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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第62章 2017年度秋季団体戦3日目・前半(2017年10月8日日曜)
417/487

404手目 視界の罠

挿絵(By みてみん)


 切ったッ!

 典型的な、固めてごり押しの流れ。

 同金寄、6四歩、5七歩成、同歩、同桂成、6三歩成。


挿絵(By みてみん)


 取り合いのインファイトは、さすがに振り穴が勝てない。

 愛智あいちくんは、同銀と手をもどした。

 6四歩と叩かれる。

 これが痛い。

 岩井いわいさんは、この崩し方に、自信があるっぽかった。

 細い右手で左ひじをかかえ、小刻みに揺れている。

 自陣と敵陣を交互ににらみながら、ときおりうなずく仕草。

 私は風切かざぎり先輩に、

「先手の攻め、通ります?」

 とたずねた。

 先輩は、数秒ほど黙った。

「……通らないとは言い切れないが、すぐに崩壊するわけでもない」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ


 6四同銀。

 岩井さんは、59秒まで考えて、6二銀と打った。


挿絵(By みてみん)


 この瞬間、風切先輩の眼光が、鋭くなった。

「さすがに無理攻めだ。いったん5七銀だった」

 やった、先手失着。

 私が内心ガッツポーズをしていると、大谷おおたにさんも来た。

 さあさあ、早く応援に加わってください。

 大谷さんは、風切先輩になにか耳打ちをした。

「ん? どういうことだ?」

「くわしくは、あちらで……」

 大谷さんと風切先輩は、その場を移動し始めた。

 え、え、え、なにかあった?

 私もついて行こうとした。

 すると、大谷さんは、

「トラブルではありません。裏見うらみさんは、愛智くんの応援を」

 と言って、ここにいるように指示した。

 私は首をかしげつつ、観戦を続けた。

 6二同金、同龍、7三銀打、6四龍、同銀、7一銀。


挿絵(By みてみん)


 私レベルでも、さすがに無理攻めだと分かる。

 だけど岩井さんは、まだまだこれでイケる、という雰囲気。

 4枚穴熊だから、最後の最後でZになると思ってるのかも。

 すさまじい楽観主義。

 愛智くん、そういうやからは成敗しなさい。

 6八成桂、同金寄、7二金、6二金、同金、同銀成、4四角。


挿絵(By みてみん)


 よしよしよし、丁寧に受け潰し。

 岩井さんは、7二金、7三銀打、6五歩で、再度崩しにかかった。

 同銀……は、危ないか。

 ん? 同銀が危ないなら、先手の攻めは、まだ切れないのでは?

 6四歩まで入ると、3枚の攻めが復活し……ないか。

 6二銀で、どのみち2枚の攻めにもどる。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 愛智くんは、5九飛と下ろした。

 6九香、6二銀、6四歩、7一銀打、6三銀打。


挿絵(By みてみん)


 これはヌルい。攻勢のチャンス。

 私の読みでは、6七歩と叩くか、あるいは4五角が成立する。

 愛智くんの雰囲気も、わずかに変化していた。

 辛抱が実った、という感じのオーラ。攻めるはず。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ


挿絵(By みてみん)


 あれ? ……攻めなかった。

 愛智くんはこの手を指したあと、普通にチェスクロを押した。

 迷ったようすはなかった。

 一方、岩井さんは、背筋を伸ばした。

 この受けを、予期していなかったみたい。

 右手でこぶしを作り、口もとにあてた。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 6二金、同角(攻めの拠点も消えた)、同銀成、同銀、6三銀、7一銀打。


挿絵(By みてみん)


 こ、これはッ! 千日手コース!

 私は星野ほしのくんのテーブルを見た。対局は、もう終わっている。

 しまった。結果がわから……ん?

 岩井さんのうしろには、赤学あかがく陣営が、勢ぞろい。

 わきくんをはじめとして、桑田くわたくん、宮内みやうちさん──ま、マズいッ!

 これだけ応援がいるってことは、決勝席だ。

 星野くんは、負けたと考えざるをえない。3-3。

 愛智くんが千日手だと、チームも引き分けになってしまう。

 こんな大事なときに、みんな、どこ行ってるんですか。

 ひとりで10人分応援する。愛智くん、がんばれ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 岩井さんは、6二銀成とした。

 愛智くんは、ノータイムで同銀。

 6三銀、7一銀打。

 岩井さんは、手を変えるかどうか、迷っているようだった。

 変えるとしたら、8五桂くらい?

