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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第56章 蘇った初恋(2017年6月26日日曜)
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361手目 UBASUTE

 10分後──私たちは有縁坂うえんざかで、2杯目のコーヒーを注文していた。

 折口おりぐち先生といっしょに、っていうか、氷室ひむろくんもいる。

 これには説明が必要。

 私たちは喫茶店を抜け出して、有縁坂のあるビルのまえへ移動した。

 入り口のところで、ふたりの女性が揉めていた。

 ひとりは執事服に似た衣装で、ビシッと決めたショートヘアの女性。

 有縁坂のマネージャー、工藤くどうさんだった。

 もうひとりは、マスクにサングラスだったけど、どう見ても折口先生。

 私たちはすこし離れたところで、ようすをうかがっていた。

 すると、氷室くんが現れた。交差点のほうから、いきなり歩いて来たのだ。氷室くんはまず、私たちに声をかけてきた。松平まつだいらは、有縁坂に寄るところだった、と嘘をついた。これにはカマかけもあった。太宰だざいくんが有縁坂に来たらしいから、氷室くんも反応するんじゃないか、という読み。

 ところが、氷室くんは頓着せず、そうなんだ、としか言わなかった。そして、折口先生の存在に気づいた。氷室くんは折口先生を知っていたらしく、単身で助け舟を出した。問題はなんだかんだで解決した。マスクにサングラスで、店内を撮影していたのが、よくなかったらしい。変装しないことと、店内で映していいのは料理だけ、という決まりで、折口先生と工藤さんは和解した。

 と、そこまではよかったんだけど、こんどは折口先生が私たちの存在に気づいた。逃げられなくなった私たちは、4人で有縁坂に入ることになってしまった。席順は、折口先生と私が窓際、氷室くんが折口先生のとなりで、松平が私のとなり。

 店内を見回してみたけど、佐田さだ店長はいないみたい。

 てっきり、お店にもどったものとばかり。

 折口先生はじぶんで左肩を揉みながら、

「はぁ~、ガフーで星ひとつにするところだったぞ」

 と嘆息した。

 そういうこどもみたいな嫌がらせは、やめましょう。

 氷室くんは、

「折口先生、このまえのミーティング以来ですね」

 と言った。

 ん? やっぱりどこかで接点があるの?

 私は、

「先生、どこで氷室くんと会ったんですか?」

 とたずねた。

「今進めてるプロジェクトで会った」

「プロジェクト……もしかして、風切かざぎり先輩とかも、来てます?」

「ああ、風切も来てたな。身内で固まったりはしないから、あまり話さないが」

 そっか、そんなに大きなプロジェクトなんだ。

 私は、そのプロジェクトの中身を聞いてみたくなった。

「どういうプロジェクトなんですか?」

「次世代医療に関する、産学共同プロジェクトだ」

「薬の開発とか?」

「そういうグループもある。私の担当は、ナノマシーンを使った医療だ」

 あ、オープンキャンパスのとき*、そんなこと言ってたわね。

 体内に小さなロボットを入れて、投薬させるんだっけ。なんだかおもしろそうだな、という気持ちと、将来の社会福祉費がもつのかな、という気持ち。

 ちょっと詳しく話を聞いていると、コーヒーが届いた。

 2杯目だから、カプチーノにしちゃった。甘いのはさっき飲んじゃったし。

 一服したところで、氷室くんが話題を変えた。

「みなさん、『UBASUTE』っていうネット小説、読んだことありますか?」

 私たちは、知らないと答えた。

 氷室くんはスマホをとりだして、有名な小説サイトをひらいた。

 そのタイトルを見て、折口先生は、

「UBASUTEというのは、どういう意味だ?」

 とたずねた。

 氷室くんは、

「これ自体が暗号なんです。ミステリ小説で、暗号を解読しながら、テロリストに対抗していくストーリーなんですよ」

 と答えた。

 氷室くんの説明によると、舞台は現代日本。東京へ濃縮ウランが持ち込まれるまでが、第1部。その濃縮ウランの行方を追うのが第2部で、その第2部がちょうど連載中、とのことだった。

「僕、暗号は解けるんですけど、それ以外はさっぱりなんです」

 氷室くんは、最新話で解けない謎がある、とつけくわえた。

 折口先生と松平は、こういうのが好きらしくて、内容をたずねた。

「濃縮ウランは都内の倉庫にあることがわかって、主人公たちがそこへ向かったんです。だけど、倉庫は空っぽ。テロリストたちはどこへ濃縮ウランを移動させたのか、これが問題です。ネットでもいろんな予想が立ってるんですけど、僕はこういうのが苦手なんですよね。地理にも疎いですし。折口先生は、どう思われます?」

