415手目 ポニーテール
新宿の夕暮れどき。
最後のお寺を回った私たちは、駅のほうへもどってきた。
学生や買い物客は帰宅して、おひとりさまが増えてくる時間帯。
外は秋めいていた。だんだんと暗くなりかけている。
風が心地よい。街の匂いを運んでくる。
ララさんは、テイクアウトのアイスコーヒーを片手に、
「というわけで、日本に来た。OK?」
と締めくくった。
私はなんというか──あっけに取られていた。
聞いちゃマズかったかな、という気すらした。
「香子、どうしたの?」
「え……あ、ううん、日本に来るまで、けっこう大変だったんだな、って」
私がそう答えると、ララさんはひとさしゆびを眉間にそえて、目を閉じた。
「んー、大変だったかって言われると、ビミョー。大学入るの簡単だったし」
なんですか、自慢ですか。
とはいえ、ララさんの話が盛られていないなら、じつは受験エリートなのでは。
親がサンパウロ大学を推したってことは、合格ラインだった可能性が高い。
私がそんなことを思っている横で、大谷さんは、
「都ノでの学業は、簡単だと感じられますか?」
とたずねた。
ララさんは、外国人専修日本文化学科。
日本語や日本の文化を学ぶところだ。
テストやレポートの話を聞いた限り、専門性はそこまで高くない。
ララさんは、ストローを口に含んだまま、しばらく考えた。
「……簡単じゃないと言ったら、ウソになるかな」
「ややセンシティブな質問かもしれませんが、大学というものは、専門知識を深める場だと、拙僧は考えております。日本語がおぼつかない学生や、日本文化をよく知らない学生にとっては、専門性があるかもしれません。しかし、南さんは、どちらにも該当していないのではありませんか」
「Oh! ひよこ、今日はキビシイね」
「失礼なコメントであったのなら、謝ります」
「いやいや、正論ってやつだよ。正直ね、日本の大学、思ったより簡単すぎた。みんな勉強してないじゃん」
だ、だいぶずけずけと言うわね。
あんまり反論できないけど。
ララさんはアイスコーヒーを飲んで、ちょっとタメ息をついた。
そこには、憐憫をまじえた笑みがこぼれていた。
「ま、ニッポンの場合は、ちょっとsimpatiaあるけどね」
シンパティアはシンパシーだろうな、と当たりがついた。
私は、なにに同情してるのか、と尋ねた。
ララさんは、
「だってさ、大学で勉強したおとなが、国をどんどん衰退させてるわけじゃん。大学で勉強する意味あるの、って下の世代は思うよね」
と答えた。ララさん節、爆発。
なんだか危ない話になってきたから、私は、
「そろそろ夕食を考えない?」
と、話題を変えた。
いろいろ相談して、パスタ屋さんに。
とちゅうでショッピングをしながら移動した。
お店は、すごくシンプルな店舗だった。
テーブルが規則的に並んでいて、余計な装飾はなし。
でも、口コミが良かったから選択。
入店して、先にドリンクだけ頼む。
6人掛けのテーブルへ通してもらえた。ラッキー。
穂積さんと粟田さんも、10分ほどして到着。
テーブルのとなりに来られるまで、気づかなかった。
穂積さんは、開口一番、
「はぁ~、疲れた」
と言って、空いている席にどかりと座った。
私は、
「お疲れさま、どうだった?」
と尋ねた。
「4位」
えーとですね、それがどれくらいのポジションなのか、わからないわけですが。
私が訊きなおそうとするまえに、粟田さんは、
「あれだけの人数でベスト4は、すごいよ~」
と、やたら感心していた。
その感心のうらには、じぶんはダメだった、というオーラが出ていた。
案の定、粟田さんは入賞しなかったらしい。
どうやら、穂積さんの4位は、全体で4位。
ホールにはたくさんひとがいたし、まあすごいのかな、と思う。
穂積さんは、メニューを見ながら、
「だけどなあ、最後のアレ振らなきゃ、3位だったなあ」
と、なにやらご不満のようす。
私は、
「理不尽なことでも、あった?」
と尋ねた。
「オーラスで白の地獄単騎にぶっ刺さった」
くッ、説明されてもわからない。
「将棋に喩えると、一番詰まないほうへ逃げたら、それだけ詰んだ、ってパターン……比較しても、あんま意味ないか。みんな、なに頼む?」
横合いから、メニューをながめる。
私は、ボロネーゼをチョイス。
他の4人も、めいめいパスタを注文した。
大谷さんは、キノコの和風パスタ。
穂積さんは、ペペロンチーノ。
ララさんは、ナポリタン。
粟田さんは、たらこバター。
前半の会話は、おたがいにどう遊んだのか、に集中。
穂積さんと粟田さんも、スーパー銭湯には行きたかったらしい。
穂積さんは、パスタを巻きながら、
「乙女にはスパが必要なのよ」
と言い出した。
みんな、うんうんとうなずく。
ララさんは、
「いいヘッドスパのお店、知ってるよ」
と言って、何件か教えてくれた。
それから、私のほうを見て、
「とくに香子は通ったほうがいいと思う」
と言ってきた。
私は焦る。
もしや、髪質が悪化している? 枝毛? ぱさぱさ?
