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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第8章 2016年度春季個人戦3日目(2016年5月1日日曜)
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40手目 注目の対局

「ありがとうございました」

 ふぅ……快勝なんじゃない、これ?

 私は高揚感を押さえるため、しばらく無言になった。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 ん? 感想戦が始まらない?

 顔をあげると、たちばなさんはめちゃくちゃムスッとしていた。

 こういう負け方がくやしいのは分かるけど、大人げないというか、なんというか。

 まあ、2四歩、2六歩、3二銀、2五歩以下で、ずっと後手が悪いなら、感想戦をするところも、ないと言えばない。たしか、30手台だったと思う。

 声をかけようか迷っていると、急に肩を叩かれた。

 ふりかえると、松平まつだいらだった。

「どうしたの?」

 松平は、私の耳もとに顔を近づけてきた。こらこらこら。

風切かざぎり先輩が呼んでる」

「え?」

 松平は、教室の一点を指さした。風切先輩が腕組みをして、テーブルに寄りかかるように立っていた。私はすこし迷って、それから橘さんに話しかけた。

「あの……呼ばれてるみたいなので、感想戦は中止でもいいですか?」

「どうぞ」

 おぉ、怖い。さっさと退散。

 私は一礼して、席を立った。教室のすみっこに移動する。

裏見うらみ、勝ったか?」

「あ、はい……橘さんが、序盤でポカしてくれました……」

 風切先輩はフッと笑って、片方の眉毛を持ち上げた。

可憐かれん相手に勝ち切ったのは、大したもんだ。結構、食らいついてきただろ?」

 私は、「はぁ」とか「まぁ」とか、あいまいに返事をした。

「最後は、一手差でした」

「格下相手にポカが出るのは、可憐の悪いくせだ……が、次はそうもいかない」

 次の対局が話題になって、私はにわかに緊張した。

「聖ソフィアが勝ち上がって来ましたか?」

「ああ、みんな驚いてる」

「ですよね……廃部したところから、いきなり女子強豪が出てくるなんて……」

「とはいえ、裏見についてもおなじだ。この準決勝、注目局になるぞ」

 そういうプレッシャーを掛けないでくださいな。

 私は、ギャラリーだらけになっているところを想像して、もだえた。

「そうあせるな。準決勝進出は快挙だ。そうでなきゃ、俺が来た意味もない」

「どういうことですか?」

「三宅から、聖ソフィアの親玉が来たことを知らされたんだ。それ自体は、問題じゃないんだが……『棋力を判定できないから、ちょっと見に来てくれ』だとさ。恥を忍んで来るはめになった」

