387手目 再チャレンジ
秋の団体戦初日。
私たちは電電理科大学に集合した。
校舎で大会をひらく競技って、少ないわよね。
オープンキャンパスかなにかで、高校生たちから、じろじろ見られた。
講義室の一角を、荷物で占拠する。
火村さんたちがとなりに来るかな、と思ったら、今日は来なかった。
C級の2校と相部屋に。このほうが気楽でいい。
慌ただしい準備の中、教室のすみっこで、オーダーの最終確認。
ふむ……まあこんなもんか、という印象。
正直なところ、すごくイケる、という気はしなかった。
B級のレベルは、たぶん春よりも底上げされている。
部員不足で困っていた大学が落ちて、修身と聖ソフィアが上がってきたからだ。
都ノにとって幸いなのは、Aから落ちてきた大学が、春よりも弱いこと。
日センと首都工を相手にしなくて、よくなった。
とはいえ──松平はオーダー表を片手に、頭をかいた。
「速水先輩が抜けるなら、日センに残ってて欲しかったな」
速水先輩の離脱で、日センは大幅戦力ダウン。
秋はA級でダントツの降級候補、という噂だった。
こういうのは広まるのが速いから、私たちの耳にも入っていた。
私は、
「日センが残ってたら、そもそも私たちが上がってるんだけどね」
と返した。
ようするに、意味のないたらればだ。
日センとうちが同時にBへ残るパターンは、なかったわけで。
たしかに、と、松平は肩をすくめてみせた。
「ひとまず、並びを……」
「おーい、うちの悪口か?」
私たちは飛び上がりかけた。
ふりかえると、日センの奥山くんが立っていたのだ。
松平はあいさつもせずに、
「オーダー会議のときに覗くのは、ご法度だろ」
と返した。
奥山くんは、メガネの奥でエッ?となった。
「オーダー会議だったのか? 堂々とやり過ぎだぞ」
いやいや、いきなり都ノのブースに来るからでしょ。
松平もそれを指摘した。
奥山くんは、腕組みをして笑った。
「ハハハ、悪い悪い。だけど、日センの悪評が聞こえたもんでな」
「いや、まあ、それは悪かったが……そもそも、なんでここにいるんだ?」
「となりに用があった」
よく見ると、Bの学生たちも、ちらほら出入りしていた。
知り合いと談笑しているひと、幹事となにか相談しているひと。
けっこう危ない場所で議論してたかも。
奥山くんは腕組みをやめて、親指を立てた。
「もこっち先輩がいなくても、残ってみせるさ。今回だけの辛抱だ。来年また強いのが入ってくる」
「ああ、がんばれよ」
「そっちこそな。さっさと上がってこい」
奥山くんはそう言い残して、去っていた。
そしてそれと入れ替わるように、大谷さんがやって来た。
「定刻です。そろそろ参りましょう」
というわけで、全員、出撃ッ!
私たちは会場へ移動した。
初戦は修身大学。栗林くんが主将で、橋爪くんがエースのところだ。
栗林くんたちも、ほとんど同時に到着した。
オーダー交換に入る。
松平は紙を広げた。
「修身からでいいぞ」
「じゃ、遠慮なく。1番席、副将、藤田勇斗」
「1番席、大将、青葉暖」
「2番席、四将、橋爪大悟」
ぐッ、そこか。
「2番席、副将、裏見香子」
「3番席、五将、一ノ瀬哲」
「3番席、四将、大谷雛」
「4番席、六将、俺」
こらこら、名前を言う。
「4番席、六将、風切隼人」
「マジかよ……5番席、八将、淵田成二」
「5番席、八将、愛智覚」
「6番席、十将、大浜啓」
「6番席、九将、平賀真理」
「7番席、十二将、佐藤充」
「7番席、十将、松平剣之介」
オーダー交換が終わった。
相手の陣営からは、
「春とあんまり変えてこなかったな」
「栗林、がんばれよ~」
うんぬんと、いろんな声が聞こえた。
私たちのほうも騒がしくなる。
松平は席から立って、
「裏見のところはきついが、がんばれよ」
と声をかけてくれた。
「松平こそ、落とさないようにね」
それぞれ席につく。
橋爪くんは、先に座って待っていた。
