41手目 謎は謎のままに
と金作り……?
6八金寄で防いだら、どうするつもり? ……5八歩成でかたちを崩すとか? でも、そのあとが続かなかったら、5八同金〜6八金寄〜7八金寄と戻れる。5七歩が成立するとしたら、この2手が指せないってことなんだけど……そうなの?
私は息苦しくなって、お茶を飲んだ。なにかあるはず。ギャラリーも、息を潜めて真剣に考えているようだ。雰囲気で分かる。現に、火村さんのうしろの面子は、あごに手を当てたり腕組みをしたりして、じっと盤面をみつめていた。
6八金寄で勝てるなら、話は簡単だ。チャンスかも。私はじっくり考えた。
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ああ……なんとなく分かってきた……6八金寄は、成立してないわね。おそらく、6八金寄には5八歩成、同金、3五銀、3三角成、同桂、1六飛、4九角だ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
単なる4九角と違って、先手は6八金寄しか指せない。これはほぼ負けだと思う。
私は大きく息をついて、背伸びをする。カラクリは分かった。
となると、5七歩には受けないといけない。
「5九歩」
へこまされた格好。ちょっとイヤな感じになってきた。
「こういうしょぼいトリックには引っかからない、と」
しょぼくはないんじゃないかなあ。
私がそんなことを考えていると、次の手が指された。
8六歩――これは、さっきの5七歩よりも意外だった。
「そっちから取るの……?」
火村さんは後頭部で腕組みして、椅子をうしろへかたむけた。危ない。
押し掛けていたギャラリーは、うしろに下がる。
「どこの歩を取ろうと、あたしの勝手でしょ」
「……」
火村さんの軽口をよそに、私は読みと格闘していた。
イヤな筋が思い浮かんだのだ。
それは、8六同角に5八歩成。一見、歩のタダ捨て。でも、5六の銀が動けなくなる。動いたら、5八飛成。もちろん、動き方次第では、軽微な損傷になる。例えば、8六同角に5八歩成、同歩、5三銀、6四歩、6六歩、6五銀、5八飛成、5六飛。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
と、こんな感じ。5六同龍、同銀、5七飛が、ちょっと痛いかなあ。
6七歩成以下の攻め合いは、選びたくない。
私は、6六歩を緩和する手を模索した。
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6三歩成と捨てて、同金、6八歩と打ち直すしかないか。
「8六同角」
残り時間は、私が12分、火村さんが13分。拮抗している。
「5八歩成」
きた。同歩、5三銀、6四歩、6六歩。
「6三歩成」
歩を成り捨てて、同金、6八歩。
私の陣地は、比較的安全になった。
「4四歩」
いやあ、これまたいやらしい手だ。
次に4五歩と突いて、同銀なら5八飛成を狙っている。
これを嫌って1六飛は、先手からの攻め筋がなくなるからアウト。
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6五銀と行くしかないか……6五銀、5八飛成に5六飛とぶつけて、同龍、同銀。
これが残された道だけど、今度は5九飛が成立している。6八に歩を打ったせいで、角筋が5九の地点に利いていないのだ。とはいえ、6八歩と打たなければ、さっきの読み筋の通り5七飛があるのだから、仕方がない。二兎は追えなかった。
私はお茶を飲んで、覚悟を決めた。6五銀と進める。
「決戦ね。5八飛成」
5六飛、同龍、同銀、5九飛、6五銀。
「4五歩」
桂取りよりも、角道を優先してきた。
これは、若干予想がついていた。というか……これ、8筋の攻めが間違ってたかも。
角筋が綺麗になったせいで、8七歩が激痛になっている。
私は6一飛とおろして、ひとまず先手をとった。
6二銀、2一飛成。
「ふふふ、これが痛いんじゃない? 8七歩」
火村さんは、わざわざ歩をみせびらかせてから、盤上においた。
同銀は6七歩成が王手。同金も、6七歩成、同歩、7九飛成に同銀と取れない。
だからと言って、放置は8八歩成、同金上、8七歩、同金右、6七歩成、同歩、7八銀で、どんどんおかしくなる。つまり、ここで私が指せる手は、ひとつ――
「7七銀」
これしかない……これしかないけど……私のなかで、形勢判断が大きく後手に振れた。
思っていたよりも悪い……ずっと悪い……。
「さすがに、このままだと続かないか……2九飛成」
火村さんは、勢いよく桂馬を取った。
私は長考に沈む。うまい攻めを見つけないといけない。
一段目からの攻めはむずかしい……となると……二段目? 二段目もむずかしい。金銀角がうまく連携していて、この二ヶ所はスキを突きにくかった。だとすれば……三段目しかないわけか。穴熊相手に三段目の攻めは、あまり乗り気になれない。でも、そこにしか活路がないような気もした。
