362手目 喧々諤々
今日は、都ノ大学将棋部の定例会。
早めに集まった私と松平と大谷さんは、部室で相談をしていた。
将棋について、じゃない。有縁坂で氷室くんに会った件について。
松平の説明を聞き終えた大谷さんは、
「聖生たちをモデルに、小説を書いている人物がいる?」
と、おどろいたようすだった。
私たちはうなずいた。
大谷さんは、
「事情がよくわかりません。テロリストというのは、どういうことですか?」
とたずねた。
松平は、
「正確に言うと、『UBASUTE』っていうネット小説のなかでは、だな」
と、訂正を入れた。
「それが聖生をモデルにしたものでは、ないのですか?」
説明がむずかしい。
ようするに、こうだ。
あの日、デートが終わって帰宅したあと、私は晩御飯を作っていた。すると、松平から連絡があった。しかも電話で。なにかあったのかな、と思って出てみたら、『UBASUTE』というネット小説が、なんか変だ、という話だった。意味がわからなかったから、ちゃんと説明するように頼んだ。『UBASUTE』に出てくる設定が、聖生に関する情報とかぶっている、と、松平は言い出した。
具体的には、テロリストのメンバーが3人らしいこと、暗号がところどころ出てきて、それが古い郵便物と関係していること、相場操縦でテロ資金を集めたこと、そして、メンバーのひとりはチェスが趣味ということ、このあたりだ。
もちろん、こんなの気のせいだ、と言えば、それで終わり。だけど、氷室くんがわざわざこの話をしてきた事実が、私たちに不信感をいだかせた。
とはいえ、大谷さんは、
「偶然の一致で、話が済むような気もいたしますが……」
と、慎重だった。
まあ、当然といえば、当然。
松平は、
「物を移動させてる、っていうのも気になるんだよな。大円銀行への電話で、なにか情報をつかんだんじゃないだろうか」
とつけくわえた。
「口座番号がわからないと思います」
「そう言われると、そうなんだが……」
大谷さんは、私のほうにも確認をとってきた。
「裏見さんは、どのていど信ぴょう性があると、お考えで?」
「氷室くんに会わなかったら、信じなかったと思う。否定的な証拠もあるし……」
「否定的な証拠とは?」
「執筆開始が、3年前なのよね」
つまり、今回の聖生騒動よりも前。
となると、未来予知になってしまう。
大谷さんは、
「なるほど、それならばやはり……」
と言いかけて、耳をそばだてた。
廊下から、ひとの声が聞こえる。
私たちはこの会話を中断した。
ガラリとドアが開いて、風切先輩たちが入ってきた。
「お、早かったな」
私たちはあいさつをして、ミーティングの準備。
指定の6時半には、参加者全員が集まった。
穂積兄妹は家の用事で、不参加。それでもけっこうな人数。
足りないところはパイプ椅子で補って、ホワイトボードを出す。
だんだん窮屈になってきたわね。来年度は、別室でやらないとダメかも。
まずは、主将の大谷さんからあいさつ。
「みなさん、おつかれさまです。本日はお忙しいところ、お集まりいただき、ありがとうございました。聖ソフィア、赤山学園との練習試合も終わり、秋の大会に向けて、準備を進めていきたいと思います」
次に、松平から本題。
「えー、おつかれさまです。まず、秋の戦力予想について、説明します」
松平は、ホワイトボードに序列を書いた。
聖ソフィア>都ノ=京浜≧立志>赤学>修身
「これが、役員で話し合った結論です。先入観を与えるから、ほんとはよくないのかもしれませんが、叩き台として示します。なにかコメントがあれば、どうぞ」
こういうときは、あんまり意見が出ないかも。
と思いきや、愛智くんが挙手した。
「京浜と立志は、元Aですよね? Cから上がってきた聖ソフィアより、下なんですか? 直接対局したことがないので、比較もむずかしいと思うんですが……」
いきなり正論をぶつけてくるタイプ。
