349手目 役割分担
【先手:裏見 後手:松平】
んー、むずかしいわね。
私が次の手に悩んでいると、部室のドアがひらいた。
大谷さんが入ってきた。
かすかにシャンプーの香りがする。
「失礼しました。ソフトの練習が長引きました」
おつかれさまです。
私たちは廊下にひとがいないことを確認してから、ドアを閉めた。
窓のそとは、すでに暗くなっている。時計は9時を回っていた。
テーブル席に座って、さっそく打ち合わせ。
第一声は、松平の、
「さて、始めるか」
だった。
私たちは各自で調べてきたことを、それぞれ報告する。
まず、日円銀行の不祥事について、私から。
「太宰くんが言ってた事件は、じっさいにあったわ。世間では、日円銀行利益供与事件って呼ぶのが一般的みたい。日円銀行の頭取以下、複数の幹部が、総会屋の大海という男性に不正融資をして、起訴されてる」
頭取というのは、一般企業でいう社長のこと。
つまり、トップが関与した不祥事。
当時はそうとうなスキャンダルだったらしく、新聞記事が大量に見つかった。
松平は、
「その大海って人物が、聖生の可能性はないのか? 太宰は否定してたが……」
とたずねてきた。
「ゼロとまでは言えないけど、ほとんどないと思う。大海は結婚してて、こどもが3人もいるみたい。出所後は、かなり質素な生活をしてるらしいわ。これはルポタージュで読んだから、たぶんほんとうだと思う。裁判所から罰金みたいなものを命じられて、7億円も払ってるのよね」
「ようするに、不正融資の金は吐き出したわけか。じゃあ、N資金になりようがないな」
「あ、うーん、それもあるんだけど、重要なのは、裁判にかけられて、財産を調査されてる点。仮に大海がN資金を管理していたなら、特捜部が目をつけたと思う。だけど、大海が謎の巨額資金を管理してたっていう報道は、見当たらなかった。あくまでも、不正融資のお金を持っていただけみたい。これはほかの逮捕者にも言えて、マネロンを理由に有罪判決を受けたひとは、いなかったわ」
松平は納得した。
「すると、あやしいのは裁判にかけられなかった人物……自殺した専務か」
そういうことになる。
私はメモ帳をとりだして、さらに詳しい情報を提供した。
「この自殺した役員は、秋庭舜一という男性で、1944年、東京生まれ。1966年に帝大法学部を卒業後、日円銀行に入行。1986年に銀座支店の支店長、1994年には執行役員になって、1997年の時点では審査担当専務」
大谷さんは手を合わせて、
「享年53歳ですか。時代もあれど、若くして亡くなられたようです」
と目を閉じた。
松平は、
「その秋庭さんは、まったく調べられなかったのか? 事情聴取は受けたんだよな?」
とたずねた。
「ほとんど黙秘してたらしいの」
「事情聴取の回数は?」
「最初の一回だけ」
松平は頭をかいた。
「銀行の闇を墓場へ持って行った……と解釈するのが、ふつうか。だけど太宰の話では、他殺の可能性もあったんだろ? そのあたりは?」
私はメモ帳をめくった。
「太宰くんが言ってた週刊誌の記事も、見つかった。専務がマンションで自殺したとき、争うような声が聞こえた、っていう内容。でもこれは、注目されなかったみたい。続報がなかったから」
大谷さんは、
「マンションの構造は、どのようなものですか?」
とたずねた。
「9階建てまではわかってるけど……それ以外のことは、ちょっと」
「その建物は、現存していますか?」
「一応してるみたい」
ただなあ、現場に行くのは、なんか怖いのよね。
私の気持ちを察したのか、大谷さんはそれ以上、追及してこなかった。
私は先を続けた。
「警察発表は自殺で、東京地検特捜部が批判されたのも、事実だった」
松平は、
「なにか聖生につながりそうな情報は、ほかに?」
とたずねた。
私は首を左右にふった。
「明確には、なにも……ひとつあったのは、裁判中の新聞記事で、審査担当専務の自殺により、資金の動きに関する捜査が難航している、って書いてあったことくらい」
「つまり、金の動きをつかんでいたのは、秋庭だった、ってことか」
私は、たぶん、とだけ答えて、大谷さんにバトンタッチした。
「拙僧は、宗像姉弟の相続について、ありえるルートを調査しました。もっとも、金融機関のシステムにアクセスできるわけではないゆえ、あくまでも一般論にとどまります。まず、N資金が巨額であると仮定した場合、法人形式で相続させた可能性が濃厚です」
私は、
「法人って、会社のこと?」
とたずねた。
「会社も法人の一種ですが、ほかにもあります。例えば、拙僧の実家の寺は、祖父の個人所有ではなく、宗教法人の所有です。宗教法人には3人以上の役員が必要ですので、祖父が代表役員を、地元の名士2名が通常の役員を務めています」
松平は腕組みをして、
「待てよ……聖生も、新興宗教を作った可能性がないか?」
とつぶやいた。
なるほどな、と私は思ったけど、大谷さんは否定的だった。
「拙僧の考えによれば、その可能性は高くありません」
「なんでだ? 聖生教とか、いかにもありそうじゃないか?」
