411手目 夢
表彰会場。
教室がごった返す中で、大谷さんは教卓の前にいた。
表彰役は、八千代先輩だった。
風切先輩は、自分の大学ということで、辞退。
副会長の速水先輩は、引退しちゃったから、八千代先輩はその代理。
「2017年度秋季団体戦、Bクラス準優勝、都ノ大学将棋部殿。あなたは頭書の成績を収められましたので、これを表彰し、2018年度春季よりAクラスに所属することを認めます。関東大学将棋連合、副会長代理、傍目八千代」
パチパチパチ、拍手ぅ。
そのあとは風切先輩がもどって、C級の表彰へと移った。
最後の賞状を配ったところで、風切先輩は、
「えー、傍目さん、なにか連絡事項はありますか?」
とたずねた。
八千代先輩は、
「みなさん、おつかれさまでした。大会の運営につき、ご協力ありがとうございました。連絡事項が、ふたつあります。ひとつ、王座戦の出場校を決めるトーナメントは、11月上旬に2週かけておこないます。Cの優勝校、Bの優勝校、Bの準優勝校、Aの4位から8位までは、1週目からです。勝ち上がった大学は2週目へ進出し、Aの3位と当たります。そこで勝った大学が、Aの準優勝校と出場枠を争います」
Aの準優勝校は帝大、3位は大和。
そこから4位の慶長、5位の八ツ橋、6位の治明と続いた。
7位の首都工と8位の日センは、A級陥落。
だけど、予選の参加資格はあった。
Bの優勝校は聖ソフィア、準優勝は、うち。
Cの優勝校は房総。
以上、10校のうち、慶長以下が1週目から。
八千代先輩は、さらに事務連絡を続けた。
「もうひとつ、個人戦ですが、これも昨年通り、来週から男子が、再来週から女子が開始となります。以上です」
風切先輩は、ほかになにかありませんか、とたずねた。
特に返事はなかった。
「それでは、2017年度秋季団体戦を終了します。おつかれさまでした」
○
。
.
そのあと私たちは、電電理科の校舎で反省会。
戦勝ムードで、にぎやかだった。
そこから祝勝会へ移行。ファミレスで食事。
わいわい食べて、2時間ほどで解散になった。
1年生もいる手前か、上級生は飲酒を控えていた。
けど、話題は尽きないから、大いに盛り上がった。
秋の夜は早く、そして長い。
すっかり暗くなった東京の街で、私たちは三々五々、解散した。
オフィスの電灯と、信号機のランプが、お祭りの提灯のように見えた。
風切先輩、三宅先輩、穂積先輩の3人は、居酒屋へ行くことに。
その去りぎわ、風切先輩はふりかえって、
「まさか、ここまで来るとはな。夢みたいだ」
と言った。
私たちは、背筋が伸びた。
「よく考えたら、バカな約束をしたもんだ。ありがとうには早いかもしれないが、言っておくよ。ありがとう」
返す言葉はなかった。
感謝のセリフを、ひとりひとりが、異なるニュアンスで受け止めていた。
風切先輩はそれ以上なにも言わず、夜の繁華街へ消えていった。
一気に緊張が解ける。
松平は、うんと背伸びをした。
「さーて、帰るとするか。眠くなってきた」
すべてのイベントが終わって、一気に疲れがきたらしい。
私もそんな感じだった。
大学の近くに住んでいるメンバーは、固まって帰りましょう、という話になった。
ところが、そこへ電話がかかってきた。
火村さんからだった。
私は奇妙に思いながらも、電話に出た。
「もしもし?」
《香子? さっきMINEしたんだけど、既読がつかなかったからさ》
「あ、ごめんなさい、ちょうど打ち上げが終わったとこ」
《あたしはこれから、ひとりでバーに行くんだけど、香子も来ない?》
すごく限定した指名で、私はいぶかしんだ。
「バー? 私とふたりきりで?」
どういう風の吹きまわしか、と私はたずねた。
火村さんは、去年の秋の打ち上げをおぼえていないか、と返した。
「去年? ……あ、カクテルがどうこう*、の話?」
《励まし会にするつもりだったんだけどねえ、約束は約束だし》
あんな約束、よく覚えてたわね。
私はすっかり忘れていた。
《香子、20歳になったんでしょ?》
「ええ、まあ……ちょっと待って」
私はスマホを押さえながら、松平に、
「火村さんが、私とふたりで飲みたい……って言ってるんだけど」
と、小声で伝えた。
「飲みたい? なにを?」
「たぶん、お酒」
松平は、なんだ、そんなことか、という調子で、
「いいんじゃないか。火村とは普段から、個人的に遊んでるんだろ」
と答えた。
私は、大谷さんにもたずねた。
「今宵は、無礼講でよいでしょう。楽しんできてください」
そっか……じゃあ、お言葉に甘えて。
私はスマホを耳にあてた。
「もしもし、オッケーよ」