仮に進めるとしたら、8四歩、同銀、2三龍でしょうね。
以下、4四角、8三歩、同金、6四銀。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
この順の勝機が、一番高いようにみえる。
ただ、すぐに後手陣が崩壊してくれるわけでもない。
7三金左、同銀成、同銀引、6五桂と打ってどうか、って感じ。
私は残り時間が7分を切ったあたりで、8四歩と打った。
火村さんはノータイムで同銀。私は2三龍と引く。
「そうきますか」
火村さんは、両手を椅子の端にそえて、前後に体を揺らしながら読み始めた。
さっきまでとはうってかわって、真剣な顔をしている。
「寄ってると思うんだけどなぁ」
こら、そういう脅しは利かないわよ。
私は内心いきどおりつつ、お茶を飲もうとした。
ペットボトルを口にしかけて、私はふと、盤面をチラ見した。
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私は自然と手をおろして、ペットボトルをテーブルのうえに置きなおす。
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6七桂がある?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
3三龍だと、7九桂成、同金、同龍……8八角しかないか。8八桂の受けは、同歩成、同銀、8七桂、同銀、8八金で詰む。8八角、同歩成、同銀、1九龍……絶対勝てない。となると、3三龍が成立してなくて、6七同歩、同歩成……これも同金とできない。
「裏見さん、裏見さん、顔色が悪いよ?」
視線をあげると、火村さんのニヤついた顔がみえた。
「これがイヤなのかな?」
火村さんは、人差し指と中指で桂馬をつまみ、私に見せつけた。
くちびるを噛み締めた途端、6七桂が指された。
「さ、どうする?」
「ごめん、ちょっと静かにして」
私は火村さんをたしなめて、盤面に集中する。
火村さんは、また後頭部に手を当てて、椅子をうしろにかたむけた。
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生きてる順はある。6七同歩、同歩成の瞬間に8三歩だ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
同金、3三龍が理想だけど、さすがに7七角成と切ってくると思う。
そこで同角、8三金、5五角(!)と飛び出す。
問題は、8三金のところで7七とが入る可能性。入ったら、先手がアウト。7七角成、同角、7七と、8二歩成、同玉、7四銀……これが詰めろじゃないっぽい? 私のほうは詰む?
8八銀、同金上、同歩成、同金、同と、同玉。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
パッと見、詰み……でもないか。6六角が有力だけど、7七桂、8七歩に9七玉と逃げる手がある。後手は斜めうしろに利く駒がないから、ここがエアポケット。そこで7四金と銀を回収するのは、8三銀から即詰み。7七桂に同角成と切るのは、同玉、7九龍、7八合駒のときに、やっぱり銀がないから助かっている……はず。
つまり、7四銀の瞬間に8八銀はできない、と。だとすれば、一回7四同金としてくるかもしれない。さっきの順でも、銀があれば詰んでたっぽいから。7四同金……8三金、7一玉、2一龍、5一歩、6三桂、6一玉(同銀は5一龍、6一合駒、6二角まで)、4三角、5二銀、5三桂、同銀右、5一龍……あれ? ぴったり詰んだ?
そっか、角と桂馬の組み合わせが絶妙で詰むのね。よしよし。
ということは、7四銀に同金ともできない、と。
8三歩、7七角成、同角に8三金は確定した。7七ととはしてこないはずだ。
ここで残り時間が1分になったから、私はすぐに指した。
「6七歩」
同歩成、8三歩、7七角成、同角。
火村さんは30秒ほど考えて、8三金と手をもどす。
私は5五角と飛び出した。
「意外としぶといなぁ」
火村さんも、残り時間はそんなにない。2分だ。
2分で寄せられる? と、訊いてみたくなる局面。
「ま、王手だから回避。7三金寄」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7四銀ッ!」
同金右なら、8三歩と打つのが痛打ッ!
放置は8三銀成ッ! これを同金は王手放置で後手の負けッ!
「甘いッ! 7八とッ!」
「なにが甘いのか言ってみなさいよッ! 同金ッ!」
火村さんは、滑らせるように歩をつまんだ。
「これがあたしの答えッ! 7七歩ッ!」
パシーン
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………………
詰……め……ろ……!
8三銀成は、8八銀、同金、同歩成、同玉、7九龍(!)、9七玉、8七金、同玉、7八龍、8六玉、8五金までッ! 7七に空中楼閣を作ってくるなんてッ!
