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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第8章 2016年度春季個人戦3日目(2016年5月1日日曜)
43/487

42手目 予期せぬ頂上決戦

挿絵(By みてみん)


「この組み合わせは、予想してなかったな」

「まあ、片方は順当だが……もこっちだし……」

 女子の部、決勝戦――男子の部の決勝はさっき終わって、満員御礼。

 うしろのほうは、つま先立ちになって、対局テーブルをのぞき込んでいた。

 もとから会場にいた私たちは、うまい具合に最前列を取れた。というのも、どうやら同じ大学の学生が優先になっているらしく、奥山おくやまくんに便宜をはかってもらえたのだ。

「いやあ、もこっち先輩の相手が、まさか聖ソフィアの黒幕だったとはねぇ」

 奥山くんは、眼鏡の奥で、好奇心に目を光らせた。

 私はまわりに聞こえないように、小声で返す。

「黒幕ってことは、やっぱり情報をゲットしてたの?」

「そこはヒミツ」

 うむむ、ごまかされた。いいかげんに白状してくださいな。

 私は若干あきれつつ、となりの松平まつだいらに話しかける。

「男子のほうは、どうなったの?」

「あっちは、帝大ていだい氷室ひむろが優勝した」

 氷室――風切かざぎり先輩の不戦敗の相手だ。高校のときのライバル。

 どういう将棋だったのかたずねかけたところで、幹事長、入江いりえ先輩の号令。

「それでは、本日最後の対局になります。振り駒をお願いします」

 速水はやみ先輩は、年上ということもあってか、ゆずらずに歩を集めた。

 火村ほむらさんの性格からして、ゆずると持って行きそうだものね。

 カシャカシャと小気味よい音が聞こえて、歩が放られた。

「表が3枚。私の先手」

 速水先輩は、歩をもとの位置にもどした。

 火村さんのほうは、特に表情は変わらない。

 あいかわらず、小学生みたいに足をパタパタさせていた。

 こんな小娘に負けるなッ! フレー、フレー、もーこーちゃーん!

「対局準備は、よろしいですね? ……それでは、始めてください」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 火村さんが対局時計を押して、開幕。

「7六歩」

 速水先輩は、スッと綺麗なフォームで歩を突いた。

 3四歩、2六歩。

 火村さんは、わざとらしく腕組みをして、首をひねった。

「中飛車、三間飛車、四間飛車、いろんな振り飛車があるけれどぉ〜」

 そして、5筋の歩に指を添える。

「決勝戦は、華々しく行きましょう。5四歩」


挿絵(By みてみん)


 2五歩、5二飛――中飛車。速水先輩は4八銀とあがって、チェスクロを押す。

 5五歩、6八玉。

「ふぅん……オーソドックス……」

 火村さんは、なんだかつまらなさそう。

「ま、事前情報だと居飛車党だったから、そっちのほうが助かるかな。6二玉」

 7八玉、3三角、6八銀、4二銀、3六歩、7二玉、3七銀。

 火村さんは、ひじを折り曲げる格好で、華麗に5六歩と突いた。


挿絵(By みてみん)


 速い……速攻を恐れないタイプか。

 ここで一瞬、5六同歩、同飛、3三角成、同銀、6五角がみえた。でもそれは、5三飛と引いて問題がないみたい。飛車の位置が悪いけど、角の位置はもっと悪いから。

 速水先輩は、5六同歩、同飛に3三角成、同銀、4六銀を選択した。

「3二金」

 飛車を逃げない? 速水先輩は、火村さんの構想を瞬時に喝破した。

「7六歩が狙いなわけね……いいわ、5五歩」

 火村さんはニヤリと笑って、飛車を横にスライドさせた。

「ご期待にそって、7六飛でーす」


挿絵(By みてみん)


 ほんとに積極的なタイプっぽい。

 たしかにこれでは、棋力を計るのがむずかしいと思う。暴れる手は、たまたま良かったのか、それとも読みが入っていたのか、分かりにくい。

 速水先輩は相手のペースに流されないよう、局面を収めにかかる。

 7七銀、7四飛、6八金、4二金、1六歩。

 最後の端歩突きに、火村さんは敏感に反応した。

「へぇ……そこを突くんだ……1四歩」

 普通に突き返してきた。

 今度は、速水先輩が反応する。

「突き返しか……了解」

 対局者のあいだで、なにか意思疎通があったらしい。

 こういうのは、指しているとたまに分かる。プロでも、誘われている戦法とか、誘われている手とか、そういうのが相手に伝わることがあるらしいから。

 速水先輩は、ここで時間を投入。今後の算段を練り始めた。開戦の筋あり?

「……5七金」


挿絵(By みてみん)


 火村さんは、この手にも反応した。

「6六金からの押さえ込みかぁ」

 一手ごとに読みを披露してると、損ですよ。

 相手に情報を渡しちゃってるから。

 とはいえ、押さえ込みの方針にしているのは、事実。

 火村さんも長考に入った。なんだか、この局面がおもしろいような顔をしていた。将棋そのものを楽しんでる小学生みたい。むずかいしと感じてるはずなんだけど。

 たっぷり3分も考えて、火村さんは8二玉と入った。

「6六金」

 予定通りの金上がり。

「さすがに穴熊は間に合わないか……7二銀」

 速水先輩は、後手が美濃に組んだのをみて、9六歩と打診した。

 さすがに受けるかな、と思いきや、火村さんは、逆の端に手を伸ばした。

 そして、速水先輩の顔を下から覗き込む。

「1・五・歩」


挿絵(By みてみん)


 え? 端攻め?

