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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第55章 解けなかった暗号(2017年6月21日火曜)
360/487

349手目 役割分担

【先手:裏見うらみ 後手:松平まつだいら

挿絵(By みてみん)


 んー、むずかしいわね。

 私が次の手に悩んでいると、部室のドアがひらいた。

 大谷おおたにさんが入ってきた。

 かすかにシャンプーの香りがする。

「失礼しました。ソフトの練習が長引きました」

 おつかれさまです。

 私たちは廊下にひとがいないことを確認してから、ドアを閉めた。

 窓のそとは、すでに暗くなっている。時計は9時を回っていた。

 テーブル席に座って、さっそく打ち合わせ。

 第一声は、松平の、

「さて、始めるか」

 だった。

 私たちは各自で調べてきたことを、それぞれ報告する。

 まず、日円にちまる銀行の不祥事について、私から。

太宰だざいくんが言ってた事件は、じっさいにあったわ。世間では、日円銀行利益供与事件って呼ぶのが一般的みたい。日円銀行の頭取以下、複数の幹部が、総会屋の大海おおうみという男性に不正融資をして、起訴されてる」

 頭取というのは、一般企業でいう社長のこと。

 つまり、トップが関与した不祥事。

 当時はそうとうなスキャンダルだったらしく、新聞記事が大量に見つかった。

 松平は、

「その大海って人物が、聖生のえるの可能性はないのか? 太宰は否定してたが……」

 とたずねてきた。

「ゼロとまでは言えないけど、ほとんどないと思う。大海は結婚してて、こどもが3人もいるみたい。出所後は、かなり質素な生活をしてるらしいわ。これはルポタージュで読んだから、たぶんほんとうだと思う。裁判所から罰金みたいなものを命じられて、7億円も払ってるのよね」

「ようするに、不正融資の金は吐き出したわけか。じゃあ、N資金になりようがないな」

「あ、うーん、それもあるんだけど、重要なのは、裁判にかけられて、財産を調査されてる点。仮に大海がN資金を管理していたなら、特捜部が目をつけたと思う。だけど、大海が謎の巨額資金を管理してたっていう報道は、見当たらなかった。あくまでも、不正融資のお金を持っていただけみたい。これはほかの逮捕者にも言えて、マネロンを理由に有罪判決を受けたひとは、いなかったわ」

 松平は納得した。

「すると、あやしいのは裁判にかけられなかった人物……自殺した専務か」

 そういうことになる。

 私はメモ帳をとりだして、さらに詳しい情報を提供した。

「この自殺した役員は、秋庭あきにわ舜一しゅんいちという男性で、1944年、東京生まれ。1966年に帝大法学部を卒業後、日円銀行に入行。1986年に銀座支店の支店長、1994年には執行役員になって、1997年の時点では審査担当専務」

 大谷さんは手を合わせて、

「享年53歳ですか。時代もあれど、若くして亡くなられたようです」

 と目を閉じた。

 松平は、

「その秋庭さんは、まったく調べられなかったのか? 事情聴取は受けたんだよな?」

 とたずねた。

「ほとんど黙秘してたらしいの」

「事情聴取の回数は?」

「最初の一回だけ」

 松平は頭をかいた。

「銀行の闇を墓場へ持って行った……と解釈するのが、ふつうか。だけど太宰の話では、他殺の可能性もあったんだろ? そのあたりは?」

 私はメモ帳をめくった。

「太宰くんが言ってた週刊誌の記事も、見つかった。専務がマンションで自殺したとき、争うような声が聞こえた、っていう内容。でもこれは、注目されなかったみたい。続報がなかったから」

 大谷さんは、

「マンションの構造は、どのようなものですか?」

 とたずねた。

「9階建てまではわかってるけど……それ以外のことは、ちょっと」

「その建物は、現存していますか?」

「一応してるみたい」

 ただなあ、現場に行くのは、なんか怖いのよね。

 私の気持ちを察したのか、大谷さんはそれ以上、追及してこなかった。

 私は先を続けた。

「警察発表は自殺で、東京地検特捜部が批判されたのも、事実だった」

 松平は、

「なにか聖生のえるにつながりそうな情報は、ほかに?」

 とたずねた。

 私は首を左右にふった。

「明確には、なにも……ひとつあったのは、裁判中の新聞記事で、審査担当専務の自殺により、資金の動きに関する捜査が難航している、って書いてあったことくらい」

「つまり、金の動きをつかんでいたのは、秋庭だった、ってことか」

 私は、たぶん、とだけ答えて、大谷さんにバトンタッチした。

「拙僧は、宗像むなかた姉弟の相続について、ありえるルートを調査しました。もっとも、金融機関のシステムにアクセスできるわけではないゆえ、あくまでも一般論にとどまります。まず、N資金が巨額であると仮定した場合、法人形式で相続させた可能性が濃厚です」

 私は、

「法人って、会社のこと?」

 とたずねた。

「会社も法人の一種ですが、ほかにもあります。例えば、拙僧の実家の寺は、祖父の個人所有ではなく、宗教法人の所有です。宗教法人には3人以上の役員が必要ですので、祖父が代表役員を、地元の名士2名が通常の役員を務めています」

