348手目 ノーパン焼肉事件
最初に噛みついたのは、磐くんだった。
《のえるの正体を知ってる? ふたりが? だれなんだ?》
太宰くんは、
《それはわからない……けど、聖生の正体に気づいてるんじゃないか、と感じた》
と答えた。
磐くんは、
《ただの勘じゃないか》
と一笑に付した。
《まあ順番にいこう。まず氷室だ。暗号は、数学の一種だよね。それに全然興味を示さなかったのは、あやしいと思わない?》
磐くんは、それだと理由が弱い、と返した。
ここで火村さんが口をはさんだ。
《あたしは、太宰の勘が正しいと思う》
磐くんは、へぇ、と言って、理由をたずねた。
《氷室って、風切ファンでしょ。あれだけべったりなんだから、風切がピンチになった瞬間、首をつっこんでくるはずなのよね。なのに、これまで一度も助けてないじゃない》
あ~、それは盲点だった。
風切先輩に迷惑をかけるやつは、僕が突き止めます、とか言ってそう。
じつはこっそり調査している、というのは、ありえた。
氷室くんの才能からして、解読している可能性も。
磐くんは、
《なるほど、ちょっとは信ぴょう性があるな。じゃあ、速水先輩は?》
と、話題を変えた。
《プライバシーに触れるところもありそうだけど……公開情報だから、問題ないか。速水先輩のお父さんが検察官なのは、みんな知ってるよね》
私たちはうなずいた。
火村さんは、
《S台高検の検事長らしいわね。めちゃくちゃ偉いんでしょ》
とつけくわえた。
太宰くんは、
《ただ、速水検事長の出世は、おそらくここで終わりだ。検事総長にはなれない》
と返した。
私は、
「検事総長ってなに?」
とたずねた。
《日本の検察のトップだよ。検事総長には、帝大出身者しかなれないのが慣例。速水検事総長は日センのOBだから、それより上に出世するのはむずかしい》
大谷さんは、
「速水検事長の出世が、どこで聖生と関係してくるのですか?」
とたずねた。
そうそう、さっきから話がどんどんズレている。
太宰くんも、それは認めた。
《おっと、ごめん、速水検事長がこれ以上出世できるかどうかは、あまり関係ないんだ。ただね、速水検事長はもともと現場のたたき上げで、そこからの出世としてはほぼ最高。そうとうなヤリ手だった。ところが、そのキャリアに一点だけ、ミスがあった……ノーパン焼肉事件って知ってる?》
のおぱん焼肉? 聞いたことのないチェーンね。
私が首をかしげていると、磐くんは、
《パンツを履いてないって意味か?》
とたずねた。
そんなわけないでしょ、と思いきや──
《そう、そのノーパン。女性店員がミニスカートで、下着を履かずに給仕するお店で……ちょっと待って、これはほんとに本題と関係あるから。でね、昔、銀行が官僚をそういうお店で接待して、すごいスキャンダルになった》
大谷さんは、
「不衛生だと思うのですが」
とコメントした。
そ、そこがポイントじゃないような。
たしかに不衛生な気がするけど。
とりあえず、そこからどうつながるのか、みんなで太宰くんを問い詰めた。
《この事件では、日円銀行がホスト、大蔵省の官僚がゲストだった。接待の目的は、大蔵省からの定期検査を甘くしてもらうため。この検査の不徹底が原因で、総会屋への利益供与が発生し、日円銀行の頭取が逮捕されるという、一大事件に発展した》
火村さんは、
《総会屋って、株主総会で騒ぐのが仕事だったひとのこと?》
と、確認を入れた。
《あ、よく知ってるね……火村さん、ほんとに留学生?》
《そこは今関係ないでしょ。で、総会屋に金を渡したのは、ようするに株主総会で黙らせるためよね。逮捕されたってことは、それに会社の金を流用したわけ?》
《正解。幹部が個人的にお金を渡したんじゃなくて、銀行のお金を渡していた。10人以上が逮捕されて、このときの担当者のひとりが、東京地検特捜部の速水検事だった》
え、そこでつながるの?
