370手目 攻める右玉
設楽さんは3五同歩。
チェスクロを押しながら、
「だれか、飲み物ちょうだい」
と頼んだ。
東海陣営のひとりが、食堂の冷蔵庫から、紙パックのジュースを取り出す。
それを手渡された設楽さんは、ストローで穴を開けた。
私は同銀。
「私がもたもたしてる最中に、指さないのね」
いや、べつにマナーを守ったわけじゃない。
攻めてるんだから、19秒全部使うでしょ。
とはいえ、訂正してもとくに意味はないから、そういうことにしておく。
設楽さんはストローをチューチュー。8一飛。
以下、6六歩、8四歩、1六歩、1四歩、2四歩、同歩、同銀、4四銀。
ん? ……あッ、取れないのかッ!
2七歩、同飛、4五角で、止まってしまう。
しまった。いきなりのうっかり。
設楽さんはストローからくちびるを離して、
「うっかりと見ました」
と、わざわざ宣言した。
くぅ、このひと、やりにくい。盤外戦術が入るタイプか。
とはいえ、火村さんもそういうタイプだから、耐性はある。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は4六歩と突いた。
設楽さんは、さくっと5四角。
絶好の位置にすえてきた。
私はいったん7八金で、8筋を守った。
「反撃開始。3七歩」
8八玉、4二金左、3七桂、8五桂、6八銀、3六歩。
右玉なのに、ガンガン攻めてくる。
私は対応に追われた。
そんななか、設楽さんはあたりを見て、
「頼んだのが私だけでも、全員に配る」
と一喝した。
部員たちはそそくさと飲み物を用意して、対局者たち全員に配った。
私のところへは、グレープジュース。
嫌いじゃない。パックを開ける。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4五桂ッ!」
指してから、飲む。甘酸っぱくて、美味しい。
設楽さんは3七歩成で、と金を製造。
んー……後手も、けっこうムリしてると思う。
私は落ち着いて、2六飛と浮いた。
7六角、6七銀、5四角。
ほら、さすがに切れないんでしょ。
ってことは、先手がすぐに崩壊する順はない。
あるのなら、6七同角成と切って、押し込めばよかったからだ。
すこし自信が出てきた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
3四歩。反撃。
設楽さんは、ふむ、とうなった。
「関東のBは、そこそこ強いわけか」
舐めてもらっちゃ困ります。昇級争いしてるんだから。
Aマイナス級くらいはある。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「んじゃ3五歩」
設楽さんの指し方は、ギリギリでいきなり腕を動かすというスタイルだった。
よく駒を弾かないと思う。
と、感心している場合じゃない。
私は2九飛と引いた。
「3六と」
マ? 歩を拠点にして、と金を撤退させるの?
手堅過ぎでしょ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は3三歩成とした。
ぐだぐだしていると、と金が活きてくる。
そのまえに斬り合う。
「そうこなくっちゃッ! 同桂ッ!」
同桂成、同金、同銀不成、同銀、2三飛成。
飛車の成り込みに成功。さらに銀当たり。だけど──
パシリ
これが厳しい。割り打ちの筋は、見えていた。
私は7七歩で、威力を緩和する。
3三龍は、7六桂の追い打ちで、対処不能と見た。
設楽さんは、両取り取らずで、4七とと入った。
これも厳しい。同金なら5五桂で、両取りの位置が変わる。
かと言って、7八の金も逃げられないしなあ。うーん。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は同金とした。
5五桂、6八金打、7八銀成、同玉、6七桂成、同玉。
設楽さんは、ジュースを飲み切って、パックを握り潰した。
「けっこうムズイ……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
8七角成じゃなくて、龍を殺しにきた。
参ったなあ。先手が悪い。駒損だし。
これは逃げられないので、攻めの継続手を考える。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! だーッ!
「3四歩ッ!」
「2二金ね」
3三歩成、2三金、同と。
よし、2枚換えになった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! ピシリ
設楽さんは、スパッと4九飛。いい音してる。
6九角、1九飛成、5六歩。
5五桂と打つ準備をする。
単に5五桂は、成り込んだあと、同じ場所に打ち返されてしまう。
2五銀、5五桂。
思ったほど悪くない。
実戦的には、まだまだいい勝負。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
3六銀。
この銀もなあ。飛車を殺すために打ったのに、ちゃっかり参戦している。
活用がうまい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
5七金寄。これしかなかった。
「8八香」
ぐッ……すっごい俗手。
こっちに手がないと読んでいる。
ってことは、あればいいのでは?
私はカウンターを考えた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
桂馬を成り込む。
「やっぱ薄いか」
同金。
設楽さんも、さっきまでの余裕は、なくなってきた。
優勢は意識しているのだろう。でも右玉は、間違えると一発で終わる。
このかたちも、5五桂と打ち直せれば、逆転の可能性アリ。
ただそのまえに、7五桂を回避しないといけない。
「7六歩」
設楽さんは、右の二の腕を左手でにぎって、前傾姿勢に。
そして、8九香成。
と、この瞬間、投了の声が聞こえた。
風切先輩の勝ち──じゃないッ! 大谷さんの負けッ!
