405手目 各校の正念場
8回戦開始前の会場は、ひどくピリピリしていた。
私たちのテーブルだけじゃない。
重要な対局が、目白押しになっている。
まず、京浜vs立志の直接対決。
現時点で、京浜は2敗(聖ソ●都ノ●)、立志は1敗(聖ソ●)。
京浜は、負けたら昇級争いから脱落する。
次に、東方と修身の降級争い。
東方は、負けたらアウト、修身もすでに他力だった。
もうひとつ、赤学vs聖ソの、強豪対決。
聖ソがここで負けてくれれば──という、最後の砦になりそう。
残っている川越vs電電理科も、降級争いに若干からんでいた。
消化試合のない、最終戦前。
松平と政法の主将が着席して、オーダー交換が始まった。
「都ノ、1番席、副将、2年、裏見香子」
あいての主将は、ん、という感じで、くちびるをなでた。
「政法、1番席、副将、3年、池田吉隆」
予想通り。1番席からガチンコに。
「2番席、四将、2年、大谷雛」
「2番席、三将、4年、宮崎誠」
「3番席、六将、3年、風切隼人」
「3番席、四将、1年、島村広」
「4番席、八将、1年、愛智覚」
「4番席、五将、1年、竹部慎」
「5番席、十一将、2年、星野翔」
「5番席、七将、3年、山田史明」
「6番席、十二将、2年、南ララ」
「6番席、八将、2年、山極大二郎」
「7番席、十三将、3年、穂積重信」
「7番席、九将、3年、大屋健一」
オーダー交換が終わった。両陣営ともに、ざわついている。
そしてどちらかといえば、政法のほうが意外性をもって受け止めていた。
おそらく、政法が予想していた布陣は、
A 青葉 裏見 大谷 風切 愛智 ?? ??
B 裏見 車田 大谷 風切 愛智 ?? ??
C 裏見 大谷 風切 愛智 ?? ?? ??
の3パターンだったはず。
政法のエースは、副将の池田さん。
その池田さんが1番席か2番席だから、私と当たるか、青葉くんと当たるか、車田くんと当たるか、大谷さんと当たるかの4択になる。政法としては、私vs当て馬、池田vs大谷が最悪だから、池田さんを1番席に固定したくなる。都ノはこれを読んだうえで、青葉くんを出して、春と同じかたちにする。だからパターンA──という、あいての読みを外した。私が池田さんと勝負する。
政法としては、パターンAで、1、5、6、7番席の4勝を狙いたかったはず。もともと戦力差があって、政法も大勝は期待していないからだ。すると予想されるのは、愛智くんに対振りが得意なひと、6番席と7番席にレギュラー上位、という布陣。この裏をかいて、下3人を楽にした。穂積先輩を当て馬にして、セカンドエースの大屋vs南を回避。愛智くん対策をしていたであろう山田さんには、星野くんが当たる。
この作戦の善悪は、評価がむずかしかった。
政法のほうからも、
「こっちに有利なんじゃないか?」
「1、4、5、6、7で5-2まで狙える。がんばれよ」
という、小声の会話が聞こえてきた。
私は松平と交代して、1番席に座った。
池田さんも、すぐに来た。
すらりとした、長身細身のタイプ。
メガネはかけてなくて、全体的に線が細かった。
熱血タイプでもない。どこかクールな印象を受ける。
盤をならべて、チェスクロをセットして、池田さんの振り駒。
「政法、奇数先」
「都ノ、偶数先」
あとは、対局開始を待つ。
幹事のひとも、スマホから顔をあげた。
「対局準備は、よろしいでしょうか? あと30秒です」
ゴホンと、咳払いの音だけが聞こえた。
「……では、始めてください」
「よろしくお願いします」
私はチェスクロを押した。
7六歩、8四歩、2六歩、8五歩、7七角、3四歩。
【先手:池田吉隆(政法) 後手:裏見香子(都ノ)】
居飛車で勝負する。
振り飛車で奇襲も考えたけど、池田さんは対振りが得意なようだった。
もしかすると、愛智くんに一番ぶつけたかった人材かもしれない。
6八銀に、私は4四歩。角交換を拒否する。
池田さん、ここですこし小考。
7八金、3二金、9六歩、9四歩、4六歩、4二銀。
雁木の進行へ。
4八銀、6二銀、4七銀、5四歩、3六歩、7四歩。
こっちの予定は、速攻。
池田さんも、その気配を察知しているかもしれない。
駒組みを慎重にしてきた。
5八金、7三銀、2五歩、3三角、6六歩。
ここで仕掛ける。
「7五歩」
池田さんは10秒ほど考えて、6七銀。