にわかに不穏な気配がしてきた。
火村さんは、
《その総会屋が聖生、あるいは聖生の仲間?》
とたずねた。
《いや、それは違う。そのとき逮捕された総会屋は、実名も素性もわかってる。聖生には該当しない。僕が注目しているのは、逮捕者のなかでひとりだけ、不審な死に方をした人物がいる点だ》
火村さんは、その死に方をたずねた。
《警察の発表は自殺になってる。事情聴取のあと、自宅のマンションから飛び降りた》
沈黙がただよう。
ひとの死というものは、言葉数を少なくさせるのだろう。
太宰くんは、淡々と先を続けた。
《ある週刊誌によれば、争うような声が聞こえた、という住民の証言があるらしい。これはゴシップ扱いされた。警察が他殺の線でも捜査したかどうかは、わからない。わかっているのは、被疑者の自殺が検察の不手際とされたことだ》
大谷さんは、
「速水検事ひとりの責任、というわけではないように思います」
とコメントした。
《そうだね。日本の検察は極端な減点主義だから、速水検事ひとりの不祥事だと、そもそも今のポストにつけなかったんじゃないかな。まあ、これは憶測だけど……っと、また脱線して来たから、本題へもどろう。僕はその事件に興味を持って、ちょっと調べてみた。自殺したといわれる担当者は、日円銀行の審査担当専務だった》
専務か──けっこう偉い。
企業だと、社長の補佐役だ。ナンバー2かナンバー3なことが多い。
だけど、まだつながりが見えてこなかった。
《この専務の経歴を調べたところ、1992年に銀座支店で支店長をしていた。銀座支店は、東京中央郵便局の最寄り銀行だよ》
東京中央郵便局? ……あッ! 聖生が葉書を出した場所だッ!
つながったッ!
松平は、
「ってことは、そいつが聖生の仲間か?」
とわりこんだ。
《僕は可能性があると思っている。資金調達役は、どこかでマネロンをする必要があったはずだ。仮に相場で合法的に儲けたとしても、保管場所は必要になる。地銀や信金に預けるのは、額が大きすぎて目立つ。行員もあやしむだろう。だとすれば、大手銀行のどこかにこっそり預ける、というのが合理的だ》
火村さんは、
《現金で自宅に保管するのが、一番安全じゃない?》
と言った。
《以前はその可能性も考えていた……けど、今はそうじゃない証拠がある》
《証拠?》
《宗像姉弟がきちんと相続をしている、ということだ》
火村さんは、なるほどね、と画面の向こうでうなずいて、
《自宅に現金を隠したあと、相続のまえだけ金融機関に移した、ってのは、もっともらしくないわね。そんなことしたら、金融庁か税務署に目をつけられるわ。遺産の出所があやしすぎるもの》
と説明した。
《火村さんの言うとおり。N資金は最初から、表に出てたんだと思う。その管理にだれかが協力していて、それが銀行の支店長だったっていうのは、ありえる。宗像姉弟の周辺を調べてわかった、最大の成果だ。前までは、非合法組織かな、と思ってたから》
座が盛り上がる中、ひとしずくの冷や水がかけられた。
大谷さんからだった。
「お待ちください。2点、疑問があります」
《どうぞ》
「まず、銀座支店が東京中央郵便局に近い、というだけでは、根拠が薄過ぎるかと」
《そこで出てくるのが、速水先輩の存在だ。速水先輩が聖生に関心を持っている理由、そして僕たちよりも多くの情報を持っていそうな理由は、父親の件があったからだと思う》
「それは、推測を推測で補強しているだけではありませんか」
太宰くんは、そこは認める、と譲歩した。
《だけど、僕の手札には、これより有力なものがない》
「承知しました……2点目です。どちらかと言えば、こちらのほうが重要だと思っています。専務が自死なさったのは、いつですか?」
《1997年》
「では、その後のN資金を、だれが管理しているのでしょうか?」
あ、そっか、そういう問題があるのか。
専務が聖生の仲間だとしても、死後にはもう管理ができない。
だれかが引き継がないといけなくなる。
太宰くんは、ぱちりとゆびをはじいた。
《いい質問だ……それについては、目星がついてる》
え、うそ。
私は信じられなかった。
大谷さんも、ややおどろいたようすで、
「どなたか、教えていただけますか?」
と返した。
《裏見さんも知ってるよ》
え? 私が?
全員の視線が、こちらへ向いた。
私はどぎまぎしてしまう。
「N資金の管理人なんて、心当たりが……」
そのとき、ある記憶が、私の脳裏にフラッシュバックした。
銀行、聖生とのつながり、N資金。
私は、おそるおそる口をひらいた。
「もしかして……ビジコンに来てた支店長?」




