384手目 ジンギスカン
「乙部さんは、なにを隠してたの?」
私の質問に、大谷さんは小声で答えた。
「南さんの国籍です」
「……ララさんの国籍?」
「正確に言うと、南さんの国籍に対する反応です」
私は、あのときの記憶を、よくよく掘り返してみた。
そして、思い当たるシーンに気づいた。
「ララさんはブラジル人だ、って言ったとき、乙部さんは黙ったわね」
「そうです。拙僧は、そこが気になっていました」
たしかに、言われてみれば、そうだ。
外国籍の学生なんて、今じゃ全然珍しくない。
もちろん、国籍に偏りはあるから、出身国によっては珍しい可能性もあった。
例えばバルト三国の留学生には、まだ出会ったことがない。
でも、ブラジル人は、日本にいる人数で5位くらいだったはず。
「だけど、聖生となにも関係なくない?」
「あの葉書を思い出してください。聖生は外国にいた可能性が高いのです」
私は唖然とした。
まさか、そこで繋がるとは思わなかったからだ。
「つまり、聖生の渡航先はブラジル?」
「拙僧は、そう予想しています。外国人というだけでは、反応するはずがありません。あの動作は明らかに、ブラジルというキーワードで起こりました」
「仮にそうだとしても、ブラジル繋がりってだけで、そこまで勘繰るかしら?」
「都ノの学生だったからではないでしょうか」
「というと?」
「聖生の娘だと疑ったのでは?」
そんなことあるかなあ、というのが、私の第一印象だった。
けど、大谷さんは、この推理に自信があるようだった。
「H海道に広まっている聖生の情報は、関東で広まっているものと異なるのかもしれません。聖生がゲーマーだという噂は、太宰さんの情報網にも引っかかっていませんでした。反対に、関東の学生ならば知っていることを、乙部さんは知らないのです」
「SNSの時代に、そんなことある?」
「太宰さんは、蝦夷大と連絡を取っていないと思われます。これには、ある程度確信があります。乙部さんの性格からして、情報を抜いたあと、いいように使う恐れがあるので」
なるほど、煮ても焼いても食えない、ってことか。
太宰くんは、どちらかと言えば慎重派だ。
「じゃあ、聖生はH海道から東京へ移動して、そこからブラジルへ出た、ってことになるわね」
私たちは、その意味を色々と考えてみた。
結局、非合法活動なんじゃないか、という疑いが濃くなった。
例えば、銃器や麻薬の密輸、人身売買、あるいは国内の不正資金のマネロン。
私は、
「やっぱり、手を引いて正解だったみたいね」
という結論になった。
同時に、太宰くんたちが、少し心配になってきた。
そんな心情を察したのか、大谷さんは、両手を合わせた。
「そう暗い顔をなさらないでください。ご一緒に読経など、いかがですか。気分が晴れますよ」
遠慮しておきます。
そのあと、私たちは2日間、めいいっぱい遊んだ。
ホテルを拠点にして、車で行けるところを回った。
3日目はO広。
ここは自然が豊かで、公園や動物園が目玉だった。
着いてすぐに入ったのは、小麦畑に囲まれたパン屋さん。
焼き立てで美味しい窯焼きピザを食べた。
それから動物園に行って、さらに車で移動。有名なお花畑を散策。
そして夕食は、ジンギスカン!
H海道と言えば、やっぱりこれでしょ。
兜みたいな調理具に、どんどんお肉を乗せていく。
ちょっと特有の匂いがあるわね。
でも、みんな嫌いじゃないみたいで、良かった。
野菜も焼いて、リンゴ入りのタレで食べる。
美味しぃ。
ララさんは、
「ニッポンにも、オリジナルのマトン料理あるんだね。焼き肉みたい」
と言いながら、どんどん食べていた。
いや、日本のオリジナル料理では、ないような。
たぶん、どこかの国の料理を、アレンジしたものじゃないかしら。
よくわかんないけど。
箸を進める私たちの横で、火村さんは、リンゴジュースを飲んでいた。
「あんたたち、よく食べるわねぇ」
いやいやいや、旅行で食べなくて、どうするんですか。
さすがここは遠慮なく食べるわよ。
ご飯が進む進む。はぐはぐはぐ。
4日目はB瑛という有名な観光スポットへ。
まずは、例の青い池から──すごいッ!