 松平は腕組みをして、

「待てよ……聖生のえるも、新興宗教を作った可能性がないか?」

 とつぶやいた。

 なるほどな、と私は思ったけど、大谷さんは否定的だった。

「拙僧の考えによれば、その可能性は高くありません」

「なんでだ? 聖生のえる教とか、いかにもありそうじゃないか?」

「宗教法人法によって、未成年者は役員になれない、と定められています。したがって、宗像姉弟が未成年者のあいだは、役員になれません。弟の宗像くんは、今もそうかもしれません。また、仮にふたりが成年になっても、3人目をどうするのか、という問題が残ります」

 松平は、

「それが生き残りの仲間、って可能性は?」

 と、あくまでも疑ってかかった。

「もちろんゼロではありません。しかしもうひとつ、問題があります。宗教法人として認められるためには、宗教団体としての活動実績が必要です。しかし、聖生のえるが宗教活動をしていたという事実は、確認されていません」

 松平は納得した。

「宗像たちがどこかの施設に出入りしてる、って目撃談もないしな。じゃあ、その線はいったん切ろう。だとすると、やっぱり会社か?」

「拙僧は、そう考えています。しかも、取締役会を置く会社ではありません」

「というと?」

「日本の会社には、複数の形態があります。株式会社、合同会社、合名会社、合資会社です。資産の安全性からすると、合名会社と合資会社は危険なので、株式会社か合同会社が通常です。株式会社にはさらに2種類あり、取締役会を置く会社と、置かない会社にわかれます。取締役会を置くには、3名以上の役員と、監査役が必要になります」

 松平は、

「宗教法人と同じ問題が発生するのか。じゃあ、取締役会を置かない会社の場合は?」

 とたずねた。

「その場合、取締役の人数は1名でもよく、さらに監査役は置く必要がありません。取締役に就任するためには、株主の同意が必要ですが、この解決は簡単です。宗像姉弟のお父さまが100%株主の会社を設立し、宗像姉弟が50%ずつ相続すれば、なにも不都合はありません。さらに、姉の宗像さんがその時点で15歳以上であれば、代表取締役、すなわち社長になることも可能です」

 へえ、そうなんだ。

 こどもでも社長になれるって、知らなかった。

「むしろ問題なのは、姉の宗像さんが成年になる前、お父さまがすでに亡くなっていた場合、彼女の代表取締役就任に同意した後見人はだれか、という点です」

 松平はストップをかけた。

「こうけんにんって、なんだ?」

「未成年者の親の代わりに、こどもの監護や養育、財産管理をするひとです」

「そのこうけんにんの同意がないと、社長にはなれない?」

「そうです」

 松平は、んーとうなった。

「……じゃあ、それが聖生のえるの仲間か」

「あるいは、宗像姉弟のお母さま、という可能性も」

 あ、そっか、お父さんとお母さんのどっちが先に亡くなったのか、それにいつ亡くなったのかは、わからないのよね。もしかすると、お母さんが一時的に社長だったのかもしれない。

 大谷さんは最後に、

「合同会社の仕組みは、株式会社と異なります。しかし、未成年者が役員になれる点も、相続で有利になる点も同じですので、割愛させていただきます」

 としめくくった。

 松平は感心して、

「それにしても大谷、マジで万能だな」

 と褒めた。

「じつは穂積ほづみさんにいろいろと教えてもらいました」

 穂積さんは法学部だから、このへんは詳しそう。

 知らなくても、専攻分野なら、調べればわかるだろうし。

 最後に松平の番になった。

「よし、俺は指示通り、日円銀行がその後どうなったのか、を調べた。簡潔にいうと、日円銀行は2002年に大一だいいち銀行と合併し、今の大円だいまる銀行になった」

 まあ、このあたりは常識の範囲かな、と思う。

 松平に頼んであったのは、その先だった。

「で、これが今の大円銀行銀座支店の支店長、宇津貫うつぬき有三ゆうぞうだ」

 松平は、スマホをテーブルの上に置いた。

 そこには、頭頂部まで生えぎわが後退した、やせ型の中年男性が映っていた。

 おそらくアラフィフで、眼鏡をかけている。人当たりはよさそう。

 そしてその顔は、私がビジコンで見かけた支店長にそっくりだった。

 すこし写真が若いかな、というくらい。

「この人物で、いいんだな?」

「ええ、そっくり」

「宇津貫は1966年生まれ。八ツ橋大学経済学部出身で、1988年に日円銀行へ就職したあと、そのまま合併で大円銀行に残った。支店長になったのは2013年だ」

 私は、

「よくそこまでわかったわね。Mikipediaにでも載ってたの?」

 とたずねた。

「いや、さすがにそこまで有名人じゃなかった。けど、今はネット社会だからな。昔の支店長挨拶とか、銀行のパンフレットとかをパッチワークした」

 個人情報って怖い。

 松平は椅子にのけぞった。

「これで全部つながったな。裏見うらみがビジコンで見聞きしたことと*、一致してる。ここまでくると、太宰の勘とはいえない。有力候補だ」

 松平がそう言い切った瞬間、ふいにドアがノックされた。

 私たちはビクッとなって、おそるおそる返事をした。

 星野ほしのくんの声が聞こえた。

「だれかいる? 電気消し忘れ?」

 松平は、

「ああ、いるぞ」

 と答えた。

 ドアが開いた。

 星野くんはすこしびっくりして、

「あれ? 役員会でもしてた?」

 とたずねた。

 松平は、そうだと答えた。

「ちょうどよかった。合同研究会の件だけど……」

*264手目 支店長

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