371手目 湖面の評定
えー、というわけで、後発になったはず──なんだけど。
火のついた炭が、熱気を運んでくる。
私の向かいに立ったララさんは、手際よく串を回していた。
「わははは、ララのBBQテクを見るのだ~」
そのとなりでは、設楽さんがノリノリで、
「ララちゃん、がんばれ~」
とエールを送っていた。
いや、あなたも焼いてくださいな。
私は野菜を網に乗せながら、スペースを確保していく。
そう、けっきょく合同でやることになってしまった。
場所取りに、そもそも勘違いがあったのだ。
焼き場は2ヶ所じゃなくて3ヶ所あって、そのうち2つは比較的近かった。
というわけで、双方12時に集合。仲良くBBQ。
ひとつの焼き場に、ふたつずつ網があって、担当者が調理。あとで配膳。
大勢でむらがると、わけがわからなくなるから、その配慮。
とくに女性がわりこみにくくなっちゃう。
ここの網は、私、ララさん、設楽さん、藤枝さんで担当。
となりの網は、松平と愛智くん、それに関さんと川根さん。
この8人が焼く係で、ほかのメンバーは、それぞれ別の準備をしていた。
っていうか、もう飲んでるひとがいるような……。
設楽さんはそれに気づいて、
「こらッ! 男子ッ! さぼるなッ!」
と一喝した。
お酒を飲んでいたメンバーは、クモの子のように逃散。
一方、ララさんは串を一本持ち上げて、
「いい感じ~」
と言ってから、トングでお肉と野菜をはずし始めた。
私は、
「あれ? 串ごと配るんじゃなかった?」
とたずねた。
ララさんはニッシッシと笑って、そのままお肉をひとつ食べた。
「うーん、美味しい~」
「ちょっと、先に食べちゃダメでしょ」
「味見、味見ぃ」
これを聞いた設楽さんは、腕組みをほどいて、
「あ、そうだねえ、味見大事」
と言って、箸を取り出し、ひとつつまんだ。
そのまま頬張る。
「おひひひ」
むむむ……私もひとつ。
はふはふ……あ、けっこういいお肉かも。
東京の安い焼き肉食べ放題より、絶対いい。
私たちが舌鼓を打つなか、藤枝さんだけは、のんびりと野菜を焼いていた。
私は、
「藤枝さんも、ひとつ食べない?」
とたずねた。
「んー、いいです」
さっきから、ずっとこんな調子。反応の薄いタイプ。
でも、雑用はちゃんとやるし、スタンスが謎。
設楽さんも、瑠衣はこんな感じだからぁ、で済ませていた。
とりあえず、松平をボコボコにしてたし、将棋の実力だけはわかった。
S岡の県代表経験者らしい。
磐くんの話を振ってみたら、磐先輩とはあんまり話さなかったので~、という返事。
磐くんの棋界における立ち位置。
そうこうしているうちに、だいたいできあがり。
串は大きなプレートに、それ以外は紙皿に。
もうひとつの焼き場からは、風切先輩の、
「おーい、こっちはできたぞ~」
という声が聞こえた。
木製のテーブルへ持ち寄る。
丸太を半分にしたベンチに座って、いただきまーす。
みんな朝ご飯を抜いたらしく、すごい勢いで食べていた。
向かい席に座った平賀さんは、口いっぱいに頬張って、
「おいひ~」
とご満悦。口から肉汁が垂れてますよ。
一方、私の右どなりに座った大谷さんは、しばらく合掌したあと、玉ねぎとカボチャを食べ始めた。あいかわらずだな、と思った瞬間、大谷さんは、
「早々に負けてしまい、もうしわけありませんでした」
と言った。
いやあ、しょうがないんじゃないですかね。
あとで聞いてみたら、最新形の角換わりで、研究にドハマりしたらしい。
ってことは、アレなのよね。関さん、めっちゃビビってたってことでしょ。
じゃなきゃ、虎の子を繰り出したりしないもの。
大谷さんのつぶやきは、私の左どなりの松平にも、聞こえたようだ。
松平は箸をとめて、
「ま、だれのせいでもないだろ。オールスター相手に3-2なら、むしろ上出来だ」
と返した。
そういうことを言うと、東海にまた目をつけられるでしょ。
案の定、左向かいに座っている川根さんは、恰幅のよい体を揺らして笑った。
「アッハッハ、面目ない」
松平も、失言だったことに気づいた。遅い。
「あ、すみません、そういう意味じゃ……」
「だけど、今回のメンツがオールスターっていうのは、違うよ。少なくとも俺は違う」
これまた、返事のしにくい台詞。
どうしたものかと迷っていたら、平賀さんがまったく空気を読まずに、
「え、じゃあ、だれが強いんですか?」
とたずねた。
こらこらこら。
焦る私たちをよそに、川根さんは、親指でうしろのほうをさした。
その先には、脇くんの姿があった。
脇くんは小牧さん、設楽さんと談笑していた。
平賀さんは首をかしげて、
「脇さんが、どうかしたんですか?」
と訊いた。
「脇くんは、M重の県代表3連覇。俺は一回も県代表になってない」