 成立してるとは思えない。1五歩、同歩、1七歩の垂らしくらいしかないはずだ。

「へぇ、こうなってるのか」

 となりに、風切先輩が現れた。

 うしろの面子が通してくれたらしい。

「先輩、どちらに行かれてたんですか?」

「朽木と氷室の決勝戦を観てた」

 風切先輩は、盤面を見つめたまま、そう答えた。

 体調のほうは大丈夫なのかな、と思ったけど、かえって安心した。ようするに、氷室くんを見たら手がしびれるとか、そういう病気じゃないわけね。

 そうと分かれば、将棋のことに話題を集中させる。

「この1五歩、成立してますか?」

「……ある程度は、してる気がするな」

「ある程度?」

 風切先輩は、小声で読み筋を解説し始めた。

「1五歩、同歩、同香は切れ筋だが、1七歩と垂らす手がある」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「はい……そこは、すこし考えてました」

 よくある端攻め定跡の一種だ。

「その次の手が悩ましいが、速水ならおそらく5六角だ」

「飛車の押さえ込みを継続するわけですか?」

「押さえ込みというか、すでに飛車が死んでる」

 え? 死んでる? ……あ、そっか。どこに逃げても、金銀端歩の連携で捕まる。

 9六歩は、飛車の補足もみた手だったのか。恐るべし。

 私が感心するなか、風切先輩は解説を続けた。

「後手の方針はふたつ。ひとつは、8四飛、7五金、4四飛、4五銀で、先手のバランスを崩してから銀を喰い千切る手順」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「これは、見てのとおり駒損だ」

 あんまりやりたくないかな。角と銀だけで攻めが続くとは思えない。

「もうひとつは、飛車当たりを放置して、1五香、7四角、同歩、1一飛、1八歩成」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 ん? これは成立してなくない? 1一飛が絶妙過ぎる。1八同香、同香成に同飛成でもいいし、あるいは、同飛寄で2枚龍を目指してもいい……ん、待ってよ。そう簡単でもないか。1八飛成は、1三歩と止められたあとが難しい。先手は飛車の押さえ込みを狙っていたせいで、金銀がうわずっている。まとめにくい。

 となると、1八飛寄……これは、2七角がありそう。

 ただ、4八飛と戻れば、そこまで痛くない。後手は次に6四香くらいで、2一飛成、6六香、同銀、5一歩、5四桂の反撃がありそう……いや、先に5九金かな。ここに金がいる限り、飛車を動かせなくなってしまっている。つまり、現局面から7四角、同歩、1一飛、1八歩成、同香、同香成、同飛寄、2七角、4八飛、6四香、2一飛成、6六香、同銀、5一歩、5九金が本線。

 

【参考図】

挿絵(By みてみん)


 思ったより、先手が稼げてない気もするけど……悪くもない。うん。


 パシリ

 

 盤上をふりかえると、1五同歩が指されていた。

 1七歩、5六角。


挿絵(By みてみん)


 この角打ちに、ほかのギャラリーも反応した。

「後手、飛車が死んでないか?」

「ああ、死んでる。速水が一本取ったみたいだな」

 まだまだ。風切先輩の解説がなかったら、私もそう思っていたかもしれない。

 火村さんは30秒ほど読み直して、1五香と走った。

 速水先輩は、背筋をきれいに伸ばしたまま、その香車を見つめた。

「攻め合い……」

 火村さんは、犬歯をみせて笑う。

「攻め合いは嫌い?」

 先輩相手にタメ口厳禁。

「いいえ、好きよ……7四角」

 同歩、1一飛、1八歩成、同香、同香成、同飛寄。

「2七角」


挿絵(By みてみん)


 火村さんは、予想どおり角を打った。

 速水先輩は4八飛ともどる。

「これが厳しいんじゃない? 6四香」

 火村さんは、これまた予想どおりの香車を打った。

「2一飛成」

 読み切っていたかのような速度。

「ちょっとくらい考えてくれても、いいじゃない……5一歩」

 火村さんは、金を取らずに受けた。そうするもんなの?

 私は、風切先輩に質問する。

「7六金と逃げるヒマを与えちゃってませんか?」

「いや、7六金とは逃げられない。4九角成、同飛、5八角で、先手が死ぬ」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 これは……これはさすがに先手負けだ。

 飛車取りと6七角成を同時に受ける手がない。

 5一歩と打ったのは、7六金のポカを誘発するためだろう。

 とはいえ、七将の速水先輩が、そんな罠にかかるはずもない。

「5九金」

 火村さんは、舌打ちするような感じで口の端をあげた。

 やけに長い犬歯がのぞいたかと思うと、すぐに不敵な笑みに変わった。

「七将の看板は、ダテじゃないってわけね。じゃあ、6六香」

 速水先輩の同銀に対して、火村さんは持ち駒の角を空打ちした。

 角を打つつもり? どこに?

 

 パシーン

 

挿絵(By みてみん)


 そこ?

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