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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第60章 2017年度秋季団体戦1日目(2017年9月24日日曜)
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394手目 確率のゆりもどし

 は~……私は椅子にもたれかかって、大きく背伸びをした。

 体重をかけると、リクライニングになって、天井が見える。

 しばらくその体勢で、LED電灯を眺めた。

「……スランプだわ」

 近くにいた穂積ほづみさんは、スマホから顔をあげた。

「なにが?」

「将棋」

「ま、そんなこともあるわよ」

 完全に他人事ですね。

 初日に1回も出さなかったことを、怒ってる?

 というタイプでもないか。

 穂積さんと同じテーブルには、粟田あわたさんの姿もあった。

 ふたりとも、スマホで麻雀してるっぽいのよね。

 大会中にそういうのはよくないのですが。

 しばらくして、粟田さんの声が聞こえた。

「あ~、またラス引いちゃった」

 私は、

「負けたの?」

 と尋ねた。

「うん、ラスだった」

「ラスってなに?」

「4人中4位」

 ふーん、白黒をつけるゲームじゃなくて、着順ゲームなのか。

 粟田さんは、前髪をなおしつつ、

「私もスランプかなあ」

 とつぶやいた。

 私は便乗して、

「スランプのときって、なにかやってることある?」

 と尋ねた。

 粟田さんは、麻雀で?、と訊き返した。

 それでもいい。将棋関係者には、すでに訊いて回った。

 なにも解決しないから、他のゲームプレイヤーも参考にしてみたい。

 粟田さんはスマホを持ったまま、天井を見上げた。

「んー……やっぱり、普段と逆をやってみる、かな」

「逆?」

三面張さんめんちゃん捨てて単騎たんきリーチとか」

 喩えがわからん。

 一方、穂積さんは、チッチッチッと指をふった。

「あわちゃん、それはオカルトよ」

「え~、オカルトじゃないよ~」

「どう考えてもオカルト打法でしょ」

 なんだかよくわからない論争が始まったので、私は説明を求めた。

 粟田さんは、

「今、AとBの箱があるとするね。どっちかに当たりが入ってて、Aの確率が80%、Bの確率が20%のとき、香子きょうこちゃんなら、どっちを選ぶ?」

 と質問してきた。

「それって麻雀じゃなくない?」

「あ、専門用語で説明しても伝わらないかな、と思って。仕組みはいっしょだよ」

「Aの確率が高くて、Bの確率が低いってこと?」

「そうそう」

 あまりにも簡単で、ひっかけ問題じゃないかと疑いたくなる。

 まあ、乗ってみるのも手だ。

「……Aじゃない?」

「普通はそう考えるよね。だけど、ツイてないときは、Bを選ぶといいんだよ」

「……なんで?」

「ツイてないときは、逆張りが正解なの」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………オカルトでは?

「確率はAが大きいんでしょ?」

「運がないときは、一番大きい確率が一番小さくなっちゃうんだよ」

 いやいやいや、それオカルトだから。

 っていうか、確率の概念に反してるでしょ、たぶん。

 穂積さんも呆れて、

「香子、まともに取り合わないほうがいいわよ」

 と言った。

 粟田さんは、

「え~、ひどい~」

 と抗議。

 穂積さんは淡々と説明。

「あのさ、箱の中身は独立事象なんだから、試行錯誤を繰り返せば、Aがたくさん出るのよ。大数の法則。サイコロを1万回振ったら、ツイてるとかツイてないとか関係なく、だいたい1666回出るわけ」

