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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第8章 2016年度春季個人戦3日目(2016年5月1日日曜)
36/487

35手目 マークされちゃった

挿絵(By みてみん)


 私は局面を見つめながら、横目でチェスクロを追った。

 残り時間は、私が15分、春日さんも15分。

 読みを切り上げるには、ちょうどいいっちゃちょうどいいんだけど……なんか不穏なのよねぇ。ここまでの読みには、難しい手が出てこなかった。一直線で先手が悪い順に踏み込んでしまっている。どういうことなのか、さっぱり分からない。

 持ち時間が15分を切ったから、私はとりあえず8六歩と突いた。春日さんは、10秒ほど考えて5四歩。私の考慮中に、続きを考えていたっぽい。ということは、やはり8六歩を本線で読んでいたということだ。私も、すぐに8七歩成とした。

「5三歩成」

 んー、読み通り……読み通りなのが怖い。だって、ここから7七と、4二と、同金に6四銀の銀捨てを狙ってるわけじゃないでしょ。いくら飛車筋を通すためとはいえ、それはさすがに……ん? 銀捨て?

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 まさか、7四銀って捨てる手がある?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)


 同角……はないか。以下、同角、同歩、5一飛成、4一桂、7一角で困る。だったら、同歩として……6五角で飛車筋を通す? 5三歩……って打てないじゃないッ! 6五角が王手になってるッ! 4三桂、5一飛成、4一銀、4三角成だッ!

 し、しまった、これは後手が敗勢……そうか……春日かすがさんは、この銀捨てを発見して本譜の順に……罠にハマってしまった……私は、あわてて対処法を模索した。途中で顔をあげると、春日さんと目が合った。彼女は、ニヤリと笑った。

 くぅ、これは読み抜けに気付かれた。そもそも、この段階で考え始めること自体、傍から見ておかしい。だけど、なりふり構ってられないから、時間を投入する。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 ダメだ。7四銀と出られた瞬間には、もう対応できない。その時点で先手優勢。

 現局面でなんとかするしかない。つまり、7七と以外の手が必要。私はこれまでの知識を総動員して、なんとかできないかと悩んだ。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 中合いが効く? 例えば、5五歩は?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 4二と、同金、7四銀、同角、同角、同歩のとき、5一飛成がない……イケる。

 私はひとりうなずいて、持ち駒の歩を5五に打ちつけた。

 春日さんは、一瞬だけ眉をひそめた。

「そっちか……」

 どうやら、イヤな手を指せたようだ。

 春日さんは急に落ち着かなくなって、コーヒーをもう一杯入れた。

 私もお茶で水分補給する。

「……」

「……」

 読み進めていくと、5五歩ですべてが解決しているわけじゃないことに気付いた。そもそも、7四銀に同角としていいのかどうかも分からない。というのも、4二と、同金、7四銀と捨てたとき、同角には6五角があるからだ。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 これが王手だから、同角と取るしかない。以下、同桂で駒がさばけて、7七とが空振りになってしまう。かと言って、7四銀に同歩も、6五角があるのに変わりがない。そこで3二銀打と駒を手放すようでは、後手が若干悪いような……うーん……軌道修正する前と比べたらマシだと思うけど……うーん……。

 私が苦吟くぎんしていると、春日さんは4二とと取った。

「同金」

「8三歩」

「!?」


挿絵(By みてみん)


 この手は……なに? 先手が歩切れになった?

 同角に7四銀としない予定? それとも……7四銀に同歩を読んでる? 私は、春日さんの読み筋にアタリをつけた。推理の根拠は、こうだ。7四銀に同角を読んでいるなら、8三歩は打たない。なぜなら、8三歩、同角、7四銀、同角も、8三歩と打たないですぐに7四銀、同角も、盤上のかたちが変わっていないから。先手の歩損。8三歩が有効なのは、7四銀に同歩と取って、そのとき角が飛車先を邪魔しているパターンのみ。

 そしてその8三歩を打った以上、春日さんは7四銀、同歩を本命で読んでいるということになる。この情報は大きい。春日さん的には、7四同角なら先手が良くなるという前提があるわけだ。おそらくそれは、7四銀、同角、6五角、同角、同桂の次に、5三桂成〜7一角の飛車金両取りを防ぐ手がないということだろう。

「同角」

 私は歩を払った。7四銀、同歩、6五角と進む。

「3二銀打」


挿絵(By みてみん)


 私は腹をくくった。受け切る。

「5五飛」

 攻めのキャスティングボードを握った春日さんは、積極的にきた。

 5二歩、8五桂、6四歩、5四角、5三金。

 一見、先手の角が死んだけど……。

「強行突破させてもらうわね。7三金」


挿絵(By みてみん)