松平は、そうだな、と間をおいてから、
「立志と京浜に関しては、過去の棋譜から推測している」
と回答した。
愛智くんは、
「立志の波光先輩は、高校時代に一回指したことがあります。その波光先輩が、京浜の3番手と同格だと聞きました。高校時代と棋力は違うかもしれませんが、京浜のレベルはそこそこ高いと思います」
と補足した。
「有益な情報だ。参考にする」
「逆に僕は、聖ソフィアがよくわからないんですよね。知り合いがゼロですし……最近急に復活したみたいですが、そんなに強いんですか?」
なるほど、愛智くんのほうがわからないパターンもあるのか。
松平は、
「ここまでの実績と、レギュラー層の厚さからして、昇級候補筆頭だと思う」
と返した。
「たしかに、このまえの研究会で当たったひとは、けっこう強かったですね。ただ、Cで一回足踏みしているのは、気になります」
んー、このようすだと、愛智くんは納得していないっぽい。
去年からライバルとして競ってきた経験がないと、実感しにくいと思う。
それとも、私たちが気にし過ぎ? 客観的に見れてない可能性。
松平もそのあたりが気になったのか、ほかの1年生にも確認を入れた。
「平賀、青葉、車田は、どうだ?」
まずはマルコくんが、
「僕は下のグループで指してたんですけど、僕と同じくらいのひとも、いましたね。全員がめちゃくちゃ強いチームって、ないんじゃないでしょうか」
と答えた。
平賀さんは、
「ノイマンちゃんがいるから、聖ソが怖いのはわかります。でも、京浜と立志のほうが強い可能性、ふつうにあると思います。関東の強豪で、このふたつに進学したひとは、多いので」
と、関東コネクションを重視した発言。
青葉くんは、
「僕が指した範囲では、はっきり言えないんですが……順位が大切なので、上にいる大学を気にするのが、セオリーのような……」
と、暗に京浜と立志を推す発言だった。
「南と星野は?」
ララさんは、右手を大きくあげて、両足をパタパタさせながら、
「赤学はワッキーが鬼強だけど、テッパンなのは聖ソ。強いのいっぱいいるし。立志と京浜は、強いの3、4人しかいないんでしょ?」
という回答。
そうなのよね。聖ソは、火村さん、明石くん、大友くん、有馬くんの4枚に、ノイマンさんが入って5枚。これは強い。
ただし、非レギュラー層の実力は、京浜と立志のほうが上っぽかった。
そもそも聖ソは部員が少ない、というのもある。
星野くんは、
「うーん、ちょっとわかんない。相性とかの問題もあるし」
と、いつものあいまいな態度。
松平は水性ペンをくちびるに寄せて、しばらく考え込んだ。
むずかしい状況になっているのは、私にもわかる。
上級生と下級生で、判断が分かれているのだ。
上級生は、聖ソが一番のライバルだと思っている。
下級生は、聖ソをそんなに恐れていない。
松平は、ペンをくるりと回して、
「風切先輩と三宅先輩は、どうですか?」
とたずねた。
風切先輩は、
「俺は事前に伝えたとおりだ。参加してないから、口出しできない」
と答えた。
三宅先輩は、
「そもそも、なんのための序列化なんだ?」
とたずねた。
これはこれで、訊かれてもしょうがないかな。
松平は、全体像を示すことになった。
「では、次のテーマと絡めて話を進めます。京浜のオーダーには癖があって、必ず端に重点を置いてきます。つまり、1番席と7番席に、ナンバーワンとナンバーツーの選手がきます。当て馬でずらしてくることもあるので、2番席と6番席までは射程圏です」
三宅先輩は、
「と見せかけて、今回は変えてくるんじゃないか?」
と疑問を呈した。
「いえ、どうも固定してるみたいです。過去5年間に一度も変えていないので、特定の部員の方針、とも考えられません。留年しているメンバーもいませんでした。ちなみに、立志も気づいていると思います。春のA級で、立志は端に当て馬を出していました」
