磐一眞の仰天
※ここからは、磐くん視点です。
3人で座敷に残ったとき、時計は1時を回っていた。
都ノと火村は離脱。
俺も帰ればよかったかな。ちょっと迷ったんだよな。
好奇心は猫を殺す、っていうだろ。
これも好奇心──いや、対抗心か。
正直、氷室に先を越されるのが、イヤなんだよね。
まだ暗号が解けてないって聞いたとき、安心したくらいだ。
俺はお茶を飲み干して、湯呑みをテーブルに置いた。
「で、どうやってかけるんだ?」
俺の質問に、氷室は、
「ホームページの番号に、そのままかけるよ」
と答えた。
おいおい、マジかよ。
「さすがに大胆すぎるだろ」
「それが一番あやしまれない」
「ああいうのは録音されてる。番号だって残るぞ」
俺が指摘すると、氷室はスマホをこづいた。
「このスマホは、今回専用だ。契約者も僕じゃない」
俺はかるく口笛を吹いた──犯罪じゃないのか、それ。
法律はよくわからないが、オレオレ詐欺の手口だろ。
警察が番号を追跡しても、犯人以外につながるっていう。
一方、太宰はひどく思いつめた表情で、スマホを見つめていた。
俺は、
「さすがにビビったか?」
とからかった。
「僕が捕まったら、母さんはなんて思うかな、と」
激しくテンションが下がる。
「……やめるか?」
「いや、やめない……ここまできて、はっきりわかった。僕はジャーナリストの息子なんだな、って。危ないとわかってても、やめられない」
俺は両肩をすくめた。
「了解。で、氷室、声はどうする? 録音されるぜ?」
「ボイスチェンジャーアプリを入れてある。高齢男性の声でセットした」
用意周到だな。
これじゃあ、俺たちが乗ることを予想してたみたいだ。
それとも、全員が反対したら、ひとりでやる気だったんだろうか。
俺は両手を、うしろの畳についた。
「毒食わば皿まで。かけるのは氷室だよな? 台詞も、どうせ考えてあるんだろ?」
「それでいい……じゃ、始めるよ」
氷室は、スマホの通話ボタンを押した。
緊張が走る。
プルルル プルルル
すぐに機械音声が流れてきた。
《こちらは、大円銀行銀座支店、カスタマーセンターです。自動音声でご案内します。ご用件の内容に応じた番号を押してください。音声案内の途中でも、番号を押すことができます。店舗、ATMの案内については、1を……》
事前に調べてあったらしく、氷室は2を押した。
すると、細かい相談内容に移った。氷室は4を押した、
自動音声が途切れて、ふたたび呼び出し音が鳴った。
プルルル プルルル
《はい、こちら大円銀行銀座支店、窓口担当の三井と申します》
氷室はアプリを使って、話し始めた。
「もしもし、口座の状況について、確認させていただきたいのですが」
《はい、お名前をいただけますでしょうか?》
《ノエルです》
《ノ……もうしわけございません、もういちどお願い致します》
《野原のノ、江戸川区のエ、瑠璃色のルです》
《ノエル様ですね……下のお名前は?》
《団体名です》
最初の壁。
これがまちがってたら、どうしようもない。
カタカタと、パソコンの音が聞こえる。
《……お電話口にいらっしゃるのは、ノエルのどちらさまでしょうか?》
来たッ! 俺は無言でガッツポーズした。
氷室は、すこし間を置いたあと、
「ムナカタです」
と答えた。
オペレーターは、その名前を繰り返した。
《……口座番号をお願い致します》
最大の関門。
これをどうするつもりなんだ?
さすがに訊かれるだろ、とは思った。
氷室の横顔を見る。
いつもの能面だった。
ここで終わりか? まだ仕掛けも始まってないぜ?
俺の心配をよそに、氷室はくちびるを動かした。
7桁の数字を答える。
数秒後、オペレーターの声が聞こえた。
《はい、ノエルのムナカタ様ですね。本日は、どのようなご用件でしょうか?》
マジか? どうやって破った?