 ぐぅ、痛い。

 同桂、同桂成、5四金、同飛、8一飛、8三成桂。

「同飛じゃないですよッ! 6五角ッ!」


挿絵(By みてみん)


 反撃ぃ。駒損もしてないし、囲いの差もない。完全に互角だ。

「くッ、7二成桂」

 冷静に8三飛と浮いておく。

 春日さんも5七飛と引いた。ここで5六歩は二歩だから、できない。

 私は7七とと寄って、飛車を成り込む準備。

「このままだと、5二飛成とできないか……3八金打」

 先手も自陣に駒を投入した。ここで飛成り……は遅いか。もっと速く。

 端攻めが入りそう? 例えば、この時点で1六歩、同歩、1七歩、同香……じゃなくて同桂、同桂成、同香、2五桂、5二飛成、1七桂成、同銀とか?

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 桂馬を渡しまくったわりには、あまり進展が……角を切れば続きそう? 4七角成、同金に8八飛成が詰めろか……でも、3八桂で簡単に受かる。そこで9九龍と取って、次に1二香打の2段ロケットが現実的かなあ。9九龍の瞬間に3九の金が浮いてるから、先手は受けないといけないはず。ロケット建設の余裕はあると思う。

 残り時間は、おたがいに10分を切っていた。私は1六歩を選択。

 同歩、1七歩、同桂、同桂成、同香、2五桂、5二飛成、1七桂成、同銀、4七角成、同金、8八飛成、3八桂、9九龍、5九歩。

 予定通りの局面になったけど、私は悩んだ。単純に1三香打(読み進めているうちに、こちらのほうが安全と判断した)とするか、4一金と一回龍をはじいて、5九龍を入れてから1三香とするかの二択だ。すなおに考えたら、4一金、6一龍(逃げるならここだと思う)としたあとで、5九龍がいいはず。でも、5九龍には4八角と受ける手があって、どこかで龍が捕捉される虞もあった。

 私はひたいに手をあて、目を閉じてじっくりと両者を比較した。

「……4一金」


挿絵(By みてみん)


 私は受けた。受けないといけない気がした。

 残り時間もすくないから、勘を大事にする。

 春日さんは6一龍。私は5九龍と入る。

「4八角ッ!」

「5八龍」

「……」

 春日さんの手が止まった。金当たりだから、なにかしないといけないはず。

 

 ピッ

 

 春日さん、1分将棋に。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!


挿絵(By みてみん)


 手堅く来た。5七金の軽い受けは、6八龍〜3七香があるから、当然と言えば当然。

 でも、これは龍に当たっていない。私は念願の1三香打を放った。

「端がキツい……」

 さあ、春日さん、どうする?

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「2八桂ッ!」

 2九桂かと思ったら、そっちなのね。

 私は寄せを考える。

 

 ピッ

 

 私も1分将棋に。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「1四香打」


挿絵(By みてみん)


 どやぁ、3段ロケット。

「な、7四角のヒマがない……」

 5六角は、7四角〜4一角成も狙ってたわけか。そんな余裕は与えない。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「2九桂ッ!」

 春日さんは、歩以外の持ち駒を手放した。私の王様が安全になる。

 あとは、どう寄せるかの問題……渡す駒の種類をよく考えて……。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「1八歩」

「ど、同玉」

 私は、1四の香車に指をそえた。

「1六香」


挿絵(By みてみん)


 ロケット発射ッ!

 同桂、同香、同銀、同香、1七歩、同香成、同桂、1六歩。

 春日さんの持ち駒は、香車が3枚。受けが難しい。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 春日さんは、59秒ぎりぎりで2八金と上がった。

 私は最後の確認をして、1七歩成。

「……同金」

「2五桂」


挿絵(By みてみん)


 これが詰めろ。1七桂成から2五桂の打ち直し以下。

 春日さんは、がっくりと肩を落とした。

「龍を切る以外に詰めろがほどけない……負けました」

 よっしゃぁあああ! 1回戦突破ッ!

「ありがとうございました」

 私は一礼して、大きく深呼吸した――いやあ、ホッとした。自分の将棋が、大学棋界でも通じることが分かったからだ。自信をとりもどせたような気がする。

 春日さんは納得がいかないような顔で、後頭部を掻いてから、ひとこと、

「5六角じゃなくて、6三角だった?」

 とたずねた。感想戦開始。


【検討図】

挿絵(By みてみん)


「これは、なにろですか?」

 私は6三角の厳しさから確認した。

「2手スキじゃない? 4一角成が詰めろだと思うから」

 えーと、詰めろかしら。例えば、4七龍、4一角成、3七香とテキトウに進めて……3二馬、同玉(1二玉は2二馬、同玉、3三銀から明らかに詰み)、5二龍……詰まないっぽいかな。5二龍のところで2一銀は、4三玉なら詰むけど(6三龍、5三合駒、5四金以下の並べ詰み)、4二玉か3三玉と逃げれば、詰まないと思う。仮に4八の角が生きてて、4五桂、同歩、6六角の順があっても、ぎりぎり耐えているようにみえた。例えば、2一銀、4二玉、6二龍、5二歩、5三金、3三玉、4五桂、同歩、6六角、4四香、同角、同玉、6四龍、3三玉。