「で、それがさっきの話と、どうつながる?」
松平は、ホワイトボードにある京浜の名前を、ペン先でこつんとたたいた。
「京浜を1番のライバルと見るなら、都ノのオーダーも、それに対応させるつもりです。つまり、端をすこしゆるめて、中央を厚くします。立志も端をゆるめると思うので、そのときの中央のメンバーを予測して、うまくぶつけます」
三宅先輩は、なるほどな、と言って、真剣な顔になった。
足を組み、ホワイトボードを見つめる。
「……だけど、部長と主将は、聖ソのほうがライバルだと思ってるんだよな? そのときは、聖ソの布陣に対応させる、と。どういうシナリオになる?」
「聖ソは選手層が厚いので、真ん中に火村を置いたあと、左右に強豪をふたりずつ置くと思います」
松平は、一例を書いた。
選手 ノイマン 選手 有馬 選手 火村 選手 大友 選手 明石 選手
「こんな感じですね。先日見た限りだと、14人めいいっぱいでは来ない可能性もあります。聖ソに対しては、端をゆるめて中央に寄せると、突破される恐れがあります」
三宅先輩は、これにも納得した。
「たしかに。うちが2将から5将、あるいは3将から6将までに固めても、そこで3勝確保、とはいかないか。端で稼ぐ必要がある」
「というわけで、京浜をライバル視する場合は、中央に寄せたいんですが、聖ソをライバル視する場合は、バランスを取りたいと思います。つまり、ベスト7を実力順に並べたとき……」
【対京浜オーダー】
6 5 2 4 3 1 7
【バランスオーダー】
4 2 7 1 6 3 5
「こうです。夏合宿までにどちらかを決めたうえで、模擬練習を予定しています」
三宅先輩は、
「バランス重視じゃ、京浜には勝てないのか?」
とたずねた。
「京浜の両端は大谷クラスで、ずらすときに使ってくる当て馬も、うちの6番手、7番手には、一発入る可能性があります。端でふたつ取って、中の5人の勝率は40%でいい、これが京浜の作戦です。B以下でも似た作戦を採用している大学はありますが、京浜は端がほんとうに鉄板という点で、ちがいます」
三宅先輩は椅子に深く座って、ふむ、とうなった。
ここで平賀さんが挙手。
「対京浜は、バランスが悪すぎると思います。端が噛み合わないリスクもあります」
「それはそうだが、チャンスの大きさがちがう」
【パターンA バランスオーダーで、京浜は当て馬なし】
都ノ 4 2 7 1 6 3 5
京浜 1 3 5 7 6 4 2
【パターンB バランスオーダーで、京浜は当て馬あり】
都ノ 4 2 7 1 6 3 5
京浜 8 1 3 5 4 2 9
【パターンC 対京浜オーダーで、京浜は当て馬なし】
都ノ 6 5 2 4 3 1 7
京浜 1 3 5 7 6 4 2
【パターンD 対京浜オーダーで、京浜は当て馬あり】
都ノ 6 5 2 4 3 1 7
京浜 8 1 3 5 4 2 9
「AとBは、ほぼ3敗スタート。CDは逆に、ほぼ3勝スタート……と、ここで最初の話に戻るが、役員間の結論では、バランスオーダーを第一候補にしている。理由は、京浜よりも聖ソが昇級ライバルだと考えているからだ。もちろん、京浜をライバル筆頭にしたうえで、それでもバランスオーダーを取る、という選択肢もある」
沈黙が流れる。
ここまでの説明以外にも、いろいろ要素はあると思う。
とくに立志との関係が、むずかしい。
松平は、大谷さんのほうを見た。
「あとで決めるか?」
大谷さんも思案した。
主将の負担が、ちょっと大きい状況に。
「……7月は、何度も集まれないと思います。今日意見をすりあわせるのが、本筋かと」
「そうだな……では、この点を今から詰めます。時間はだいじょうぶですか?」
その夜、私たちはこの件について、喧々諤々の議論をした。
聖ソフィアをどうみるかは、最後まで折り合わなかった。
だけど、方針は決まった。それは──