べつに珍しい仕掛けじゃない。
池田さんレベルの強豪なら、前例をおぼえてても、おかしくなかった。
7四銀、5六銀右、6四歩、4五歩。
むむむ、一直線に攻め返されるか。
このかたちは、先手のほうにパンチ力がある。
7六歩、同銀、7五歩はそんなに痛くないけど、4四歩~4五銀と出てくるのは、受けにくいからだ。
私はいったん、4三銀と支えた。
4四歩、同銀、2四歩、同歩、3七桂。
5二金と締まるか、それとも7六歩と攻め返すか──3五歩もある。
私は、それぞれの筋を比較した。
7六歩、同銀、7五歩、6七銀左、5二金と上がるのは、最初に5二金と締まっておく順と、若干異なる。最初に5二金は、次のターンが先手だ。そこで指す手によっては、こちらからの7六歩が間に合わない可能性も生じる。だから、7六歩を優先させたい。
問題は、3五歩の攻めだった。これも成立しそう。同歩とは取れないから、4五銀と出てくるだろう。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
んー……7六歩、同銀、7五歩、6七銀、4三歩くらいか。
受けに回りそう。
自分から危ないかたちにしたあとで、受ける流れになるのは、変だ。
すくなくとも、私の好みではない。
となれば、7六歩、同銀、7五歩、6七銀左、8六歩の攻めが本命。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
かなり強気ではある。
私はこの筋を、じっくりと掘り下げた。
8六同歩に8五歩の継ぎ歩をして、取られなければ、8六歩まで押し込む。8八歩の受けに、なにか手があれば──という感じなんだけど、その手が思いつかなかった。どうしても先手に逆襲されてしまう。
攻め続けるのは、思ったよりむずかしい。
「……7六歩」
同銀、7五歩、6七銀左。
私は8六歩も入れた。
池田さんは、この手に長考した。
本局のポイントと判断したようだ。
池田さんは考慮中に、きょろきょろするタイプじゃなかった。
ペットボトルの水を飲むあいだも、視線を盤に向けている。
かなり深く読まれている気配。
池田さんはキャップを閉めて、同歩と取った。
8五歩、6九玉、8六歩、8八歩。
私は4三歩と、手をもどした。
感触は……あんまりよくない。
池田さんも、やや前傾になって、攻めの姿勢をみせた。
1分使って、2五歩。
私は5二金で、さらに受けた。
2四歩、2二歩。
この瞬間、先手に手がない……という読み。
あったら、困る。
祈るような心地だった。そして、それは吉のほうに出た。
池田さんは、2九飛と引いた。手がないのを認めた。
私も6一玉で、手待ちする。
池田さんは、小首をかしげた。
なにかあるはずだ、という仕草。
同意したくないけど、同意せざるをえない。
プロかアマ高段なら、なにか見つけるはずの局面。
「……」
「……」
重苦しい空気が流れる。
私も冷たいお茶を飲んで、ひと息ついた。
攻めてくるなら、4五銀かな。
池田さんは、もういちど水を飲んで、天井を見上げた。
決断フェーズに入っている。
ペットボトルが置かれて、次の手が指された。
パシリ
チェスクロが押される。
会場内の駒音が、思考から消えていく。
この手に対しては……反撃したい。
ここで先手の攻めを素直に受け入れるのは、おかしい。
手がないはず、という理由で、この局面に誘導したのだ。
4五銀も成立しないというのが、私の考え。
私がメインで読んだのは、同銀、2三歩成に3八銀の強硬策。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
ただなあ……うーん、4五同銀に2三歩成とは、限らない。
同桂、5五角という進行も、当然にあった。
それに、3五歩を入れるかどうかも、悩ましい。
一例として、3五歩、同歩、4五銀、2三歩成or同桂。
優劣のよくわからない分岐が、連続で登場する。
細かく読めば読むほど、思考がまとまらなくなった。
私は息苦しくなって、ふと顔をあげた。
すると、腕組みをして眉間にしわを寄せる、池田さんの顔があった。
あたりを見る。他のメンバーも、都ノ、政法を問わず、険しい顔をしていた。
苦しいのは、私だけじゃない。
私は深呼吸をして、ふたたび読みの海に沈んだ。