350手目 秘すれば花
その週の金曜日、私たちは赤学のキャンパスに集まっていた。
駅前に集合して、サークル棟の共同スペースへ移動。
んー、なかなかおしゃれですね。
きれいな木張りの床に、大きめの窓から光が射していた。
天井は空色で、そこに白い梁が通っている。
テーブルも白くて新しい、4脚の正方形だった。
これを2つずつつないで、それぞれ2局できるように組んである。
部屋の中には、けっこうな数の学生がいた。
けど、3校とも全員、というわけではなかった。
週末に来られるメンバーだけ集まりましょう、っていう形式。
都ノも全員は来ていなくて、風切先輩が欠席だった。例のわりのいいバイト。大学のプロジェクトだから、しょうがない。
このあたりは、松平も脇くんに説明した。
「一番強いメンバーが来てなくて、なんか失礼になっちゃったな」
「いいよ、風切先輩の実力は、もうわかってるしね」
ま、そうなのよね。
仲良しグループの交流会、っていうのは、あくまでも建前。
もちろん、そういう側面がないとは言えない。けど、打算もある。
おたがいにどういう戦力状況なのか、それを知りたいわけだ。
春に都ノvs赤学はやった。でも一発勝負だから、見えなかったことも多い。
私がそんなことを考えていると、脇くんはパンと手をたたいた。
「それじゃ、始めようか。組み合わせは、さっきのクジ引きの通りで」
私たちは着席。
最初のお相手は、聖ソフィアのノイマンさん。
いつものゴスロリファッションに、小さなシルクハットのアクセサリー。
めちゃくちゃ目立つから、来るときも注目を集めていた。
「ウラミお姉さま、今日もかわいい~」
なんですか? いきなりお世辞ですか?
というわけでもなく、ノイマンさん、なんかノリが独特なのよね。
「ノイマンさんも、かわいいわよ」
「ありがとうございます。では、お姉さま、振り駒を」
練習だし、ゆずり返す必要もないか。
5枚集めて、サクッと振る。
「表がゼロ枚、私の後手ね」
「縁起が悪いのです」
んなこたーない。
むしろめずらしくていいでしょ。
歩をもどして、あとは待つだけ。
脇くんの声が聞こえた。
「準備はよろしいでしょうか……では、始めてください」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします、なのです」
私がチェスクロを押して、対局開始。
7六歩、8四歩、6八銀、3四歩、6六歩。
【先手:ノイマン・ミラーカ(聖ソ) 後手:裏見香子(都ノ)】
矢倉模様。
最近流行りの雁木かしら。
とりあえず合わせていく。
6二銀、5六歩、5四歩、4八銀、4二銀、5八金右。
このあたりはサクサク。
3二金、7八金、4一玉、6九玉、7四歩、6七金右、5二金、7七銀。
ふつうの矢倉だった。
ずいぶんとオーソドックスな指し方だ。
ノイマンさんの実践譜は、新人戦のものを確認済み。
あのときもトリッキーなことはしてなかったし、正統派ってことか。
じゃあ、私は最先端を追いましょう。
「7三桂」
この手を見たノイマンさんは、
「速攻ですか?」
とたずねてきた。
「ノーコメントで」
「ウラミお姉さまは、秘すれば花、というタイプではないのです」
なにを言ってるんですかッ!
将棋の話でしょ。っていうか、失礼だし。
「ノイマンさ~ん」
「あ、はい、指します」
ノイマンさんが指したのは、2六歩。
ほんとうにただの矢倉になりそう。
私はどんどん組み替える。
6四歩、9六歩、8五歩、3六歩、5三銀左。
さあ、どうですか。これはちょっと変わってるでしょ。
矢倉どころか、雁木でもない。
ノイマンさんもすこし考えた。
「2筋は放置して、6筋から潰す作戦っぽいのです……では、殴り合いです」
2五歩、9四歩に、2四歩が指された。
同歩、同飛、2三歩、2八飛と撤退させてから、1四歩。
先手は角を使うのかと思いきや、3七桂で追加した。
いいか悪いかはともかく、こっちの意向は通せたんじゃないかしら。
先手は角を使えていない。
6三銀、1六歩、4四角。
「もう一回2四歩です」
ん? これは? ……同歩、同飛、2三歩、2九飛ってこと?