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同角ッ!」
7四金右としてくれれば、8三歩で先に詰めろが掛かる。
この筋は、角がいなくてもできる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
火村さんは、金をぎりぎりで拾い上げた。
「7九金ッ!」
パシリ
「え?」
私の脳内将棋盤が、高速で動く。
7九同金、同龍、9七角――攻めが切れたッ!
「同金ッ!」
同龍、9七角。
私の角打ちが、会場に木霊した。
その途端、火村さんの細い腕が、スッと盤上に伸びた。
「切れたと思った?」
火村さんは、とがったひとさし指の爪を、龍にひっかけた。
スーッと縦に引く。
「7七龍」
「ッ!?」
りゅ、龍切り? 最後の突撃……じゃないッ!?
同桂に7八金と打って、5六角〜7四角と抜く筋があるッ!
9七角が意外と受けになってなかったッ!
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「ど、同桂ッ!」
7八金、8九金(8九歩は5六角、7九金、同金、同角、7八銀で必至)、5六角、7八金、同角成、8九金、7七馬、8八歩、同歩成、同金、8七桂。
つ、詰んだ……7四銀を取られるまでもなく詰んだ……。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「負けました」
私は頭をさげた。
火村さんも座り直して、一礼する。
「ありがとうございました」
……………………
……………………
…………………
………………
私は首をひねって、それからお茶を飲んだ。
そのままだと、声がかすれそうだったから。
10秒ほど気持ちの整理をする。
「……9七角がおかしかった?」
私たちは、局面をもどした。
【検討図】
「9七角以外だと、5五角打くらいしかないんじゃない?」
火村さんの言うとおりだ。
私は5五角と、ためらいながら打った。
「……全然ダメね。7八銀で死んでるわ」
私はそう言って、べつの局面を検討しようとした。
すると、ギャラリーから細目の男子が割って入った。
「主将、決勝まで時間がありません」
聖ソフィアの明石くんだった。ぐぬぬ、スパイめ。
どうやら、火村さんは聖ソフィアの主将のようだ。二度びっくり。
「あたしは、べつに疲れてないけど?」
「いえ、そういう問題ではなく、いろいろ準備がありますので……」
どうやら明石くんは、もうひとつの準決勝を偵察していたらしい。
情報交換の時間が欲しい、というわけだ。
それプラス、感想戦をさせない、という意志を感じた。情報隠蔽のために。
火村さんは、あんまり納得がいかないように肩をすくめてから、
「分かったわよ……それじゃ、感想戦はここまで。ありがとうございました」
と言って、一礼した。
私は、もやもやした気持ちのまま、頭をさげる。
「ありがとうございました」
結局、この子、どれくらい強かったのかしら――謎は謎のまま、ってこと?
場所:2016年度 春季個人戦3日目 女流準決勝
先手:裏見 香子
後手:火村 カミーユ
戦型:相穴熊
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛
▲4八銀 △5五歩 ▲6八玉 △3三角 ▲7八玉 △6二玉
▲5八金右 △7二玉 ▲7七角 △4二銀 ▲8八玉 △8二玉
▲9八香 △9二香 ▲9九玉 △9一玉 ▲8八銀 △8二銀
▲6八金寄 △7一金 ▲7九金 △9四歩 ▲2六飛 △5四飛
▲9六歩 △5三銀 ▲7八金寄 △6四銀 ▲5九銀 △7四歩
▲8六角 △8四歩 ▲5八銀 △8三銀 ▲6六歩 △8二金
▲4六飛 △5二金 ▲6五歩 △5三銀 ▲6七銀 △6四歩
▲同 歩 △同 銀 ▲6五歩 △5三銀 ▲5六歩 △8五歩
▲7七角 △4四銀 ▲8六歩 △5六歩 ▲同 銀 △5七歩
▲5九歩 △8六歩 ▲同 角 △5八歩成 ▲同 歩 △5三銀
▲6四歩 △6六歩 ▲6三歩成 △同 金 ▲6八歩 △4四歩
▲6五銀 △5八飛成 ▲5六飛 △同 龍 ▲同 銀 △5九飛
▲6五銀 △4五歩 ▲6一飛 △6二銀 ▲2一飛成 △8七歩
▲7七銀 △2九飛成 ▲8四歩 △同 銀 ▲2三龍 △6七桂
▲同 歩 △同歩成 ▲8三歩 △7七角成 ▲同 角 △8三金
▲5五角 △7三金左 ▲7四銀 △7八と ▲同 金 △7七歩
▲同 角 △7九金 ▲同 金 △同 龍 ▲9七角 △7七龍
▲同 桂 △7八金 ▲8九金 △5六角 ▲7八金 △同角成
▲8九金 △7七馬 ▲8八歩 △同歩成 ▲同 金 △8七桂
まで120手で火村の勝ち