 三宅先輩、人使いが荒かったんですね。

「松平じゃダメだったんですか?」

 私はそう言いながら、松平のほうをじっとりと横目でみた。

 松平は髪の毛をくしゃくしゃにしながら、

「すまん、俺も、よく分からなかった」

 と謝った。

「べつに謝る必要はないけど……そんなに強いってこと?」

 松平は、かなり曖昧な返事をした。私は、風切先輩にたずねなおした。

 先輩は先輩で、ややうつむき加減になった。

「……俺にも判然としなかった」

「しょ、奨励会員の風切先輩に分からないって、ありえなくないですか?」

 プロレベルでも、ある程度は分かるはずじゃないかしら。

 疑われたと思ったらしく、先輩はすぐに訂正をいれた。

「なんというか……底みたいなものが見えなかった」

「底?」

 風切先輩いわく、指し手のブレが大き過ぎて、どこまでが実力なのか、見極めがつかなかったとのこと。いい手を指したかと思えば、筋悪な手もあったらしい。

「ようするに、ムラッ気のある選手ってことですか?」

「いや……そこもよく分からなかった……」

「と、言うと?」

 風切先輩は、一段とマジメな顔になって、声をひそめた。

「偵察が入ってることに気付いて、指し手を調整してたのかもしれない」

「指し手を調整する? ……この大会のレベルで?」

 そんなのムリだ。私は正直、そう思った。

「あくまでも印象の話だ。証拠は、どこにもない。裏見の言うとおり、基本的にはムラッ気のある選手ってことで、大丈夫だろう」

「はぁ……」

 なんか、不安になってきた。

「ちなみに、居飛車党ですか?」

「俺が見たときは、四間だった。1回戦はゴキゲンだったらしいぞ」

 オールマイティな振り飛車党か。それなら、風切先輩にかなり鍛えてもらった。

「ところで、大谷おおたにさんは?」

「大谷なら、慶長けいちょう三和みわに負けた。もう片方の山は、三和と速水はやみだ」

 大谷さん、負けちゃったのか……ますますプレッシャーがかかる。

「分かりました。決勝を目指してがんばります」

 気合いを入れなおしたところで、幹事から着席の合図があった。

 都ノみやこの大学、一丸となって出動ッ!


挿絵(By みてみん)


「左の山、だれだ? ふたりとも知らないぞ」

 ギャラリーのひとりが、そうつぶやいた。

 すると、べつのギャラリーがスマホをいじりながら、

「裏見のほうは、ネットで検索したら出た。H島で優勝経験があるらしい」

 と答えた。こら、なにサーチしてるの。プライバシーでしょ。

「H島ってことは、慶長の三和と一緒か。知らないところに強豪っているもんだな」

「まあ、左の山はヌルかったから……」

「しッ、都ノと聖ソフィアに聞こえるだろ」

 ああ、もう、ギャラリーが騒々しい。

 ここまで増えると、逆に気にならなくなってきた。

 私はむしろ、目の前の少女――火村ほむらさんに意識を集中し始めた。

 単純に気になる、と言ってもいい。

 しきりに足をぷらぷらさせたり、頬杖をついたり、せわしない。

 でも、子供っぽい仕草とは不釣り合いな、あやしげなオーラを感じる。

「えー、お疲れとは思いますが、準備のほう、いかがでしょうか?」

 幹事の質問。特に返事はなかった。ギャラリーも、おとなしくなった。

「それでは、個人戦女子の部、準決勝を始めたいと思います……開始してください」

「よろしくお願いします」

 私と火村さんは、おたがいに一礼。後手の火村さんがチェスクロを押した。

 私は深呼吸をする。準決勝まで進めたのは、ひさしぶりのことだ。

 緊張せずに、前向きに……7六歩。

 3四歩、2六歩、5四歩、2五歩、5二飛。


挿絵(By みてみん)


 中飛車。一番攻撃的なものを選んできた。

「へぇ、そっちは居飛車なんだ」

 火村さんは、なんとも言えない不敵な笑みを浮かべた。

「さっきの対局は、裏見うらみ香子きょうこ裏芸うらげいってやつ?」

 ギャラリーのなかには、くすくすと笑うひとがいた。

 私は黙ってスルー。4八銀と上がる。

 火村さんは、相手にされなかったのが不満なのか、肩をすくめた。

「無愛想ね……5五歩」

 6八玉、3三角、7八玉、6二玉。

 序盤の指し手は速い。手つきからして、火村さんが強そうなことは分かった。

 7二玉、7七角、4二銀、8八玉、8二玉。

「9八香」


挿絵(By みてみん)


 せっかくの準決勝。手堅くいきましょう。

 一方、火村さんもニヤリと笑った。異様に長い犬歯が、口の端からのぞいた。

「OK、相穴ね。受けて立つわ。9二香」

 9九玉、9一玉、8八銀、8二銀。

 お互いにハッチを閉める。

 6八金寄、7一金、7九金。

 単純に組み合ったら、居飛車のほうが若干有利になるはず。

 案の定、火村さんから変化してきた。

「9四歩」

 私は30秒ほど考えて、2六飛と浮く。5筋の飛車先を牽制。

「そう来るか……5四飛」

「9六歩」

 ここで端を受けておく。

 以下、5三銀、7八金寄、6四銀と進んだ。


挿絵(By みてみん)