「ど、どうして?」
「そのポニテは頭皮に悪い」
なかなかのたまわってくれますね。
とはいえ、このポニテ、じつはけっこうがんばってるのよ。
結び方からして、頭皮をひっぱらないといけない。
しかも重い。
高めにむすんで、肩下まである。どうしても、うしろに重心が行く。
首や肩の筋肉で、姿勢を調整しないといけなかった。
粟田さんは、
「香子ちゃんレベルの綺麗なポニテ、校内でも他に見ないよね~」
と言った。
でしょ、むふふふ。
一方、穂積さんは、じぶんの頭頂部のまとめ髪をさわりながら、
「私も変えよっかなあ。血流が悪くなってる気がする」
と、あくまでも自分のことを心配していた。
すると、ララさんは、
「八花が髪おろすと、印象けっこう変わるなあ」
と言った。
「そう?」
「このまえの合宿で思った。香子もかなり変わる」
こんどは私が、そう?、と尋ねる番だった。
「香子はめっちゃ変わるよ。毛の量が多いから、下ろしたらガチロングじゃん」
「ま、まあ、そうだけど……」
穂積さんも、
「髪下ろしたときの香子、赤学か慶長にいそうな感じだった」
とつけくわえた。
それは褒めてるんですか?
ああだこうだ言い合っていると、ララさんは、
「あれ、ひよこ、さっきから黙ってるね」
と指摘した。
大谷さんはすまし顔で、もくもくと和風パスタを食べていた。
「ひよこ~」
大谷さんは箸をおいて、紙ナプキンで口もとをふいた。
「はい、なにか」
ララさんは頬をふくらませた。
「なにか、じゃないよ~、話、聞いてた?」
「はい、多少は」
返答がそっけなかったので、ララさんは不満げだった。
ソファーのシートに、背中をもたれかからせて、
「こういうときは、ちゃんと褒めなきゃ。いよ、香子のポニテ、日本一」
と注意した。
なんで歌舞伎みたいなんですかね。
大谷さんは、さようですね、と前置きした。
「たしかに、裏見さんのポニーテールは、なかなかよいものだと思います。が……」
……………………
……………………
…………………
………………が?
が、なに?
私は思わず、
「私のポニテ、なんか変?」
と尋ねてしまった。
「いえ、むしろご立派。しかし、世の中は広い。嘘も方便と言いますが、真理を追究するのも、これまた仏の道。拙僧といたしましては、日本一という言い方はできません」
???
大谷さん、急にどうしたんですか?
それじゃあまるで、日本一を知っているかのような──あッ!
私は察してしまった。
はあ、ふーん、なるほどね。
じゃあ、私のほうが譲歩して──ってなるわけないでしょッ!
なんで神崎さんに譲歩しないといけないのよ。
あれこそ、ただうしろで結んでるだけ。
「裏見さん、今、邪念がありましたね」
「いえ、ありません」