手渡しくさいわね。継続手があるように見えないし。
このへんは考えてもしょうがないので、あっさり同歩。
同飛、2三歩、2九飛。
私も8一飛と引いておく。
この手があるから、手渡しは成立しないのよ。
ノイマンさんは、
「むむむ、なのです」
と言って、小考した。
7九角は成立しないと思う。6五歩と即開戦して、同歩、同桂、6六銀、6四銀と支えておけば、自然と後手が良くなりそう。あるいは、8六歩、同歩、6五歩と畳みかけてもいい。
ノイマンさんも同じ判断だったらしく、4六歩と突いた。
ふーむ……8八に角がいるあいだは、6五歩と突けない。
いや、もちろん突いて悪いってことはないんだけど、第一候補にならない。
それなら2二角と引いたほうがマシだ。
むしろ8六歩、同歩……5五歩?
これで4六の歩を逆に狙えないかしら。
例えば、8六歩、同歩、5五歩、同歩、同角、2四歩。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
このあと同歩、2五歩の継ぎ歩に……あ、全然ダメか。5六金で、角が死んでしまう。
5五角のままにしとけば、いいっちゃいいんだけど……微妙。
8六歩に代えて、7五歩と突っかけてみる? ……なにも起きないかも。
4六歩、意外といい手だった?
私は2分ほど悩んで、けっきょく8六歩を選択した。
同歩、5五歩、同歩、同角。
案の定2四歩になって、同歩、2五歩、5四銀直、2四歩、2二歩。
ちょっと謝った感じになった。
ノイマンさんは4七銀で、4筋を補強。
私のほうから継続するなら、8五歩。同歩、同桂、8六銀に6五歩と突いて、どうか。これが通らないなら、いったん手仕舞にするしかない。
私は8五歩以下を読んだ。6五歩に同歩なら後手有利になるけど、もちろんそうはならない。6五歩に8七歩と支えられて、これが難しい。
簡単に破れない、という結論になった。
「……4四角」
この手に、ノイマンさんも長考。
残り時間は、私が16分、ノイマンさんが15分。
まあこんなもんかな、という流れ。
私のほうはもうちょっと考えた方がよかったかも。ここは反省点。
とりあえず、続きを読む。
「……」
「……」
「……5八玉です」
先手も難しかったか。
これは助かった。
私は1分読みを入れて、1五歩と仕掛けなおした。
「……角が邪魔なのです」
でしょ。4四角の効果的な使い方だ。
4五歩で反発してくるかなあ、と思ったけど、ノイマンさんは同歩を決断してきた。
私は3三桂で角頭を補強した。
「5六銀です」
んー、次に5五歩だと困るか。
私から5五歩と先着しておく。
4七銀に6五歩。
これを同歩なら、同銀から一気に進出できる。
「ご、後手がちょこまかしてくるのです」
左右に揺さぶるのは、将棋の基本。
先手は王様が5八に立っちゃったから、そこを狙われるのはしょうがない。
「反撃しますッ! 1四歩ッ!」
そのまま6六歩と突っ込む。
同銀、1七歩、5三歩。
おっと、そんな手があるのか。
同角は5筋の駒が足りなくなる。5五銀、同銀に同角と飛び出されて厳しい。
同金……は、あんまりしたくないかなあ。4五歩、同桂、同桂、同銀のあと、5五銀と前に出られたとき、王様の守りが薄い。
となると、4二金右か。私はこれを選択。
ノイマンさんは3五歩で、戦線を拡大してきた。
これも同角は5五銀だし、同歩は3四歩があるからありえない。
無視して1四香と走る。
3四歩、1八歩成。
さあ、端を破れた。間に合え。
ノイマンさんの手も止まった。
逃げる手は、ふつうにあると思う。例えば6九飛、1九と、3三歩成。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
ただ、これは後手がすこし指しやすい。それが私の読み。
以下、3三同金直、4五桂、3四金と広げて行って、後手玉はほぼ安泰。
一方、先手は玉飛接近になっているし、なによりも囲えていない。
後手有利とまでは言わないけど、後手持ち。
いずれにせよ、個性が出る局面だ。
ひよるタイプなら、飛車を逃げると思う。
ノイマンさんは、どっち? 性格診断、開始。