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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第59章 香子ちゃん、北の大地へ(2017年8月22日月曜)
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380手目 北の大地

※ここからは、香子きょうこちゃん視点です。

 真夏の草原が、青い空へ向けて、どこまでも続く。

 ここはH海道。北の大地。

 夏の気配はあるけれど、東京よりもずっと涼しい。

 それとも東京が暑すぎるのかな。

 右手の彼方に、なだらかな山麓さんろくが見えた。

 雲はほとんどない。太陽がきれい。

 私と大谷おおたにさんとララさんは、キャリーケースを引きながら、小径を進む。

 私は黄色い半そでのトップスに、白のサマーカーディガン。薄いベージュのズボン。

 麦わら帽子をかぶっている。靴はスニーカー。

 ララさんは白のTシャツに、紺のデニム。サングラスをかけていた。麦わら帽子にサンダルで、私よりさらにラフなかっこう。

 大谷さんは、いつものお遍路姿。

 辺鄙なバス停から5分ほど歩いたところで、ララさんは、いったん足を止めた。

 麦わら帽子のつばを持ち上げて、

「ほんとにここなの?」

 と、あたりを見回した。

 刈り取られたラベンダーの名残が、私たちの視界に広がっていた。

 ピークは7月なのよね。残念。

 だけど今はそれ以上に、べつの懸念が生じていた。

 大谷さんは、

火村ほむらさんに教えていただいた道順は、この通りでしたが」

 と言った。

 ララさんはスマホをさわる。

「だってさー、GooGooMapに出てこないって、おかしくない?」

 そうなのよね。

 夏合宿が終わったあと、有縁坂うえんざかの女子会メンバーで、旅行へ出かけることになった。どこも高いなあ、と困っていたとき、火村さんが、格安で泊まれるホテルを紹介してくれた。そのひとつがH海道にあったから、こうしてはるばる来たわけなんだけど──肝心のホテルが、オンライン検索で引っかからない。

 ララさんはキャリーケースから手を離して、天をあおいだ。

「ほむほむ、H海道と北方領土を間違えてるんじゃないかなあ」

 そういう危険な発言はNG。

 私は、

「とりあえず、教えてもらったところまで歩かない?」

 と提案した。

 穏当だから、他のふたりも、すぐに賛成してくれた。

 とはいえ、言い出しっぺながらも、不安が残った。

 教えてもらった場所まで、あとちょっとしかないからだ。

 このラベンダー畑を突っ切ったところにある、小さな林。

 そこにホテルがあるらしい。

 たしかに、林は見えている。でも、建物らしきものが、なくない?

 ララさんは、またキャリーケースを引きながら、

「え、マジで信じちゃったの? チョ~ウケる、とかいうオチだったりして」

 と、ひとりごとを言った。

 可能性がゼロとは言い切れないのが、なんとも。

 これで壮大なジョークだったら、火村さん、許すまじ。

 気を紛らわすように、合宿の思い出話をしながら、どんどん歩く。

 林の手前まで来て、周囲がさらに涼しくなった。

 なんだかここだけ秋みたい。

 道は薄暗くて、ざわざわと風の音が聞こえた。

 やっぱり建物は──あったッ!

 ララさんは、

「Obrigado, Deus!」

 と、歓喜の声を上げた。

 ドラマに出てくる洋館みたいな建物で、2階建てだった。

 屋根は水色で、壁は白。右手のほうに、豪華な花壇があった。

 尖塔のような施設が、左右にふたつくっついていた。

 ララさんはキョロキョロして、

「駐車場もなんにもないの?」

 と言った。

 たしかに、この道以外のアクセス方法がないような。

 まあ、そういうホテルなんでしょ。隠れ家的な。

 私たちは、ドアノブ式の正面玄関から入った──おっと、内装がすごい。

 まるで映画に出てくる洋館みたい。

 赤いじゅうたんが敷かれていて、正面に大きな階段があった。

 なんだかホテルっぽくない。レセプションも見当たらなかった。

 大谷さんは、左右を確認した。私もつられて、視線を走らせる。

 どちらにも、静かな廊下が広がっていた。

 窓から光が射しこみ、等間隔でじゅうたんを照らしていた。

 ララさんは、

「すみませーん、都ノみやこの大学でーす」

 と声を張った。

 返事はない。

 大谷さんは荷物を片手に、

「ここはホテルなのですか? プライベートな建物に見えるのですが」

 と、少しばかり声を落とした。

 た、たしかに、だれかの邸宅なのでは?