「あ、そういう……でも、今は赤学ですよね?」
「うーん、きみ、東京出身?」
「はい」
「東京出身のひとには伝わらないかもしれないけど、地方出身のひとは、やっぱりその地方の代表だよ。プロだってそうだろう。どこに所属してても、出身地は話題になるよね」
平賀さんは、そんなもんですかね、と言った。
私はH島出身だから、なんとなく分かる。
東京って、地方から人材を吸収してるのよね。でも、その自覚がない。
例えば、関東女子の最強は、速水先輩。彼女はA田出身。
関東男子の最強は……だれかな。決めかねる。
いずれにせよ、関東の将棋界は、わりと雑多。都ノだってそう。
川根さんは、
「都ノは、東京出身のひとが多いの?」
とたずねてきた。
私は指折り数える。
「……いえ、地方のほうが多数派ですね」
「そっか。俺と指した愛智くんは、東京出身だって言ってたな」
「彼と平賀さんと、あっちで食べてる穂積兄妹の4人だけです」
この返答に、川根さんは、おや、という顔になった。
「風切くんは、東京出身だろう?」
「え、ほんとですか?」
「奨励会のリストで、出身地がそうだった」
川根さんは、将棋雑誌で見た、と言った。
あれ……そうなんだ。てっきり、東京じゃないと思ってたんだけど。
なんかいろいろ勘繰って、損した感じ。
と、まあ、この件はこれくらいにしておきまして。
私は他の食材にも手をつける。
海鮮なんか、よさそう。私はホタテをつまみあげた。
バター醤油、ないかしら。見回してみたけど、調味料はあんまりなかった。
そのまま食べる──ふむ、ぷりぷりしてる。
そのあとわいわいやったあと、片付け。
30人以上で分担したから、あっさり終わった。
炭の処理は、ホテルのひとがやってくれるらしい。
それからは午後の自由時間。
私はボートで、湖を一周するグループに参加。
白い小型のボートに4人ずつ乗って、いざ、出航。
キャッチ・ロー! キャッチ・ロー!
私と大谷さんで、掛け声をかける。
漕いでいるのは、大河内くんと松平。
大河内くんは地元だけあって、経験者の模様。うまい。
松平はちぐはぐな感じ。
私は発破をかけた。
「松平、もっとちゃんと漕ぐ」
「ちょっと待て……これ思ったより難しいぞ……」
松平は、右と左のオールが、バラバラな動きをしていた。
大河内くんは、
「腕で漕いだらダメです。体全体を動かしてください」
とアドバイスした。
なんとなく安定してくる。まっすぐ進むようになった。
風が心地いい。
私たちはしばらくのあいだ、高原の涼しさに身をゆだねた。
波紋が広がり、遠くで鳥が羽ばたく。
湖の中央まで来たところで、大谷さんはふと、
「さきほどの対局、大河内さんは、どのようにご覧になられましたか?」
とたずねた。
大河内くんは、すぐには答えず、オールを何度か動かした。
「……その質問は、秋だけでなく、その先を意識してますね」
「はい」
その先? ……A級ってこと?
大谷さんは、大河内くんの言葉を待った。
私もドキドキしてくる。
大河内くんは、さらに数度、オールを動かした。
風景が流れていく。
「率直に言って、厳しいです」
歯に衣着せぬ物言い。
私たち3人は、一様に押し黙った。
「Aは十分に狙えると思います。でも、Aに残るのはムリですね」
「どのくらい足りていませんか?」
「大駒1枚分ほど」
「大駒1枚……県代表レベルが、もうひとり必要、と?」
「強豪地域の上位陣でも、いいと思います。いずれにせよ、今のA級校は、そういうレベルで争っています。治明だって、3人は高校県大会優勝、2人は準優勝の実績があります。それでも、優勝は全然狙えません。残るのが精一杯です」
都ノは、風切先輩が突出してて、大谷さんと私が、県大会優勝経験者。
準優勝はいない。それに、私の県大会優勝は、運もあった。
大河内くんは続けた。
「日センが、いい例だと思います。速水さんが絶対王者で、奥山くんがH海道代表ですよね。だけど毎回、降級候補です。都ノより勝っているところがあるとすれば、A級での経験値と、中間層の厚さです。日センに競り負けるようでは、Aに残るのはムリです」
シンと、湖底のような静けさが、あたりをおおった。
ボートは、いつの間にか止まっていた。
大谷さんは両手を合わせ、一礼した。
「率直なご意見、ありがとうございました」
大河内くんは、ふたたびオールを動かそうとした。
けど、そのまえに一言付け加えた。
「これはおせっかいですが、都ノはひとまず……」
言い終えるまえに、大谷さんは口をひらいた。
ゾッとするような気配が、あたりに漂う。
大谷さんの眼光に、大河内くんは固まった。
「イヤな大学が来たと思っていただけるよう、秋は身命を賭して上がります」