俺はそっちが気になって、思わず話しかけてしまいそうになった。
だが、氷室はあくまでも冷静に、
「そちらの銀行に、なにか預けてあると思うのですが……」
と、ややあいまいに切り出した。
《ご預金のことでしょうか?》
「いえ、貸金庫を借りた記憶がありまして……」
三度、パソコンの音。
《……はい、貸金庫をお持ちでした。記録にございます》
氷室は、ややとぼけた調子で、
「あれ、解約しましたか?」
と返した。
《はい、すでに解約されています》
「そうでしたか。どうも記憶があいまいで、すみません。私も年で……いつですか?」
《ご解約されたのは……》
そこまで来て、急にオペレーターの声が小さくなった。
なにやら「え、はい」という声が聞こえたあと、保留音になった。
軽快な音楽が鳴る。
俺たちはちょっと困惑した。
太宰は、
「今、だれかが割り込まなかった?」
と言った。
俺もそう思う。なんか、おっさんの声が混ざったような。
それでオペレーターがふりかえって、そのまま保留になったんじゃないだろうか。
まさか、ボイスチェンジがバレたか?
IT部門の人間が、注意に来たのかもしれない。
俺たちのあいだに、重苦しい空気が流れた。
切ってとんずらしたほうがいいんじゃないか、とすら思えた。
《もしもし》
氷室は、返答がすこし遅れた。
「はい」
《もうしわけございません。この貸金庫については、直接ご来店いただかないと、対応致しかねます》
「どうしてですか?」
《ご契約時に、そのような特約がございましたので……》
切り上げどきだ。そう直感した。
そしてそれは、暗黙のうちに共有された。
氷室は、
「わかりました。なにぶん昔のことなので、すみません……では」
と言って、話を打ち切った。
《ご来店、お待ちしております》
氷室は通話を終えた。
あたりを沈黙が覆う。
その沈黙を破ったのは、太宰だった。
「口座番号は、どうやって調べたの?」
そうだ、なんでわかったんだ。
氷室の回答は、おどろくほどシンプルだった。
「恭二の通帳で、昔見かけた。あやしい名義の通帳だったから、おぼえてた」
太宰は重ねて、
「預金のことを訊かなかったのは? 残高くらいは訊いて欲しかったんだけど……」
とたずねた。
「残高確認は別ダイヤルで、暗証番号が必要なんだ。さすがにそれは知らない。ただ、その通帳の最終残高はゼロだったよ」
氷室はスマホをしまい、席を立った。
俺は、
「おい、どこ行く?」
と声をかけた。
「犯行現場からは、さっさと移動したほうがいい」
俺たちは1階へ降りて、会計を済ませた。
店から出て相談──かと思いきや、氷室はすぐに立ち去ろうとした。
太宰は、
「今日はありがとう……かな。この件については、また相談したいんだけど」
と誘いをかけた。
氷室は背を向けたまま、
「チャンスがあれば」
とだけ言って、そのまま歩き出した。俺たちを置いて。
歩道にある紫陽花の青が、妙にまぶしかった。
俺が氷室の背中を目で追っていると、太宰は小声で話しかけてきた。
「さっきの、どう思う?」
「……口座番号の件か?」
「そう」
俺は思案した。
ローラーブレードのつま先で、アスファルトを小突く。
「ウソだと思うぜ。宗像が通帳を見せるとは、思えない。たとえ残高ゼロでもな」
「だよね……じつは暗号が解けてるのかな」
認めたくないが、その可能性は高くなった。
だとしたら、なぜウソをついた? 解けたって言えばよかっただろ?
悔しいとはいえ、さすがに俺もキレたりはしない。
氷室は、なにがしたかったんだ?
こういう心理戦、俺は苦手なんだよ。
「太宰、氷室はなにがしたかったと思う?」
「解釈はふたつある。ひとつは、諦めろってメッセージ」
「カネは宗像が相続した。正体不明のブツは、とっくに持ち出された。だから諦めろ、か……もうひとつは?」
太宰は、まるで正解を知っているかのような、確信に満ちた声で答えた。
「ブツを探せってことじゃないかな。僕はそう感じたね」