ガラもののシャツに、金のネックレス。
椅子によりかかるようなかっこうで、ポケットに手を突っ込んでいた。
「あ、裏見先輩、おひさです」
「おひさしぶり」
あいさつもそこそこに、駒を並べる。
他の対局席も、静かになり始めた。
1番席の青葉くんが振り駒。
「……都ノ、偶数先ですッ!」
2、4、6番席が先手。私も含まれている。
ここで幹事の声が聞こえた。
「えー、準備はよろしいでしょうか?」
あちこちから、まだでーす、という返事。
確認不足のチェスクロが、複数台あったみたい。
電池を交換したり、本体ごと取り換えたりしていた。
気持ちを落ち着けて、待つ。
「よろしいですか? ……OKですね。では、10時5分開始とします」
会場が静まり返る。
「……では、始めてください」
「よろしくお願いします」
7六歩、8四歩、6六歩。
【先手:裏見香子(都ノ) 後手:橋爪大悟(修身)】
角道を止める。
橋爪くんも反応した。
私のことは、居飛車党と聞いてるんじゃないかな。
「……8五歩」
7七角、3四歩、6八飛。
振ります。
橋爪くんは、たいして動揺しなかった。
すぐに6二銀と上がった。
7八銀、1四歩、1六歩、7四歩、6七銀、5四歩。
後手は急戦くさい動き。
4八玉、5二金右、3八銀、4二玉、5八金左、3二玉。
橋爪くん、手が早い。ほとんどノータイムだった。
穴熊一直線? ありうる。
その路線は、ちょっとイヤなのよね。
格上がじっくり指してくるのは、困る。
「3九玉」
ひとまず深く入っておく。
「5三銀」
持久戦っぽいか──じゃあ、例のプランで。
力強く5六歩。
3三角、2八玉、4四歩、7八飛、4五歩。
な、なんと、角道を開けてきた。
例のプランもダメか。今度は速攻っぽくなってきた。
7四歩で急戦模様→5三銀で持久戦模様→4五歩で急戦模様。
揺さぶってきている。
ひとまず、6四銀と上がってくるのが本命だ。
ただなあ、駒組みを再開する可能性もあった。
例えば、2六歩に4三金とか。
この手だけで急戦が確定するとは、まだ言えない。
うーん……いっそのこと、こっちから仕掛けちゃおうかしら。
7五歩、同歩、6五歩、7七角成、同飛とか。
私は逡巡した。この順も、悪くはないと思ったからだ。
……………………
……………………
…………………
………………ん、待ってよ。
この局面、風切先輩と指したことがあるわね。
完全に一緒じゃないけど、似ている。私が後手を持っていた。
違うのは、9筋の端も突き合っていたことだ。
……………………
……………………
…………………
………………
っていうか、これ、私が試して全然ダメだった構想じゃない?
いや、戦術が悪かったかどうかについては、自信がない。
というのも、風切先輩の対応で、アテが外れる流れになったからだ。
あのときの先輩の指し手は──
パシリ
これ。さくっと挑発。
橋爪くんは、初めて手が止まった。
10秒ほど固まる。
ペットボトルのキャップを開けて、水を飲んだ。
「……」
キャップを閉めて、また考え始めた。
中身は、なんとなく分かる。
というか、私が誘導しているのだから、分かるのは当然。
6四銀としてくれませんか、ってことだ。
橋爪くんは、挑発されている自覚があるはず。
それにどう反応するのか。これは性格の問題。
ムカッとするひともいるし、全然平静なひともいる。
私のときは、なんというか……困惑してしまった。
直前の4五歩が工夫だったのに、一発でパーになったからだ。
「……」
「……」
ん? 悩んでる? もう1分経った。
橋爪くんは、首を斜めにかしげて、くちびるにひとさしゆびを添えた。
さらに1分が経過する。
もしかして、私のときと同じで、4五歩に2六歩が研究だった?
外されて困ってる? それとも、6四銀以外に、なにかあるの?
さらに1分が経過──腕が動いた。
パシリ
来たッ!