「不調のときは、確率の揺り戻しがあるんだよ」

 粟田さん、あなた経済学部でしょ。

 法学部に数学で負けないでください。

 あーだこーだやっていると、部室のドアが開いた。

 風切かざぎり先輩が顔を出した。

「ん? お客さんか?」

「あ、お邪魔してまーす。粟田です」

「ああ、経済学部の子か。なにしてるんだ?」

 麻雀だ、と素直に答える粟田さん。

 そこは誤魔化して欲しかった。

 とはいえ、風切先輩もそのへんはうるさくないから、会話は自然と流れた。

 そして、さっきの逆張りの話になった。

 すると、穂積さんはいきなり指パッチンをして、

「そうだ、風切先輩、あわちゃんを説得してください」

 と言い出した。

「説得?」

「数学的に言って、逆張りは意味ないってことです」

 風切先輩は、詳しい説明を求めた。穂積さんは、状況を教えた。

 先輩の第一声は、

「そいつは数学じゃ決まらないぜ」

 だった。

 穂積さんは、目が点になった。

「風切先輩……まさかオカルティストだったんですか?」

「いや、そうじゃなくてだな。現代数学は、公理系からの推論の集まりであって、現実の法則の集まりじゃないんだよ」

「先生、もっと簡単にッ!」

 風切先輩は椅子に座って、足を組み、うしろ髪をくるくるし始めた。

「例えば、サイコロの目が6分の1で出るっていうのは、なんで言えるんだ?」

「6面だからじゃないですか?」

「6面は全部均一にできてるのか?」

 穂積さんは、ちょっと考えて、

「んー、穴の数が違いますね」

 と答えた。

「だろ。重心が完全にバランスしてるわけじゃない。じっさいに振れば、出やすい目と出にくい目がある。じゃあ、数学の問題で6分の1になるのはなぜか、って話になるよな。答えは、単にそう仮定してるから、だ。それぞれの面が6分の1で出るサイコロと仮定されてるから、それぞれの面が6分の1で出る。ようするにトートロジーだ」

 ほぇ~、意外と深い話だった。

 穂積さんは、

「だけど、運でサイコロが左右されるのは、数学的にもありえなくないですか?」

 と反論した。

「そんなことないぜ。Aを運の集合、Bをサイコロの確率の集合として、そこに二項関係Rを設定することは可能だ。もちろん、運の集合なんてものが現実世界に存在するかどうかは、別だがな。それは数学の仕事じゃなくて、物理学の仕事だ」

 穂積さんは、うーんとうなった。

 粟田さんは、ほくほく顔で、

「スランプのときは、やっぱり逆張りが正解ですね」

 と言った。

 いや、それは違うと思う。

 今の風切先輩の話は、運のあるなしは数学じゃなくて物理学、っていうだけで、運が現実に存在する、とは言ってない。

 いずれにせよ、これ以上議論するとぐだぐだになりそうだから、やめておく。

 ちょうどいいことに、風切先輩が話題を変えてくれた。

「ところで、来週はどういう並びで行くんだ?」

 私は、ちょっと言いよどんだ。

「そうですね……4回戦の聖ソフィアと、6回戦の京浜けいひんが、ヤマなんですけど……」

「うちにヤマとかあるのか。電電理科に負けてるんだが」

 なかなか辛辣な発言。

 言い返せないところがつらい。

「とりあえず、聖ソ戦は、がらっと変える予定です」

愛智あいちは?」

「さすがに愛智くんは出します。終盤、こけただけですし。抜けるなら私と松平まつだいらかな、と」

「それこそ気にしすぎじゃないか? 2連敗なんてよくある」

 内容がマズいんですよ、内容が。

 端歩の見落としにいたっては、恥ずかしいから松平と大谷さんにしか言っていない。

 松平も調子が悪いみたいだし、ここは穂積さんともうひとり入れ替え──と行きたいんだけど、問題は山積みだった。

 風切先輩は、その問題点を的確に指摘してきた。

「そもそも、連勝中の選手が、3人しかいなくないか?」

「そうなんですよね……星野ほしのくんとララさんも0-1ですし……勝ち星のある選手、っていう条件にすると、青葉あおばくん、私、大谷さん、風切先輩、愛智くん、平賀ひらがさん、松平の7人で決まっちゃいます」

 この並びは、かなり読まれやすいと思う。

 けど、考えれば最善な気もしてくる。

 議論が堂々めぐりになっていて、役員のあいだでも意見がまとまっていなかった。

 大谷さんは、奇をてらわずにその7人でいいのでは、という立場。

 私と松平は、工夫したほうがいい派だけど、細部が一致しなかった。

 私の案は、私が外れて穂積さんがイン。

 松平の案は、自分も外して、穂積さんと三宅みやけ先輩がイン。

 風切先輩は、ポンとふとももを叩いた。

「ま、ゆっくり決めてくれ。一局指そう」

 私たちは盤駒を用意した。

 振り駒を、というところで、がらりとドアが開いた。

 平賀さんと青葉くんが登場。

「おつかれさまですッ!」

 あいかわらず元気なことで。

 じゃあ、今度こそ振り駒を、というところで、穂積さんはまた指パッチン。

真理まりちゃん、工学部だったわよね?」

「ですです」

「運って物理的にあると思う?」

「ウン?」

「Luck」

「そんなウ○コな物理量は存在しませんッ!」

 平賀さん、教養を身につけるまえに、デリカシーを身につけてください。

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