372手目 連敗
シャワーを浴びて、リフレッシュ。
お昼を食べ過ぎちゃったから、夕食は各自任意、ということに。
予定もだいぶ変更になった。
東海との合同練習というかたちで、わいわいやる。
大部屋に集まって、どんどん手合わせ。
レクリエーション用のテーブルが、ちょうどいい大きさだった。
で、その結果なのですが──
【先手:裏見香子(都ノ) 後手:関和正(美濃)】
「に、2連敗……」
関さんは後頭部で手を組み、椅子をうしろに倒した。
「一手違いだったねえ」
ぐぅううう、その言い方が、またむかつく。
私はお茶を飲んで、落ち着く。
感想戦は簡単に済ませて、大部屋の端に移動した。
ソファーがある。
松平も先に終えて、そこに座っていた。
「裏見、どうだった?」
「全然ダメ」
「相手のレベルを、下げてもらったらどうだ?」
私は頬ひじをついて、しばらく考えた。
「……それはそれで、もったいないかなあ」
ちょっと悪い言い方をしてしまうと、勝ってリズム調整は、部の定例会でもできる。風切先輩、大谷さん以外の強豪と当たる機会は、なかなかない。
そんなことを考えていたら、設楽さんの柏手が聞こえた。
「はいはい、どんどん手合わせ頼むよ。瑠衣ちゃんと指したいひとッ!」
設楽さんは、チラッとこちらを見てきた。
りょーかい。
私は席を立って、藤枝さんの待っているテーブルに座った。
藤枝さんは、BBQのあとだからか、服を着替えていた。シャンプーの香りがする。白いキャミソールに、黒のカーディガン。あいかわらず、ヤル気のなさげな雰囲気。
すぐに振り駒をして、チェスクロをセット。
私が先手になった。
藤枝さんはとくに前置きもなく、
「よろしくお願いします」
と頭を下げて、チェスクロを押した。
私もワンテンポ遅れて、頭を下げた。
30秒将棋、開幕。
7六歩、3四歩、2六歩、4二飛。
【先手:裏見香子(都ノ) 後手:藤枝瑠衣(S岡)】
さーて、角交換型。
松平から、事前に情報は入手してあった。
振り飛車党で、わりと攻め将棋。
2五歩、6二玉、9六歩、9四歩、6八玉。
藤枝さんは、後手からの交換を選択した。
8八角成、同銀、2二銀、7八玉、3三銀、5八金右、7二玉。
後手は、ふつうに美濃かな。
私のほうをどうするか、悩ましい。
速攻か持久戦か、くらいは決めておきたい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は4八銀と上がった。
8二玉、4六歩、5二金左、3六歩。
この手に、藤枝さんはちょっとだけ考えた。
7二銀で、美濃に。
今の間合いから察して、振り穴もレパートリーにあるタイプかしら。
私は8六歩と突いた。角交換型に対して、一番オーソドックスなルートを選ぶ。
2二飛、4七銀、6四歩、8七銀。
藤枝さんは、ここで手を止めた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
んー、いきなり攻めてきた。
6三金も4四角も入れずに、素で逆棒銀。
8四歩で8筋の対策もしてこなかった。
ぼんやりした感じのひとだけど、最短の攻めをいとわないタイプのようだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同歩。
この攻めは、体感止まる。
同銀、3七桂、2六歩、7七角、3三銀。
銀を押しもどすことに成功。
私は2五歩で、2筋を安定させた。
「2七角」
? 角が死ぬのでは?
4八金~3八金で……あ、3五歩でギリギリ逃れてるのか。
っていうか、角を打たないと、2六飛で単に歩損だものね。
でも、3五同歩、5四角成、2六飛は、先手有利っぽくない?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は4八金と寄った。
とりあえず、4九角成を防ぐ。
藤枝さんは、すぐには指さなかった。前髪をなおす。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
え……今度こそ角が死んで……ないか。
でも、意図がよくわからなかった。
3八金、同角成、同飛、2七歩成と誤解してる?
私が動揺するなか、藤枝さんはテーブルのお茶を飲んだ。
ちょっと眉をひそめて、湯呑みをもどした。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は3八金と寄った。
わからないなら、妥協せずに殺したほうがいい。
藤枝さんは、静かに3五歩。
これでいいと思ってるわけか。不気味になった。
無視して2七金は、同歩成、同飛、3六歩が痛い。
私はいったん3五同歩。
藤枝さんは3八角成と切った。
んー、手の動きに、よどみがない。
ここまでは読みの範疇ってこと。
だけど、先手の駒得は事実だ。受け切れば自然と良くなるはず。
私は力強く同銀。
以下、4四銀、2六飛、3五銀、1六飛と進んだ。
1四歩なら1一角成で、なにも問題はない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
4四歩。角筋を止めてきた。
次に2六金がある。
これを防ぐには──
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
銀を叩く。
同銀なら2六金が消える。
藤枝さんも同銀。
私は2三角で、相手の飛車をイジメにかかった。
3三飛、5六角成なら、先手陣が安定する。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
ぐッ、そこまで攻め将棋なの?