 ただ、8五桂、6四金、6二銀成、同銀の局面が問題。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 これは、先手の攻めが切れているようにみえる。

 8六角と追撃しても、足りなさそう。

 岩井さんは息苦しくなったのか、顔を上げた。

 私と目が合う。

 その瞬間、岩井さんは、ハッとなった。

 そして、左右を確認した。

 ここがラストということに、今気づいたようすだった。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 6二銀成。

 その手つきからは、どこか闘志が抜けていた。

 千日手を受け入れたっぽい。

 なぜ? わからないまま、チェスクロは時を刻む。

 この対局は、もう終わりという空気が流れていた。

 岩井さんの指し手もだんだん速くなって、千日手が完成した。

 最後の一手は、ほんとうに、スッと指された。

 ふたりのあいだで確認もとれて、チェスクロが止められた。

 同時に、うしろの桑田くんは、あちゃ~という表情で、頭をかいた。

 ん? どうしたの?

 脇くんは、しかたがない、という調子の笑みを漏らした。

 わざわざテーブルをぐるりと回って、私のそばまで来た。

 そして、すれちがいざまに、

「岩井さんがとちゅうで、ふりむいてくれればよかったんだけど……素晴らしい盤外戦術だったよ。僕たちの負けだ」

 と言い残して、去ってしまった。

 そのセリフの意味を知ったのは、控え室にもどってからだった。

「え、4-3で勝ったの?」

 私の吃驚に、松平まつだいらは、

「ああ、正確には、3勝2敗2分けだ。ポイント制だから勝ちになる」

 そっか……でも、なんだか納得がいかない。

 勝利にもかかわらず、私は困惑してしまった。

 そこへ、愛智くんが帰ってきた。

「おつかれさまです」

 私は、おつかれさま、と返したあとで、すぐに、

「最後、引き分けならチーム勝ちって、気づいてた?」

 とたずねた。

「あ、はい、確信はありませんでしたが、おおかたそうかな、と」

 星野先輩のところは持将棋模様だった、と、愛智くんはつけくわえた。

 私は、

「それで千日手を選択したのね。でも、岩井さんが打開しそうじゃなかった?」

 と、矢継ぎ早に質問した。

「そこは、外野のサポートのおかげです」

「サポート?」

「先輩たち、わざと応援してませんでしたよね?」

「え……どういう意味?」

「あれ? 僕の勘違いですか? もう全体の決着はついてると、そう見せかけたんじゃないんですか?」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………あ、そういうことか。

 岩井さんが千日手に乗ったのは、私の顔を見てからだった。

 気のせいかな、と思ったけど、因果関係があった。

 応援がひとりしかいないから、チームは決着済み。そう勘違いしたのだ。

 だから、引き分けにしても影響は出ない、と誤解した。

 都ノが勝っていようが負けていようが、0.5ポイントは結果を左右しない。

 だけど、実際には3.5vs2.5になっていた。

 岩井さんは勝つしなかったし、そうだとわかれば8五桂と打っただろう。

 松平は、

「星野が持将棋になった時点で、大谷の行動が迅速だった。最初から応援してた裏見うらみと風切先輩だけ残して、ほかのメンバーは控え室へ下げた。最後は風切先輩も呼び出して、もう消化試合、っていう雰囲気を作ったわけだ」

 なるほど……脇くんのセリフは、そういう意味だったのか。

 松平はさらに、

「愛智の判断もよかった。1分将棋直前で、よく千日手2回を思いついたな」

 と褒めた。

 愛智くんは、

「裏見先輩、大谷先輩、風切先輩の勝ちは濃厚だったので、あと1勝という計算をしていました。星野先輩が持将棋なら、じぶんも引き分けで、この条件を満たすんですよね」

 と答えた。

 松平は、

「とはいえ、岩井さんが千日手を受けるかどうか、わからなくなかったか?」

 とたずねた。

「岩井さんは、ノーマル四間に穴熊が定番です。これは先週、対策を考えているときに、気づきました。だから、千日手誘導は可能で……まあ、本音を言ってしまうと、第1局の僕のミスで、優勢が消えたのが大きいんですけど」

 たしかに、ベストはあのまま勝つことだったかも。

 技巧的な結果に喜んでる場合じゃない。

 そのうち大谷さんももどって来て、昼食休憩に。

「おつかれさまでした。役員は、いつもの場所へ。政法せいほう戦のオーダーを決めます」

挿絵(By みてみん)

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