 積極策……いや、そうとも限らない。7四歩〜7三銀引もありうる。

 私は5九銀と引いた。これが、2六飛からの構想。

 飛車を浮かずに5九銀は、5六歩と突かれて困る。

「7四歩」

 やっぱりね。単純な積極策じゃなかった。

 私は8六角と上がって、さらに牽制をかけた。

 8四歩、5八銀、8三銀、6六歩。

「おたがいに変なかっこう」

 火村さんは、甲高い笑い声をあげた。駒組みが面白くて笑うとか、小学生ですか。

「だーけーどー、先手がうまくいってるとは思えなーい。8二金」

「そういうことは、勝ってから言いなさいッ! 4六飛ッ!」


挿絵(By みてみん)


 こういう狙いもあるのよ。3二金を強要。

「5二金」

 あれ? そっち? ……なんで?

 私は変に思った。6五歩に7三銀とできなくなったからだ。3一角成で、後手が敗勢になる。この3一角成を消すために、3二金のはず……錯覚? うっかり? ……準決勝の相手に、リスペクトを欠いた判断は、やめておきましょう。危ない。

 とはいえ、6五歩に5三銀とするしかないはずだ。それは、間違いのないところ。

 私は6五歩、5三銀と下がらせて、さらに6七銀と上がった。


挿絵(By みてみん)


 先手は万全の体勢。

 気になる点があるといえば、右桂が使えてないことくらいかな。後手も左桂を使えていないから、デメリットとすら言えない。

 先手の駒組みがうまくいってないとか、火村さんの判断ミスもいいところ。

「6四歩」

 ん、奪還しに来た? できないわよ?

 私は同歩、同銀に、再度6五歩と打った。これも5三銀と下がらざるをえない。


挿絵(By みてみん)


 さて、謎の6四歩だったけど……案外に手渡しだった? 後手からは動けないし、先手に動いてもらおうって腹づもりなのかも。もちろん、そうさせてもらう。こっちは穴熊が完成してるから、すぐにでも開戦したい。ずばり5六歩だ。同歩、同銀の進行は、後手の飛車が窮屈になる。よって、5六歩に同歩とはできない。これを受けるには4四銀しかないけど、即座に4四銀は3一角成がある(まさに5二金のデメリット)。

 というわけで、5六歩には8五歩、7七角、4四銀でしょうね。これなら、3一角成の狙いが消える。先手としては、そこで8六歩と反発して、どうか。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)

 

 8筋はおたがいに急所。怖いところではある。でも、同歩、同角とすれば、後手はふたたび5三銀と戻らざるをえない。以下、5五歩と取り返して、同飛でも同角でも5六飛とぶつけて決戦を挑む。あとは、陣形差で先手が有利という寸法。

 この展開がイヤなら、8六歩に同歩と取らないで、5六歩でしょうね。これに代えていきなり3五銀と飛車に当てるのは、1六飛、1四歩、5五歩が間に合う。端歩を付き合っていないおかげだ。

 5六歩を放置は、5七歩成とされて私が困るから、当然に同銀と取り返す。そこで後手の手が難しい。5五歩なら4五銀と強気に出て、同銀、同飛でいいんじゃないかしら。

 私はここまでの読みを確認して、特に問題がないと判断した。

「5六歩」


挿絵(By みてみん)


 開戦。

「ふむふむ、予想通りね。そうこなくっちゃ」

 火村さんは、納得の表情。

 それでは、お手並み拝見。

「8五歩」

「それは、こっちも予想通りよ。7七角」

 4四銀、8六歩。

 私は8筋を突っかけた。

「5六歩」

 読みが噛み合っている。同銀。

 チェスクロを押したところで、火村さんは歩を威勢よく放った。

「5七歩ッ!」

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