《じゃ、先に行って待ってる》
場所は、例のジャズクラブだった。
火村さんは、常連客みたいな雰囲気で、カウンター席に座っていた。
私は、その左どなりに腰を下ろした。
バーテンダーさんは、蝶ネクタイをしたダンディなおじさんだった。
私たちの顔を見て、
「お客さんたち、なにかいいことでもありましたか?」
とたずねた。
火村さんは、まあね、と返した。
「香子、お酒は慣れた?」
「ううん、20歳にはなったけど、まだ一度も飲んでない」
火村さんは、そう、と言って、バーテンダーさんへ向きなおった。
「私には、ブラッディメアリーのトマト多め、ステアで。味付けはペッパーだけ。こっちのお嬢さんには、ジントニック、ジン少なめ、1:5くらい」
なんだか、勝手に注文されてしまった。
バーテンダーさんは、氷の入ったグラスに、お酒とトマトジュースを注いだ。
それを細いスプーンでかき混ぜて、できあがり。
最後に、なにやら粉をかけた。
コショウの香りが鼻をついたから、コショウだとわかった。
バーテンダーさんは、それを火村さんに出したあと、すぐに次のグラスへ。
こんどは、2種類の透明な液体を混ぜた。
カットしたライムを、グラスのへりに乗せて、できあがり。簡単。
「どうぞ」
バーテンダーさんは、私にもグラスを出した。
火村さんはグラスをあげて、
「おたがいの昇級を祝して、乾杯」
と言った。
私も、それをマネた。
どれどれ……ちょっと緊張する。
ゴク
……ん? 美味しい……っていうか、これってお酒なの?
独特の香りと、甘味がする。
最初は、ライムが溶け込んでいるのかと思った。
でも、この大きさでグラス全体の味を変えるのは、ムリそう。
私は、
「なんだか炭酸ジュースみたい」
とつぶやいた。
バーテンダーさんは、にっこりと笑って、
「炭酸ジュースみたいなものですよ。ジンというお酒に、トニックウォーターを入れるんです。トニックウォーターというのは、炭酸水に砂糖や柑橘類を混ぜたものですから、まさに炭酸ジュースです。はじめてのかたでもスッと飲めますが、アルコールはしっかり入っているので、がぶがぶ飲まないでくださいね」
と教えてくれた。
ふーん、よくわかんないけど、印象と中身は、だいたい一致していた。
柑橘系ジュースは嫌いじゃないから、3分の1くらい、すぐに飲んでしまった。
たしかに、これは危ない。
お腹がいっぱいじゃなかったら、2、3杯は平気で飲めそう。
私はグラスを置いて、火村さんにお礼を言った。
「ごちそうさま……でも、なんでおごる気になったの?」
火村さんは、飲みかけの手をとめた。
天井を見上げて、椅子のうしろのほうへ、体重をかけなおした。
「そうねえ……あたしなりの賭け金の支払い、ってとこかしら」
私は、どういう意味か、とたずねた。
火村さんは、グラスをなでながら、
「都ノは上がれないと思ってた」
と答えた。
失礼な発言だとは、まったく思わなかった。
聖ソフィアと京浜or立志というのが、大半の予想だったっぽい。
実際、電電理科に負けた時点で、アウトに近かった。
火村さんは、
「ま、勝負は水ものだし、都ノの最終日は、素晴らしかったわ。戦力的に、じゃなくて、立ち回りが、ね」
と、歯に衣着せぬ物言い。
私はあきれつつ、
「このままだと、Aではきびしいと思う」
と答えた。
「でしょうね。うちも、ひとのこと言えないんだけどさ」
火村さんの言う通りだった。
日センと首都工の出戻りから考えても、Aは異次元の強さだ。
今回みたいな奇策は、まず通用しないと考えていい。
火村さんは、
「来年度、戦力補強の予定、ある?」
とたずねた。
私は、
「それは各校、秘密でしょ」
と返した。
「たしかーに」
火村さんは、お酒を一気に半分ほど飲み干した。
グラスを置き、嘆息する。
「とりあえず、王座戦を目指しましょ、王座戦。チャンスが来たんだから」
そう、チャンスは来た──来てしまった、というほうが、正しいかもしれない。
部を立てなおすとき、王座戦出場を約束した。
もしかすると、あれはタテマエだったんじゃないかとも思う。
あるいは、夢。
夢は夢として語られている限り……なんといえばいいんだろう……安全?
無害? 空虚? 妄想?
どれもぴったりこない。ただ、王座戦出場は、ひとつの夢だった。
心のどこかでは、叶わないと思っていたような夢だ。
今、リアルになる可能性がひらいた。
そのことがなぜか、無性に怖くなるのだった。
*210手目 キャラバン
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