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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第8章 2016年度春季個人戦3日目(2016年5月1日日曜)
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36手目 ビッグマウスさん

 まずは1勝……私は休憩もそこそこに、次の対局テーブルへと移動した。

 相手は既に着席して、小物を整理していた。大きなツインテールの女性だった。すこし化粧が濃いかな、と思ったけど、アイシャドウの色が濃いだけだった。もっとおとなしめのほうが、いいんじゃないかなあ、と……まあ、他人事ではある。

 女性は顔をあげて、目をほそめた。

「あれ? あんた、どっかで会ったことない?」

 ありますよ。っていうか、忘れないでくださいな。

「同郷の裏見うらみ香子きょうこです。よろしくお願いします」

「裏見……ああ、日日にちにち杯で会った子ね」

 そう、このひとは、筒井つつい順子じゅんこ――私と同じH島の出身で、2コ上。つまり、大学3年生ということになる。晩稲田おくてだ在籍。ただ、冴島先輩とはちがって、高校が同じだったわけではない。私の出身地はH島の西で、筒井先輩は東だった。そもそも、高校3年生まで知らなかったし。面識ができたのは、地元で開催された将棋イベントのときだった。

「裏見ちゃんも、相手が悪いわね。この筒井様と当たるなんて」

 はいはい――このひと、すっごい自信家なのよね。とはいえ、県代表に1回なったことがあるらしいから、単なるビッグマウスじゃないみたい。大口を叩く理由持ち。

 私は着席して、駒をならべた。

「裏見ちゃんも、県代表だっけ?」

「いえ……私は、高校竜王戦で優勝しただけです」

 高校将棋界には、大きな公式戦が2つある。ひとつは、全国高等学校将棋トーナメントという、全国大会。もうひとつは、高校竜王戦だ。これも公式大会だけど、各県の優勝者が決まった段階で終了する。前者は47都道府県すべてが参加しているのに対して、後者は開催していない県もある。「県代表」と言ったら、前者のほう。

「それでは、振り駒をお願いします」

 幹事の指示が入った。

 私は、筒井先輩にゆずった。先輩は、ゆずり返さずに振り駒をした。

「……歩が3枚、私の先手」

 チェスクロを、私の右側に――あとは、対局開始の合図を待つばかり。

「対局準備の整っていないところは、ありませんね? ……では、始めてください」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 私はチェスクロを押した。時間が刻まれる。

 筒井先輩は、深く息をしてから、7六歩と突いた。

 私は5秒ほど気持ちを落ち着かせて、8四歩と突く。


挿絵(By みてみん)


「こっちが選択しろってことか……じゃ、6八銀」

 矢倉のお誘い。受けて立つ。

 3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、5四歩、4八銀、4二銀、5八金右。

 高速で手が進む。

 3二金、7八金、4一玉、6九玉、7四歩、6七金右。

 矢倉急戦にするかどうか、若干悩んだ。

「5二金」


挿絵(By みてみん)


 がっちり行きましょう。県代表レベルに、奇策はなかなか入らない。

 この手を見た筒井先輩は、

「阿久津流にしないんだ……ま、いいや。2六歩」

 と、早めの飛車先突き。

 4四歩、7七銀、3三銀、7九角、3一角、3六歩、4三金右、4六角。


挿絵(By みてみん)


 先手のほうから変化してきた……脇システムにしろってこと?

「……7三桂」

 とりあえず、桂馬で角の利きを遮断した。

「7九玉」

「6四歩」

 脇システムを放棄した。筒井さんは、「んー」と声を出して、

「消極的だね……1六歩」

 と、端を突いた。私は6三銀と上がる。

「端も突き返さないんだ……1五歩」

 詰められたけど、これは想定の範囲内。

 4二角、8八玉、9四歩、9六歩、3一玉、3七桂。


挿絵(By みてみん)


 森下システムっぽい動きなのかしら? 4八銀の保留が、そんな感じだ。

 私は8五歩と伸ばして、一方的に攻められないようにした。

 2五桂、2四銀、2九飛、2二玉。

 開戦間近? そう思った瞬間、筒井先輩は5七銀と上がった。

「先手総矢倉……?」

 私は盤面をのぞきこみながら、そうつぶやいた。

「さ、どうする? そっちから攻める?」

 挑発されてるなあ。

 とはいえ、先手が攻めて来ないなら、後手から先攻してみたくはなる。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

「9三香」


挿絵(By みてみん)


 6筋からの攻めは、4六の角に牽制されている。私は端攻めを選択した。

 筒井先輩は、すぐに6八銀右引とした。

 先手と後手が、入れ替わったようなかたちをしている。

「9二飛」

 私が飛車を寄った途端、先輩はニヤリと笑った。

「そんじゃ、開戦と行きますか。1三桂成」

「!?」


挿絵(By みてみん)


 せ、先手から攻めるの?