 私が動揺していると、ひとの気配がした。

 小さな足音が、2階から聞こえてくる。

 すらりとした長身の女性が、黒のワンピース姿で登場した。

 腰まである、長い黒髪。ウェストが激細。モデルさんみたい。

 すごく綺麗なひとで、私たちはますますパニックに。

 ララさんは、

「あの~、ここってホテル・トランシルバニアですか?」

 と、質問をした。

 ちがうかも、という空気がただようなか、女性はそっけなく、

「さようです……どちらさまで?」

 と返してきた。

 えーッ、ここがほんとにホテルなの?

 でもスタッフがいなくない?

 まさか、宿泊客に声掛けしているのでは?

 その心配も、女性の次のひとことで払拭ふっしょくされた。

「都ノ大学のご一行ですか?」

 私たちは、ちょっとおどろいたあと、はい、と答えた。

 女性は階段から、ゆっくりと降りてきた。

 スタッフの動きじゃなくて、貴婦人みたい。

「カミーユ様から、お話はうかがっております。支配人の結城ゆうきともうします」

 えぇ……支配人さんなんだ。

 私は低姿勢になって、

「よろしくお願いします……あの……チェックインとかは……」

 と言いかけた。

「鍵をお渡しします」

 女性は、いつの間にか鍵束を持っていた。

 私たちに背を向けて、また階段をのぼり始めた。

 私たちは顔を見合わせる。

 大谷さんは、

「2泊3日で1万円……とは思えないのですが」

 と、小声で言った。

 そ、そこは気になる。

 格安で泊まれるって話だったのに。

 ゼロが一個足りないのでは。

 だけど、ララさんはお気楽な感じで、早く上がろ、と催促した。

 仕方がないので、階段を上がる。

 案内された部屋に、私たちはびっくりした。

 な、なんというか……貴族の館?

 いや、貴族の館とか、見たことないけど。

 床は、暗めの色をした木張り。

 そこに、刺繍の入った絨毯が敷かれていた。

 ベッドは、枕もとに棚があるタイプ。

 棚は2段で、上段に骨董品のような時計が置かれていた。

 天井の明かりは、ミニシャンデリア。

 他には、映画に出てくるような、黒い革ソファーと、書き物机、それに椅子。

 なんていうんだっけ、マホガニーとか黒檀とか、そういう感じ。

 正直なところ、アンティークファンじゃないから、素材はよくわからなかった。

 小物もいっぱいで、陶器製の猫、黒い花瓶に薔薇の花、ペン立て、エトセトラ。

「このタイプの部屋を、3つご用意しております」

 す、すごい、一人一部屋なんだ。

 最初の部屋には、ララさんが泊まることに。

 私は2番目、大谷さんは3番目の部屋に入った。

 理由はよくわからないけど、それぞれの部屋は隣接していなかった。

 ドアをひとつかふたつ飛ばして、その次、みたいな感じ。

 とりあえず、荷物をほどいて、中身を整理した。

 それから手を洗ったり、道中の写真をチェックしたり、いろいろ。

 洗面台は大理石。トイレはそれでいて最新式。

 ひと息ついて、革製のソファーに座る。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………落ち着かない。

 部屋が広すぎるのも、困りものだ。


 コンコンコン


「はーい」

「香子、散歩行かない? まだ夕食まで時間あるよ?」

 了解、と。

 私はトラベルポーチに財布なんかを入れて、お出かけ。

 ラベンダー畑の近くを散策しよう、という話になった。

 林を出ると、ふたたび太陽に照らされた。

 ララさんは、両腕を大きく広げて、背伸びをしながら、

「めっちゃ高級だけど、なんか暗いんだよねえ」

 と言った。

 たしかに、部屋の色調からして、暗色が多かった。

 あと、採光が貧弱。窓が小さくて、カーテンが厚め。

 大谷さんは、

「ご紹介いただいたところゆえ、雨風をしのげれば、それで良しと致しましょう」

 と諭した。

 ですね、はい。

 消費者は傲慢になってはいけない。

 それじゃ、初めてのH海道旅行、楽しんで行きましょう!

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