 折口先生は、アイスカフェをストローで吸って、しばらく考えた。

「……条件が不明瞭すぎるな」

「あ、そうですよね。一応ヒントとして、①移動させるところを目撃したひとはいない、②実行犯は最大で3人、③保管のための資金は十分にある、この3点はわかってます」

 それでも、あいまいすぎないかしら。

 折口先生もそう思ったらしく、

「『九マイルは遠すぎる』というミステリがあってだな、ちょっとした短文からでも、それっぽい推理をすることはできる。例えば、『9マイルもの道を歩くのは容易じゃない。まして雨の中となるとなおさらだ』という文章だ。とぼしい証拠から推理しても、テキトウな結論が出てくるだけだ」

 と、なんだかミステリ論みたいなものを展開した。

 これに対して、氷室くんは、

「だけど、その小説のラストは、推理が当たってましたよね?」

 と返した。

「うむむ、たしかにそうだが、あれはあくまでも小説だからな」

「これだってネット小説ですよ。作者の考えることは、限られると思います」

 なるほど、と、折口先生は納得した。

 一方、松平は考えを整理していたらしく、すぐに口をはさんだ。

「濃縮ウランでテロ、ってことは、小型核爆弾を作るんだろ?」

「あ、松平くん、よく知ってるね」

「H島に落とされたのが、そのタイプだった」

「そういえば、H島出身だっけ……この話、やめたほうがいい?」

「核兵器を作る側が主人公じゃなきゃ、いいさ。核爆弾を作るには、キロ単位で濃縮ウランが必要だ。そうなると、放射線の管理がかなり難しいと思う」

 氷室くんは、そこが出発点だね、と返した。

「この小説は、部分的に現実世界を踏襲してるんだ。東日本大震災とF島原発事故は、作中でもあったことになってる。主人公たちが倉庫を突き止めたのも、そのルートだよ。都内で放射線量を測定している反原発団体がいて、そこからの情報で察知したんだ」

「なんだ、それなら話は早い。放射線を遮断できる空間で、もとの隠し場所だった倉庫の近く、だ」

 氷室くんは、放射線の遮断方法をたずねた。

 松平は、

「すまん、俺は原子力専攻じゃないし、調べてみないとわからない」

 と答えて、じぶんで調べ始めた。

「……放射線にはα線、β線、γ線、中性子線があって、α線とβ線は、比較的簡単に止まるみたいだな。問題はγ線と中性子線だ。γ線は分厚い鉄板、中性子線は、水やコンクリートでないと遮断できない」

 よくわかんないけど、鉄板でできた容器をプールに入れれば、遮断できるってこと?

 そういう施設、まずないと思うんだけど。

 松平はスマホをテーブルのうえに置いて、

「これ以上は特定できないだろうな。その小説を読んだら、もっと詳しいヒントがあるのかもしれないが」

 と、半ばギブアップした。

 氷室くんは、そうだね、と言ったあと、私のほうに話しかけてきた。

裏見うらみさんは、どう?」

 うーん、ミステリをそもそも読まないから、さっぱりわかんないのよね。

「……ごめん、見当がつかない」

「裏見さんが犯人なら、どうする?」

 どうするって言われても、ウランの密輸なんて、したことないんですが。

 だいたい、そんなの安全に運べるの?

 ウランの輸送車を、街中で見かけたことがなかった。

 私は念入りに、わからない、と答えておいた。

 氷室くんもこんどは引き下がって、折口先生に話を振った。

 折口先生はさっきから腕組みをして、目を閉じていた。

「……その小説は、ミステリ小説なのだな?」

「はい」

「なら、前提がちがうのではないか?」

 氷室くんは、どういう意味ですか、とたずねた。

「作者が科学的事実をどこまで前提にしているのか、それはわからない。が、ウランを原爆に使うには、少なくとも90%以上の濃縮が必要だ。通常の原発では、20%未満の低濃縮ウランしか使用していない。にもかかわらず、その管理には、そうとうな手間が必要だ。たかだか3人のテロリストが、高濃縮ウランを管理できるとは思えない」

「……つまり?」

「つまり、ウランというのは偽装で、なにかべつのものなのではないか?」

 ほほぉ、いかにもミステリっぽい推理ですね。

 意外性を追求しているというか、なんというか。

 氷室くんは、なるほど、と言って、オレンジジュースを飲んだ。

「……ウランでないとすると、なんだと思いますか? 細菌兵器?」

「細菌やウイルスも、保管がめんどうだ。個々の材料はありふれているが、混ぜたときに効果を発揮するものがいい。そのほうが持ち運びにも便利だからな」

 氷室くんは、いつもの能面にもどった。

 さきほどまでの好奇心が、彼の周りから消えていく。

「ありがとうございます。そういう意見を聞きたかったんです……参考にしてみますね」


*211手目 おとなの勧誘

https://ncode.syosetu.com/n0474dq/213/

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