 てっきり、総矢倉で受け切る方針なのかと……同香で? ……同香、2五歩? 3三銀と引くのは1四歩、同香、同香、1三歩、同香成、同桂、1四歩。後手は歩切れだから、1二歩と受けられない。これは、先手の端攻めが成功……ということは、1三桂成に同銀しかないわけか……同銀、1四歩、同銀、同香、同香なら、止まっているはず。

「同銀」

 2五歩、3三金寄。

 筒井先輩は、角に指を添えた。

「3七角」


挿絵(By みてみん)


 イヤな手がきた――この手の狙いは、すぐに見える。1四歩、同銀、同香、同香としてから、1五歩で香車を殺しに来る作戦だ。私は顔をあげて、ちらりと筒井先輩の表情を盗み見た。目が合って、ニヤリとされた。これは、先輩の研究手順に突っ込んでいる。

 ってことは、私の次の一手も、当然に研究範囲よね――もちろん、9五歩だ。先手の1四歩が入る前に攻めるなら、ここしかない。9三香〜9二飛から、当然の流れでもある。9五歩、同歩、同香、同香、同飛に、9六歩か、あるいは9九香と止めて、前者なら9一飛、後者なら9六歩と押さえたい。

 いずれにせよ、そこで1四歩、同銀、同香、同香、1五歩が予想された。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)

 

 多分、この進行。ここで後手にうまい手がないと、不利になる。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 8四桂かなあ。

 以下、1四歩、1一香、1九香……は、飛車が回れないか。1八香に変えて、こっちは1二香打で補強。先手も1九飛と回って、3段ロケットにする。この瞬間に9七歩成として、同香、9六歩、1三歩成、同香、同香成、同香、1四歩、9七歩成、同桂、1四香と一回手を戻して……1五歩?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 一直線に読んでみたけど、後手も悪くないわね。っていうか、この最後の1五歩は、打てないと思う。1五同香と取って、同飛に1四香といきなり打ち返す手があるからだ。同飛、1三香で、飛車が死んでしまう。持ち駒に香車が2枚あるからできる芸当。

 よし、9五歩でなんとかなりそう。私は、意気揚々と攻めた。

「9五歩ッ!」

「同歩」

 筒井先輩も、すぐに反応した。

 同香、同香、同飛、9九香、9六歩、1四歩、同銀、同香、同香。

「1五歩」


挿絵(By みてみん)


 飛車回りを手抜いた……私は、同香としようか迷った。同香、同角、1一香、3七角、1八香成の反撃が見えたからだ。ただ、成り駒ができてるだけで、弱いかもしれない。

 私は、このまま同香と取るか、さっきの8四桂を先着するか、比較検討した。この段階で8四桂と打つと、1四歩、9七歩成……いや、さすがに性急か。1一香か1二歩で一旦受けたほうが良さそう。1三歩成に同桂も同玉もイヤだから。1二歩は歩切れになるし、1一香かなあ……1一香……でも、9八香打と先手が受けてきたら……あ、それは8四桂で無効化されてるのか。次に9六香と取れない。

 ふむふむ、8四桂は、思ったより利いてるわね。となると、先手は受けるよりも攻めないといけないわけか……だったら、今度こそ1八香なんじゃない?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 次に1三歩成、同香、同香成、同桂、1四歩はイヤだから……1二歩? また歩切れになる順が現れた……歩切れは、9筋方面でなにもできなくなる……けど、これ以外は1二香打と重ねる受けしかないし……うーん……迷う。

 私は、残り時間を確認した。15分を切りかけていた。私は最終的に、7五歩、同歩、7六歩の攻めが残るように、1二香打と重ねる順で受けることに決めた。

「8四桂」

 私は急所の桂馬を打った。筒井先輩は、真顔になって、

「なかなかやるね」

 と言ってから、小考。おたがい、難しい順に突入したようだ。

「ま、とりあえずは、こうか……1四歩」

 私は、黙って1一香。筒井先輩は、さらに30秒ほど考えて、1八香を選択した。

 本命で読んでいたほうになって、ホッとする。と同時に、難解だとも感じた。1二香打とするかどうか……私は10秒で覚悟を決めて、1二香打と重ねた。

 筒井先輩は、チッというような顔をして、ツインテールの根元に手を添えた。

「ここまでついてこられるとは、予想外だったかな……7九玉」


挿絵(By みてみん)


 ん? これは読んでいない手だ。1九飛を中心に考えていた。

 1九飛と回らないと、攻めが薄くない? 例えば、こっちから9七歩成として、同香あるいは同桂……同桂かな。9六歩に9八歩があるから。この順は、後手の攻めが足りていないと思う。だから、9七歩成、同桂には9六歩と打たないで、1四香、同香、同香、1五歩、同香、同角で端を収めて……えーと……1四歩? 1一香は香車がなくなるから、もったいない気がする。1四歩、3七角……ここで9六歩……まだ弱い。

 やっぱり、7五歩でしょうね。7五歩、同歩、7六歩、同銀、同桂、同金、9六歩……これは全然ダメ。9八香打があって、9七歩成、同香に手がない。飛車が死んでる。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 うーん……息苦しくなってきた。端の応酬が細か過ぎる。

 私はペットボトルを開けて、お茶を飲んだ。大きく息を吸って、吐く。

 それから腕組みをして、目を閉じた。脳内将棋盤を動かすためだ。

 現局面から、9七歩成、同桂、7五歩、同歩、7六歩までは決めておきたい。そこで同銀と取ってくれたら、1四香で歩を補給して、同香、同香、1五歩……ここで手抜くのもありかなあ。9六歩と置いて、9八香打、9七歩成、同香……は、9六に打つ歩がないのか。1五に歩は落ちてるけど、1五香、同角、1四歩のときに使うから、枚数が増えないのよね。つまり、端はあんまり有望じゃない、と……。

 OK、だったら、方針変更。7六歩、同銀に、1四香、同香、同香、1五歩、同香、同角、1四歩、3七角、7六桂、同金まで決めてから3八銀。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 1九飛、3七銀成、2六角と退かせて、6五歩は、どう? 3七の角がいなければ、ここの歩を突いても問題ない。ちょっと遅いかもしれないけど……うーん……。

 私は散々考えて、こちらのほうが端攻めより有望だと判断した。

「9七歩成」

 同桂、7五歩、同歩、7六歩。

 私がチェスクロを押すと同時に、筒井先輩は銀に指をそえた。

 そして、スッと8八に引いた。


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 あれ?

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