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私はギリギリのところで、5五桂と打った。
受けないのは、そうとう危ないはず。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
7三金。逃げた。
私は3三とで追撃。
4二か4三まで入れれば、先手もいけそう。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
7九成香。
後手もじっくり。
私は慌てずに、5八角と上がった。
5九龍、4三と。入れた。
「意外とめんどいね~」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
7五桂。
こじ開けてきた。この手は強い。
同歩に7六桂だ。
それが詰めろになっている──っていうか、ほぼ必至に近いッ!?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同歩ッ!」
7六桂。私はこの桂馬を消すことにした。
6三銀と打って、同角、同桂成、同金、7六玉。
設楽さんは、6八龍と入った。
け、けっきょく必至──ん? ちがう?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5四桂」
これで、どう? 同歩なら5三金、同金、同と、同玉、6五桂、同歩で、上が空くのでは? それとも、6五桂に同歩としてこない?
20秒じゃ読み切れない
設楽さんも、これには迷った。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
7二玉。取らなかった。
これは俄然ヤル気が出てくる。
私は前のめりになって読んだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
6二金と打ち込む。
設楽さんもギリギリまで考えて、8二玉。
8三銀、同玉、7二角、9三玉。
は、端が。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「9四角成ッ!」
同玉、9五歩、9三玉、9四歩、8二玉、9三歩成。
変なところに逃げてください。
私の願いも空しく、冷静に同香。
同香成、同玉、9四歩、9二玉、9三銀。
設楽さんは、8三玉と上がった。
詰まないか……詰まない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は頭を下げた。
「負けました」
「ありがとうございました」
他の対局は、松平と愛智くんのところが、まだ続いていた。
大谷さんと私が負けてて、風切先輩は負けてないだろうし、たぶん1-2。
とりあえず、感想戦かなあ。
「詰み、なかったですか?」
設楽さんは、上半身をちょっとゆらゆらせて、
「私が読んだ範囲では、なかったかな」
と答えた。
検証する。
【検討図】
設楽さんは、この局面にもどしたあと、
「ここねえ、取ってもよかったんだけど……」
と言いつつ、本譜の7二玉とした。
私も時間をかけて読みなおす。
初手は、6二金しかない。
私はしばらく読んで、8三に逃げてくれたら、詰むことに気づいた。7二角、9三玉、9四角成、同玉、8六桂、8三玉、7二銀、8二玉、8一銀成、同玉、7一飛。
【検討図】
駒が足りている。9二玉、7二飛成、8二合駒、8三銀、9三玉、8二龍まで。
とはいえ、こう逃げるわけがない。
カタチ的に、8三じゃなくて8二へ逃げるからだ。
そして残念なことに、本譜は8三銀で、王様を釣り上げるしかなかった。だから、銀が1枚足りていない。最後、7二銀、9三玉のとき、9四に打つ駒がないのだ。
「全部足りませんね」
「そうだね~」
そのことを確認したあたりで、松平が投了。1-3で負け確定。
んー、ダメですかあ。
私ががっかりしていると、ふいに一番端で、
「あ、負けました」
という声が聞こえた。愛智くんの声じゃなかった。
設楽さんもそっちを見て、ちょっと眉間にしわを寄せた。
それから私のほうに向きなおって、前髪をつまんだ。
「2-3か……ま、ご愛嬌ということで」
どういう意味ですか? 東海のオールスターが、2-3でいいんですか?
と、つっこむヒマもなく、小牧さんが立ち上がった。
「よし、これで選択権は、東海がもらった。先にやらせてもらうぞ」
場所:N野のホテル
先手:裏見 香子
後手:設楽 寧々
戦型:後手右玉
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8八角成 ▲同 銀 △2二銀
▲7七銀 △6二銀 ▲6八玉 △3二金 ▲3八銀 △6四歩
▲2五歩 △3三銀 ▲3六歩 △6三銀 ▲5八金右 △7四歩
▲3七銀 △6二玉 ▲9六歩 △9四歩 ▲7九玉 △5二金
▲4六銀 △7三桂 ▲3五歩 △同 歩 ▲同 銀 △8一飛
▲6六歩 △8四歩 ▲1六歩 △1四歩 ▲2四歩 △同 歩
▲同 銀 △4四銀 ▲4六歩 △5四角 ▲7八金 △3七歩
▲8八玉 △4二金左 ▲3七桂 △8五桂 ▲6八銀 △3六歩
▲4五桂 △3七歩成 ▲2六飛 △7六角 ▲6七銀 △5四角
▲3四歩 △3五歩 ▲2九飛 △3六と ▲3三歩成 △同 桂
▲同桂成 △同 金 ▲同銀不成 △同 銀 ▲2三飛成 △6九銀
▲7七歩 △4七と ▲同 金 △5五桂 ▲6八金打 △7八銀成
▲同 玉 △6七桂成 ▲同 玉 △2四銀打 ▲3四歩 △2二金
▲3三歩成 △2三金 ▲同 と △4九飛 ▲6九角 △1九飛成
▲5六歩 △2五銀 ▲5五桂 △3六銀 ▲5七金寄 △8八香
▲6三桂成 △同 金 ▲7六歩 △8九香成 ▲5五桂 △7三金
▲3三と △7九成香 ▲5八角 △5九龍 ▲4三と △7五桂
▲同 歩 △7六桂 ▲6三銀 △同 角 ▲同桂成 △同 金
▲7六玉 △6八龍 ▲5四桂 △7二玉 ▲6二金 △8二玉
▲8三銀 △同 玉 ▲7二角 △9三玉 ▲9四角成 △同 玉
▲9五歩 △9三玉 ▲9四歩 △8二玉 ▲9三歩成 △同 香
▲同香成 △同 玉 ▲9四歩 △9二玉 ▲9三銀 △8三玉
まで132手で後手の勝ち