「宗教法人法によって、未成年者は役員になれない、と定められています。したがって、宗像姉弟が未成年者のあいだは、役員になれません。弟の宗像くんは、今もそうかもしれません。また、仮にふたりが成年になっても、3人目をどうするのか、という問題が残ります」
松平は、
「それが生き残りの仲間、って可能性は?」
と、あくまでも疑ってかかった。
「もちろんゼロではありません。しかしもうひとつ、問題があります。宗教法人として認められるためには、宗教団体としての活動実績が必要です。しかし、聖生が宗教活動をしていたという事実は、確認されていません」
松平は納得した。
「宗像たちがどこかの施設に出入りしてる、って目撃談もないしな。じゃあ、その線はいったん切ろう。だとすると、やっぱり会社か?」
「拙僧は、そう考えています。しかも、取締役会を置く会社ではありません」
「というと?」
「日本の会社には、複数の形態があります。株式会社、合同会社、合名会社、合資会社です。資産の安全性からすると、合名会社と合資会社は危険なので、株式会社か合同会社が通常です。株式会社にはさらに2種類あり、取締役会を置く会社と、置かない会社にわかれます。取締役会を置くには、3名以上の役員と、監査役が必要になります」
松平は、
「宗教法人と同じ問題が発生するのか。じゃあ、取締役会を置かない会社の場合は?」
とたずねた。
「その場合、取締役の人数は1名でもよく、さらに監査役は置く必要がありません。取締役に就任するためには、株主の同意が必要ですが、この解決は簡単です。宗像姉弟のお父さまが100%株主の会社を設立し、宗像姉弟が50%ずつ相続すれば、なにも不都合はありません。さらに、姉の宗像さんがその時点で15歳以上であれば、代表取締役、すなわち社長になることも可能です」
へえ、そうなんだ。
こどもでも社長になれるって、知らなかった。
「むしろ問題なのは、姉の宗像さんが成年になる前、お父さまがすでに亡くなっていた場合、彼女の代表取締役就任に同意した後見人はだれか、という点です」
松平はストップをかけた。
「こうけんにんって、なんだ?」
「未成年者の親の代わりに、こどもの監護や養育、財産管理をするひとです」
「そのこうけんにんの同意がないと、社長にはなれない?」
「そうです」
松平は、んーとうなった。
「……じゃあ、それが聖生の仲間か」
「あるいは、宗像姉弟のお母さま、という可能性も」
あ、そっか、お父さんとお母さんのどっちが先に亡くなったのか、それにいつ亡くなったのかは、わからないのよね。もしかすると、お母さんが一時的に社長だったのかもしれない。
大谷さんは最後に、
「合同会社の仕組みは、株式会社と異なります。しかし、未成年者が役員になれる点も、相続で有利になる点も同じですので、割愛させていただきます」
としめくくった。
松平は感心して、
「それにしても大谷、マジで万能だな」
と褒めた。
「じつは穂積さんにいろいろと教えてもらいました」
穂積さんは法学部だから、このへんは詳しそう。
知らなくても、専攻分野なら、調べればわかるだろうし。
最後に松平の番になった。
「よし、俺は指示通り、日円銀行がその後どうなったのか、を調べた。簡潔にいうと、日円銀行は2002年に大一銀行と合併し、今の大円銀行になった」
まあ、このあたりは常識の範囲かな、と思う。
松平に頼んであったのは、その先だった。
「で、これが今の大円銀行銀座支店の支店長、宇津貫有三だ」
松平は、スマホをテーブルの上に置いた。
そこには、頭頂部まで生えぎわが後退した、やせ型の中年男性が映っていた。
おそらくアラフィフで、眼鏡をかけている。人当たりはよさそう。
そしてその顔は、私がビジコンで見かけた支店長にそっくりだった。
すこし写真が若いかな、というくらい。
「この人物で、いいんだな?」
「ええ、そっくり」
「宇津貫は1966年生まれ。八ツ橋大学経済学部出身で、1988年に日円銀行へ就職したあと、そのまま合併で大円銀行に残った。支店長になったのは2013年だ」
私は、
「よくそこまでわかったわね。Mikipediaにでも載ってたの?」
とたずねた。
「いや、さすがにそこまで有名人じゃなかった。けど、今はネット社会だからな。昔の支店長挨拶とか、銀行のパンフレットとかをパッチワークした」
個人情報って怖い。
松平は椅子にのけぞった。
「これで全部つながったな。裏見がビジコンで見聞きしたことと*、一致してる。ここまでくると、太宰の勘とはいえない。有力候補だ」
松平がそう言い切った瞬間、ふいにドアがノックされた。
私たちはビクッとなって、おそるおそる返事をした。
星野くんの声が聞こえた。
「だれかいる? 電気消し忘れ?」
松平は、
「ああ、いるぞ」
と答えた。
ドアが開いた。
星野くんはすこしびっくりして、
「あれ? 役員会でもしてた?」
とたずねた。
松平は、そうだと答えた。
「ちょうどよかった。合同研究会の件だけど……」
*264手目 支店長
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