ。
ホームに降りた時点で、なぜかごった返していた。
松平は、
「なんだこれ。溢れ返ってるぞ」
とおどろいて、あたりを見回した。
すると、ララさんが、
「Oh、遅れてるっぽい~」
と言って、掲示板をゆびさした。
たしかに、5分遅延の表示が出ていた。
松平は、
「参ったな。全員乗れるか?」
と嘆息した。
ですね。始発は笹塚じゃなくて新宿だろうから、すでにひとが乗っているはず。そこへこの人数が殺到したら、ドアから溢れそうだった。
そして案の定、そうなってしまった。
電車は10分遅れで滑りこんでくると、数人残して満杯になってしまった。
ドアの枠で体を支えながら、ララさんは、
「イケるイケる」
と言ったけど、さすがにムリでしょ、ということに。
次の電車をお待ちください、というアナウンスも入っていた。
ドアが閉まる。
私と松平と大谷さんと風切先輩が残った。
一応、駅から自宅が近いメンバーなので、ゆずったかっこうに。
ハーッという気持ちでもあり、大学生だからいいかな、という気持ちでもあり。
愚痴ってもしょうがないので、雑談が再開された。
松平は、
「そういえば、生河との一局って、どんなだった?」
とたずねてきた。
私は簡潔に説明しながら、ふとあることを思い出した。
6一角が詰めろなのかどうか、わからなかったことだ。
「風切先輩、あの6一角、どうやって詰むんですか?」
「……」
「風切先輩?」
先輩は、秋風に吹かれつつ、ホームの上り方面を見つめていた。
私もそちらへ視線を向けた。
そして、息が止まりかけた。
電車の最後尾から降りたであろう、ひとりの女性が、こちらへ歩いてきた。
秋ものの枯葉色コートに、同じ色の、つばの広い帽子をかぶっていた。
靴は黒のローヒールで、サングラスをかけている。
だけど、その顔と雰囲気は、まちがいなく──
「ふぶき」
風切先輩は、その女性の名を呼んだ。
おそらくは、無意識のうちに。
女性は、私たちのそばで止まった。
サングラスを外す──宗像ふぶきさんだった。
元カノと元カレの邂逅に、緊張が走った。
秋風が吹く。その束の間を縫うように、沈黙がおとずれた。
「ふぶき……俺……」
風切先輩は、なにかを言いかけて、言葉を飲んだ。
だけど、今度こそ自分の意志で、先を続けた。
「あのときのこと……すまなかったと思ってる……寄りをもどしたいとかじゃなくて、ほんとうにすまなかった、あんな急に……」
風切先輩の台詞をとめたのは、ふぶきさんのくすりとした笑いだった。
「私は気にしてないわ。隼人も気にしないで」
「でも……」
「それに、私から別れ話をしてたかもしれないし」
先輩は、えッと固まった。
「……どういうことだ?」
ふぶきさんは片手にサングラスを持ったまま、真剣な表情になった。
「あの頃はもう、なんだかしっくりこなくなってたのよね。隼人から話がなかったとしても、私から切り出したと思う。私たち、どこか似合わない気がしてた」
風切先輩は、乾いた笑いをもらした。
「ハハハ……そうか、そうだな……なんていうか……まあ、その……」
ふぶきさんは、ふたたび歩き始めた。
サングラスをかけなおして、先輩の横を通り過ぎる。
そして数歩、靴音を鳴らしたあとで、ふと、
「そういえば、将棋はまだ続けてるの?」
と、ふりかえらずにたずねた。
「……ああ」
「そう……なにもかも中途半端ね」
ふぶきさんは、下り階段へと消えた。
秋風よりも冷たい言葉をかき消すように、次の列車の警笛が鳴った。
場所:2017年度 秋季個人戦2日目 男子4回戦
先手:生河 ノア
後手:風切 隼人
戦型:後手三間飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲2五歩 △3三角
▲4八銀 △3二飛 ▲9六歩 △9四歩 ▲6八玉 △4二銀
▲7八玉 △7二銀 ▲7七角 △6二玉 ▲5六歩 △4三銀
▲8八玉 △7一玉 ▲5七銀 △5二金左 ▲7八金 △4二角
▲4六銀 △3五歩 ▲5八金 △8二玉 ▲1六歩 △3六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3七歩 △3四飛 ▲6六歩 △5四歩
▲6七金右 △4五歩 ▲同 銀 △3五飛 ▲3六銀 △3四飛
▲4六歩 △3三桂 ▲4五歩 △5三角 ▲6八角 △7一角
▲3八飛 △3五歩 ▲2七銀 △4五桂 ▲4六歩 △4四銀
▲6五歩 △4七歩 ▲4五歩 △同 銀 ▲7七桂 △4四角
▲7五歩 △3一飛 ▲5八飛 △3六歩 ▲3八飛 △4一飛
▲7四歩 △同 歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲2八飛 △3三角
▲8六桂 △8四歩 ▲3六銀 △同 銀 ▲2四角 △同 角
▲同 飛 △4八歩成 ▲3六歩 △4七飛成 ▲2一飛成 △4一歩
▲3二龍 △7三銀打 ▲7五歩 △5八と ▲7四歩 △6二銀
▲2八角 △3七歩 ▲同 角 △同 龍 ▲同 桂 △6九と
▲7三銀 △同 桂 ▲同歩成 △同銀左 ▲7四歩 △6二銀
▲5二龍 △同 金 ▲7三金 △同銀左 ▲同歩成 △同 玉
▲7四歩 △6二玉 ▲7三銀 △5一玉 ▲7二銀成 △7九と
▲同 金 △4八飛 ▲6八桂 △4二玉 ▲4五飛 △同飛成
▲同 桂 △4四銀 ▲2一飛 △3二銀 ▲2二飛成 △2三金
▲5三銀 △同 銀 ▲2三龍 △4四角 ▲5三桂成 △同 金
▲4三歩 △同 金 ▲5一銀 △3一玉 ▲2一金 △同 銀
▲4三龍 △4九飛 ▲4一龍 △2二玉 ▲2三歩 △1二玉
▲3二金 △9七銀
まで146手で風切の勝ち