3二角成、1六銀不成、同歩は、後手の駒損じゃないですか。
まるで姫野先輩……いや、ちがう。姫野先輩は、細い攻めをつなぐ剛腕将棋。藤枝さんは、がむしゃらに前に出てくるタイプだ。攻められるなら、とりあえず攻める、というスタンスに見える。指し方のリズムも、そこまで深く考えている感じがしない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3二角成ッ!」
1六銀不成、同歩。
後手の角損になった──けど、陣形の差がある。
後手は美濃が無傷だ。
藤枝さんは3九飛で先着した。
4七銀だと3七飛成で、馬銀両取りになってしまう。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6八飛」
駒得を活かす。
藤枝さんは1九飛成で、香車を拾った。
私は4四角と飛び出す。3三金は問題ない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
4八歩と垂らされた。
これはチャンス。4五桂と、さらに跳ねる。
4九歩成、5三桂成、同金、同角成。
さあ、6二金打と受けてください。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
藤枝さんは、と金を寄せた。
え? 受けないの?
私は反射的に、6二金と打ちかけた。
手を引っ込める──いや、打っていいはず。
そのまま置く。
6九と、同飛、同龍、同玉。
先手は裸玉になった。でも、寄らないはず。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
~~~~ッ! 寄せる気かッ!
4八歩が間に合うなんて、許容できない。
私は丁寧に対処する。
同歩、5七金、7九玉、5八飛、7八桂。
「さすがに寄りませんか……」
寄るわけないでしょッ!
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
6二金。後手も受けた。
同馬、6一金、4四馬。
自陣に利かせる。さらに安全に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
3八飛成。
まあそうでしょうね、という手。
私は29秒まで読んで、2一馬と入った。
後手は、自陣龍を見ているのか、そうでないのか。
そこは気になった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
? ……? これはなに?
私は前傾姿勢になった。
6八金打くらいかな、と思ってた。
手の意味が読めない。7七馬に4六香とか?
そこには引かないんだけど──
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
5五馬と引く。
引かされた……のかしら。それ以外に、香打ちを解釈できなかった。
藤枝さんは6八金打。
けっきょく打つのか。
8八玉、6七金寄、9七玉。
ここで耐える。
7八金寄、同銀、同金、8七金。
馬が利いているから、ある程度の耐久力がある。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
藤枝さんは8九金と入った。
「6八歩ッ!」
同龍なら7七銀で弾く。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
藤枝さんは、6八の歩を取らなかった。
そのまま7八銀と打ってくる。
7七銀、9五歩、同歩、9六歩、同金、4七龍、8七金。
まだまだぁ。
藤枝さんは、持ち駒の桂馬に触れて、動きを止めた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6三桂」
こ、これが馬に当たるのか。
しまった。こうなると、4一香に意味が生じてしまう。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
1一……いや、6六馬ッ!
ギリギリで指して、チェスクロを押す。
6五銀。
執拗に馬をイジメてくる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同馬引。
せめて銀と相打ちにさせる。
同歩、6七馬。
藤枝さんは、前髪をなおしつつ、顔をすこし傾けた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
厳しい。
8八桂、8七銀成、同玉、7五桂打、同歩、同桂。
7六だと……詰むか。
9八玉、8八角成、同銀、同金、同玉、8七金、7九玉。
藤枝さんは、6七桂不成で王手した。
私は持ち駒をそろえる。
「負けました」
「ありがとうございました」
ああ……3・連・敗。
場所:N野のホテル
先手:裏見 香子
後手:藤枝 瑠衣
戦型:後手角交換型四間飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4二飛 ▲2五歩 △6二玉
▲9六歩 △9四歩 ▲6八玉 △8八角成 ▲同 銀 △2二銀
▲7八玉 △3三銀 ▲5八金右 △7二玉 ▲4八銀 △8二玉
▲4六歩 △5二金左 ▲3六歩 △7二銀 ▲8六歩 △2二飛
▲4七銀 △6四歩 ▲8七銀 △2四歩 ▲同 歩 △同 銀
▲3七桂 △2六歩 ▲7七角 △3三銀 ▲2五歩 △2七角
▲4八金 △3二飛 ▲3八金 △3五歩 ▲同 歩 △3八角成
▲同 銀 △4四銀 ▲2六飛 △3五銀 ▲1六飛 △4四歩
▲3六歩 △同 銀 ▲2三角 △2七銀不成▲3二角成 △1六銀不成
▲同 歩 △3九飛 ▲6八飛 △1九飛成 ▲4四角 △4八歩
▲4五桂 △4九歩成 ▲5三桂成 △同 金 ▲同角成 △5九と
▲6二金 △6九と ▲同 飛 △同 龍 ▲同 玉 △5六桂
▲同 歩 △5七金 ▲7九玉 △5八飛 ▲7八桂 △6二金
▲同 馬 △6一金 ▲4四馬 △3八飛成 ▲2一馬 △4一香
▲5五馬 △6八金打 ▲8八玉 △6七金寄 ▲9七玉 △7八金寄
▲同 銀 △同 金 ▲8七金 △8九金 ▲6八歩 △7八銀
▲7七銀 △9五歩 ▲同 歩 △9六歩 ▲同 金 △4七龍
▲8七金 △6三桂 ▲6六馬 △6五銀 ▲同馬引 △同 歩
▲6七馬 △7九角 ▲8八桂 △8七銀成 ▲同 玉 △7五桂打
▲同 歩 △同 桂 ▲9八玉 △8八角成 ▲同 銀 △同 金
▲同 玉 △8七金 ▲7九玉 △6七桂不成
まで124手で藤枝の勝ち