413手目 スーパー銭湯
はーッ、生き返るぅ。
私は温泉につかりながら、ジェットバブルでリフレッシュしていた。
ぶくぶくぶく。
ここは新宿にある、女性専用のスーパー銭湯。
お湯にゆっくりつかって、疲れを癒やす。
大谷さんは、私のとなりで、座禅を組んでいた。
水中なのに、やたら安定している。
私はバブルの勢いで、体が動いちゃう。
「大谷さん、すごいバランス」
「力加減で沈めています」
なるほど、ソフトボールをやってるだけのことはある。
筋肉が、そこそこついているのだろう。浮力に対抗できる。
私も陸上部の全盛期なら、できたかも。
「香子、スキありッ!」
うわッ!?
ララさんに、いきなり襲いかかられた。
サウナにいたはずなのに。
「ちょっと、おどかさないでよ」
「香子、たるんでるな」
たるんでませんッ!
「ララさんこそ、最近たるんでるんじゃないの」
「A上がったしさあ、そりゃたるむよ」
なんだ、そっちの話か。
私は、
「まだ王座戦の代表選抜があるでしょ」
と指摘した。
ララさんは、うーんと背伸びをした。
「なんか達成した感があるじゃん」
それは否定できない。
なんというか、大学受験完了、みたいな気分になる。
その先が長いんだけどねえ。
ララさんは大谷さんを横目で見つつ、
「ひよこはたるまないねえ」
と感心した。
大谷さんは目を閉じたまま、
「正直なところ、拙僧も疲労困憊しております」
と答えた。
ララさんは、意外そうな表情で、
「え、そうなの? ひよこ、体力無限なのかと思ってた」
と返した。
「拙僧は、おばけではありません」
「O, perdao、でも、そういうオーラなかったからさ」
そこは、私もちょっと心配していた。
大谷さんは、弱ったところをひとに見せないタイプだ。
今回の団体戦は、相当な負担だったはず。
どこまでサポートしていいのか、私と松平も気をつかっていた。
だから、銭湯の提案も丸呑みした。
日曜日に遊ぶのはララさんの企画だったけど、銭湯は大谷さんの意見だった。
ララさんは、お湯にプカプカ浮きながら、
「王座戦、行けるかなあ」
と、天井を見上げた。
大谷さんは、あいかわらず目を閉じたまま、
「非常に難しいと思います」
と答えた。
「やっぱ?」
「相手が強豪、というだけではありません。選考システムが不利です」
大谷さんは、その理由も説明した。
全員が抽選になるトーナメントなら、まだチャンスがある。
例えば、一方の山にCの優勝校、Bの優勝校、準優勝校、Aの8位と7位が固まる、みたいな展開。いわゆるトーナメントの偏り。こういうとき、下位にチャンスが来るのは、プロ棋士でもたまにある。
でも、実際の方式はちがう。1日目にCクラス優勝校、Bの優勝校、準優勝校、Aの4位から8位までが戦う。勝ち抜いたら、2日目にAの3位と戦い、それを勝ったら、ようやくAの2位と決勝。ようするに、抽選がどうなろうと、Aの2位・3位とは、必ず当たる。この仕組みが、選抜突破を極端に難しくしていた。
大谷さんは、
「過去10年間、A級4位以下の大学が選抜されたことは、ありません」
とつけくわえた。
ララさんは、いつもの軽い調子を捨てて、真剣な顔になっていた。
「これはアレだね、陰謀」
いや、陰謀というのは、ちょっとちがうような。
もちろん、ララさんの言いたいことは分かる。
連合は、A級上位をそのまま王座戦に出したいのだ。
完全抽選だと、さっき言った偏りが起こりうる。
1回戦でAの2位と3位がつぶし合い、ということもありうる。
そういうのを忌避して、こういうシステムになっている。
つまり、陰謀とまではいかないけど、意図的なのは間違いなかった。
大谷さんは、ようやく目を開けた。
「ひとつだけ好材料をあげるとすれば、都ノの影の薄さです」
ララさんは、かげのうすさ?、と訊き返した。
「都ノは一度廃部になったあと、下から這い上がっています。Aの大学も、都ノの戦力については、確実な感触を得ていないはずです」
ララさんは、なるほどねえ、と言って、ゆびをはじいた。
音が浴室に木霊した。
「ダークホース……だけど、聖ソフィアもそうじゃん?」
「正直なところ、金星を出す可能性は、聖ソフィアのほうが高いです。他校も、そう考えているでしょう。都ノを視界からはずしてくれれば、、針の穴を通すような可能性も、あるかと」