カラマツ林の中に、真っ青な池が広がっている。
ララさんは、
「ほんとにブルーじゃん」
と、感動していた。
晴れて良かった。私たちは写真を撮りまくる。
次に、温泉街のほうへ移動した。
ホテルには温泉がなかったから、ここでゆっくり入りましょ。
お湯は濁り湯だった。
あ~、夏だから、洗い場も寒くなくていい。
体を洗って、木でできた湯船につかる。極楽極楽。
半露天で、壁はあるけど、上のほうからは外の景色が見えた。
火村さんは、おじさんみたいにタオルを頭に乗せて、
「ここ、若返りの湯なのね。ますます若返っちゃうわ~」
と、ご満悦。
ララさんは、
「めちゃいいね~。これでラベンダーが見れたら、最高だったんだけど」
と言った。
大谷さんは、
「満ちた月が欠けていくように、満足のひとつ前がよろしいかと」
と、なんだか達観してた。
いずれにせよ、H海道旅行は大正解。
いい息抜きになった。
機会があったら、また来よ~っと。
○
。
.
というわけで、夏休みを存分に満喫しました。
東京へ戻った日は、そのまま自宅でゆっくり。
翌日、部室へ顔を出した。
ちょうど例会の日だったから、お土産をみんなに配る。
紙袋を持参した私は、入り口のところで、松平と出くわした。
「裏見、H海道はどうだった?」
「ええ、楽しかったわ」
私は、旅行先でのあれこれを、松平に伝えた。
蝦夷大の人に会ったことも話した。
けど、ゲーマー聖生には触れなかった。
部室で話すと危ないから、情報共有はあとで。
私は『黒い愛人』の箱を、松平に渡した。
「お、サンキュ。これ好きなんだ」
「私たち4人の手作りよ」
それを聞いた松平は、
「マジかあ、大事に食べるぜ」
とニヤけた。
そこへ、平賀さんが登場。
「あ、ボクにもください」
まあまあ、そう慌てずに。
私は、来たメンバーから順番に配った。
と言っても、あげる一方じゃなかった。
お盆休みなんかを利用して、みんな色々あったみたい。
穂積兄妹は、ハワイへ行ってたらしく、クッキーをくれた。
穂積さんは、ずいぶんと日焼けしてた。お兄さんは、そうでもなかった。
星野くんは、おまんじゅう。S玉の名物らしい。
マルコくんは、ペルーのお菓子。
アルファホーレスっていう、砂糖をまぶしたクッキーサンド。
青葉くんは、おじいちゃんおばあちゃんの家でもらった、ほしいもスイーツ。
平賀さんと愛智くんは、手ぶらだった。
愛智くんは、
「気が利かなくて、すみません」
と謝った。
一方、平賀さんは、
「うわ、このペルーのスイーツ、めちゃうま」
と言って、バクバク食べ始めていた。
あのさあ、いや、そっちのほうが将棋部らしいのかもしれないけど。
というわけで全員──揃ってないわね。もう定刻なんだけど。
松平は、
「三宅先輩は、まだ実家らしいぞ。彼女と帰省してるんだと」
と教えてくれた。
ってことは、風切先輩だけか、まだなのは。
大谷さんは、
「しかし、遅れられるという連絡は、いただいておりません」
と、横合いから付け加えた。
平賀さんは、口のまわりを砂糖だらけにしながら、
「数学のし過ぎで、倒れたんじゃないですか」
と言った。
そういう実際にありそうなのはNG。
心配になってきたから、松平がMINEを入れることになった。
ところが、5分経っても既読にならなかった。
松平は、前髪をくしゃくしゃにして、
「参ったな。マジでマンションへ見に行ったほうがいいか」
と言い出した。
と、その瞬間、廊下から足音が聞こえた。
誰かが走ってるみたいだった。
ガラッとドアが開いて、風切先輩が飛び込んで来た。
「大変だぞッ!」
え、それが第一声なんですか?
いきなり過ぎて、私たちはびっくりした。
大谷さんは、
「どうなさったのですか?」
と尋ねた。
まさか、数学の未解決問題を証明してしまった?
みんなの好奇の視線が集まる。
風切先輩は、肩で息をしながら、先を続けた。
「もこっちが引退するらしいッ!」