 

【検討図】

挿絵(By みてみん)


 金駒かなごまがあれば詰むけど、ないのよね。

 春日さんも、詰まないことを認めた。

「じゃあ、6三角は3手スキか……ダメね」

「でも、こっちの4七龍も3手スキ以上なので、春日さんのほうが速いですよ」

「ん、そっか……さすがに2手スキ以内じゃないの?」

 そうは見えないんだけど……だって、検討図の先手玉は、詰めろでもなんでもない。

 もうちょっと、マジメに読んだほうがよさそうね。

 私は局面をもどして、後手も最善で迫っていくことにした。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 ん? うまく迫れない?

「すみません、6三角には5二歩とします」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


 私は、5二歩、同角成、同龍、同龍、同金の順を提案した。

「これなら、龍が消えても角得。6九飛が3九の金当たりなので、勝てると思います」

「んー……冷静に受けられると、たしかに困るか。でも、5二角成とはしないわよ」

「それもそうですね……じゃあ5一歩は?」

 私と春日さんが悩んでいると、入江いりえ会長の声があがった。

「女子は第2局も午前中にやりますので、終わったところから休憩に入ってください」

 おっとっと、過密スケジュール。

 私と春日さんは、感想戦を切り上げることにした。

「またあとで検討しましょう」

 春日さんはそう言って、盤面をパシャリ。ほんとカメラ好きね。

裏見うらみさん、なかなかやるわね。これからは、ばっちりマークしちゃうから」

 なんですか、それは。ストーカー宣言ですか。

 私はあきれつつ、春日さんと分かれた。

「裏見さん、お疲れさまです」

 ふりかえると、大谷おおたにさんが立っていた。

「お疲れさま……どうだった?」

「拙僧も勝ちました」

 そっか。ふたりとも1回戦突破で、いいスタートを切れた。

「最後の端攻めは、なかなか迫力がありました」

子ちゃんの車ロケットだからね」

「では、拙僧、手洗いに参りますので」

 うわぁあああんッ! 渾身こんしんのギャグだったのにッ!

場所:2016年度 春季個人戦3日目 女流1回戦

先手:春日 ひばり

後手:裏見 香子

戦型:角交換型四間飛車穴熊vs銀冠


▲7六歩 △3四歩 ▲6八飛 △8四歩 ▲4八玉 △8五歩

▲3八玉 △4二玉 ▲2二角成 △同 銀 ▲8八銀 △6二銀

▲2八玉 △3二玉 ▲7七銀 △5二金右 ▲3八金 △1四歩

▲1八香 △1五歩 ▲1九玉 △3三桂 ▲2八銀 △2四歩

▲3六歩 △2三銀 ▲8八飛 △2二玉 ▲5八金 △3二金

▲6六銀 △5一銀 ▲3九金 △4二銀 ▲4六歩 △3一銀

▲4七金 △4二金右 ▲7七桂 △2一玉 ▲5六歩 △2二銀

▲5五歩 △3一金 ▲9六歩 △2五桂 ▲4五角 △7四角

▲6五銀 △4四歩 ▲5六角 △9二角 ▲5八飛 △8六歩

▲5四歩 △8七歩成 ▲5三歩成 △5五歩 ▲4二と △同 金

▲8三歩 △同 角 ▲7四銀 △同 歩 ▲6五角 △3二銀打

▲5五飛 △5二歩 ▲8五桂 △6四歩 ▲5四角 △5三金

▲7三金 △同 桂 ▲同桂成 △5四金 ▲同 飛 △8一飛

▲8三成桂 △6五角 ▲7二成桂 △8三飛 ▲5七飛 △7七と

▲3八金打 △1六歩 ▲同 歩 △1七歩 ▲同 桂 △同桂成

▲同 香 △2五桂 ▲5二飛成 △1七桂成 ▲同 銀 △4七角成

▲同 金 △8八飛成 ▲3八桂 △9九龍 ▲5九歩 △4一金

▲6一龍 △5九龍 ▲4八角 △5八龍 ▲5六角 △1三香打

▲2八桂 △1四香打 ▲2九桂 △1八歩 ▲同 玉 △1六香

▲同 桂 △同 香 ▲同 銀 △同 香 ▲1七歩 △同香成

▲同 桂 △1六歩 ▲2八金 △1七歩成 ▲同 金 △2五桂


まで126手で裏見の勝ち

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