ララさんは、ふんふん、とうなずいていた。
私は、これでもかなり楽観的に言っていると分かった。
今の話は、1日目にしか通用しない。
2日目は翌週におこなわれる。対策をする時間はある。
大谷さんは、ララさんを萎えさせないように、言い方を調整したんじゃないかな。
私はそう思った。
大谷さんは座禅を崩し、手足を伸ばした。
「そろそろ、甘味を食べるといたしましょう」
お風呂から上がった私たちは、カフェに寄った。
銭湯に併設されていて、おなじ建物のなかにあった。
浴衣姿で、そのまま入れるのだ。
座椅子とテーブルがいくつかあって、もうだいぶ混んでいた。
私たちは、一番入り口に近い、最後の空席に腰をおろした。
メニューを見る。うーん、どれも美味しそう。
ここを選んだ理由の8割くらいが、これ。
私たちはめいめい、食べたいものを頼んだ。
大谷さんは、あんみつ、私は、フルーツパフェ、ララさんは、チョコレートパフェ。
食べながら、このあとの予定を相談した。
ララさんは、くちびるにチョコレートをくっつけたまま、
「八花が終わるの、5時だっけ?」
とたずねた。
私は、そうだ、と答えつつ、留保を入れた。
「ああいうのって、時間通りに終わらなくない?」
「え、そうなの?」
「将棋の大会だって、終了時間がバラバラじゃない」
「説得力がありすぎる。じゃあ、待ち合わせ時間決めるの、難しいね」
どうしよっかなあ、と数分ほど相談して、未解決のまま話題は変わった。
こういうときは、細かく考えても、しょうがない。
私はフルーツパフェを頬張りながら、最近観たドラマの話をした。
アメリカのドラマで、消防隊が出てくるやつ。
ララさんは、あ、知ってる、と言ったけど、ちがうドラマだった。
消防隊が出てくるドラマは、たくさんあるのだ。あっちの定番ネタらしい。
1時間後、私たちは銭湯を出た。
まだ午後2時。
日陰に退避した瞬間、ララさんは、
「ブッカク、めぐってみない?」
と言い出した。
私は、
「どうしたの、急に?」
と返した。
まさか、大谷さんに啓発された?
ところが、ララさんの動機は、わりと単純だった。
「ブラジルに帰ったとき、ネタになるんだよね」
なるほどね、と思った。
でもなあ、このメンバー、パワースポット巡りってメンツじゃ、ないような。
しかも、大谷さんはノリ気かな、と思いきや、逆だった。
仏閣はネタではありません、とのこと。
これを聞いたララさんは、
「O, desculpe mais uma vez」
と、ポルトガル語でなにか言ってから、
「ネタっていうのは、マズかったか。えーと、土産話?」
と、訂正した。
うーん、訂正になってない。
大谷さんは、
「拙僧も、反対しているわけではありません。仏教に関する誤解が広まるのは、少々困るという意図で言いました」
と説明をくわえた。
「ひよこ、それはちがうよ。日本人だって、キリスト教のこと、いっぱい誤解してるじゃん。そこはアレ、おたがいさまさま?」
たしかに、ヨーロッパで教会めぐりをするのも、似たようなものか。
大谷さんも納得した。
けど、仏閣めぐりに行くかどうかは、要相談に。
私は、
「新宿にお寺って、あんまりなくない?」
と、やんわり否定から入った。
「けっこうある。調べてきた。ギョエンとかいうスポットにも寄れる」
新宿御苑か。
私も、あそこはまだ行ったことがない。
3分ほど、ああだこうだ議論して、行くことに決まった。
大谷さんの慰労会みたいなものだし、ま、いっか。
「しゅっぱーつッ!」
銭湯から徒歩圏内を移動。
それだけでも、ちらほらあった。
ララさんは、神社も含めていたらしく、お寺に限定されていなかった。
好きなひとは、御朱印とか集めるんだろうなあ。
私たちは、あんまりお金がなかったこともあって、参拝で済ませた。
秋空の下を、どんどん歩く。
繁華街ではない、東京の別の一面を見た。
とある住宅地のところで、信号にひっかかった。
そこで待っている最中、ララさんは腰に手をあてて、うしろに仰け反った。
「ストレ~ッチ」
「ララさん、つかれた?」
「もーまんたい。写真もいっぱい撮ったし、おじいちゃんも喜ぶ」
私は、おじいさんってどういうひと、とたずねた。
ララさんはちょっと黙って──ブラジルのことを語りはじめた。




